第04話「胡蝶の覚醒」
馴染みのあるベッド。
見覚えのある天井。
目を覚ますと、俺は高崎時弥に戻っていた。
スマートフォンの電源を入れ、検索エンジンで日付を確認する。
2018年、6月26日。
これは、俺が向こうの世界へ飛ばされた日付だ。
戻ってきたのか?
こんなにあっさり?
なんで?
困惑はあったが、そこで自然と大学へ行こうとしている自分に気が付く。というのも、「今行けば2限に間に合うな」などと思考を働かせていたのである。
「あれは……夢だったのか?」
***
俺――高崎時弥は都内の大学に通う学生である。
現在、三回生。周りはインターンがどうだの、就活がどうだのと騒いでいるが、研究職を目指す俺としては遠い世界の話だ。
『14番線、電車がまいります……』
聞こえるアナウンス。
気が付けば、俺はプラットオームに立っていた。相変わらずの人の多さ。これだから嫌になる。
それにしても、すごい夢を見たものだ。あんな近未来を見せられたのでは、やってくる電車が前世代の遺物に見えて仕方がない。
「ここ東京なんだよな? 首都なんだよな? ……鳥取の方がすごかったぜ」
思わず、口がにやけてしまう。
周りを見渡せば、スマートフォンを弄る人々。ワイヤレスイヤホンを付けている人。……ふっ、なにもかもが時代遅れだ。だいたい、プラットフォームが外にあること事態考えられない。
俺は、つい癖で宙を指で叩く。
すると、信じられないことが起きた。
あのチャット画面が現れたのである。
「えッ!?」
そして、チャットの右上に、搭載されているカメラ機能で俺の顔が映し出される。
「ッ!?」
その顔は、田端蒼汰のものだった。
驚いていると、通知が来る。
田端柚姫からだ。
『お兄ちゃん! ねぇ、お兄ちゃんてっば! 起き――』
***
「――起きて! 朝だよ!」
柚姫の声。
俺はバッと身体を起こす。その勢いのよさのあまり、柚姫は「うわぁッ!?」と驚いて後退りする。
――夢? だったのか?
そういえば、心なしか、俺の見たもとの世界の状況はぼんやりしていた気がする。アパートから駅までの道は覚えてないし、それから、人の顔もはっきりしていなかった。それに、どんな夢だったかも忘れ始めている。
「び、びっくりしたー」
大丈夫? と、柚姫は心配そうに俺のもとへやって来る。
「なぁ、俺の顔……どうなってる?」
「え? どうなってる、って言われても……いつも通りだよ? 強いて言うなら、青白い……かな?」
「……ありがとう」
言葉とは裏腹に、俺は失意のどん底に叩き落とされた気分だった。
柚姫がいなければ、ベッドを殴っているところだ。
「そうだ。早く朝ごはん食べよっ! 遅刻するよ」
そう言って、詰め寄る柚姫。そう言う柚姫はすでに制服姿で、準備は万端のようだ。いつものように、艶のある髪は束ねられていて、相変わらず、顔かたちはキリットしている。それから、引き締まった身体と……柔らかそうな胸。出会ったときから容姿端麗とはこのことだと思っていたが、俺には勿体ない女の子だという想いは日に日に強くなっていく。
「今日は朝練……じゃなかった。朝の用事はないのか?」
俺は立ち上がると、階段を目指す。
「うん! お兄ちゃんと朝一緒なんて、久しぶりだね」
嬉しそうに階段を駆け下りる柚姫。
俺はゆっくりとその後を追う。そして、その姿を見るたび俺の胸は罪悪感で締め付けられた。
悪いけど。
俺はお前の兄じゃないんだ。
***
三年前。
目を覚ました俺は、田端蒼汰になっていた。
要するに、二十歳そこそこの奴が、目を覚ますと14歳のガキになっていたのである。もちろん、「ここはどこ、私は誰?」状態。そんな俺の目の前に、今日のように中一の女の子が妹を名乗り現れるのだから、「お前誰だよ?」と言うしかなかった。
その言葉が柚姫をどれだけ傷つけただろう。今となっては分からないが、でも、今朝の不安そうな柚姫の表情はまさに三年前のものと同じだった。
その後、俺は『記憶喪失』と診断され、今に至る。それはそうだ。家族のことはおろか世界のことも分からないのだから。挙句、違う世界のわけの分からない話を始めるのだから、あの時は、もう少しで精神病棟送りにされるところだった。
「お兄ちゃんって、なんかすごく落ち着いたよね」
ご飯を食べながら、柚姫が口にする。
「そうか?」
「そうだよ。昔はもっとやんちゃで危なっかしかったけど、最近のお兄ちゃんは冷静っていうか……落ち着いってるって言うか……」
柚姫はそこまで言って気まずそうに口を結ぶ。
最近。それは、記憶を失ってからの俺のことを指していたからだ。
話を聞くに、田端蒼汰はとんでもない悪ガキだったらしい。アルバムを見たが、どの写真も傷だらけで映っている。火遊びや暴力……それは手が付けられない奴だったのだとか。
でも、妹想いの熱いハートを持つ奴で、暴力を振るうとしても家族や親友を馬鹿にされたからという理由だったらしい。
「ごめんね。記憶がないのに、こんなこと言っても……仕方がないよね」
「大丈夫。気にしてないよ」
まあ、別人みたいっていうか、実際別人だからなぁ……。
***
高崎時弥は都内の大学に通うしがない学生だった。いつも一人で図書館にいるような人間で、友達はおらず、代わりに文章や数字を相手にする。そんな毎日。
閑散とした空間と、静寂を好む時弥であったが、自身は寂しい奴だという感情を持ち合わせていなかった。いや、基本的に他人に興味を抱けない時弥にとっては、孤独こそ至福であった。
相手にするのは、文字としての世界と無機質な人間。時弥はそんな現実ではないリアル(・・・)の世界に充実していた。
***
学校までの道のりは、バスを使う。といっても、バスは宙を浮いており、空を飛ぶのだから、飛行船と言った方が正しいかもしれない。
「いやぁ、にしても暑いね……」
2018年、6月27日。
梅雨明けの太陽が、俺たちを突き刺す。
どこからか、蝉の声も聞こえ始めている。
刹那。
柚姫の表情が変わった。
前触れはなかったように思える。
「危ないッ!」
突き飛ばされる俺。
刹那、太刀を抜き、柚姫は背後からの一閃を受け止めた。
「なッ!?」
朝っぱらから?
と、思いきや、その相手は‶クリーガー〟ではなかった。
人間。
フードで顔を隠しているため、よくは分からないが、体格からして男だろう。身長は170代後半。そして、どこか見覚えのある出で立ちだった。
「俺の一閃を受け止めるとは、流石‶クリーガー〟ハンターだな」
聞き覚えのある声!
この声はッ!
「どなたですか?」
鋭い口調で訊く柚姫。それから、間髪入れず素早い剣捌きを繰り出す。
男は、柚姫の攻撃をすべてかわし、あるいは受け流すと、体勢を立て直すため間合いを取った。
その拍子にフードが取れる。
「!?」
やっぱり!
だが、どうして!?
整った顔立ち。
凛とした目。
自分で言うのもなんだが、まさに「好青年」と形容するにふさわしい。
ゆえに、俺は叫ばずにはいられなかった。
「どうして、お前がここにいるッ! 高崎時弥ッ!」