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第31話「闇が落ちてくる」

 水の壁が消える。


 その向こうで立っていたのは神無だった。かわりに、さっきまで沙羅だったものはまるでガラクタのように地面に置かれている。


「沙羅さん。新しい身体は如何ですか?」

「最高ね。予想はしていたけれど、これ以上にないものだわ」

 声は神無のもの。だが、中身はまごうことなく雀宮沙羅だった。


 そんな、不気味な笑みを……神無は浮かべない!


「そちらも片付いたようね、柚姫」

「ええ。まったく、口ほどにもない。次は、藤沢神無のお仕置きといきたいんですけど」

 柚姫は大鎌を神無に向ける。


「あら。そんなことを私が許すと思って?」

 両者とも笑顔。

 だが、二人の間には殺気が満ちていた。


 しばらくの沈黙。


 やがて、柚姫の方が鎌を下ろした。


「やめましょう。もう、藤沢神無はいない。そうでしょう? 彼女の魂は貴方が破壊した。今さら、肉体だけ傷つけても意味がない。それはお仕置きじゃない。八つ当たりです」

「賢明な判断ね。で、これから貴方はどうするのかしら? そのボロ雑巾に制裁を加えるのかしら?」


 ボロ雑巾。

 俺のことを言っているのだろう。


 俺の身体であるヌイグルミは、柚姫の大鎌によって突き刺され、ボロボロになっていた。痛みは無いが、もう動ける気がしない。


「ええ。その後は、沙羅さんの好きなように煮るなり焼くなりしてください」



 ああ。

 これが。

 結末?


 俺が見届けようとした顛末なのか?



 薄れゆく意識の中で、俺の脳裏に蘇ったのは、現世界での渚、神無、そして柚姫だった。みんな、生き生きとしていて、はちゃめちゃだけど幸せそうで……。


 でも、こっちじゃどうだ?

 渚は死んだ。

 神無は乗っ取られた。

 柚姫はイカれてる。


 こんな結末。

 こんな顛末。

 こんな世界……





 ――必要ないだろう?





 ああ。

 闇が落ちてくる。



 ***



「そろそろ来ると思っていたよ。時弥君」

 

 闇の世界の真ん中。

 そこに、やはりというべきか天理黒夢がいた。


 姿はスーツ……ではなくマント。

 眼鏡もしていない。


「どうだい? 救いたいだろう? 無意味なあの世界を。ようやく、分かり合えた気がするよ」

「……」

「さあ! 僕と君とで、‶解放〟しよう!」


 


 手を伸ばす


「ちょいまち」


 唐突に、快活な女の子の声が響く。

 

 知っている声。

 そして、俺が一番聞きたい声だったかもしれない。


「なぎ……さ……?」


 内海渚だった。

 

 その様は、まるで暗闇の中で凛と咲く一輪の花。

 十二単に身を包み、涼し気な笑みを浮かべていた。


「どう……して? お前……死んだはずじゃ……」

「勝手に殺さないでくれ給えよ。まぁ――」


 渚は何も無い空間をあごで指す。

 と、空間は切り裂かれ、柚姫と神無(沙羅)の今の状態が映し出される

 

 その傍らに、ボロボロの瑞鶴と血まみれの渚が倒れている。


「――このまま、治癒しないと出欠多量で本当に死んじゃうかもだけどね。まさか、ここまで手ひどくやられるとは……まいっちゃったねぇ」

「言ってる場合か!」


 俺は、こんな状況にもかかわらずヘラヘラする渚を怒鳴るが、渚は肩をすくめたままで動じなかった。

 ――まるで、他人事のように。


 どこか、渚に冷たい印象を覚える。


 思わず舌打ちをしたくなった俺だったが、意外な人物に制止させられた。天理黒夢だ。何事かと思ったが、黒夢はどうもイラついている様子だった。


「どうして、君が此処に? 此処は僕がつくり上げた亜空間。魂だけが来ることができる特別な場所のはず。僕と時弥君の邪魔をしないでくれるかな?」


 眉間にしわを寄せる黒夢。

 対し、渚は不敵な笑みを浮かべる。


「私の能力は――」

「知っているさ。《空間掌握》。界級能力の1つ……」

「なら、分かるでしょ? 事象が存在する場所ならば、私は介入できる。意志が介在する場所ならなおさら」

「なるほど。非物質的であっても君は介入できる――いや、物質的でないものこそ、本領なのかな?」


 つまり、渚はこういっているのだ。

 自分にとって肉体は二次的なものであって、むしろ拘束具でしかない、と。

 

 ――だから、渚は満身創痍の自分自身を見ても平然としていたのか。

 それを、理解した瞬間、俺は身震いをした。いや、身体が無いのだから震えるハズは無いのだが、それでも俺は震えていた。


 コイツは人間じゃない!

 全然、生への執着がない。さっきから人間らしさが、全く伝わってこない。淡白で、冷淡で、それでいて人間を超越した……何か遠い――


「だから、あまりこの姿は見ないで欲しいんだよね。人間らしい思考が出来ないこの私を(・・・・)。ね」


 俺の考えを読み取ったのか、渚はこちらの方を向くと憂いの笑みを浮かべた。


「……」

「そんな悲しそうな顔しないでよ、時弥。ようやく、本当の時弥に会えたって言うのに」

「……」


 感傷に浸っている暇はない。


 まだ、終わってない。

 そう渚の目はそう言っていた。


「無駄だ」

 黒夢は吐き捨てる。

「この世界自体、玩具なんだ。無意味なんだ。だから、これから僕はこの世界を解き放つ。邪魔はしないでもらえるかな」


 それから。

 黒夢は俺に語り掛ける。


「君なら分かるだろう時弥。いかにこの世界が絶望で満ちているか。こんなのおかしいだろ! 救われるべきなんだ!」


 ああ。

 そうかもしれない。


 でも、それは――


「――つまるところ、お前の価値観だろ?」

「!?」

「俺は、観察者であり傍観者だ。だから、お前のいう救済には賛同はしても、手を貸すことは出来ない」


 それに。


「お前のいう‶解放〟は、何なんだ(・・・・)?」

「?」


 思うに、生きるってのは戦うことだ。

 もがくことだ。

 苦しいことだ。

 理不尽なことだ。

 悲しいことだ。

 

 本質的にそういうものだ。

 誰もが何かに立ち向かって、苦しみながら前に進む。

 

 希望や幸福が、いかに儚く脆いものか。

 人間の生は、意地悪く、穢れていて、救いがたいものかもしれない。

 

 でも、それは決して、誰かに哀れに思われるものじゃないはずだ。

 採点者はいないはずだ。


 それなのに、もし、世界を無意味だという奴がいたとして……

 救済を唱える奴がいるとしたら……


「それは、解放じゃない。逃避だ」


「なんだと?」

 黒夢の目元がピクリと動いた。


 当たり前だ。

 それは、俺から黒夢への宣戦布告だったからだ。



「渚。俺は、最後まで付き合わなくちゃならなくなったぞ」

「ははは。時弥って案外馬鹿なんだね」


 肩をすくめ、渚は「こうなったら、手伝ってもらうよ」という。


「で、具体的にどうすればいいんだ?」


 敵は強大。

 沙羅は新しい身体を手に入れ、無傷そのもの。

 国の指導部は健在。

 しかも、柚姫はそこに加わり、その上、この天理黒夢という「解放」を謳う謎の存在までいる。


 対し、こちらは戦力としてはゼロに等しい。

 神無は乗っ取られ、渚は重症。

 俺はこんな調子だし、鶴橋生駒はもう……。


「私は、もう一度復帰を試みる。神無を取り返すのは任せたよ、時弥」

「取り返す? どうやって?」

「そりゃあ、君の能力でだよ」


 そこで、俺は‶クリーガー〟を乗っ取ったのを思い出す。


「神無は、今、雀宮沙羅に乗っ取られている。もし追い出すことができたら……」

「……ああ。やってみる!」



 ――ふふっ。


 ――まかせたよ。




 ***



 私――内海渚は、静かに目を覚ました。

 と、それと共に身体中を激痛が走る。


 ぐちゃくちゃになった右膝。

 穴が空いた左足。

 背中の肉は、綺麗に切断されている。

 大きな傷はこんなところだが、小さな傷を合わせれば……我ながら手ひどくやられたものだ。


 致命傷はないが、この出血が続けば……。

 早いところ処置しなければ……。


 ああ。

 寒い。


「やれやれ……」

 

 私はあたりを見渡す。

 

 傍には、柚姫。

 だが、私が意識を取り戻したことにはまだ気が付いていないようだ。むしろ、何かに気を取られているようだ……。


 ん?

 何に?

 

 私は、柚姫の視線の先を追う。

 確かそっちに方には……沙羅が……。


 ――時弥、うまくやってる? 


 いた。

 が、私は息を呑んだ。


「ありゃ……。手が速いよ……」



 崩れ落ちる肉塊。

 沙羅――神無の身体は、刃によって貫かれていた。


 雀宮沙羅を背後から襲ったのは、男だった。

漆黒にマントに身を包み、憂いに満ちた笑みで、最期を看取る。


「嗚呼。沙羅様。僕はやりました。これで、貴方は繰り返す苦痛から……永遠の輪廻の輪から‶解放〟された。次は、この国を――この世界を苦痛から‶解放〟して見せましょう」


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