第26話「巨星、墜つ」
8月17日、深夜。
東日本の首都――東京、某所。
政府要人が一堂に会すると、静寂の中、会議が始まった。
「それでは、臨時中央委員会を開会する」
議長――荻窪は単調に告げる
大理石の会場を照らすシャンデリア。その灯りは、どこか弱く、不気味に思える。前回同様、中心には、巨大な円卓が置かれており、13人の党・軍・国の重役の顔が連なる。
臨時中央委員会である。
だが、今回の中央委員会では、雀宮沙羅を含め、空席が目立っていた。
「先の小笠原・沖縄での戦いで、東日本軍は敗北。米軍と中国軍の上陸は間もなくと推定されます。昨日は、主要都市への空爆も始まり、ミサイル攻撃、さらには核攻撃の予兆も見られるようであります」
「――潮時じゃな」
言葉を漏らしたのは、海軍元帥の稲城だ。
稲城を含め、松崎など、保守派の人間は、降伏を望んでいた。これ以上戦ったところで、勝ち目はないばかりか、被害が大きくなるだけだからである。
しかし、反米派、反中派の反応は冷ややかなものだった。その中心にいたのが、第4特殊部隊、第5特殊部隊、そして第7特殊部隊の広尾である。
「海軍はどうなってるんだ……」
「まったく、米軍のみならず、中国軍に負けるとは……」
「情けない……。東日本の恥だな」
そんな言葉のざわめきが、会場じゅうを包み込む。もちろん、稲城には聞こえていたが、稲城は鼻で笑うのみにとどまった。
「では、降伏するとするかの。講和交渉の準備じゃ。――まあ、東日本が世界地図から消えることには変わりないがな」
と、稲城が切り出す。
その場にいた、保守派の人間は無言で頷く。
当然、反発したのは反米派と反中派だった。基本的に対立している反米派と反中派だが、降伏という点に関しては、断固反対という立場で一致していた。
また、先の海戦で稲城は米中両軍に敗北している。反米派と反中派にとっては格好の攻撃対象だった。
「黙れ! この敗北主義者!」
「貴様のような奴が、海軍の元帥だから、負けたのだ」
「負けたから降伏だと!? ふざけるな! 責任を取れ! 責任を!」
稲城に向けられる罵詈雑言。
そこに、広尾も立ち上がって混ざる。
「お前のせいだ! 無様に負けやがって! まったく、どうしてくれるんだ!」
まるで中身のない批判。広尾は怒鳴りたいだけだった。
くすりと笑うのは稲城だ。
「おかしいな。彼らの話では、中国と同盟を組み、アメリカと対抗するハズ。ところで、海軍はその中国に攻撃されたのだが……はてさて、中国との同盟交渉はどうなったのかな?」
稲城の言葉に苦笑を浮かべる保守派。
頭に血が上ったのは、反米派――そして広尾だ。
「この……敗北主義者めッ! つまみ出せ! この敗北主義者たちをつまみ出せ!」
その言葉が合図だった。
会議室の隅に控えていた、第4・第5・第7特殊部隊の部隊員が保守派の人間にとびかかった。
もちろん、第7特殊部隊に所属している高崎時弥も例外ではない。時弥は、閃光のごとく円卓へ駆け込むと、稲城に銃口を突き付けた。
議場は騒然。
「お前ら保守派のクズには任せていられない!」
「今すぐ、ここから出ていけ! さもなくば殺す!」
反米派と反中派の波が、円卓へ押し寄せる。
慌てふためく保守派。もう、椅子に座っている人間などいなかった――稲城を除いては。
「そういうことです。稲城同志。ご退室を」
時弥は淡々と稲城に告げる。
「……」
「早くしろッ!」
怒鳴り声を上げた時弥の心中はいかほどだろうか。稲城は慌てるでもなく、驚くでもなく、ただ穏やかに苦笑していた。その表情に、時弥はいらだちを覚えた。
「老人を急かすな。なに、すぐにいくとするよ」
「御託はいい。早く立て」
「君も大変じゃな。あんな上司をもって」
「―ッ!」
我慢ならなかった。出来ることなら、すぐに銃口の先を広尾に向けてやりたい。だがそれができない時弥は、稲城にあざ笑われた気分だった。いや、実際に笑っていた。
時弥は怒りを稲城にぶつけた。
銃口をこめかみに押し付ける。
「まあ、そう怒るな」
立ち上がる稲城。と思いきや、時弥の腕をつかむと、途端に背負い投げをした。突然のことに、呆気にとられる反米派と反中派。それをよそに、稲城は時弥の持っていた拳銃を奪い取る。
「何やってる! 誰か稲城を抑えろ!」
叫んだ広尾。
だが、その必要はなかった。
「わしはもう十分生きた。それに疲れたよ」
奪った拳銃を、そのまま自分に向ける。
「老兵は去るのみ。まあ、すばらしい未来を若人に贈ることが出来なかったのが、唯一の心残りじゃな」
穏やかに冷笑を浮かべる稲城。
その表情に、時弥は青ざめた。
「やめ……」
「では、諸君のいう責任とやらを取るとするかの」
銃声。
誰も、声を発さなかった。時弥はただただ目を見開くばかりで、広尾は何が起きたのか、状況をつかめずにいた。
稲城照道。
東日本海軍を育て、世界有数の海軍へとつくり上げた軍人。そして、同時に政治の中枢である保守派を支え、国際政治の趨勢にも理解のある重鎮。その巨星は沈んだ。




