第24話「世界征服したら、結婚してくれますか?」
人は思い出で出来ている。
例えば、痛みや恐怖がそうだ。
心に刻まれたトラウマやコンプレックスは、「自分」をつくり上げる。
高いところが嫌いな「自分」。
狭いところが嫌いな「自分」。
そして自分が嫌いな「自分」。
そうやって、恐怖は私を作りあげた。
雀宮沙羅が藤沢神無を作ったのだ。
――そう思っていた。
もう一人。
私は、私を作った女の子がいたことを、忘れてしまっていたのだ。
◇◇◇3年前◇◇◇
「いやぁ、全力を出したのは久しぶりだよ。やっぱり神無はすごいや」
渚は私を見下ろしながら、手についた汚れを払う。
勝負は私の完全敗北。
それ以外のなにものでもなかった。
「ほれ。仲直りしよ?」
地面に倒れる私に手を差し伸べる。
「また友達になろうよ」
「……? また?」
この時、私は渚の言葉の真意が分からなかった。一方、私の反応を見た渚は、恥ずかしそうに頬を掻いてみせる。
「あー。やっぱ忘れてるか。うん、そりゃ幼稚園の時のことだから忘れちゃってるよね。あのあと、すぐいなくなっちゃったし……」
「……。……ーッ!?」
◆◆◆
カンナちゃん。
いっしょにあそぼ?
それが、渚との始まりだった。
「いいよ」
蘇ってくるのは幼いころの私と渚。渚は私がひとりでボーっと空を眺めていたところに声をかけて来たのだ。背は今の半分ぐらいしかなくて、思い出とも呼べないような、そんな記憶だ。
「やったー。カンナちゃん、いつもひとりでボケーってしてるから、ひとりがいいのかとおもってた」
「……」
「? もしかして怒った?」
「? どうして?」
「全然笑わないから! そんなんじゃ、ひょーじょーきん(表情筋)が無くなっちゃうよ? それとも、にらめっこしたいの? カンナちゃん、にらめっこ強いもんね!」
渚はよくしゃべる女の子だった。私なんかと違って活発で、男の子とも泥遊びをする子だった。気が付くと、私は渚と一緒にいる時間が増えていたけれど、むしろ、一緒にいるというより、後ろについて回っているという感じだった。
渚にはたくさん友達がいる。
だったら、私は一緒じゃなくていいかも。
それに、私はおとなしくしておく方が好きだ。
そう思って、部屋で本を読んでいたこともある。でも、渚はその度に私を探しに来ると、私の手を引っ張るのだった。
「カンナは、もーう。またひきこもって……。そんなんじゃ、にーとになっちゃうよ?」
「ならないよ」
「なるよ。だって、子どもはあそぶのが、しごとだって、じーじが言ってたよ。しごとしないと、にーとになるんだよ。ゲンダイシャカイの、ヤミになっちゃうんだよ?」
そんな風に、当時としては意味の分からないことを言っては、私が振り払う手を、握り直すのだった。
そして、お決まりは「カンナがいないとダメ」だった。
◆◆◆
そういえば、学芸会みたいなものがあった。そこで、将来の夢みたいなものを言う機会があった。
パイロット。
お花屋さん。
サッカー選手。
よくありがちな「消防車になりたい」という、人外を所望する人もいた。
「とくにないです」
私は当時から、こんなだった。みんなは驚き、先生は困った顔をした。
「えぇッ! 無いの!?」
声を上げたのは渚だ。
「私はあるよ!」
そして、順番を無視して語り始めた。
「将来の夢は、世界征服! わたしの王国を作るんだー」
「あー。なぎさちゃんはすごいねー(棒)」
苦笑いの先生。しばらく考えて答えていたが、順番を破った上に、ロクでもない夢だったために、先生的にはアウトだったらしい。
「じゃあ、順番もどって――」
「まってまって! まだ続きあるよ!」
まだあるのか?
一同はそんな反応だった。
「それでね、センセーセイジ(専制政治)ってやつをやるの」
「え、えェ……」
「じーじが言ってた。絶対的に君臨できるんだって!」
意味わかって……言ってるわけないよな。
「でね、首都はロンドンにするの。先生、知ってる? ロンドンは世界のまんなかなんだよ! でね、世界征服のあかつきには、よっちゃんにはベルリン、さゆちゃんにはウィーンをあげる。ああ、ひろくんはお風呂大好きだからニューヨークをあげるね。つばさくんは……まぁいいか。それと、先生にはシベリアにいってもらおうかな」
笑顔で語る渚。
つばさ君は、北海道が欲しいと抗議。
先生の顔は凍り付いた。
呼ばれた名前に、私の名前はなかった。
結局、渚は――。
「でね、カンナにはパリをあげる!」
「え?」
「ロンドンに一番近い首都なんだって! 私、カンナのこと大好きだから、アルザス=ロレーヌもあげちゃう!」
「いや、あそこは国際管理した方がいいかも。響き的にそんな気がする」
「だね。じーじもそう言ってたし。そうしよ」
それでね。
と、渚の夢はまだ続いた。
「世界征服したら、カンナと結婚する! でも、そのためにはリョーシャのゴーイにモトヅカなきゃいけない(両者の合意に基づかなきゃいけない)とか、じーじが言ってたんだけど、先生、いみわかる?」
「あァー……。カンナちゃんがいいって言ったら、いいって意味だよ」
「じゃあ、今できるね! ……って思ったけど、じーじ、結婚は16さいにならないとムリとか言ってたなぁ……。がーん」
自分で盛り上がって、自分で意気消沈する渚。まわりは、「順番守れ」と不満を口にし、先生は渚の暴挙にあきれ果てていた。
でも、私はとてもあたたかい気持ちになっていた。
「そうだ。カンナちゃん。本当に将来の夢はないのかな?」
再度、先生が訊いてきた。
「そうですね……」
気が付けば、私は渚と目配せしていた。
「なぎさと……結婚したいです」
◆◆◆
「カンナ! 結婚ごっこしよ」
ひる休みになると、渚は私のところにやってきた。
「ホントの結婚はまだできないけど、れんしゅうはしといた方がいいでしょ?」
「わかった。いいよ」
「じゃあ、先生呼んでこよ! なんか、じーじが言うに、シンプサン(神父さん)っていう人がひつようなんだって。で、止める時も止める時も? なんか誓うらしい」
うん、なんか違う。
それ言うなら、「病める時も富める時も」だし、「愛することを誓う」という一番重要な部分が抜けていた。
「でね、指輪のこうかんとキスをするんだよ。今回はれんしゅうだから、紙で作ったやつだけど……」
えへへ、と誇らしげに見せる指輪はセロハンテープでぐるぐるに固定してあった。
「じゃあ、こっちあげる」
満面の笑み。
その笑みが、その言葉が、どれだけ胸に――
◇◇◇
――突き刺さる!
「ヤめろおおおおおおおおオおォおおぉオオぉぉぉオぉぉぉぉッ!」
身体の中に生ぬるい気色の悪いものが入ってくる気がした。それは全身を駆け巡り、四肢が悲鳴をあげた。
「やっと思い出した! 私たち、前から友達だったんだよ――」
「うるさいッ! うるさい、うるさいッ!」
激しい頭痛と吐き気。
「もう一回さ、仲良くなろ――」
「黙れ! 黙れ! 黙れ! 黙れ! 黙れ! 黙れエエエエッェ!」
これはいらない思い出だ。
捨てた思い出だ。
「私は、器! 器じゃなきゃダメなんだ! 空っぽじゃなきゃ……、こんな、こんなッ!」
「神無……」
「私の中に入って来ないで! 消えて! せっかく空っぽにしたのに、変なもので満たさないで!」
満たして!
私を抱きしめて!
優しい思い出で、いっぱいにして!
「たす……けて……」
私は渚に手を伸ばす。
渚はにっこりと笑って、私の手を取った。
私の能力は、氷。
触れたものは冷たくなる。
でも、どうしてだろう。
渚は、渚だけは、温かいままだった。
***現在***
「あの時とは立場が逆だね。渚」
「……えへへ。まさか、やられちゃうとは……。相変わらず強いなぁ」
曇天の空の下。
神無は、地面に倒れる渚の喉元に刃を突き付ける。
『よくやったわね。それでこそ、神無よ』
と、神無の横に「SOUND ONLY」の文字が表示され、雀宮沙羅の声が聞こえてきた。
『内海渚さんといったかしら?』
「どーもー」
『フフッ。元気そうで何よりね。でも、だめよ。神無は私のモノなの。私が大切に痛みと恐怖で育てたんだから。小学校で習わなかったかしら? 人のものを取っちゃいけません、って』
「ブーメランおつでーす」
『フフフ。本当におかしな子ね。まあいいわ。すぐに連れて来なさい。悪い知らせがあるわ』
そして知る。
東日本海軍が、沖縄と小笠原で中国海軍と米国海軍と衝突したこと。二方向から同時に攻められては、戦力を分散せざるをえず、しかもサイバー攻撃が劣勢の中ではまともに戦えなかったこと。
かくして、沖縄と小笠原は奪われた。
東日本海軍は制海権を失ったのである。
『この戦争、私たちの負けよ』




