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第14話「他人事」

 窓から差し込む朝日で目が覚めた。

 障子からの日差しだが、それでも夏の太陽は強く、喉の渇きと首の汗も相俟って、俺を起こすには十分だった。


 布団から身体を起こすと、外の空気を吸うため、窓を開ける。朝だというのにじっとりと蒸し暑い空気だ。


「う、うーん……」

 隣で寝ていた鶴橋部長は、ばっと入ってきた日の光に唸り声を上げる。


 十畳の畳の間。

 ここは、内海渚の実家である。


 7月末に起こった同時多発テロ以降、《異能力》をもつ人間は東日本から狙われており、そのため内海渚の家に避難している。――まあ、藤沢神無という内通者がいる以上、意味が無いように思えるが……。


 だが、それにしたって内海邸は豪邸であった。山中にある日本屋敷で、訪れた時には二メートルを超える(へい)と、荘厳な門が俺たちを迎えた。さらに、中には池のある庭園があり、母屋と(はなれ)、そして蔵が軒を連ねている。


「やっほー! 目が覚めた?」

 そうこうしていると、勢いよく襖が開き、亭主が登場する。


 そして、寝ている鶴橋の姿が目にはいると、有無を言わさず鶴橋に向かってダイビングするのだった。


「とうッ!」

「ぐえぇッ」


 からの往復ビンタ。

「おーきーろー! ご飯だぞー!」


 そして終いには、白目をむいた鶴橋の襟をつかんで、引きずっていく始末。


 野蛮だ。

 こんな、無茶苦茶な奴なのに……豪邸を持つお嬢様だったとは……。


「蒼たんも! ご飯できてるから、下りてきて」

 涼し気な笑みを浮かべる渚。

そう言い残すと、渚は一階へと鶴橋を引きずって降りていった。



 俺は、頭を抱えてため息をつくと、もう一度、窓の外を眺める。


 白い雲と青い空。

 そして、太陽。


「おはよう。クソッたれな世界」



 ***



 階段を下りながら、あくびが漏れる。


 ここでの暮らしも、一週間になり少しずつ慣れてきたところだ。初めは、だだっ広い家に狼狽するばかりで、やることなど無いと思っていたが、幸いなことに書斎や蔵には俺を満足させる書物がたくさんあり、すべきことは大いにあった。


 それからというもの、俺の一日の使い方は決まった。鶴橋や柚姫は戦闘訓練をやっているようだが、俺は、朝起きて朝食を食べたのちは書斎にこもり読書にふけるという生活を続けていた。


「周りに私のことを言わないのね」

 と、階段を下りたところで、俺は藤沢神無に声をかけられた。神無は、腕組みをして、壁にもたれかかっていた。


「言ったところでどうなるんだよ?」

 俺は神無を一瞥すると、淡々と答える。


「あなたは、柚姫を騙している私に憎悪しないの?」

「するかよ。騙してるってんなら、俺も柚姫を偽ってる」


 そう言えば、こいつはいつまでこうしているんだろう。


「お前は、向こう(東側)に帰らなくていいのか?」

「東側からの指令が無い限り、私は茶道部副部長」

「……。じゃあ、今は仲間ってことか」


 今は。

 自分で言った言葉だったが、妙に自分の中に響く。


 食卓の方から声が聞こえてくる。

なにも考えずに騒ぐ渚。それを窘める鶴橋。柚姫は明るくしているが、気丈に振る舞っているのだろう。 本心では、這い寄る戦争の影におびえているに違いない。


「あなたは、戦争が始まるっていうのに、落ち着いてるのね」

「……お前の分析通りだよ。俺は他人には興味ない」


 いや。

 この時の俺は、正直戦争が始まるとは思っていなかった。戦争が始まれば、恐らく日本は焦土と化す。それを分かっていない東日本政府ではあるまい。今頃、水面下でアメリカ政府と戦争回避の交渉をしているに違いない。


 1962年のキューバ危機の時の緊張感っていうのは、こんな感じだったのかな? そんなことを思っていた。



 だが万が一戦争になった場合は?

 例えば、偶発戦争。何かの手違いで、戦争になることがある。


 そうなった時、柚姫は? 鶴橋は? 渚はどうなるのだろう? 


 確か、あの日――同時多発テロがあった日に雀宮沙羅は言っていた。「異能力者を傷つけはしたけれど、殺してはいないわ。これから、回収するつもりよ。もちろん、今後に(・・・)役立ってもらうためにね」と。


 今後?

 もし、戦争になった時のためのことだ。戦争になった時、東日本は回収した能力者たちを戦力として活用しようと指定なのだ。


 だとすれば、3人を捕まえに来るのか。いや、その必要はない。もうすでに、ここに内通者がいる。渚は感付いているのかもしれないが、柚姫に至っては、神無のことを先輩として盲目的に信じている。


 ――なら、3人に神無のことを伝えておいた方が……。

 ……いや。俺には関係の無い話だ。


「高崎時弥を止める気はないの?」

「……急にどうしたんだよ?」

「あなたは、高崎時弥には執着心を見せていたはず」


 ああ。

 そのことか。


「無いね」


 俺がこちらの世界の高崎時弥に感じていたのは、執着心なんかじゃない。優越感だ。こちらが、圧倒的に正しいという思い込み。そして、間違っているものを正すというエセ正義感が俺を突き動かしていたのだ。


 だが、ふたを開けてみればどうだ。俺が押し付けたのは、どうしようもないただの正論だった。


 薄っぺらい正しさだけでは――そんなもので人は動かない。あいつは「国のため」という確固たる信念をもって行動しているのだから。



 ふと脳裏に、時弥がアメリカ軍基地を制圧する様子が浮かんだ。雷を両手に、米軍をたった一人で翻弄するその姿はまるで雷神。撃ち込まれる弾丸を斬り裂き、逆に放たれる閃光が海兵隊たちをなぎ倒していく。そして、発進するオスプレイと戦闘機を撃墜。炎上する瓦礫を背に、毅然とした表情を浮かべながら、悠然と歩を進める。



 進む道は、覇道かもしれない。

 だが、そんな己の信念を貫く男の姿が目に浮かぶようだ。


 それに対して俺はどうだ?

 口先だけの、空っぽな奴だ。


「俺には別に、あいつみたいな信念はない。俺にあいつを止める資格はないさ」


 食事にしよう。


 そう言って、食卓へ向かおうとした時だった。


 食卓の方から柚姫が真っ青な顔をしてやってきた。

「お兄ちゃん……、戦争が……」


 遅れて。

 空中にニュースが飛び込んで来る。


 俺は、表情を変えなかった。

 いや、変えられなかったという方が正しいかもしれない。


「戦争が……、始まっちゃった……」



 ***



 8月5日。

 この時、この日付が日本人にとって象徴的なものとなった。


 開戦の狼煙を上げた異能力者によるゲリラ。

 在日米軍基地が攻撃されたという情報が、日米戦争の幕開けを意味していることは、誰の目にも明白だった。


「奇襲……攻撃……だって」

「……」

「これから……どうなっちゃうの?」

 柚姫の声は震えていた。


 そんなの、俺が訊きたい……と言いたいところだが、事態を冷静に分析している俺がいた。


 どうやら、異能力者ゲリラによる奇襲攻撃は成功したらしい。おそらく、今回の攻撃目的は、戦略的面からすると米軍を日本から追い出すことだろう。


 だが、十分じゃない。


 アメリカにとって洋上防衛の要である第七艦隊は(おっと、この世界では第八艦隊って言うんだか?)は健在だし、何にせよ、一連の東西日本紛争で、アメリカは極東に戦力を集結させていた。というのも、アメリカ軍は、東日本の動きに連動して北朝鮮が動き出さないか、警戒のために朝鮮半島にあらかじめ軍隊を集結させていたのだ。


 その戦力、数にして5個師団――約10万人。

 さらに、日本海にロナルド・レーガンをはじめとする空母を5隻。


「そうだな。……当面の目標は、東日本制圧の拠点確保だろう」

「お兄……ちゃん?」

 きょとんとする柚姫をよそに、俺は続ける。

「だとすれば、まずは日本本土に対する軍事施設を中心とした空爆。その後、上陸作戦か? 1945年の上陸作戦をもう一度使うかもしれない。だとすれば……下関か? 下関をおさえれば、主要幹線をつたって、神戸・大阪へ至る。まあ、その前に岩国基地の奪還か……」


 もっと言えば、核攻撃の可能性もある。

 アメリカ本土から撃たれたものなら、まだ撃ち落とせる可能性もあるが、潜水艦からのもの――SLBMには対処できるのか?


「お兄ちゃん……」


 さらに、中国参戦の可能性を忘れてはならない。また、北朝鮮の動き次第で、戦局も変わることになるだろう。


 さて、この事態にロシアはどう動く?

 クリミアの併合を行ったために、東日本の動きに関しては大っぴらには非難しなかったロシアだが……日米戦争となると動き出すのか? ウラジオストクの動きが気になるところだ。


 国際世論はどちらにつく?

 8月1日までの段階だと、武力を用いて統一に踏み切った東日本は、厳しい立場に置かれていた。とはいえ、国連安保理は武力行使による制裁には踏み切らなかった。フランスとロシアが反対したからだ。中国は棄権だったか?


 だが、アメリカ軍基地を攻撃したとなるとどうなる?

 アメリカは、何も気にせず自衛権の名のもとに戦争を始めることができる。おそらく国際世論もこれに続くだろう。


「お兄ちゃんッ!」

 柚姫の言葉で、俺は我に返る。


 渚だけが、「おやおや~、考え事ですかい?」と飄々としていたが、柚姫と鶴橋は鋭い視線を俺に突き刺していた。


「なぁ、蒼汰君」

「何……ですか?」


 詰め寄る鶴橋。

 俺の両肩に手をおくと、ぐっと顔を覗き込んだ。


「どうして君は、こうも他人(ひと)事でいられるんだ?」


 ただでさえ、人相の悪い目つきなのに、こうも殺気だっていると、思わず物怖じしてしまう。以前なら、身体を震わせたことだろう。


 だが、今の俺はそこまで怖いとは思わなかった。感情に身をまかせ、ぶつかってくるやつなど、まともに相手にするだけ無駄だ。だって、言葉が通じないのだから。


「どうしてって……」

 ああ、神無。

 お前の言う通りだよ。

 俺はどこまでも――。

「そりゃあ、他人事だからな。俺には関係の無い話だ」



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