第07話「Die Leiden」
「どのツラ下げて帰って来てんだ!」
怒号とともに、時弥は蹴り飛ばされる。
蹴り飛ばしたのは、第七特殊部隊の隊長――広尾昌平だ。背はそれほど高くなく、体格は小太り、軍服に身を包んでいるものの、かえって身分不相応に見える。顔は丸顔で、髪はちじれており、髭をだらしなく伸ばしている。
「まったく、どうしてくれるんだ! 何もかも台無しじゃないか!」
広尾は、メガネの位置を数回これ見よがしに直す。
声は低くなく、むしろ金切り声に近い。
いや、わめき声と言うべきだろうか。
森の中に作った、キャンプ場のような簡素な拠点に広尾の声が響き渡る。
そして、広尾は時弥を踏みつける。
「おい! なんか言ったらどうなんだ!」
「申し訳ありま――」
「言い訳は聞きたくないよ! いいかい? こっちは、君だったら出来ると思って任せてるんだ。西側に送ってる‶クリーガー〟の謎の消失。その原因を突き止めて排除する。どうして、どの程度の簡単なことができないかなぁ」
「……」
「どうしてだって訊いてるんだよッ!」
答えない時弥に腹をたてた広尾は、時弥の腹部を思いっきり蹴り飛ばした。
時弥は地面を転がると、木の幹に身体を強く打ち付けた。
「申し訳ありません。想定外の《異能者》に邪魔をされ――」
「言い訳は聞きたくないって言ってるだろ! 聞こえなかった!?」
広尾は、時弥の元まで行くと、数度にわたって勢いよく踏みつける。時弥は、ボロ雑巾のような姿に成り果てていたが、渚から受けた傷はなく、すべて撤退後に広尾によってなされた暴力の痕だった。
「勘違いしないでくれよ。君はボクの道具なんだ。道具は道具らしくちゃんとやってくれないかな?」
広尾の蔑みの視線が、時弥に注がれる。
広尾にとって異能力者は道具も当然だった。いや、その認識は軍人や諜報部の中でも、多少の差はあれ、皆同様であった。というのも、第三次異能開発実験の被験体となった時弥は、いわばモルモット。人権など、端から無かったのである。
「ああ……ッ! 君を選んだボクが馬鹿だった。このままじゃ、任務失敗じゃないか。これがボクの降格に繋がったらどうしてくれるんだ……。全部、全部、君のせいだからな!」
唾を散らせながらそう吐き捨てると、広尾は踵を返した。
広尾が去ったのを確認すると、時弥は舌打ちをする。
「……クソデブが」
よろけながら起き上がると、服の汚れを払う。普通の人間だったら瀕死の重体だろうが、異能力者である時弥は多少なり頑丈だった。腕や足が動くあたり、折れてはいないらしい。外傷が目立つが、内臓も無事のようだ。
『大丈夫ですか?』
不意に、誰もいないはずの場所から声がした。
女性の声だが、機械音に近い。
と、宙にホログラムが投影されると、フクロウを模したキャラクターが現れ、時弥の肩に乗った。声は、フクロウから発せられたものだ。
「大丈夫なわけないだろ‶ノイギーア〟」
時弥は、フクロウにあたるかのように、乱暴に返答をする。
『そうですね。申し訳ありません』
‶ノイギーア〟と呼ばれたフクロウは謝罪した。
彼女の名前は‶ノイギーア〟。
東日本が開発したAIアシスタントである。
「好奇心」を意味するNeugierが名前の由来となっており、大抵の質問であれば、データべースを検索して答えてくれる。また、作業する際のアシスタントも務めることができ、欠かせないパートナーとなっている。
姿がフクロウなのは、時弥の好みである。人によってはハムスターのような小動物であることもあるし、はたまたスタイル抜群の美女であることもある。第七特殊部隊にいると、時々、広尾の横に小さい女の子の姿を見ることがあるが、それはホログラムで投影された広尾の‶ノイギーア〟だ。
「で、呼ばれもしないのに何の用だ?」
『はい。沙羅様からメッセージが来ましたので、その報告です』
「沙羅から?」
フクロウが目を閉じる。すると、時弥の目の前にロードが表示され、数秒で100%になると、右端にファイルが現れた。
音声ファイル?
直接会話できるものと思っていた時弥は、少し拍子抜けしながらファイルに触れた。だが、同意に「それもそうか」と納得する自分もいた。
雀宮沙羅も時弥と同様に第三世代。だが、性能でいえば沙羅の方が圧倒的に上であり、さらに沙羅は異能力者でありながら第一特殊部隊の隊長であった。かたや、時弥は第七部隊の一隊員。直接会って話せるなど、そうそうあるはずがなかった。
目の前に、灰色の人のシルエットと、『SOUND ONLY』の文字が現れる。
『久しぶりね、高崎時弥君。第36研究室での能力値測定の時以来かしら』
沙羅の声。
時弥は思わずドキリとしてしまう。いや、この淡くそれでどこか妖艶な声に、魅入られない人はいないだろう。
『早速だけれど、報告書見させてもらったわ』
その言葉に、時弥は目を丸くした。
遅れて、天に昇る気持ちになる。
報告書を出したのは独断だった。本来ならば広尾に出さなければいけないが、あの調子だ。まともに取り合ってもらえるハズが無い。それに、異能力者のことについては異能力者に訊いた方がよいだろう。
だが、相手にしてもらえない可能性はあった。そんな中、一縷の望みをかけて出した報告書だった。
それにしても……。
嘘だろ。
報告書を出したのは数分前だぞ?
沙羅の言葉に救われた時弥だったが、あまりの早さに驚きを禁じ得なかった。そう考えると、今度は顔から汗が出てくる。
『形式や書き方が煩雑……という話はあとにするとして、非常に興味深い報告だったわ。水の能力者と異能コード《アスラ》の少女……。そして、あなたの名前を知る少年。普段は偽名で通しているハズの貴方の名前を、どうして知っていたのか。内部の人間としか考えられないけれど、データベース上に該当人物はいなかった』
「……」
『かといって、情報漏洩の線もなさそう。国家データベースに侵入された形跡もなかったわ』
こんな、短時間でここまで調べるのか?
有能だ。有能すぎる!
広尾とは大違いだ。
これが、第一特殊部隊の隊長……。
『はっきり言ってお手上げよ。だから、彼を捕まえて尋問することにしたわ』
「……え?」
『時弥君、報告お疲れ様。今、田端蒼汰の元に私の優秀な子を送ったわ。あとは、私たちに任せてちょうだい。時弥君はこれまで通り、任務を続けなさい』
「おい、ちょっと待っ……」
音声が終わる。そこで、今まで聞いていたものがメッセージであることを思い出した。
時弥は拳を作り、奥歯を噛む。
もしかしたら、沙羅なら助けてくれると思った。
だが、違った。
ばっさりと、切り捨てられたのである。




