第01話「可能性のパンドラ」
田端柚姫は、校内でわりと名の知れた人間である。ありていな言い方でいうと、「人気者」ということになるのだが、いやはや、我が妹ながら末恐ろしい奴だ。
初めてあった頃から、俺の妹にしては勿体ないと思っていた。
艶のある髪をポニーテールに束ね、キリットした顔かたちは、まさに容姿端麗という言葉がふさわしい。背は小柄ではあるけれども、引き締まった身体をしている。その上、スポーツ万能で、中学の頃に剣道で全国に行ったことがある。
とにかく、明るく元気のあると同時に、気の強い奴で、負けず嫌い、それでいて、なんでもすぐにこなせてしまう。そんな妹はクラスの中で中心的な人物だったし、学級会でも意見をだすことが多かった。
「それで? どうしたの、お兄ちゃん?」
「いや、その……ちょっと訊きたいことがあって……」
教室に赴いた時の、俺のアウェイ感ったらなかった。2年の俺が1年の教室に現れるだけで、異様な光景だというのに、人気者を呼び出すというのだから当然といえば当然である。
そんなわけで、1年B組の教室ではざわめきが発生していた。「誰あれ?」という話が始まっているようだ。事実、校内での俺の知名度は低く、「田端蒼汰です」と言ったところで通じない。むしろ「田端柚姫の兄です」と言った方が通じてしまうのだから複雑だ。
「訊きたいことって?」
顔を傾ける柚姫。
俺は、柚姫と会話していることに不思議な感覚を覚えていた。
まともな会話をするのはいつぶりだろう?
少なくとも、柚姫が高校に入ってからというもの、家で会うことは少なくなったように感じる。というのも、部活の影響で、柚姫の朝は早く、夜も遅い。休みの日も一緒に過ごすなんてことはなくなり、会えるとすれば学校の休憩時間くらいであった。
「てか、お兄ちゃんと話すの、久しぶりな気がする」
「……」
はにかむ柚姫に俺は無言を返した。
俺の表情を見て、柚姫は表情を元に戻す。
「なぁ、教えてくれ。昨日のアレは何なんだ!?」
言いながら、俺は柚姫の肩に両手を置いていた。
その手は震えている。おそらく顔は強張っているのだろう。
「えぇ……、アレって言われてもなぁ……ナンノコトヤラ……」
柚姫は行儀悪そうに目線をそらす。
ごまかそうとしているのだろうが、そうはいかない。
「とぼけんな! 昨日の夜に現れたあの化け物! 何なんだよ!」
俺の脳裏に蘇るのは‶白い鎧武者〟だ。
その化け物は、黄昏時の通学路にやってきた。
まるで落ち武者。
人の姿はしているが、甲冑の向こうに一切の生気は感じられない。兜の下には仮面をしており、赤く光る両目は、思い出しただけで俺の四肢を震わせる。手には白銀の太刀を握り、俺を斬り伏せようとしたのである。
俺は死を覚悟した。
「やっぱり、お兄ちゃんは騙せないか」
柚姫はため息をつく。
それから、顔を上げると、柚姫の表情は学校生活では絶対に見ることのない厳しいものになっていた。
そうだ。
あの時も、柚姫はこの目をしていた。
斬られようとした俺を、‶白い鎧武者〟の化け物から間一髪救うと、柚姫も太刀で応戦。見事な剣捌きであっという間に倒すと、またすぐどこかに行ってしまったのである。
「あいつは‶クリーガー〟」
柚姫は落ち着いた声で、奴の名を口にする。
「共和国軍が送り込んできた戦闘用兵器だよ」
「戦闘用……兵器……」
それは、一体……!?
と、訊こうとしたところで、教室にいた柚姫の友達と思しき女子が「柚姫ー。行くよー」と声をかける。移動教室なのだろう。柚姫は明るい表情を作ると、「うん。先行ってて」と返す。
「じゃあね。お兄ちゃん」
「ちょっと待て! まだ話しは……」
と、柚姫はにっこりと笑う。
思わず、俺は言葉に詰まってしまう。
「まぁまぁ、こんなところで話すのもなんだし。放課後、部室に来てよ」
***
「であるからして――」
午後の授業を上の空で受ける。
気が付くと、俺はノートの端に「共和国」と「クリーガー」の名前を書き、線でつないでいた。
日本人民共和国。
通称:東日本。
首都を東京とする国土面積約19万7000㎢の国で、共産主義を掲げ、そして、政治体制は権威主義体制をとっている。
どうやら、こちらの世界の日本が、冷戦開始とともに東西に分断されたらしいということに気が付いたのは、こちら側に来てすぐ――3年前のことだった。俺は鳥取県にたどり着いたのであるが、まず、その発展具合に驚くことになる。というのも、街がまるで近未来だったからだ。
空を走る車。
動く歩道。
米子空港は北東アジアとの窓口になっており、山陰ではリニアモーターカーが開通している。さらに、世界最大の都市である神戸に近いこともあり、資本の流通という面では大きな恩恵を受けていた。鳥取市では空を突き刺すビル群が立ち並び、その間を飛行船が飛びかう。
その一方で、豊かな自然は保全されており、鳥取砂丘、大山、浦富海岸といった大自然が織りなすパノラマをそのまま楽しむことができる。また、境港は西日本の中で二番目に多い水揚げ量を誇っており(1位は焼津)、海の幸を利用した特産品はブランドがついた。
物心がついたころから、シャッター街を目の当たりにしてきた俺は、こんな発展を遂げている鳥取に感動を覚え……はぁ。
人間には、環境適応能力があるというが、こっちの世界になれてきてしまっている自分が嫌いになる。
問題は、東西が分断されていることだ。
「1945年の冬、連合国とソ連の間で協定が成立。小中で習うから分かるだろ?」
俺の世界には存在しない協定。
「糸魚川協定だな。これによって、東西日本は富士川・糸魚川ラインで分断されることになるが、これが事実上の国境となる」
そして、東西日本は別々の道を歩むことになる。
西日本は世界第三位の経済大国へ。
東日本はソ連崩壊後、世界第二位の軍事大国へ。
そんな東日本が、謎の兵器を送り込んできている。
妹は……一体何に巻き込まれているんだ?