幸せは遠くにある
幸せな人生を探している。ずっと、遠い昔から。
メーテルリンクの「青い鳥」では探していた青い鳥が、自分の家にいた、幸せは自分の身近にあることを教えてくれる作品とされている。
自分はそうは思えない。
もちろん自分の日常が何らかの理由で壊れるのは耐え難いが、人として生きていく以上心を極限まで満たす幸せ、至福があるのではないかそう思えてならない。
昔、読んだ本で人の豊かさを妬んでいる人は豊かになれない、本来人は幸せな人の存在を受け入れ、喜び、その恩恵を受けるべきだと。
確かにそうだろう。でも、そう思い心をクリアにした所で、辛い仕事の最中、町を楽しそうに何の苦労の影もなく歩いている人を見れば、そんな気持ちは消え失せる。
人の心を満たすのは明確な幸せ。足るを知るものは富む等と説くのは、どこのバカでも容易く言うことができる。
この世には、人の心を潤す確かな幸せが存在する。それが得られない人間は、人のこと等考えられないし、日々を前向きに生きる等不可能である。
水をやらねば花は育たない。本来得られるはずの幸せがない人間には、深い暗闇、虚無感が募る。
自分探し?
とっくに、やっている。幸せを得るためなら何だって。
幸せは、確かに存在する。心を潤し、至福に、導く本当の幸せが。
あえて、言おう。幸せは遠くにある。