茗荷
http://254.mitemin.net/i165132/
今回文章を添えさせていただいた、けいさんのイラストです。
墓所と書いて「はかしょ」と読む、逆に「はかしょ」が墓地のことを指していると分かったのは、この土地に来てから三日ほどたったころだった。八月も半ば、盆の時期が近いにもかかわらず、空には暗澹とした雲が立ち込めて太陽の影も見えない。人の姿もまばら。海沿いの小さな小さな町の高台にひっそりとあったその墓所からは、白波高い海と錆びついた線路、色褪せた道路標識と、高い土手に乱雑に積まれた瓦礫の山とを見ることができる。海風は夏でも妙に肌寒く、それが墓所という空間に最適な演出として訪れる物を迎え入れてくれるようだ。
舗装のなされていない坂を上った墓所の入り口には、何百年と昔からあるような無縁地蔵が鎮座している。色は褪せ、ボロボロになり、ずいぶんと身なりは小さいが、それでも荘厳な雰囲気を醸し出している。
「はかしょ」の総面積自体は、とてもちんまりとしたものである。けもの道の如く草の生えていない砂利道の両脇に、いくつもの墓石。二分も歩かないうちに、横断できそうである。ゆるやかに坂道になっているために、まるで舞台を見下ろす観客のように見える。観客はものを言わない。奇妙な威圧感を感じる。その観客席を二分する生命観の欠けたけもの道は、花道の様で、歩くときも注目を浴びるような感覚に陥る。是、tranceと言う。
端から端まで歩き切ってみた。今度は、自分が最上段に立って見下ろす番だった。墓石を後ろから見るというのは、罰当たりな気分と同時に、自分の生命を改めて実感する。天寿を全うしたものも、命半ばで眠ったものも、「はかしょ」で眠っているのはどれもこれも生きることを全うできなかったものたちばかりだ。自分は、生きている。その優越感をかみしめながら、灰色の花道を歩くのは、妙に気分が高揚するものである。是、tranceと言う。トランスとカタカナで書けば、尚、面白い。なにがなんだか、わからない。
わかんないのは、今の、この状況に他ならない。ミステリとは何ぞあらん、かく覚えたり。
さて、道を下る途中である老婆に出会った。もう九十歳になりそうな風体である。腰は曲がり、しかし両手に荷物を抱えている。話を聞いてみれば、まだ八十にもならないのだそうだ。夫を癌で亡くし、先立たれてもう三年になるのだという。聞けばこの辺りで幼いころに空襲を体験したらしく、つまりはそれだけこの土地になじみの深い老婆と見える。彼女の言葉の発音は非常に難解であり、加えてしゃがれた声色も相俟って聞き取るのには非常に労を要したが、それでも何とか聞き取ることができた。曰く、この町も昔は賑わっていたものの、自分の子どもたちの世代が社会人となって外へと出てからは高齢化が進み、盆と正月くらいにしか若い人は見ないとのこと。否、若人がいないわけではないのである。実際、住宅街の真ん中に密やかにある郵便局などに行くと二十歳になったばかりくらいの女性がスーツを着込んでいたり、魚の入ったスチロールの箱をバイクの荷台に乗せて走っている筋骨隆々の若い男も、いるにはいる、ただ、過去と現在をくらべると、どうしてもいい方は、輝いて見えるのである。老婆はそのまま、実にゆったりとした足取りで坂を上っていく。ゆったり、ゆったりと歩いて行くのに、その一歩は足音も経たないほど軽いのである。何気なしに、それについていくことにした。
理由は特にないのである。あるとするなら、自分には時間が有り余っていた。
坂をのぼりきったあたりの、左手側に老婆の向かうばしょがあった。墓碑には夫らしい男性の名前、ただ一つの名前のみが書かれている。墓石も真新しい。黒く光るそびえたつようなそれは、なにかのシンボルとか、オベリスクとかいうものに酷似している様で、太陽差し込まぬ曇天に映える実にそれらしい威厳を放っていた。老婆は震える指先で、おぼつかない足取りで、それでもゆっくりと。時間をかけて参るという動作をこなしていった。線香に火を点け、桶に入った水を柄杓で墓にかけてやり、手荷物から湯呑みを取りい出して並べては水筒から紅茶をそそいでやる。
そして、曲がった腰をさらにまげて、手を合わせて、拝む。
畏れ多いものにでも対面しているように、その動きは恐怖におびえる奴隷のようだった。奴隷と違うところは、老婆の表情が一切の苦しみから解放されたかのように安らいていることだった。震える身体と、自らの身体を支えることもようやくと言った骨肉の全てが、この一瞬のためにあったかのように、儀礼的だ。
自分も拝んでいいかと尋ねてみると、丁重に断られた。手を振って目を細める老婆に、こちらもしかるべき対応で謝辞を述べていると、ふと、隣に並んだ墓石、そして奥に立っている墓石が見えた。どちらも、同じ家名に同じ家紋、――なるほど、逆らえまい、ひしと感じた。老婆はいつの間にか自分の横を通り過ぎて、砂利ばかりの坂をえっちら、おっちら、歩いて帰路につくところだった。誰もいないはずなのに、自分の身体にまとわりつく奇妙なオーラを感じる。霊魂というものを信じているつもりは毛頭ないが、それは、この黒と灰色で占有された空間の中で、現実感を持って自分に襲いかかってきた。「はかしょ」に秘められたpowerが、確かにそこにある。そう感じた。
不意に、夫との仲はいかに、尋ねる言が口を突いて出た。まったく思ってもみなかった質問であった。尋ねようなどという気は、これッぽッチも無かった。
老婆はゆったりと振り返る。所在なく、ままよ、唇をきっと結んで立っていると、老婆の表情がそれまでにないほど、緩んだ。「なんも」
その一言を残して今度こそ老婆は去っていった。砂利ばかりの坂道を、おぼつかない足取りで、しかし足を取られることはないのである。
墓石と墓石の間を縫うように歩いていると、ぽつり、ぽつりと墓石を叩く音が聞こえた。空から、重たく軋む音が聞こえてくるようだった。雨である。夏の雨である。まもなく雨は強くなり、近くの木陰に逃げ込んだ。木陰には先客がいた。黒と白。二色の洋装に身をやつした、ようやく歳の二桁に届きそうな少女であった。髪の毛は黒い。みどりの黒髪である。匂いを嗅ぎこむと、この乾ききった油のような匂い、恐らく通り雨であろうという私の発想はいささか、あさはかであるかも知れない、ここには雨の匂いの他にどれだけ多くの匂いがあることか。線香の匂いが、次の瞬間に鼻の奥をくすぐった。もう、アテに出来まい。
少女はいかにも起伏が少なそうである。肌は白粉でも塗っているのかと見まごうほどに白い。指も、腰つきも、まだ細い。瞳にはあらゆる表情が失せたような、黒檀でつくられた闇が浮かんでいる――瞬きをする。不意の事だったので、一瞬、身体がこわばる。どれだけ魅入っていたのか、慌てて視線をそらした。
「どこから、来たんですか」
少女が問いかけた。どこか懐かしさを覚える、都会の言葉である。ありのまま、こころのままに答えると、おんなじ、と彼女は言った。聞けば、父親の実家がこの辺りにあるらしく、数年前に祖母と祖父を一篇に事故で亡くしてから、盆の時期に毎年、お金と時間をかけてやってくるらしい。その言葉の端々に怖気を感じた。不相応に成熟している不安定さを感じるのだ。語り口には、被害妄想的な謙遜を感じる。unbalanceなtemperanceを、吹かすのである。
なんと、言葉を返したものか、迷いに迷って黙っていると、少女は空を見上げて、きっと通り雨ですね、と呟いた。
「オジーサマとオバーサマとは、生まれた時に、ハハのお見舞いに来てくれたっきりで、それっきりなんです、顔も知らないし、名前も知らない、いえ、名前は知っているんですけど、分からないんです、そんなでも、なんだかかなしいんです」
それが、魂と血のつながりであるからだよ、と言うと、少女は魂を信じるんですか? と、逆に私に問いかけてきた。雨は強くなる一方である。木陰にいることで幾分は凌げているが、木の葉を雨が打つ音が乱響して、心までざわざわとさせる。少女の顔だけが、雨雲と木陰に黒く染まった世界で、白くぼっかりと浮かんでいる。服と髪から立ちのぼる匂いは、確かに線香の煙のそれであった。
「魂を信じるんですか?」その問いについに答えることが出来ずに、私たちは無言の時間を共に過ごした。血のつながりどころか、魂さえ、何の縁もない年端のいかぬ少女と、雨宿りを共にする、何とも戯曲的である。次のト書きには『間。』と、ひとこと書かれている。印刷の横に、赤いpenの手書きで、こう書かれているのだ。『気まずい沈黙。』
少女。「幽霊を見たことがあるんです。家で、小さいころでした」
答え。「そのココロは」
少女。「幽霊に、ココロもチもナミダも、あるもんですか」
なるほど、上手いものだと感心する。同時に、少女に対して、強く、関心する。
少女はいったい、どのように生きてきたものか、どのように生まれて、どのように教育されたなら、こんな無機質さを体現できるものか、興味がつきぬ。雨はとうとうヤマを越えて、止まんとす。少女は少し得意げな声の調子で、やっぱり通り雨、と、ぽつり呟いた。
白旗をあげる。世の常では、口に出したものが、すべてである。いくら思っていても、頭の中にいかなる真理が詰め込まれていようとも、それを伝えられなければ、無意味に等しい。ゆえに、神とは、虚無にして絶対という矛盾を抱える。神は言葉が分からぬ。分かっているのかもしれないが、神に言葉をかけてもらったことなどないのだから、分からぬのである。
雨の音が止む。少女は急に、少女になったのである。びょこんと兎のように木陰から飛び出すと、足取り軽やかに「はかしょ」の間を跳ねていく。歩幅は小さいので、私もその後を追った。少女は真っ直ぐに目的地へ向かうことなく、あっちへ行ったりこっちへ跳んだりした。雨粒が地面から跳ね上がり、少女の身体を濡らす。豪雨の中でも火の消えない線香は、もうもうと煙を立ち上らせていた。日本人の職人気質が光るのである。やがて、少女は立ち止まる。十年ほどその場所にあるであろうその墓石は、なぜか、雨の雫を一滴たりともその身に残さずに、凛と、在る。墓碑には、数えきれないほどの名前が刻まれている。少女はその前に立ち尽くすばかりで、拝みもしない、祈りもしない、ただじっと、その名前を、家名を、紋を、ねめつけるようにしていた。もちろん、それは瞳やたったひとつの表情にも表れないのである。ただ、雨上がりのようにじっとりとした、なでつけるようなものを感じる。
近くを中年の夫婦が通りかかる。どちらも白髪が混じった、しかし健康に背筋の伸びた夫婦である。恰幅のいい夫人が、少女を見て笑う。「あら、こんなに大きくなって。お墓参り?」
「はい」少女はうなずいた。
夫人。「あなたのお爺さんとお婆さんはねえ、ご立派な方だったのよ」
少女。「ありがとうございます」
夫人。「お母さんといっしょなの?」
少女。「ハハは、家にいます、ここまではひとりできました」
夫人。「あらまあ、偉いわねえ、お母さんによろしく言っておいてちょうだいね」
この間、主人は微笑むばかりで、言葉を発さないのである。
中年夫婦は去っていった。少女は再び墓石に目を向けると、きっと、それを凝視していた。曇天が少しずつ晴れ、太陽の光が差し込んでくる。白波が遠く、鳴り渡る。
「手ぶらで来たから、おせんこうも、おみずも、無いんです。だから、帰れないんです。お墓参りに来たのに、お墓に参れないから、帰れないんです」
少女の独白である。律義と言えばいいのか、それとも、別な言い方が相応しい気もする。一陣の風が吹き、見上げれば、雲の切れ間から太陽の光が、少女の前にそびえたつ墓石をまっさらに照らし出す。神々しい光景であった。
ふと、少女がこちらを見上げた。否、見上げたというよりも、視線をこちらに遣ったというべきであった。口を開きもしない。雲は風に流されて、雨、ついに止まんとす。その時、遠く遥かなる山に懸かりたる黒雲より、激しく閃光がひらめいた。数秒してのち、耳朶を撃つ轟音。雷鳴は墓石を揺らし、波のうち叩く音がいっそう強く響いた。その場に耳をふさいで膝をかがめて、衝撃のやむのを待った。ようやく皮膚のしびれが亡くなったと思った矢先、はっと気を確かにして見る。――あの少女の姿は、どこにもないのである。ただ、墓石の横にひっそりと、白い百合の花が咲いているばかりで、あの無機質で氷のような少女の姿はどこにもなかった。目の前の墓石に刻まれた、円に抱き茗荷の家紋だけが、その場の中で全く場違いなsymmetryを形成している。幾何学的であった。
そのあと、私は墓石に刻まれた家紋を、ひとつひとつ、美術館の絵画でもそうするようににらみつけながら、見て回った。いくつもあるものである。しかし、円に抱き茗荷の家紋は比較的多く見ることが出来た。ある地域にある家から派生した名前が集中するのは珍しいことではなく、そういう場合は往々にして家紋にもそれが現れるものである。円に抱き茗荷の紋などは全国を通してもよく見ることのできるもので、取り立てて珍しいものと言うわけでもない。全国のある大名から分れた家の何某か、この地へ流れつき、対価を成したのだろうか。
抱き茗荷の刻まれた墓石の数あれど、少女を見た場所だけははっきりと、見て取ることが出来た。茗荷の紋の下に咲く白百合は、この「はかしょ」をつらつらと眺めようと、ここにしか咲いていないのであった。私は水汲み場へと趣き、誰かの置いて行ったものなのだろうか、水桶と柄杓を拝借して水を入れ、罰当たりにも無縁仏の前に備えられていた線香を何本か持ち出して、その墓の前に置いて立ち去った。この手を以て、線香に火をつけ、水をかけてやってもよかった。しかし、それをするのにふさわしい存在が、この場所には既にいたということである。後にこの墓所は誰も寄り付かなくなり撤去されたそうである。聞けば、ここ半世紀ほど、この墓所に埋葬された人間と言うのは、全くいないそうな。
これはお盆に帰省していた時にワードで書いていた小説です。それを、今回引っ張り出した形になりました。
企画者のさやのんさん、イラスト担当のけいさん、ありがとうございました。