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廻る世界に祝福を

本編終了後のお話。ミランダとカーティスのあれこれ。

 貿易都市の名を冠するリフィティは、王都アダマスに勝るとも劣らぬ豊かな街だ。東の大国、蒼麗からの貿易船が訪れる玄関口であるこの都市は、クラルテの領土の最東端に位置している。

 王都を『薔薇』と形容するなら、リフィティは無数の名もなき鮮やかな花を集めた花束だ。道を行く人間の肌の色は様々で、衣装の作りも一定しない。王都では見世物小屋で見せられるような動物も、手綱を引かれて平然と道を闊歩している。燃えるような赤い髪を持つ梵の人間の姿が普通に見受けられるのはこのリフィティくらいだし、飛び交う言葉の中に外国語が多く混ざっているのもまた、この都市独特の光景だ。


 息苦しいほど濃い青に塗りつぶされた空に、カモメが白い翼を広げて滑空していく。海鳥たちの鳴き声が、かすかに耳をくすぐる。

 港を一望できる高台。ここはリフィティに掃いて捨てるほど集まってくるクラルテ中の有力者たちの、さらに一握りの人間だけが邸宅を持つことの出来る一等地だ。秋という時期が少々遅い感もあるが、保養地としてのんびりするのに、これほどふさわしい場所はないだろう。

 だというのに、カーティスは今現在、「保養」だの「リラックス」だのという言葉から、一番かけ離れた状況に陥っていた。


 何がどうしてこういうことになっているんだろう。


 じろり、とこちらを睨んでくる女性の視線が痛い。きっちりと一分の隙もなく結い上げられた髪、鷹のような鋭い目線。容姿は決して美人だとは言えないが、氷のような冷ややかで鋭い視線は、一度見たら絶対に忘れることはかなわないだろう。

 高い音を立てて、扇が閉じられる。その音に、体が無意識のうちにほんのわずか萎縮する。体力の面では既にこの女性より圧倒的に有利な立場に立っているはずなのだが、幼い頃の刷り込みというのはつくづく恐ろしい。

 カーティスの二番目の姉、エミリア。わが道をどこまでも突き進む母親と、開ききったタンポポの綿毛のようにふわふわしている長女の代わりに、バーナード家の長男を徹底的にしつけた姉に、カーティスはいまだに逆らうことが出来ない。

「風星宮の大司祭を送り届けるついでに、久しぶりにお姉さんにもお会いしてきたら?」と気遣ってくれたミランダの顔が、カーティスの頭の中に浮かんだ。上司の細やかな気遣いは非常にありがたかった。ありがたかったが、ハッキリ言ってこの姉は、カーティスがわざわざ顔を見せに行かなくても、弟の行状をそれはもう恐ろしいほどにきっちりと把握している。そして、自分の意に沿わぬ行動を弟が取っていると――。

 この、拷問のような沈黙の中で、カーティスは子供時代の恐怖をまざまざと思い出すことになるのだった。

「……姉上」

 あまりに重い沈黙に耐えかねて、ついにカーティスは口を開いた。体を前に傾けようとすると、右腕がく、と後ろに引かれた。眉間に困惑を刻んで、カーティスはそちらに視線を走らせる。

 カーティスの右腕に自分の右腕を絡めて、赤毛の少女が彼に熱っぽい視線を送っている。

 赤い豊かな巻き毛は父親譲りだろうが、その顔立ちはどこからどう見ても若い時の姉だ。よちよち歩きで頭からこけ、べーべー泣いていた頃に一度だけ会ったことがある。その時から比べれば、彼女は見違えるような美人に成長している。年は確か十八。ついこの間誕生日を迎え、成人したばかりなのだという。

 十八の、一人前の女性が、どうして自分の腕に腕をからませているのだろう。普通十八にもなれば、叔父どころか父親にだってこんな甘え方をすれば、慎みがないと叱られるものだ。

「――ヘンリエッタ、離してくれないか」

 姪っ子の名前を呼んで、カーティスはそっと腕を引いた。風が吹けば折れそうな風情のうら若き乙女を傷つけるのは本意ではない。けれどもいつまでも子供の気分でいられるのも困る。遠慮がちな拒絶を、しかしヘンリエッタは邪気のない笑みでさらりと無視してのけた。しなだれかかるようにカーティスの腕に体重を預けてくる姪を、カーティスは苦々しい思いで見た。

「どうぞ昔のように、エッタと呼んでくださいまし、カーティス兄様」

「……エミリア姉上、一体娘にどんな教育をなさってるんですか」

 うんざりした声を出して姉に尋ねる。姉から返ってきたのは、氷のように冷たい一瞥だった。

「兄様、わたくしだってカーティス兄様以外の殿方には、こんなことをしたりしませんわ」

 小鳥がさえずるような声で笑い声をたてて、ヘンリエッタはますますカーティスに体を押し付けてくる。カーティスが困惑を通り越して不快感を示しかけた時、エミリアが初めて口を開いた。

「……カーティス、お前は今年でいくつになりますか」

「二十六です」

 エミリアの口から深いため息が漏れた。眉間の皺はエイレード渓谷のように深く険しいものに変わり、眉毛の両端がきりりと持ち上がる。

 周囲の空気が、一気に冷えた。とろけそうな笑みを浮かべているヘンリエッタだけが表情を変えていないが、それがカーティスには逆に恐ろしかった。

 半分だけ開いた扇を口元にあて、エミリアは半眼でカーティスを見下ろした。……実際には、カーティスの方が身長は高いのだが、彼は心理的には姉に完全に見下ろされていたのだ。

「お前はバーナード家の長男。フローラ姉様も私も既に他家に嫁いだ身です。唯一の跡取として早く身を固め、父上や御爺様を安心させて差し上げる義務があることは分かっていますね?」

「――はい」

「よろしい」

 重々しくうなずいた後で、エミリアは扇を倒して、その先で自分の娘を指し示して見せた。

「お前、そのヘンリエッタを妻に迎えなさい」

「姉上!?」

「ヘンリエッタにはお前の性格や嗜好をしっかり叩き込んであります。バーナード家を取り仕切っていくための女主人としての教育も万全です」

 扇を再び口元に添えてから、エミリアは目を糸のように細めた。

 さすがに反論せずにはいられなくなって、カーティスは身を乗り出した。ヘンリエッタがしっかり彼の腕をからめとっていなければ、そのまま姉につかみかかっていたに違いない。

「私には心に決めた方が既に――」

「知っています。お前の上司でしょう。女だてらに剣を使い、若くして陛下からの信も厚くていらっしゃるとか。――馬鹿らしい。女の仕事は家を守ることです。その方の生き様に文句をつけるつもりはありませんが、バーナード家の女主人になるのであれば話は別です」

「いくら姉上でも、あの方を侮辱するのは――」

 激昂して腰を浮かしかけたカーティスを鋭い視線が射抜いた。身をすくませたカーティスを感情の読めない顔で見やって、エミリアは抑揚のない声で言葉を紡いだ。

「許さないと言うつもりですか。それならば私は喉をかきむしってでも、一の騎士殿がバーナード姓を名乗る事に抗議しましょう。息子は既に成人しました。私が自害しても、この家が傾くこともないでしょう」

「なっ――」

 カーティスの頭の中が真っ赤になった。ヘンリエッタが驚いたように目を見開いて、母親を凝視している。それは卑怯だと叫びたいのを、カーティスはぐっとこらえた。この姉は、今だかつて、はったりというものを口にしたことがない。やるといったらやるだろう。頭に血が上った勢いだけで物を言えば、この部屋が今にでも血の海になってしまう危険があった。

「――ヘンリエッタは、姪ですよ」

「貴族間での近親婚はよくある話です」

 かろうじて口にした反論を、エミリアはにべもなく却下した。

「カーティス兄様」

 小声で名前を呼んで袖を引いてくるヘンリエッタと、扇子を手にこちらを無表情に見つめてくる姉。袖が引かれる感触を頭の隅で意識しながら、カーティスは唇をかんだ。


 風星宮の大司祭を宮まで送り届ける。本来ならばミランダが行うはずであった任務をカーティスが代行する羽目になったのは、ひとえに今の時期が秋だったせいだ。城が一年の中でもっとも忙しくなる季節。でなければ、一の騎士の補佐役であるカーティスが、わざわざ彼女のもとを離れて別の任務に就くということはなかったはずだ。リフィティはクラルテの東端に位置している。結構お年を召していらっしゃる風星宮の大司祭殿に、馬を駆っていただくなどという芸当はもちろんお願いできない。

 街道が整備されていて、途中からは運河の使用が可能であったとはいえ、片道にかかる時間は馬車と船でおよそ半月。カーティスがリフィティに滞在して所用を済ませるのに想定していた期間は一週間。予備日も含めて、この出張は全部で一月半という、結構な日数がかかるものだった。

 普段であれば、いや、もう一年早ければ、カーティスはこの出張をぶつぶつ言いながらもそれなりに楽しんだことだろう。リフィティはアダマスとは違った意味で活気に満ち溢れているし、普段あまり触れることの出来ない外国の情報を、いち早く仕入れることができる。

 リフィティではまた、毎週のようにさまざまな規模の剣闘大会が開かれている。ミランダ達への土産話を作るために見に行ってもいいし、腕試しがてらに出場してみてもいい。クラルテ流でない、東の国の剣術を目にする機会は、リフィティの大会以外ではあまり存在しない。――こんな時期でなければ、ミランダから離れるのは心配だけれども、いい経験になるとカーティスは張り切って任務をこなしたはずだ。

 九年越しの想いがようやく通じて、ミランダが恋人になってくれた、そのわずか半年後。そんなときに、一月以上もミランダと離れなくてはいけない。

 いっそロードライトの陰謀だと思えたらどれほどよかっただろう。しかし、この人選を行って命令を下したのは、当のミランダだった。同僚のジグはカーティスより十日ほど早く南部に旅立っており、要人の警護と、ミランダの『裏の仕事』まで任されるに耐えうる人物は、確かにカーティス以外にいなかったのだ。

 どんなに蜜月状態でも、公私混合は絶対にしないミランダの態度に、カーティスは感心すると同時に少し物足りない気分になった。その気分自体は、その日の公務が終わったとたんに、寂しがって珍しく思い切り甘えっ子になったミランダを目にすることができた時点で吹っ飛んでいった。けれども一月半という長い期間、愛しい人の顔を目にすることさえできないというのはやはり辛いものがある。

 ジジイを送り届けて仕事を済ませたら、自分だけ早馬でさっさと帰ろうというカーティスの計画は、姉の一言で見事にぶち壊された。まさか十八の女性を疾走する馬に乗せるわけにはいくまい。ミランダは早馬を次々に乗り潰して一晩でトゥリエラまで駆け切ったという経歴の持ち主だが、それは例外中の例外だ。そのあたりが多分きっと、姉は気に食わないのだと思うが……。

「カーティス兄様、リスですわ!!」

 クッションが敷き詰められた馬車の中。着飾った赤毛の女性は可愛らしく頬を高潮させて、窓の外を指差した。正真正銘の箱入り娘のヘンリエッタには、他愛もない森の様子さえ珍しいらしい。はしゃいでいる姪を尻目に、カーティスは沈痛な表情で馬車の天井を眺めていた。

 結局強引に押し切られる形で、ヘンリエッタの同行を許してしまった。帰り着いたら一目散にミランダに会いに行こうと思っていたのだが、どうやらそれは無理な相談のようだ。

(俺が一体何したっていうんだ……)

 天を呪う言葉を心の中で吐きながら、カーティスは天気におよそ似つかわしくない重い重いため息をついた。

 実家に戻ったら、まずこの厄介な問題をどうにかしなくてはいけない。



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