第六章 来訪者の献言 2
一の騎士は王の腹心である。決して国王に逆らうことのない彼らは、国の暗部――暗殺にたけた者達――を取りまとめる「裏の顔」も持っている。間諜や諜報員を操っているのも実質は彼らであり、国王の退位とロードライトの即位の日取りが決められた数年前から、影の組織のトップも、現国王の弟であるユーロパからミランダに、徐々に権限が譲り渡されつつあった。
連日駆けずり回り、表で国王や王の補佐をしつつ、裏ではエレノーラの手助けをするべく指令を出す。息をつく間もない二重生活で、並外れた体力を持っている一の騎士にもさすがに疲労が溜まってきたらしい。食堂で食事を終えた後、空き時間にミランダはぐったりと椅子にもたれかかっていた。心臓の一拍分でさえ時間が惜しいのは確かなのだが、こうも疲れていては効率よく動けるものも動けない。
「ミランダ様!?」
食堂でぐったりしているミランダを見かけるや否や、声を荒げてばたばたと駆け込んでくる騎士がいた。カーティスだ。返事をするのも億劫だったので、ミランダは軽く片手を挙げることで彼に応えた。
「お加減でも?」
「ちょっと疲れてるだけ。休んだらいつも通りに戻るから心配しないで……」
弱々しく笑ってから、ミランダはぼうっと天井を見上げた。昼休みの時間は過ぎているので、人はまばらだ。これからミランダは、城下に降りて街の情報屋と接触するつもりでいる。丁度いい機会なので、直属の部下であるカーティスとも、情報屋と顔つなぎをしておこうという話になったのだ。カーティスは基本的には「裏の仕事には手を染めない」正統派の騎士だが、ミランダに万一のことがあった場合は彼女の代わりに国の影に指令を出す立場に回る可能性が濃厚な人物の一人だ。繋がりをつくっておいて損になることはない。
「……本当に大丈夫ですか」
「平気平気。これから夕方まで殿下の傍にはカレンとミコト様がいるっていうし、こんな機会でもなきゃ城下には降りられないから。殿下には悪いけど少し息抜きもさせてもらわないとね。カーティスも疲れてるでしょ。ごめんね、非番なのに無理言っちゃって」
「いえ、それは構いませんが……ミランダ様、ミコト様をすっかり信頼していらっしゃいますね」
「ん? まあ、ね」
背もたれにだらりと預けていた上半身を起こして、ミランダは軽く伸びをした。
「……私が鉱術師に生まれなかった理由が、さ。ミコト様が『光』だったからだって思えば……納得いくでしょ」
鉱術師よりはるかに強い未知の術を使う姫君が守護につくからだ……と考えれば。心の中だけでそう続けて、ミランダは宙を仰ぎ、口の中でぽつりと漏らした。
「一の騎士なんて、必要ないのかもね。肝心なところで役に立てなくて」
「……ミランダ様?」
「なんでもない。じゃあ、ちゃきちゃき片付けますか!」
とん、とテーブルに手をついて、勢いをつけて椅子から立ち上がり、ミランダはにっこりと笑った。
一応これはデートと言うのだろうか、とカーティスは頭の中でぼんやり考えた。騎士服はさすがに目立つということで、カーティスもミランダも、今は普通の庶民が着るような質素な服を身につけている。実際に城で働いている下働きの者の服を新品並みの値段で買い取ったものだ。多少ごわごわとはしているが、動きにくいと言うほどのものでもない。まあ、下働きと言っても城に上がるような者達はそれなりに教養があるのが普通なので、身につけているものも普通の庶民とは雲泥の差があるのだが。
ミランダが身につけているのはやはり男物の服だった。しかし、胸を包帯を巻いて押し潰し、日よけの大きめのマントを肩からかけ、腰から尻にかけての女性特有の丸みを帯びたラインも隠しているために、彼女が女性だと気づいた人間は一人もいなかった。すぐ後ろをカーティスが歩いているせいで、男性の目が彼女に惹きつけられ難くなっているというのも、原因の一つではあっただろう。
ぱっと見ではデートというよりは、どこかのお屋敷の使用人が用を言いつけられて買い物に来たという風にしか見えない。
王都警備隊の任務で自分が担当している地区とは正反対の場所だということもあり、カーティスが騎士だと言うことに気づく人間もいない。市が立っていることも手伝ってか、通りはなかなかの賑わいを見せていた。旅芸人だか吟遊詩人だかが爪弾いているらしい弦楽器の音色も聞こえてくる。彼が普段警備を担当しているのは職人街と貴族御用達の高級雑貨店や宝石店が立ち並ぶ一角だ。こちらは貧民街に近く、また東部から交易品が王都に運び込まれる玄関口でもあるために、国籍が奇妙に入り混じって雑然とした感があった。
「カーティス、この辺に来たことないの?」
不審に思われない程度に抑えたつもりだった。しかし、あたりを興味深げに見渡していることに気づいたのだろう。ミランダがフードを払いながら尋ねてくる。
「来たことがないということはありませんが……」
実はあまりいい思い出のない地区なのだ。それに、『この時間』にここに来たのはほぼ初めてと言ってもいい。語尾を濁したカーティスを不思議そうに見上げたあとで、ミランダは「ああ」と言ってぽんと手を打った。
「来たことがないわけはないか。花街近いもんねえ、ここ。この時間に来たのは初めてかもしれないけど」
言い当てられてしまった。来たことがありませんとしらを切りとおすのは、彼の性質が許さない。カーティスは眉間に皺を刻んで小さく頷いた。
自発的に来ることはほとんどなかったが、先輩に「おごられて」連れ込まれたことなら数回、ある。なじみの客を作るほどではないが、礼儀正しく生真面目な彼は娼館の女性たちにも人気があった。
嫌な思いをしたことはないが、やはり何度通っても馴染めないと思う。
男の人っていろいろめんどくさいよねえとつぶやくミランダの様子には嫉妬やヤキモチの片鱗も見当たらない。それにこっそりがっくりきながら、カーティスは気まずくなって視線を威勢のいい声で野菜を売り込んでいる露店の親父の方に向けた。
どんっ、という衝撃と共に、柔らかい何かがカーティスの背に覆いかぶさったのはその時だった。
「カーティス、あんたやっぱりカーティスじゃない!! きゃー!! ひっさしぶりー! 元気だった!?」
「いっ!?」
両足をふんじばって衝撃に耐え、聞こえてきた声にカーティスはぎくりと身をこわばらせた。この声は。
「り、リリーシャさん!?」
「ハイ。こないだはどうもありがとねー。先輩飲んだくれちゃって大変だったでしょー?」
カーティスの首にかじりついたまま、リリーシャと呼ばれた女性はにっこり笑って返事をする。着ている服こそごく普通のものだが、胸元は谷間を強調するように広げられ、薄くではあったが化粧も念入りに施されている。髪への手間のかけ方もそこらを行き来している普通の女性とはあきらかに違っていた。「昼用の格好をした」花街の人間だと、一発で分かる。分かるが、彼女を見て嫌悪感を持つ男は少ないだろう。顔は中の上と言う程度だが、唇が肉感的に厚く、愛想良く弾けるように笑う顔には曇りがない。
「はじめまして、レディ。……馴染みの人ですか?」
ミランダは元々顔が広いので、お高く留まったお嬢様や貴族のように庶民や貧民街の人間を蔑むようなことはしない。さすがに少しびっくりした様子だったが、カーティスと彼女が「客と娼婦」の関係だと把握すると、即座に警戒を解いた。礼儀正しく挨拶をした後で、にこやかにカーティスに尋ねてくる。
「ち、違います!! 無理矢理先輩に連れ込まれた先でお世話になった方ですっ!! 私はなじみを作るほど花街に通ったりしてません!!」
赤くなったり青くなったりしながら弁明しているカーティスを、リリーシャはきゃははと笑いながら左右にがくがく揺らす。
「馴染みになってほしーんだけどねあたしとしては。女将さん好印象だったからあんたならまけてもいいって言ってたよー。そっちの坊やも礼儀正しくて素敵だわー。声変わりまだなの? かわいいねえ。お姉さんが男にして上げよっか? 特別サービスで」
「機会がありましたら、是非」
声に苦笑が混じっている。リリーシャがどんな名娼だったとしても、ミランダを男にするのは不可能だったので出たセリフだったが、リリーシャは違う意味に取ったらしく、「残念ねえ」と笑い返してカーティスから一歩離れた。
「せっかく手取り足取りイロイロ教えてあげようと思ったのにぃ。先約済み? 婚約済んでるの? 操を立てるって男で出来る奴なかなかいないのよねえ。それこそお芝居の中の話かなーと思ってたんだけど、ホントにいるならロマンよねえ」
「そんなものですね」
「まあ、男ども全員にそんなことされるとこっちは商売上がったりなんだけどね。坊ちゃんも機会があったら来てよ。春の女神亭っていうの。そこの通りで一番でかい店だからすぐ分かると思うわ~。で、カーティス、こないだのツケなんだけど……」
「きちんと支払ったでしょう!? ツケなんて溜めてませんよ!!」
「やーん、金の話じゃないわよう。あたしの要求するツケはぁ」
「わーっ、わーっ、わーっ!!!」
それ以上のことを往来で、しかもミランダの目の前で言われるのはさすがに体面が悪すぎる。大声を出して両腕をぶんぶん振って誤魔化そうとするのに、リリーシャは構わず話を続けようとする。周囲の人はよくあることだと立ち止まりこそしないものの、冷やかすような視線を送ってくる。目立ちすぎたかなあとミランダは頬をかいて、困って首をゆっくりひねった。
「えーと、カーティスさん。僕そこの店で休憩してますから、リリーシャさんとしっかり話しつけてきてください」
「ミ……ミルドレッドさ、ん!!」
「女性関係のトラブルは引きずると恐ろしいっていいますしね。僕は多少遅れても大丈夫ですから。じゃ、ごゆっくり」
リリーシャに笑顔で礼をし、その手の甲に完璧な動作で口づけを送ってから、ミランダは颯爽とした足取りでカフェに消えていった。彼女の姿が完全に人ごみに紛れたところで、リリーシャはカーティスから体を離し、何故か気の毒そうに溜め息をついた。
「り、リリーシャさん?」
「……脈ナシ?」
ザクッと何かが刺さる音を、カーティスは確かに聞いたと思った。さっきとは打って変わって深刻な顔になっていたが、リリーシャの口もとは今にも笑い出しそうに細かく震えていた。
「女の子でしょ、あの子」
「わ、分かるんですか!?」
「ふふん。みくびらないでよね、娼婦は鼻が利くの。磨けば絶対光りそうなのに、勿体無いわぁー。連れ帰って飾り立てたくなるのよねああいう子見ると。やー、あんたが花街に寄り付かない理由が分かったわ」
「うっ」
「すんごく前途多難そうだけどね。あの子、娼婦があんたにベタベタしててもまーったく気にしてなかったわよ。アウトオブ眼中って感じ?」
ザクザクザクと何かが立て続けに刺さる音が聞こえる。ぐったりしながら、カーティスはリリーシャを恨めしげに見た。
「ま、そういう理由じゃツケは勘弁したげるしかないわね。あの子でしょ、『ミランダ様』って。意趣返しは出来たみたいだし? 確かに可愛いしあんたの好みっぽいわよねえあの子。せいぜい頑張んなさい?」
自分がやらかした失態だけでも顔から火が出るほど恥ずかしく、彼女に申し訳ないと思っていたと言うのに、恥をうわ塗りするような結果になってしまった。
けらけら笑いながらしっかりした足取りで去っていく売れっ子の娼婦を、カーティスは溜め息と共に見送った。
「情報屋」と顔合わせをして、挨拶をして、在野の情報を受け取って――本来の目的とはちがうところでどっとカーティスは疲労していたが、ミランダの方は気分転換も上手く行き、それなりに元気を取り戻したようだった。
「でも、そっか。カーティスは娼館にも通えるんだよね。これはいけるかも」
「い、いけるかもって何ですか!? 何度も言いますが、私は自発的には通ってませんって!!」
「や、娼館にもいるから、情報屋。今までは私がユーロパ父さんの従者って形で入ってたけど、父さんが引退してもカーティスに頼めば行けるなあって」
「な……」
凍りついたカーティスを見上げて、ミランダは小首をかしげた。
「だってベッドの上では饒舌になる人多いでしょ。お酒と一緒で。それに私も一応、ベッドの上で色仕掛け使う事態は想定しないといけなかったから、いろいろ習いたかったし」
さすがに女の色仕掛けの方法はユーロパには習えなかったのだといってミランダは軽く肩をすくめた。
「色仕掛け、って、ミランダ様」
「一応私も女だし。結婚するときも利用価値がありそうな人と結婚して裏で監視役が妥当だろうからねえ。主導権を握れるようにって、まあ、一通りは。私は寝首かく手段の方が主力だったけど。教養程度だから本番でちゃんと出来るか自信はないんだけど、簡単に実践するわけにはいかないから、こればっかりは。化粧なんかは何度やっても駄目だったし、使う機会はそんなになさそうだけどね」
そっち方面の才能はからっきし。好事家向けかな? とミランダは自嘲する。考えてみれば、「裏の顔」を持つものとしては普通の行動だと言えた。言えたが、目の前の幼ささえ残る少女と「色仕掛け」の単語が結びつかなくて、カーティスは呆然となった。
彼の目の前で掌を振って、ミランダが名前を呼ぶまで、カーティスはそうやって固まっていた。
「……大丈夫?」
「あ、は、はい」
我に帰ったカーティスが、視線をミランダからゆっくり逸らす。日は傾きかけている。もう少しすれば、空は茜色に染まり始めるだろう。カーティスはこれから一度王都警備隊の詰め所の方に顔を出し、ミランダはこのまま城に戻る予定になっている。一連のゴタゴタが片付くまで、彼女もユーロパもいつでも国王の呼び出しに応じられるように、王城の中に用意された部屋に寝泊りすることになっているのだ。
「私が男だったら、元気出せよって娼館に連れて行ってあげたり出来るんだけどねえ。ごめんね、上司が女だとこういうとき損だよね」
強烈に誤解されている。泣きたい気持ちになりながら、カーティスはお気持ちだけで結構です、と弱々しく答えた。
やがて大きな路地に出て、城の門が見えてくるところまで来ると、カーティスとミランダは足を止めた。ここからミランダは真っ直ぐに王城に、カーティスは城を迂回して街の西に向かう。
「付き合ってくれてありがと。疲れてるなら今日は仕事を早めに切り上げて休んでね」
こだわりなくニコニコ笑っている顔がやっぱり可愛くて、カーティスはああもうこのお顔が拝見できるなら何でもいいやと投げやり気味に思う。散々な一日だったが、まあ一応デートのような体験は……ぶち壊しにされたが、出来たことだし。
「ミランダ様も、ご無理はなさらないでくださいね」
「平気平気。じゃ、また明日の朝に」
手を振って王宮の方に駆け出していくミランダを見送って、カーティスは寒くなり始めて高さを増した空に視線を向けた。
「やっぱ、落とさないとな」
色仕掛けを利用しなくてはいけないような相手に嫁ぐことが、ミランダの幸せになるとは思えない。頑張ろう、と決意しなおす端からリリーシャの「脈なし」という一言と今日の醜態がリフレインしてきて、カーティスは早くも決意が崩れそうになるのを感じた。
王城に続くメインストリートは、当然と言えば当然だが、貴族や金持ち向けの高級な服飾品を扱う店が多い。
ここからさらに王城に近づくと、大臣たちの屋敷や別宅の割合が徐々に増え始める。自然の多い郊外にも彼らは屋敷を持っているし、領地にも無論家族が暮らす為の屋敷はあるので、王都に集まっている住居は比較的小規模なものが多い。それでも一つ一つの屋敷には、溜め息が出るほど繊細な彫刻がしつらえられ、よく手入れされた庭の様子が垣間見られるのが普通だった。
歩みを進めるにしたがって、道を行く人々の服装も変わり始める。乞食やスリと言った体の人間が減り、それまでは比較的立派に見えていたミランダの服装も、やがてかすみ始める。馬車の割合が増え、日傘をさしたご夫人が従者に手を取られているのが見える。ミランダの格好は「どこかの家の召し使い」と言った風情なので浮くことはないが、うっかり貴族のご夫人の行く手を塞いだりしてしまわないように、それなりに注意して歩く必要があった。
ガラス張りのショーウィンドウに光が反射でもしたのだろう。突如目を刺した光に、ミランダは目を細めて思わず足を止めた。
「……」
無意識に反射した光の出所を探し、それが夫人のドレスを仕立てる店のショーウィンドウのガラスである事を突き止める。少し歩みを進めてガラスと自分の角度を変えれば、まぶしく光っていたガラス板はあっという間に透明度の高い一枚の板に戻った。
ミランダは女性のドレスの流行などにはとことん疎い。一応夫人を褒める時のために、新作や流行の主流などは把握している。布や染料の需要が、一つの街や村の命運を左右することもたびたびあるので、そういったことまで神経を張りめぐらせる必要があると言うのも、勿論ある。
ただ、自分に似合うドレスとなるとさっぱりなのだ。今の流行の色は比較的派手なものが多く、ごてごてと装飾過剰気味で動きにくいということも、ミランダからドレスを遠ざける要因の一つだった。いざと言う時に動きの邪魔になるようなドレスを身にまとうわけにはいかない。
だが、その時彼女の目に飛び込んで来たのは、さほど胸元が開いているわけでもなく、鯨の骨を使ってローブを膨らませて見せるようなものでもなかった。色もブラウンを貴重とした比較的大人しめのもので、タックとギャザーがたっぷりとられているところが、やや贅沢だと感じさせる程度のものだ。
昼間、カーティスに抱きついた女性の服装が、何故だかミランダの頭に浮かんだ。カーティスにまとわりついた彼女の服は、生地こそさほど高価なものではなかったが、動きやすそうだったのに適度に装飾性があって、彼女によく似合っていた。同性のミランダでさえ、好ましいと思って見ほれたのだ。カーティスと並ぶと一枚の絵のようだったな、と思う。ガラスに映った自分の姿は、貧相で女性と言うのもおこがましいといった体だった。そうなるように振舞っているのだから仕方ないとも言えたが、こういうドレスならば似合わないこともないかもしれない、と思う。
(……?)
ドレスを着てみたい、と思ったのは初めてだった。どうして急にそんな気持ちになったのか分からず、ミランダはそれを自分で不思議に思いながら、ショーウィンドウに飾られているドレスを見上げた。
「ミランダ様?」
男性の声が聞こえてきて、ミランダははっと我に帰って声のした方に振り返った。
「ジェラルド殿」
甘い容姿で舞踏会で女性を虜にしている騎士、部門の名家と名高いジェラルドが、馬上からミランダに声をかけたのだった。馬を止めると、ジェラルドはひらりとそこから飛び降り、ミランダに向き直った。
「どうなさいました。このようなところで、召し使いのような格好をされて」
「ちょっと街に出る用事がありましたので、下男の服を借りたんです。ジェラルド殿は今お帰りですか?」
「ええ。……」
ジェラルドの視線がミランダの後ろ、地味なドレスを飾っている店のショーウィンドウに向けられる。彼女にも女の子らしい一面があったようだと気づき、ジェラルドの目元が和む。
「こういったドレスがお好みでいらっしゃるのですか?」
「いえ、たまたま目に付いただけで……実はドレス、着たことないんです。自分に似合う物が分からないし、今流行のものでは不意打ちに対処できませんから。でもこれなら締め付けが緩そうですし、何かあっても動き回れるかなあ、と思って」
ミランダが目で指し示したドレスを見上げ、ジェラルドは同意して頷く。彼女には確かに色香を見せるものよりは、清楚さを引き立てるようなドレスの方が似合いそうな気がする。
「見立てに自信がないということでしたら、お付き合いしましょうか。何でしたら私が支払わせていただいても構いませんよ」
ミランダは苦笑して首を左右に振った。
「いえ、自力で買えるだけの稼ぎはありますので。本当に右も左も分からないので、お言葉には甘えさせていただきます。『見立て』にお付き合い願えますか?」
通常、ドレスを男性から女性に贈るのは、父親や祖父、兄などの近しい血族を除けば、結婚、もしくは結婚を約束した間柄の男女にのみ許される行為である。それをほいほい受けてはいけないことくらいは、さすがのミランダにも分かる。
「喜んで」
笑顔で頷いて、ジェラルドはついてきていた従者に、馬を手近な所に預けてくるようにと言って手綱を預けた。ドアノブに手をかけたところで、パチリとミランダに片目をつぶってみせる。
「……実はここの店主とは古い馴染みでしてね。彼は変わり者なんです」
流行に真っ向から逆らうようなドレスを作っている時点でそれは明らかだったが、笑みに含まれる妙な雰囲気が、それだけではないと物語っていた。
ドアベルが鳴らされ、扉が開かれる。店の中は小奇麗に整頓されていたが、店員らしき人間は見当たらず、カウンターでひょろりとした風体の男が一人、不機嫌に煙草をふかしているだけだった。
「いらっしゃい。って、なんだ、ジェイか」
短い愛称で呼ばれ、ジェラルドは笑顔で気さくに挨拶をする。
「景気はどんな感じだ」
「見ての通りだよ。従業員も先月付けで解雇。この店もいつまで持つかねえ」
かなり深刻な状況に見えるのだが、男はそんなことは微塵も感じさせない様子で、新しい煙草に手を伸ばす。火をつけようとしたところで、ジェラルドが渋い顔をして店主の手首をつかんだ。
「やめないか。女性がいるんだぞ」
「女性? どこに」
「私の後ろにいるだろう。今は事情があって男性の格好をしているが」
「んあ?」
ジェラルドの体を避けるように大きく体をそらして、店主はようやく入り口に立って店の中を珍しそうに見渡しているミランダに気がついた。
店主はずり落ちかけていた眼鏡を押し上げて、彼女をしげしげと見つめ、高い口笛を吹いた。
「本当だ。女の子だな」
「……女の子に見えちゃいますか、やっぱり」
軽く腰を折って挨拶をしてから、ミランダは眉を八の字にした。今までは従者の少年で通っていたのだが、成長すると言うのは思ったより厄介なことなのかもしれない。
「いや、普通はきづかねーだろうけどなあ。職業柄、ご夫人の体型は嫌ってほど頭に叩き込まれてるんで。微妙な体の線の違いとかが服越しでも分かるのよ」
へえ、と素直に感心するミランダの横で、ジェラルドは顔を一層渋くする。
「口の聞き方をもう少しなんとかしたらどうだ。この方は私より位が上だぞ」
「上だって言われてもなあ。別に丁寧語話したからって金を恵んでくれるわけじゃなし」
妙なやりとりに、ミランダはぷっと小さく噴き出した。店主はにたりと形容の難しい顔で笑い、ジェラルドは諦めて溜め息をついた。
「敬語は結構です。えーと」
「ディーンだ」
「ディーンさん。動きやすい、表に飾ってあるような感じのドレスを仕立てていただきたいんですが」
「ん? ああいうのが好みなの?」
「動きやすそうですし、私この通り体つきが貧相なんで。今流行の型のドレスは着られないんです」
「貧相ねえ」
ミランダのつま先から頭のてっぺんまでを何度も見返して、ディーンは面白そうに笑い声を立てて、テーブルに肘をついた。
「貧相ってよりは、無駄のない体躯って感じだけど。贅肉がついてない、綺麗な体じゃん」
思いも寄らぬ事を言われたせいだろう。ミランダはぽかんとしてからかっと両頬を染めた。動揺を抑えるためにか、右手がせわしなく動いて髪をかき上げた。
「え、ええと、あの」
「姿勢も綺麗。コルセットも要らない感じだな。あんまりセックスアピールを前面に押し出すようなドレスは似合いそうにねえなあ」
ぽんぽんと言葉を発しながら、ディーンはカウンターをガチャガチャやって、巻尺やら何やらを引っ張り出し始めた。目を白黒させているミランダと、行動を始めたディーンを見比べて、ジェラルドはこめかみに指を当てた。
「ミランダ様。こいつの言動はいちいち嫌らしいですが目は確かです。脱線しようとしたら私が引き止めますから、任せてみてください」
「そうそう。でっぷり太ったババアに作るようなドレスの設計図は持ち合わせてないけど、お嬢さんみたいな自然にあるべき肢体の持ち主の為なら俺いくらでも腕を振るっちゃうよー? ところでご所望のドレスは舞踏会用?」
ミランダは首の付け根辺りに手をやって、うーんと考え込んだ。室内着としてドレスを仕立てても、彼女は昼間は仕事をしているので、あまり身につける機会がないのだ。
「とりあえずは、あまり目立たない、舞踏会用のものを」
「……また妙な注文だね、目立たないって」
「私、一応騎士なので。主役のご婦人方より目立つようなドレスは気が引けるんです」
「騎士? そりゃあ、また」
ふんふん、と鼻歌を口ずさんでから、ディーンはにやりと口の片方を歪めた。
「ほんじゃ、『一見地味で』『剣舞に向いてる』ドレスを仕立てて差し上げよう」
ミランダとジェラルドは、思わず顔を見合わせた。
それってどんなドレスだろう。




