第一章 黒騎士の秘め事 2
街道をゆっくり走ること十日。隣国デリフェルとの国境の山あいにあるダリアス領からの出迎えと合流して、ミランダ達はまず地星宮へと入った。
クラルテで採れる鉱石は、その一つ一つにとても強い薬効がある。はるか昔、鉱石の神の祝福によってもたらされたその恵みに敬意を表して、クラルテでは、首都に四つの大きな神殿を置いている。風星宮、地星宮、火星宮、水星宮と大別されるその神殿は、クラルテ各地にもまた小さな神殿を分散させている。主に山間部に置かれているそれは、それぞれの鉱脈に宿る神を敬い、祀る役目を負っている。それと同時に、採れる鉱石の管理、付近の子供の教育など、現実生活に即した機関としての役目も負っている。
「今年は特に、新しい鉱脈が発見されたおかげでこの土地も随分開けまして……」
こちらの顔色をうかがいながら、ダリアス領からの使いの男がマグダレク査問官に話しかけるが、肝心の査問官は杖をついてぷるぷる震えるばかりで、聞いているのかいないのかさえさっぱり分からない。
「あー? なんか言ったかのー?」
開けたばかりで、まだろくに整備されてもいない街道を見渡しながら、マグダレク査問官は皺だらけの右手を耳に添えて、蓄えられた髭の下から、腹に響いてくるほどの大声を出した。耳が遠くなっているのか、それくらいの声を出さないと、自分の声も良く分からないらしい。
困惑したのか、使いはおどおどと、小さな目をミランダ達の方に向けてくる。情けない顔で救いを求められ、ミランダは苦笑して肩をすくめた。
「構いませんから、大声で話して差し上げてください。こんな風にして」
ミランダが両手を口の横で広げて、査問官の耳元にかがみこむ。
「新しい鉱脈が発見されたんだそうですよー!!」
怒鳴り声に近い大きさに、横に居た女官などは思わず両手で耳をふさぎ、容姿そのままに気が小さいらしい使いは、すっかり萎縮して肩を小さく縮こまらせてしまった。
しかし。
「そうかー、新しいオウムが発見されたんかー」
それほどの大声をもってしても、老査問官の耳の奥までははっきり届かなかったらしい。ジグは右頬をひくひくと引きつらせて、すこし離れた場所に控えているカーティスにささやいた。
「大丈夫なのか、あんなんで」
「……さあ……でも」
カーティスはぷるぷるしている老人の横に立っているミランダに目をやって、首をかすかに傾けた。
「ミランダ様は落ち着いていらっしゃるし、大丈夫なんじゃないか?」
「つかミランダ様はいつでも落ち着いてるだろうが」
「いや、そういう意味じゃなくてだな……」
大の男二人が小声でひそひそ言い合っているのに気づいたのか、ミランダがふと後ろを振り向いた。ダリアス領からの使いは相変わらずの査問官の様子にまごついたままで、こちらに注意を払ってはいない。
小声で言い合っている、あまり格好が良いとは言えないところを見られて少しだけ固まった男二人に向かって、ミランダはくすりと笑って小さく手を振った。
地星宮は、クラルテの四つの神殿のうちでも、最も勢力が大きく豊かな神殿である。その性格にふさわしく、神殿の造りは華美ではないが勇壮で、地方に置かれている宮であっても、同じ程度の他の宮よりは随分大きい。質実剛健、「手に職」に勝る財産ナシ、をモットーとしているこの神殿は、恐らく、という推測語を上につけるまでもなく、「民」と一番結びつきが強い。
だから、繊細、華美を基調としている水星宮とはあまり折り合いがよろしくないらしいのだが、それはまあ、別の次元の話だ。
「ど田舎にある神殿にしちゃあ、えらい立派だなあ」
ジグがそびえたつ神殿の建物を見上げて、ぽかんと口を開けた。よく練りこまれた土色の柱が延々と続く廊下は、その床に灰色の石が規則正しく敷き詰められていた。その石も、彼らの影が映りこむほど丹念に磨き上げられている。床に映る歪んだ自分の姿を見て、ジグは目を大きく見開いた。
「薄墨石か、これ。どっから取り寄せたんだよ。産地真反対じゃねえか。……ダリアス卿からいくら流れてたんだ?」
「この様子では、税の取り立ても実際はいくらだったのやら、分かったものではありませんね」
思い切り顔をしかめてカーティスがつぶやくのに、ジグも渋い顔をする。庶民出のジグは、税金だの借金だの、とにかく「カネ関係の面倒くさいこと」を全般的に嫌っている。それが上から押し付けられるものならなおさらだ。
「さてね……査問官、大丈夫ですか」
「んむ。すまんの」
相変わらずぷるぷる震えているマグダレクを、ミランダが腰をかがめて支える。その枝のような手が、偶然を装ってミランダの腰のあたりにはっしと回された。
「な!!」
「……さーもんかーん?」
カーティスが驚愕と怒りで顔を赤くしたり青くしている横で、ミランダは半眼になって低い声を出す。触られたことそのものに対しては、特に狼狽はしていないらしい。横で憤慨のあまり何を言っていいか分からなくなっている騎士より、よほど落ち着き払っているその様子に、ジグはそれどころではないと思いつつ笑い出したくなった。
「んーむ。貧相じゃの。ミラちゃん、ユーロパにきちんと食わせてもらっとるかー?いいオンナというのはの、こう、むちっとな……」
「余計なお世話です。ちゃんと食べてますからご心配も不要ですよ」
腰より少し下の位置に置かれたマグダレクの手のひらを、ミランダはにこやかにつまみ上げながら引き剥がした。痛覚も鈍っているのか、摘み上げられた手の甲が解放されてからしばらくたって、マグダレクはふう、と手のひらに息を吹きかけた。
「むー。ケチケチしいのう。つまらん」
カツカツカツ、という規則正しい足音と共に、しっとりとした声が石造りの廊下に反響しながら広がったのはその時だった。
「戯れはそのあたりまでにしておいてくださいませ煩悩色ボケジジイ様?大概にしとかないと、天寿を迎える前に鎮魂歌捧げて墓石の下に葬りますわよ」
声こそ世の音楽家が感激して失神しかねないほどに美しかったが、その内容はとても物騒だ。すっかり萎縮して、存在感さえ消えかけていた使者が、縮み上がって柱の影に駆け込んだ。
颯爽とした足取りで歩いてきたのは、白いゆったりとした神殿服を身に纏った、若い巫女だった。肩には地星宮の神殿章。さらりと流された漆黒の髪に飾られた髪留めは、彼女が神殿の中でもかなりの高位にあることを示している。今しがた剣呑な言葉を紡いだ巫女の顔は、しかし春の日差しのように穏やかだった。
「遠いところをはるばる、お疲れ様でした。査問官ご一行様。ただ今正式な神殿長は『急病で』臥せっておりまして、申し訳ないのですが、代行の私、カレン・カルセドニーがここでの皆様のお世話を取り仕切らせていただきます」
ふわりと神殿服を広げて、女性は優雅に礼をする。それに合わせて、カーティス達騎士は腰を折る礼を取り、他の従者達は膝を地面について、深く頭をたれる礼を返した。
「わざわざ痛み入ります」
一行の窓口役を任されているミランダが、一歩前に進み出た。その場に膝をつき、カレンの細い華奢な造りの手を取って、その甲に口づけを贈る。
女性というよりは感じのいい少年と言った方が空気としては近いミランダと、巫女というイメージそのままに清純な外見をしているカレンの様子は、実に模範的で規律正しい気持ちのよさがある。
目を細めてその挨拶を受け取ってから、カレンは顔を上げて一同を見渡した。
「どうぞお楽になさってくださいませ。奥の部屋に昼食と冷たい飲み物を用意させていただきました。ご案内いたしましょう。――レミィ」
まだ見習いなのだろう。よく洗濯されてはいるが、質素な巫女服を身につけた少女が、はい、と短く返事をしてカレンの背後から前に進み出た。
「わたくしはまだこちらの方々にお話がございます。従者の皆様を先にご案内して差し上げて。白蓮の間です。わかりますね?」
「はい。こちらです、どうぞ」
長旅の疲れを滲ませていた一行が、ほっとした様子で動き出す。その団体が消え、最後におどおどした様子の使者がついていったのを見計らって、カレンが作った笑みを顔から引き剥がし、とろけそうに甘い笑みを、改めて浮かべた。
「ミランダ、お久しぶりですわね。見違えましたわよ?」
「カレンも、しっかり神殿長代行務めてて、驚いたよ」
細い二本のしなやかな腕が、ミランダの両肩に回される。ミランダも笑いながらカレンを軽く抱きしめ返した。親友の少女の頬にキスを送って、カレンはきゃあ、と年相応の声を上げ、ミランダにぎゅっと抱きつく。
「もう、しばらく見ないうちにすっかり凛々しくなってしまって。大丈夫? 騎士団の連中に嫌がらせなんて受けていないでしょうね? ミランダはぱっと見ではいい感じに無防備だから、わたくし心配で心配で」
「平気平気。いい人達ばっかりだからうちの騎士団。カレンこそ大丈夫? その年で大司祭補佐って、やっぱりいろいろ大変でしょう?」
「まあ」
おほほ、と控えめに笑って、カレンはミランダから一歩離れ、軽く首を傾けて見せる。
「今まさに、そういう目障りな連中をお掃除している最中ですのよ? ほら肥大化した組織って、やっぱり無駄が多いでしょ? そろそろ膿をかきだしてやらないと、腐って根元から崩れ落ちかねないんですもの」
「楽しい?」
「とっても。燃えますわあ」
「それは良かった」
機嫌よく相槌を打つミランダの後ろで、残された騎士のうち、ジグの方が青くなった。カーティスにささやきかけるその声も、わずかに引きつっている。
「……すんげえ怖いことさらりと言ってないか? なんでミランダ様あんなに平然と相槌打ってんだ?」
カーティスの方は、ほんの少し口許がひきつってはいるが、それでもジグよりは随分と落ち着いている。
「ああ、そうかお前、カレン様とは初対面だったな。ミランダ様は慣れていらっしゃるんだよ。その……カレン様は、ミランダ様のご学友でいらっしゃるし、大抵有言実行なさる方だから……」
(本当は大抵、じゃなくて必ずで、しかも手段を選ばず容赦もないけど)
過去のカレンの「実績」をいくらか知っているカーティスでさえ、未だに彼女には完全に慣れることができない。多分一生慣れることはないだろうが、本音をそのまま漏らした場合の華麗な報復が恐ろしいのは身に染みて分かっていたので、大人しく口をつぐんだ。
「堤の崩壊の原因は、手抜き工事と資金の横流しによる粗悪な石材使用によるものですわね。こちらが証拠書類になります。どうぞお持ちくださいませ」
「ダリアス伯からの報告書とは、やはり随分違いますね」
ぺらぺらと書類をめくって内容を確認しながら、ミランダが低くうなる。まあ、普通は資金の横流しがあったなどと、馬鹿正直に言ってくる責任者はいないだろうが。
見習いの巫女が持ってきたカップに紅茶を注ぎいれながら、カレンはええ、と相槌を打った。
「ばれない程度にかすめ取ったつもりだったのでしょうけど、ダリアス伯はあまり部下にも恵まれていなかったようですわね。いざ実施する段階まで資金が下りたときには、横領されていない資金の方が少なかったようですもの」
目だけを上のほうに向けて、ミランダが尋ねる。
「地星宮の監査は?」
「お恥ずかしい限りですが、お世辞にも行き届いてはいなかったようですわ。本来ならばすぐにでも神殿長や関係者を更迭するところなのですけど」
表だってやってしまうと、ダリアス伯に隠蔽工作を行わせる余裕を与えてしまうのだ、と言外ににじんでいる。ティーポットをトレイに戻し、カレンは湯気の立っているカップをマグダレクの方に差し出した。
「……それで神殿長は『急病』に」
「ええ」
その代理で来たのは、見るからにか弱い小娘だ。これならば心配はいるまいと、ダリアス伯は思ったに違いない。実際は、彼女はか弱いどころの話ではないのだが。
全員に紅茶を勧め終わると、カレンはすっとテーブルから離れ、流れるような足取りで、部屋の奥に向かった。
「そして……」
白い指先が、蝶のようにゆらめいて、そこにかかっていたカーテンにたどり着く。生成り色の重厚な布地が、さっと横に開かれた。
「いっ!?」
その向こうに広がっていた光景に、ジグが思わずと言った様子でカップを取り落とした。カチャリと陶器同士がぶつかり合う音が響く。下にソーサーがあったので、いかにも高いですと言わんばかりのカップは割れずにすんだが、飛沫が手にかかってしまった。ジグは慌てて手を振って、カップをテーブルに戻した。
「こちらが横流し資金を運んだ者、こっちの男性は密書を運んだ者、こちらの恰幅のいい男性はこの街のギルドの元締めさんですわね。不正横領された資金を宝石や貴金属の形に一度変える手続きをしたのはこの方ですわ。それから、えーと」
ずらずらずらずらと、カレンは横領に関わった者達を二十人ばかり上げて、機械的に説明していく。いい年をした大人達は、なぜか全員疲れきったような、どこか諦めたような顔をして、しおらしくそこに腰掛けていた。
一通りの説明を終えると、カレンはカーテンから手を離して、すたすたと客人達の所に戻ってくる。
「皆様とても正直に自らの罪を告白してくださいましたわ。必要でしたら、ついでにダリアス伯の居城にお連れ下さいな」
うふ、といわんばかりの満面の笑顔で言われ、騎士達は顔を見合わせた。促す視線が、自然と交渉役のミランダに集中する。それに後押しをされ、ミランダは立ち上がって客人のほうに向き直った。
「……えーと、本当に証言してくださるんですか? 多分あなた方、この後首都に送られて、法廷でも証言を求められたりすると思うんですけど」
国の側から見れば願ったり叶ったりの状況だが、ここにいる人間のほとんどは、おそらくは今就いている職や地位からは追われるはずだ。それを分かっていて素直に証言するなど、普通は考えられない。カレンでなければでっちあげの証人を疑う所だが、彼女はそういうせこいやり方を好まない。ここにいるのはまぎれもない、本物の証人達だ。
戸惑いを隠せないミランダの問いかけに、その場にいた証人達は、なぜか一斉に首を縦に振った。
「こ、この方に逆らうくらいなら、大人しく職を追われて物乞いにでもなった方がま、マシです……」
恰幅のいい男が、思いつめた様子で言い、他の人間がまた一斉に首を縦に振る。
「あらまあ、おほほほ」
この方、と指し示されたカレンは、微塵も動じた様子を見せず、口もとに手をやって、ころころと鈴の転がるような声で笑った。
一体何をやったんだ、と尋ねたい気持ちを、カーティスは喉元でなんとか押しとどめる。家族を人質に取るとか、そういう類の脅しをかけてはいないはずだ。彼女はこれでも地星宮に仕える巫女で、カーティスの知る限り、完全に黒になる不正はやったことがない。黒の方が表立って弾劾できる分、マシなような気がする脅しをかけたことはあるかもしれないが。どちらにしろ、一介の近衛騎士が知る必要はないことだし、できれば一生知りたくない。
他の者も似たり寄ったりな表情をしている中で、マグダレクだけが平然と紅茶を口に運んでいる。
「ほいじゃ、わしらはとりあえずダリちゃんをとっつかまえるだけで終わりかのう。なんか、悪いのー。神殿にめんどーばかりおしつけてしまった気がするぞい」
クッキーをさくさくかじりながら、マグダレクは呑気に証人を見た。……伸びまくりの眉毛の下に目が隠されているので、本当に見えているのかは疑問なのだが、とりあえず顔は神妙に据わっている男性陣の方に向けられていた。
「今回はうちのアホ神殿長も行為に加担していましたから、特別サービスだと思ってくださいな。こんなお粗末でボロが出るような不正に加担して、あっさり尻尾つかまれるなんで、恥ずかしいったらないですわ。不正をやるなら水面下で巧妙に糸を引いて、表舞台にそれらしいことは一切匂わせないようにするのが普通でしょう。いざとなったらトカゲの尻尾を切るように、他のものに罪をなすりつけられるだけの冷酷さと立ち回りの上手さを見せ付けてくださらないと。あんな三流悪役をこの地星宮から出してしまうなんて……質が落ちましたわねえ、本当に」
なんの質だ、と突っ込むだけの度胸があるものは、とりあえずこの場にはいない。頬に手を当て、憂鬱そうにほう、と息を吐くカレンを、ミランダが微妙に引きつった顔で見る。
「えーと、カレン。一応確認するけど、こういう証拠書類は不正をして手に入れたりしてないよね?」
法廷でその点を突っ込まれると、たとえダリアス伯の有罪が決定しても、罪状が中途半端に軽くなってしまう恐れがある。
ミランダの不安を正確に察知したのだろう。カレンは妖艶にさえ見える笑みを、口の端に上らせた。
「もちろんですわ。不正を暴くのに不正を持ってしても、意味がありませんもの。それをやってしまえば、国家の基盤が揺らぎます。皆様は神の下で、正直に罪を告白してくださいましたのよ?」
「うん、カレンならどんな意味でも心配はいらないと思うけど。でもお願いだから、あんまり無茶はしないで……わぁ!?」
ふわり、と神殿服が空気をはらんで翻り、柔らかな香りがミランダを包み込んだ。カレンがミランダに飛びついたのだ。不意をつかれたにも関わらず、ミランダは自分より若干小柄なだけの同い年の少女を、危なげなく受け止めた。
「んもー、ミランダは優しいですわね!! そこいらの女のケツを追っかけまわすしか能がない貴公子サマどもよりも、よっぽど礼儀正しくて誠実ですわあ。男性じゃないのがほんっとうに残念!!」
「ざ、残念って、あのねえ」
褒められた気がしない、と書いてある顔を人差し指でちょんとつついてから、カレンはミランダから離れた。
「それで、どうなさいます? このままダリアス伯の居城に向かわれますの?」
小首をかしげて尋ねるカレンに返事をしたのは、口のまわりのヒゲを紅茶色に染めたマグダレクだった。
「んむ。まだ日も高いし、不意打ちで来たなら不意打ちらしく間髪置かずに押しかけた方がよかろ?」
「そうですね」
「わしゃもうトシじゃから、腰が痛むんじゃがのう。国王陛下にはおいぼれを虐める趣味でもおありなのかのう。ほ、こういうのは確か、ちまたではえすとかいうらし……」
銀色の軌跡が、マグダレクに向かって飛ぶ。顔の真横、革張りのソファに、どこから取り出したのか分からないフォークがビィィンと音を立てて突き立った。老人はぴくりとも動かない。指一本分ずれていれば、フォークは老査問官の頭につき立っていたに違いない。
その場にいた全員が凍りつく中で、フォークを投げ放った張本人が、神殿服の袖を抑えていた手を離しながら、さらりと髪を払った。
「清浄な空気で満たされている神殿に、地上のお下劣な世界を持ち込まないでくださいまし?」
口もとは笑顔だが、目が笑っていない。氷のような冷たい目に、マグダレクを除く全員が心底縮み上がった。
「……老人のお茶目を分かってくれんとは、最近の神殿は冷たくなったのう」
「ボケ老人のたわごととお茶目は別ですわ、べ・つ! それはそうと、出発はもう少しお待ちくださる? なんでも捕らえるなら確実にということで、援軍が来ると今朝鳩で知らせが入りましたの」
「援軍?」
騎士達のまとめ役を言いつけられているミランダが、目を軽く見開いた。警備責任者の彼女も聞いていないらしい。
「ええ。じきに到着すると思いますわよ。ミランダがわざわざ出向いたんですから、さらにそれを強化しよう、と陛下が」
その一言で、ミランダの顔がさっと青くなった。
「……まさか」
キィ、と音を立てて、白蓮の間の扉が開かれる。ミランダが弾かれたように後ろを振り返った。
「客人をお連れしました」
まだあどけなさが残る巫女見習いの少女の後ろに、粗末なフードを頭から被った男性と思しき人物が立っている。カレンが後ろの方に歩いていき、証人達が控えている部屋との間にあるカーテンを閉めてしまう。
「扉を閉めて、証人の皆様にもお茶を出して差し上げて」
人がそこにも控えていたのだろう。厚い布地の向こうで、扉が閉められる音が響いた。音が止むのを待って、カレンが突然現れた客人の方に向き直る。
「どうぞお入りになってくださいませ」
客人がフードの端に手をかけ、それをさっと後方に流した。
まばゆいばかりの金色が、空中にこぼれ出る。
「……そういうわけで、援軍も到着したよ! さあ堂々と出発してくれたまえ!」
ローブをさっと取り払えば、その下から現れたのは、粗末な上着からは考えも及ばないほどの豪華な衣装。
予想通りの結果に、ミランダは思い切り頭を抱え、その場に座り込む。
一拍の間を置いて、絶叫が神殿の広間に響き渡った。
「~~~~~~~~~~~~~~、殿下ーっ!!」