第四章 公爵の陰謀 1
カツカツカツカツ。
「不安だ……」
カツカツカツカツカツ。
「ミランダ様は変な所で無防備でいらっしゃるし……ドランスフィールドは、浮き名が多いことで有名だ……」
カツカツカツカ……
「だああっ!カツカツカツカツうるせぇよ! ちったあ落ち着きやがれ娘を初デートに送り出した後の父親じゃあるめぇし!!」
スコーン! と景気のいい音を立てて、カーティスの後頭部にブーツが投げつけられる。
「てっ!?」
頭をさすりながらカーティスが振り返れば、ジグが簡素な寝台から上半身を乗り出していた。寝癖がついたぼさぼさの頭が、不機嫌に揺れる。
「おちおち仮眠も取れやしねえじゃねえか!」
「そんなもの取ってる場合か!」
「お前と違って俺は夜勤明けなんだよ、しかもこの後また見回りが入ってんだ!」
「俺だって夜勤明けでこの後城の外郭の警備だよ!!」
イライラと言い返して、カーティスはまた自分の思考に沈む。
「心配だ……」
「あんなに人が多い店でなんかできるわけねーだろ。大体、そんなに心配ならついてきゃいいだろうが。ここでカツカツやるのはやめろ。俺ぁ疲れてんだ、ねみーんだよ!!」
「……それは……」
言いよどんで、カーティスは視線を床に落とす。両手の拳が、握られたままだらりと下がった。らしくないといえばらしくない行動を眠気ではっきりしない視界でとらえ、ジグは眉根を思い切り寄せる。
「んだよ」
「……無粋だろう。ドランスフィールドがおごる、とはいえ、昼食を一緒に取ろうと言い出したのは、ミランダ様の方だ。俺がお邪魔をするわけには……」
「……妙なところで生真面目だよなあ、お前」
一歩間違えば「押すべきところで押してない」ということになるのだが。あるいは詰めが甘いと言うべきか。
あくびと共にその言葉を飲み込んで、ジグは投げやりに手を振る。
「とにかく、まだカツカツやるなら外出ろ外。勤務中に眠っちまったら首が飛ぶ。寝かせてくれ、頼むから」
言い置いてジグは体を再び寝台に横たえる。乱暴に帳が引かれ、カーティスひとりがその場に残される。
しばらくじっとその帳をにらんだ後で、カーティスも向かいの寝台の上にだらりと寝そべり、大きな溜め息をついた。
秋が深まったとはいえ、これだけ人がいて騒がしく昼食にかぶりついて――食べる、というよりはかぶりつくという表現の方が正しいだろう――いれば、店の中はいっそ暑いと感じるほどだ。その様子を物珍しそうに見渡しながら、ミランダはジェラルドの向かいの席に腰掛けた。簡素な木の椅子は、使い込まれて傷んではいたが、頑丈にできているらしく、どっしりと安定感がある。
「落ち着いて食べられそうにはありませんが」
苦笑しながら、ジェラルドはメニューを探しているミランダに、壁の一角を指差して見せる。その先には、メニューが書かれた、薄汚れた板がかけられていた。
「ジェラルド殿もこういった場所で昼食を取られるんですか?」
「時間がない時は。最も、私は城の勤務が多いので、こういった大衆食堂にはあまり縁がありませんが。落ち着いた店に汗臭い荒くれどもが入れば、穏やかな昼食を楽しんでいるご婦人方に迷惑がかかるでしょう?」
いたずらっぽく言ったジェラルドに、なるほどとミランダが真顔でうなずく。ウェイトレスを呼び止めて水を頼み、ジェラルドは襟元を緩めて息をついた。
「……何を召し上がりますか?」
「そうですねぇ……えーと、カーティスがこの間おすすめの料理を教えてくれたんですよね。確か若鶏の……」
「秋香草焼きですか?」
「あ、そうですそれそれ」
無邪気に微笑んで、ミランダはぱちんと胸の前で両手を合わせる。若い娘と二人きりでいるときに、堂々と他の男の名前を出されたのは初めてだ。ジェラルドはわずかに苦い笑みを浮かべ、ウェイトレスを呼び止めた。
「若鶏の秋香草焼き、クランベリーソースかけを二つ」
若い娘は見目の良い二人の騎士をちょっと面白そうにながめてからメモを取る。少々お待ちくださいませ、と歌うように言ってから去っていく様子を、ミランダはやはり珍しそうに見つめていた。
「……ミランダ様」
茶色の透き通った瞳が、ジェラルドの方に戻される。女性と向かい合っていて、高揚感ではなく緊張感を覚えるのも、そういえば初めてだとジェラルドは気づく。ここにいるのはまぎれもなく、次期国王の腹心となりうる可能性が最も高い人物だ。
「調べが……つきました」
そして。自分がこれほど緊張しているのは、この手の中にある書状が、自分だけでなくドランスフィールド家、ひいてはこの国の未来にさえ影響を及ぼしかねない重さを持つものだからだ。
ミランダがゆっくりとまばたきを繰り返し、こくりと首を上下に振る。つとめて平静を装おうと思ったのに、意志に反して、ジェラルドの声はわずかに上ずった。
「……ドランスフィールド家の失態です。これほどのものを、見過ごすとは」
「誰も裏にあんなのがいるとは思いませんよ」
あっさり言ってミランダは肩をすくめる。書状を握る手に、汗がにじんだ。
「やはりご存知でしたか」
「ええ。ただ、裏づけが必要だったのでご協力をお願いする羽目になりましたが」
差し出された書状を受け取って、ミランダはそれを自分の懐に仕舞う。ジェラルドとは違い、彼女は終始落ち着いている。書状に書かれていることにも予測がついているのだろう。実際、カレンを経由して渡された紙切れに書かれていた指示は、恐ろしいほどに的確だった。
「申し訳ありません。汚れ仕事を押し付けてしまいましたね」
「いえ。知らずにいるよりはずっと良かった。……父は、これが終わったら」
「騎士の任を解くかどうかは、陛下がお決めになることです」
先手を取られた形になって、ジェラルドは弾かれたように顔を上げる。ミランダはグラスを口に運んで、水を喉に流し込んでから、まっすぐにジェラルドを見つめた。
「……命をかけるとか、責任を取って職を辞すとか。騎士ってどうしてそういうことを軽々しく口にするんでしょうね」
ポツリとつぶやいてから、ミランダはジェラルドの方に向き直る。人差し指がトン、と一回だけ、神経質にテーブルを叩いた。
「責任を取るだけの仕事を、ドランスフィールドの当主殿はこなせるでしょう。無能な者に職を明け渡すよりも、己の責務を果たすことに力をつくしていただきたいです。……小娘の生意気な私見ですけど」
ジェラルドが沈黙を保っているのにいたたまれなくなったのか、しばらくしてからミランダはわずかに頬を赤く染め、ジェラルドから視線を外した。
「すみません、失礼を」
「いえ」
(……なるほど、バーナードが入れ込むわけだ)
不思議な危うさと確かさを持ち合わせている王子の一の騎士を、ジェラルドは柔らかい目で見つめた。
香水をつけていらっしゃいますかと尋ねられ、ロードライトは動きを止めた。
「……いや? 何か匂うかな」
シャツの袖に鼻をあて、くんくんと匂いをかぐ。花のような匂いはどこからも漂ってこない。
「ええ、香水……とはまた違うようですわね。侍女達が不思議がっておりましたものですから」
嗅覚に意識を集中させているのだろう。侍女頭のカシアが、瞳を伏せて腕を軽く組む。
「まずいなあ。気になるような匂いなのかな?」
「いえ、不快な匂いではございませんのよ。甘くもない、爽やかで落ち着く……強いて言うなら、早朝の森の中のような……。匂いというよりは、空気でしょうか」
ロードライトは、朝もやに沈む窓の外に目をやった。
「確かに今は朝だけど」
「あの、失礼ですが、最近はずっと……昼間でも」
カシアの後ろでシャツの用意をしていた若い侍女が、おずおずと言い添える。
ふむ、とロードライトは腕を組んで考え込む。その間にも、やや年を取った侍女の一人が、櫛で金色の髪を梳いて整えていく。
「ここしばらくは、お召し物に軽めの香水を振るのもやめておりますのよ」
「あ、うんそれは気づいてた」
女性ほどではないが、この国では男性も香りの薄い香水を楽しむ風習がある。ただし、男性の方がつける香水は、甘い花の香りではなく、薄荷のような爽やかな香りが主流だ。
「匂いねえ……。……あ」
「原因に思い当たりまして?」
「ああ」
胸ポケットに入れていた小枝を取り出し、ロードライトはそれを人差し指と親指でつまみあげた。何の変哲もない小枝を見るために、カシアが眼鏡のつるを軽く持ち上げた。
「これじゃないかな」
「小枝? 殿下、どうしてそのようなものを」
「お守りなんだそうだよ。と……東の国からの客人にいただいたんだ。貴重なものだというから、肌身離さず身につけていたんだけど。そんな効果があるのかな?」
最近変わったことといえばこれくらいだよと付け加えると、カシアはその小枝を手に取った。
「ああ、調べるために持っていくとかはなしだぞ。粗末に扱うなと念を押されてる」
「……香木、には見えませんわねえ。殿下、これは何の枝なのでしょうか?」
「シンジュ、というそうだが。詳しいことは僕にも」
枝の上で軽く手のひらを数回振って、カシアはその枝の匂いを確かめる。閉じていた目を開けると、カシアは首をひねりながら、ロードライトの方に枝を返した。
「これから特に強く香気が漂ってくるということはありませんわね」
「……うん」
返してもらった枝に鼻先をつけて、ロードライトもそれを確認する。枝からは特に何の匂いも漂ってはこない。第一、「森のような空気」をこの枝一本で作り出せるはずはないだろう。
「シンジュ、ですか……交易品にそのような品がないか、確かめさせましょう」
「ん?」
語尾を上げて問いかければ、カシアは両手を腰に当てて、シンジュの枝を見おろした。
「……若いお嬢様方の間で、早くも『王子殿下が身にまとっていらっしゃる香り』が話題になっているのだそうですよ。王宮御用達の香水調合師の所に、問い合わせが殺到しておりまして」
「ですが最近、殿下は香水をおつけになっていらっしゃらないでしょう? それで、匂いの元を確かめてきてくれって、カシア様に泣きついてこられたんです」
笑いをこらえながら、若い侍女が補足する。心底おかしそうな様子に、ロードライトもつられて忍び笑いを漏らした。
「笑い事ではございませんよ、殿下。特に害がないようですからそのままにしておきますが、もし少しでも体調に変化があるようでしたら、すぐに申し出てくださいまし」
「調子はいいくらいだよ。そういえば会議続きなのに、さほど疲れもたまっていないし」
肩を軽くまわして、ロードライトはうん、と伸びをして見せた。確かに最近、体の調子がすこぶるいいのだ。言われるまで気がつかなかったが。
「……爽やかな匂いとやらにあやかって、厄介ごともあっさり片付いてくれるといいんだけどね」
昨日の夜、西部の貴族を監視する役目をおっているドランスフィールドから裏づけが取れたと連絡が入った。一番の厄介ごとに手をつけなくてはいけない。
「さぁて、がんばりますか。王子稼業は面倒でいけないよ、全く」
扉の取っ手に手をかけた状態で、ミランダは躊躇するように指先を迷わせた。
この扉の先に広がるであろう光景、そして自分が手にしている密書。引き起こされる事態が何を示唆しているのか、何が起こるのか。予測はつくが、どう収束するかが読めない。
一瞬だけ強く目を閉じた後、小さく息を吸い込んで、取っ手を回す。
扉の向こうにいた人々の視線が、一斉に小柄な王子の一の騎士を捉える。ピリピリした空気を肌で感じ取りながら、ミランダは背筋を伸ばしてぴしりと敬礼をした。
「――失礼いたします」
王宮の一角にある部屋にしては質素で小さい――と思われるだろう。机と椅子の他には、見るべき絵画さえなく、飾り棚のひとつもない。
防音に徹底的に気を使い、「余計な仕掛けを施せる場所」を極限まで排除した結果だ。
入り口から一番遠い場所に控えているのは、豊かな髭を蓄えた、そろそろ壮年に差しかかろうかという頃合の男性だった。名は、ダイオプサイト・シャマシュ・レーベン・クラルテ。クラルテの現国王である。その隣には、秀麗な容貌を持つミランダの主人、ロードライト王子が座っている。反対側の隣には、現国王の一の騎士にしてミランダの養父であるユーロパが控え、他にも執政官、宰相達、外務大臣、各神殿に送り込まれている国からの監視役、商人組合の元締め――およそ上から下まで、国の人と物の流れを操っている者達が全て顔をそろえている。
「ドランスフィールドからの密書をお持ちいたしました」
「ご苦労。かけてくれ、ミランダ」
国王に促され、ミランダは深く腰を折ってから席につく。
手渡された密書を開き、中身を改めてつくづくと確かめてから、国王は重い溜め息を漏らした。投げやりに、隣に座っていたロードライトに密書が回される。
「――最悪な事態に、最悪な形で関わっていた、というわけか……。改めて突きつけられると、やはり衝撃が違うな」
「申し訳ありません。監視が行き届かず……」
立ち上がってふかぶかと腰を折ったのは、国王軍の大将軍だった。国王と年はそう変わらないであろうその人物の謝罪の言葉を、国王自身が片手を挙げて遮る。
「起きてしまったものは仕方あるまい。謝罪は全てが片付いた後でいくらでも聞く。――デリフェルからの要求は」
「今はまだ。けれども近々何らかの打診はあるのではないかと」
「第一王子の妃の座、か?」
「……あるいは同盟か」
「まさか。他国同士の抗争に介入しろと?」
静かだが、水面に小石を投げ入れた時のようなざわめきが広がっていく。顔を見合わせてなにやらひそひそと言葉を交わしている国の中枢を担う者達を、ミランダは表情の読めない顔で静かに見渡した。
「もう……いっそのことデリフェルもローオールも併合してしまってはという話も出始めておりますが」
ずっと前から常にささやかれ続けてきた言葉だ。
年を取った執政官の言葉を、あっさり拒否してのけたのはロードライトだった。
「これ以上厄介ごとを僕の代まで持ち越さないでいただきたい。確かに国力だけで言えば、クラルテは今すぐにでもデリフェルとローオールを併呑できるだろう。だがその先はどうする? 国を吸収するのに一番高い壁はね、国力の差ではなくて、国民の矜持と民族意識だよ。プライドばかり高くて頭の固い国ほど扱いづらいものはない。吸収なんてとんでもないね」
憤然と言って肩をすくめる。国王もそれに同意して首を縦に振った。
「……隣国と国力が拮抗している上に思想が微妙に食い違う。そして互いの国の神話では、隣国は本来自国の領土であったとされている……。似ているからこそ些細な違いが許せぬということもあるのだろう。近親憎悪という奴だ。……最も」
国王の目が、すっと細められる。鷹に例えられる鋭いその目に、剣呑な光が宿った。
「古き伝統に縛られ、くだらぬ争いを繰り返して無駄に国民を疲弊させ、それで周辺の国から取り残され。……それに気づこうともせずに、『全ての災いの元は隣国にあるのだ』と、互いに言い張っているのは無様としか言いようがないがな。国は民のためにあるものだろう。誇りに囚われ、肝心の民の幸せがおろそかになるようでは本末転倒ではないか」
「では、殿下の妃を、デリフェルから娶られるということは」
それは、質問というよりは確認の意味合いが強い言葉だった。
両手を軽く組み合わせて、ロードライトは窓の外に目をやった。
秋晴れの空は高く澄み切っている。こんな狭い部屋でぶつぶつ言い合っているのが勿体無いと思ってしまうほどに。
「クラルテの王宮は一夫一婦制だよ。国王が娶れる妃は一人だけ。王位継承者も一人だけだ。子供が何人生まれようが、な。デリフェルとローオール、どちらからも王妃をいただくわけにはいかないだろう。それはそのまま、クラルテの意志を示すことになる。下らない確執にクラルテの国民を巻き込ませる訳にはいかない。……一夫多妻制が認められてたとしても、クラルテの王宮を国の代理戦争の舞台にされちゃたまらない。あそこからお嫁さんもらうのは遠慮したいなあ、身辺の平和の為にも」
「もう二十歳におなりのですから、厄介ごとの種となりうる妃の問題も片付けていただきたいものですな。無論、デリフェルやローオールの貴族の子女は問題外ですが。国内にも丁度いいお年で容姿も教養もつりあう令嬢はいらっしゃるでしょう」
執政官がぼそりと漏らした言葉を、ロードライトは不自然すぎるほど自然な笑みで受け流した。彼の胸元、あの小枝が仕舞われている場所に何気なく手が伸ばされたが、それにひっかかりを覚えた者はその場にはいなかった。
「まあ、それはそれだ。今はどこも手が一杯でそんな余裕などありはしないだろう?」
「それはそうですが」
老人達から助けを求めるような視線を向けられ、横に座っていた国王が真顔でロードライトのほうに向き直った。
「それは私も思っていたぞ、ロード。後継者を作るのも、王位継承権を持つものの重要な務めだ。早いに越したことはなかろう」
ロードライトはぎくりと体をこわばらせた。成人したのを機に、父親もついに「説得する側」に回ってしまったらしい。
「王族はまあ、政略結婚の側面が強いことは否定せんが。心に決めた姫がいるというわけではないのならば、適当に絞り込むくらいのことはやっておけ」
思いも寄らない所から逃げようのない課題を出され、ロードライトは珍しく「王子の微笑み」を不自然に凍りつかせた。




