3 コルネル中佐の夢
…何処だっけ。
彼は思った。
陽射しが白く、目を刺す。
見覚えがあるような、無いような。紅葉の時期。石畳。
ああそうだ、これは過去の映像だ。
中佐は自分が夢の入り口にあることに気付いた。これであと少し身体を押せば、その中に入れるのだ。
景色は鮮明だった。懐かしい石畳。街路樹の紅葉。この時期になると、この惑星の名と同じ色に、木々は姿を変える。
陽気でやや切なげな音楽が通りに流れる。安物のクラリネット。手回しオルガン。小さなシンバル。色とりどりの風船。子供達の笑い声。秋の収穫祭だ。
クリムゾンレーキの首府カーマインは、最高の季節を迎えていた。
もともと温暖な農業惑星としてスタートしたこの惑星では、農業の一区切りごとに何らかの祭りがある。そして収穫祭はその中でも最大の規模をもって行われるものだった。
「***中尉!」
自分の名を呼ぶ声。まだコルネルと呼ばれる前の。
彼は振り向いた。自分より襟と肩に星一つづつ多い士官が明るく手を振っていた。
「ローズ・マダー大尉。休暇ですか?」
「いや、所用で出てきた。君は?」
「休暇です。マンダリン街の実家まで一度戻ろうと思って」
「ああ、そうだな。あの辺りも祭の季節か」
はい、と彼は答えた。四歳上のこの上官は、クリムゾンレーキの地元軍の士官学校時代のよき先輩だった。
ローズ・マダー大尉は卒業してすぐ、中央軍の方へ研修に出たが、戻ってきた時にちょうと彼は士官学校を卒業して少尉となっていた。それから彼はローズ・マダーの部下という位置に居た。
「できれば今回は、戻らなくて済むかな、とも思っていたんですが、妹の結婚式があるものですから」
「ああそれは。おめでとうと私からも言わせてもらおう」
「ありがとうございます」
彼はカーマイン市郊外に生まれ、クリムゾンレーキの普通の青年が送るコースを順当にそれまで生きてきた。そしておそらくこれからも、順当に、穏やかにこのまま日々を送っていくのだろう、と考えていた。
裕福ではないが、かと行って貧乏でもない家に生まれ、技術中学を卒業後、士官学校へ入った。実技は上等、だが全体の成績をトータルすると中の上の成績。何とかそれでも一つも落第することもなく順当に少尉になった。
真面目な仕事ぶりが効を奏して現在は中尉。両親は健在、妹はこれから好き合った男と結婚する。
自分は幸せなうちに入るのだろう、と彼は思う。上官もいい人だ。
たった一つの気がかりを除けば。
「ところで***中尉」
「何ですか」
「例の話は考えてくれたか?」
彼は顔を軽くしかめる。気がかりはこれだった。
「…例の件に、参加するか、ということですか?」
「そうだ」
「それだったらお断りしたはずです。興味はないですから」
例の件、とは。それは「ちょっとした活動」だ、とローズ・マダーは彼に説明していた。
「大尉のおっしゃることは理解できます。確かに現在の中央軍の兵士の我々地元軍に対する対応は決して良いものではない…だけどだからと言って、言葉ではなく行動で抗議するというのは」
「角が立つのは困る、と言う訳か?」
はい、と彼は素直に答えた。それは彼の本音だった。
「だって大尉、これは…クーデターってことじゃあないですか?」
クーデター、という言葉で彼はトーンを落とした。滅多に軍人が言ってはいい言葉ではなかったのだ。
「だがな***、これはクリムゾンレーキ全体の問題でもあるんだぞ」
またか、と彼は思った。ローズ・マダーは決して悪い人ではない。だが、問題を大きく考えすぎるところが彼は気になっていた。何かが引っかかるのだ。大尉はこぶしを握りしめて力説する。
「中央軍の方へ派遣されていた間、それはずっと私の中でくすぶっていた…」
彼はうんざりしながら、いつものように始まった話を聞き流していた。聞きながらも彼は、何処で会話を切ろうか、とずっと考えていた。
だがずるずると話は続く。ある程度で、その区切りは掴めるはずだった。ところが、その日は別だった。いつもと違う言葉が、出てきた。
「実は、コーラルはこの計画に賛同してくれたんだ」
「コーラルが?」
コーラル中尉は、彼の同期だった。彼より実技は弱かったが、全体的な成績は彼より上で士官学校を卒業していた。
「彼からも一度話を聞くといい」
ローズ・マダー大尉はそう言い残すと、珍しく自分から話を切って行った。
*
妹の結婚式を終えて宿舎へ戻ると、コーラル中尉は待ちかまえていたように彼に話し出した。
彼はどうしてそこまでするのか、と同僚に素直に訊ねた。するとコーラルは熱っぽく拳を握りしめて力説する。
「何でかって?そりゃあ大尉の考えに賛同できたからだよ!」
「だけど、無謀じゃないのか?」
「お前は時々妙な所で慎重だなあ」
ははは、とコーラル中尉は笑う。彼は眉をひそめた。
慎重とかそうでない、という問題ではないのだ、と彼は言いたかった。だが言えなかった。彼はそういう気質だった。角が立つのは嫌いだった。
「でもさ、お前もそうは思わないのかよ? …ああそうだ。これを聞けばも少しその気になるかなあ?もうじき税率が上がるってよ」
「税率が?」
この場合の税は、帝国全土を指す。
「そ。それもその原因は、帝都中央の汚職が原因だって言うんだよ?それで何やら国庫が少しやばいから増税、それに公職関係の賃金カット」
「…」
「確かに公職の賃金カットは仕方ないけどさ…何で中央の尻拭いを俺達がさせられなくちゃならないんだ?」
「…それはひどいな」
「だろ?」
理解はできる。だが、だからと言って、積極的に気が進むという訳でもなかった。
例え多少の不満があろうと、税金が上がろうと、彼は穏やかに生活ができれば充分だったのである。軍に居るのは、そこが一種の「公職」で、実に堅実な仕事場であったからに過ぎない。
不思議なもので、軍に居ながら彼には、戦場に出るという意識がなかった。最もそれは彼だけでなく、クリムゾンレーキの軍に属する青年の共通した認識だったかもしれない。
そしてそれは仕方がなかったとも言える。平和な惑星に生まれついて、穏やかな気候のもと、彼らは生まれついてからこの方、地元軍が戦場に出る様など見たことがなかったのだから。
だが事態は彼の思惑とは外れていった。
彼は不思議だった。ひどく不思議だった。
結局、参加するともしないともはっきりさせないままずるずる時を過ごしている間に、彼の回りは勝手に、次第に盛り上がっていってしまった。
それは彼の直接の部下である下士官にしてもそうだった。上官が「参加」しないと聞くと、今度は彼らが彼を説得しに来る。
「何故ですか?」
年上の伍長は言った。
「賛同できることではあるけれど、直接行動というのは」
「臆しましたか?」
違う、と彼は言う。だがそれ以上の理由が見つからない。賛同する程の意志はない。だが否定するだけの理由もない。
結局ずるずると、彼は「仲間」に引き入れられてしまった。
ところが、である。
計画は発動前に終わってしまう羽目になった。
理由は二つあった。
その一つは、クリムゾンレーキにとある皇族が視察に現れるという事件だった。
その知らせを受けた軍警は、それまでなあなあに見過ごしてきた惑星クリムゾンレーキにいきなり目を向けた。
するといつの間にか大人しい羊達は、何やら怪しげな相談をしているではないか。街にはポスターが張られ、放送局では毎日何やら軍の若造達がはしゃぎ立てている。
無論そんな事態を軍警が見過ごしている訳にはいかない。少なくとも、その皇族がやってくる前に。
そして理由の二つ目は、発案者自体が所詮ノンポリだったことにある。
ローズ・マダーは結局はただの不平分子に過ぎなかった。
彼がローズ・マダーに引っかかっていたのはその部分だった。言っていることが判らない訳ではないが、一貫性がないのだ。
ところが彼が「何故」そうであるのか看破できなかったように、他の兵士達もそれを見破ることはできなかった。
この地の人々は、基本的に人が良い。そして熱しやすく冷めやすいのが特徴である。
確かにそうだろう。そうそう人を疑うことも必要ではなかったし、それは不徳とされてきた。穏やかで、礼儀正しく、そして明るく熱しやすい。
悪い気質ではないが、中央の毒に多少なりとも触れてきた者にとって、扱いやすいものであることは間違いない。それがローズ・マダー程度の小物であったにせよ。
その頃、熱しやすい民衆は、繰り返される情報や、所々で行われるアジ演説、ポスター、集会といった彼らにはそうそう縁の無かったはずのものによって、盛り上がりつつあった。
そして彼は、その中で、活動に一応の参加をしながら、奇妙に不安を覚えている自分を感じていた。
ポスターを張りながら、車で地方を回りながら、ずっと彼は感じていた。
何かが違う…
終わりはあっけなかった。
軍警の正式通達が来る直前に、ローズ・マダーの元に極秘で通信が届いた。それは彼が中央に居た時の友人からだった。
クリムゾンレーキはローズ・マダーがその知らせを受け取った頃、既に包囲されていた。当時は、空の防衛ラインは殆ど丸腰に近かった。軍警は難なく惑星全体に攻撃を宣言した。
当時の騒乱の首脳陣は、まだ若い士官と、それに無理矢理従わされていた老いた将官ねという図式である。ローズ・マダーは首謀者の一人ではあるが、リーダーという訳ではなかった。所詮彼は大尉に過ぎなかった。
どうしたものか、と引きずり込まれた将官は自分達の半分くらいの年齢の士官達にだらだらと脂汗を流しながら訊ねた。
「いい考えがあります」
ローズ・マダーはこの時提案した。
「首謀者を、軍警に差し出すのです」
基本的に善良な、地元軍の将官は眉をひそめた。そんなやり方は、彼らの流儀には合わないのだ。
だが、軍警に攻撃されてクリムゾンレーキが焼け野原になるのは困るし、だいたい彼らも、命が惜しかった。
「スケープゴートか」
「そうです」
「だが誰が居る?貴官に心当たりがあるのか?」
「はい」
ローズ・マダーは迷わず一人の部下の名を出した。
*
軍警は惑星を攻撃することもなく上陸した。何ごとが起こるのか、と民衆は緊張した。
だが彼は、奇妙に平静だった。ああそんなものかなあ、と感じていた。
彼はずっと、この騒乱が成功すること自体がおかしい、と感じていた。活動に参加していながらも、ずっと感じていたのだ。だから、首脳部が軍警の命令にあっさりと従った、と聞いたときも、そんなものかなあ、と考えていただけだったのだ。
だが、事はそれだけでは済まなかった。
*
その知らせを受けた時、彼は自分の耳を疑った。
何とかひと段落ついた、と彼は久しぶりにマンダリン街の実家で食事をしていた。妹は嫁いでしまったのでいなかったが、両親は騒乱が治まったことを喜んでいた。彼らもまた、穏やかな生活を心から望む者であったのだ。
収穫したばかりのかぼちゃのパイは、いつにも増して甘味が濃く、とろけんばかりの美味しさだったし、夏中元気で跳ね回っていた鶏は、実に弾力多くみずみずしい味になっていた。
そんな折、彼は両親に言った。
「俺、軍を辞めようかなって思うんだけど」
両親は一瞬顔を見合わせた。
「士官学校まで出といて何かと思うかもしれないけど…」
彼は言葉をにごした。だが両親は彼の言わんとするところをすぐに理解した。
「そうだね。こんなことで何かと騒がしくなるんだったら何も居ることはないね」
「構わん構わん、畑もあるし、食べていくくらいは何とかなる!」
「そうだね」
彼はそう言ってくれる両親がありがたかった。そして騒ぎがひと段落したら辞表を出しに行こう、と思った。
その時だった。扉ががんがん、と大きく叩かれた。
母親は食卓を立って、戸口に出た。扉の向こうには、息子と同じだけの星を肩と襟に付けた軍人が居た。
「…コーラル? 何だこんな時間に」
そこに立っていたのはコーラル中尉だった。…いや、彼だけではなかった。後ろに何名かの兵士と――― そして黒星をつけた士官が居るのが彼の目に映った。
嫌な予感がした。
黒星を付けた士官がコーラルより一歩前に進み出た。そして一枚の紙を彼に突きつけた。
「***中尉、貴官を騒乱の首謀者として逮捕する」
は?
彼は耳を疑った。何を言われているのかすぐには理解できなかった。
黒星は軍警だ。彼の知識がめまぐるしく回転する。では俺は。
彼は事態をその瞬間、正しく理解した。
「何故だ!」
叫んでいた。
「皆が揃って証言した。今回の騒乱の最も最初の首謀者は貴官だと」
軍警の士官は、淡々と理由を告げた。それは、内部事情を知っていても黙殺する口調だった。
「残念だよ***」
コーラルは乾いた声で言った。
彼は全身の血が一気に足元に落ちていくような気がした。
これは罠だ。
そして一度下がった血が、急激に脳天にまで上がっていくのを感じた。俺は、はめられたのだ。
立ちすくんでいた彼を正気に戻したのは、頭の横をかすめるパイだった。軍警の士官の顔にそれは命中する。黄金色のペーストが勢いよく弾けると同時に、母親の声が響いた。
「逃げなさい***!」
彼は母の声に、弾かれたように裏口へ向かっていた。父親もまた、食卓にあったものを手当たり次第に彼らに投げつけていた。やめろ、とコーラルは叫んだ。
「急ぐんだ***!」
父親も叫ぶ。彼は裏口をちら、と見た。戸口には兵士がへばりついている。窓を開け、そこからひらり、と身を踊らせた。足にずん、と衝撃が響くが、構ってはいられない。彼は駆け出した。
裏口に居た兵士達は、それに気付くと屋根のない軍用車に乗って彼を追い出した。追いつかれるのは時間の問題だった。だが彼は走った。何故だか判らないが走った。
と。
遠くで、銃声が聞こえた。彼は思わず足を止めた。今さっき飛び出してきた家の方向だ。まさか。
ぞわり、と全身を悪寒が包んだ。考えられないことではない。
軍用車のライトが迫る。彼は思わず飛び上がっていた。車のボンネットに飛びつき、立ち上がっている兵士に飛びつき、ふるい落とした。そんなことするのは…訓練ではあったが、初めてだった。自分が実際にそんなことできると、彼は考えてもみなかった。
だが彼はこの時、そうせずにはいられなかった。運転席でしっかりハンドルを握っている兵士を、その場から蹴り倒して、外へ放り出した。そして明後日の方向へ行きかかった車を何とか体勢を立て直した。
そして彼は元来た方向へと、車を走らせた。
無茶苦茶だ、と彼はつぶやく。ほんの三十分前までは、ごくごく平和な夕食の時間だったはずだった。なのに。明るく、暖かく…
―――家は確かに明るく暖かかった。暖かいを通り越して――― 熱かった。
火の手が上がっていた。
彼は自分の目が信じられなかった。車を止めて、呆然と、そのひどく明るい光景を見ていた。目が離せなかった。
一体何が起こったっていうんだ?
俺が一体何をしたっていうんだ?
どのくらいそうしていただろう? 彼は首筋にちくり、という痛みを感じ…意識を失った。
*
それからのことは、半ば意識の無い状態の彼を人形の様に引き回しては、行われていた。
軍事法定の裁判長は、彼に銃殺刑を命じた。
それは彼にとって、遠くの出来事のように聞こえた。半分は投与された薬のせいでもあるが、彼自身の衝撃もまた強すぎた。
だが、彼は自分が法廷から連れ出される際に、次の番として宣告される人物達を見て頭から水をかけられたような気がした。目が覚めた。
彼の部下であった下士官五人が、揃って法廷に引き出されている。それを彼はそれまで知らなかった。自分の宣告を夢の中のように聞いていた彼も、その時には正気に戻った。
彼らが何をしたって言うんだ?
無論自分に関してもそうは思う。だが自分に関しては、多少なりとも彼は自分の甘さを感じていた。
自分はずっと、ローズ・マダーやコーラルの態度に違和感を感じていた。感じていたはずなのに、何もせず、ただ事態に身を任せていた。
自分の甘さを痛感した。そして家が、家族が焼けてしまったということもあり、彼はそのまま終わってしまうのも仕方がない、と考え出していた。
だが。
下士官の彼らは。
彼らは馬鹿正直に、熱に浮かされただけではないか。疑問を持っていた自分と違って、奴等の言うことに従っていたじゃないか。なのにそれが自分の部下であるからと言うだけで。
何とかしなくてはならない。
彼は思った。
何とかしなくては―――
*
何とかしなくては。
当時は地元軍の中央施設だった10階建てのビルの地下から脱出した時、彼の頭にはその言葉だけが渦巻いていた。
彼自身は脱出に成功した。
このまま逃げればいい、と思った。捕まれば死が待っている。だったら死んだ気で逃走すれば。さすがに彼も一瞬そう思った。
だが。
五人の部下の姿が脳裏に浮かんだ。
処刑は正午だった。ひどくいい天気だった。真っ青な空が、木々の赤と強烈なコントラストをなしていた。
だが彼にそれを見るだけの余裕はなかった。彼はその時間が迫る刑場に乗り込んだ。
刑場には銃殺のための兵士と共に、不安と興奮の入り交じった色の染まった人々を、もしものために押さえ込むための機動隊が揃えられていた。
彼らの手には、手には通常の歩兵銃だけでなく、騒乱用の催涙弾、煙幕、放水隊、果てには火炎放射器まで揃えられていた。
そしてギャラリーも。
見せしめのため、とは誰へ対してのものだったのか。銃殺の広場にしつらえられた天幕の中には、確かにやんごとない人物が座しているのが判る空間が見受けられた。
無論その時の彼は、そんなことは知らなかったし、どうでもよかった。
やんごとない人物は、顔を扇で覆ったまま、黒い長い髪をなびかせてその場に案内されていた。
正午の合図と共に、それは行われることになっていた。
三分前だった。既に準備は完了していた。全体に緊張が走った。その時彼が、その場に飛び込んだ。
彼は兵の一人から銃をもぎ取ると、銃殺隊にまず打ち込んだ。年老いた指揮官は、その時一体何が起きたのか、把握できないようだった。決して長い軍歴はこの場合、年の功とはならなかった。
「何をしてる!撃て!」
そしてその代わりに、そこで声を張り上げたのはローズ・マダーだった。困惑している表情が彼の目にはクローズアップされる。
「ローズ・マダー!この裏切り者!」
叫んでいた。
次の瞬間、腕に熱い線が走った。弾丸がかすめる。
銃を撃ちながら彼は後ろ向きに走り、つながれている部下の元へ向かった。彼らは目隠しをされ、柱に手と足をつながれている。だがそれはワイヤーではない。ただのロープだ。
「何が…」
目隠しほされたままでも、一人が異変に気付いたのか、きょろきょろと首を動かしている。彼はそれに向かって叫んだ。
「待ってろ! 今助ける!」
「中尉! 中尉ですか!」
驚きと喜びが混じった声だった。だが彼はそれには答えず、右手で連続に切り換えた銃を撃ちながら、左手で部下を縛り付けていたロープを切った。そしてそのナイフは部下に渡す。
だがその間にも、弾丸は次々に飛んできていた。
既に五人のうち一人は、その弾丸に撃ち抜かれて息絶えていた。そして彼自身の身体にも、急所ではないにせよ、数発がめり込んでいた。
やばいな。
痛みは、気付いた時にその力を発揮する。汚れた服に、血がだらだらと流れ始めていた。
時間の問題だった。
数が違いすぎるのだ。どだい無理と言えば無理だったのだ、と彼の中でつぶやく者が居る。
無理だよ。もう止めときな。
それもいいかな、と考えた時だった。彼の視界に、ローズ・マダーとコーラルの姿が入った。
残っていた血が、逆流する。奴らだけは、生かしてはおけなかった。
「中尉!」
連射の音が耳に入る。最初に助けた部下が、自分の前で跳ね上がった。血吹雪を上げていた。霧の様に、ねっとりと自分の頬に降りかかる。それは最後の部下だった。
―――彼にはもうすることは一つしかなかった。
彼は、その場に倒れた部下の手から銃を取ると、最後のカートリッジを入れて走った。ローズ・マダーとコーラルの方へ。
自分の喉の奥から、強烈な声が出ていることに彼は気付いていた。
ひっ、とその勢いに思わず身をかわそうとする兵士の姿がある。慌てて引き金を引く姿がある。
だがそんなことは彼にはどうでもよかった。
視界には、二人の姿しか入らなかった。近くで興味深げに見ているやんごとない人物の姿も、何も。
突入してくるその勢いに、元々同僚である兵士達はとうとう怯えた。思わず逃げ腰になる。
その姿を見て、ローズ・マダーは一人から銃をもぎ取っていた。そしてそれが何の銃であるか、当の本人は、全くその時意識になかった。
「貸せ!」
「ローズ・マダー! お前はぁぁ!」
血にまみれた形相が、襲いかかってくる! ローズ・マダーは無意識に引き金を引いていた。
「***来るなあっっっ!」
―――火炎放射器だった。
彼の目の前に、朱が広がった。
強烈な熱が、全身を襲った―――