うそつき
Ⅰ
カメラのフォーカスが私を見つめている。連続的にシャッター音が響いて、同時に眩いフラッシュの雨。
「とってもステキ! 素敵よー! HINAちゃん。じゃ、今度は髪を掻き上げる感じで! うん、いい感じ!」
専属カメラマンの矢野さんが、オネエさん口調で私に指示をくれる。
今日は『カバー』の撮影。ゴシックロリータ系の専門誌のカバーだから、当然、私の格好はフリフリのゴシックドレス。瞳の色に負けないくらい真っ赤で可愛らしいけどちょっとシックなドレス。
うう、スカートが短いよー。
恥ずかしくても、貌には出さない。
私は『HINA』であって、『ヒナ』じゃない。今は撮影に集中しなきゃ。『こちら』の世界に足を踏み入れて二年。最初は絶対無理だと思っていたけれど、『社長』も、何より私を好いてくれる『ヒト』がたくさん出来た。雑誌が発売される度、聞こえてくる声は嬉しいモノばかり。
私の『目的』はまだ果たせていないけれど、それとは別に、褒めあるのは嬉しい事だから
「うーん、ちょっと髪のアレンジしてみよっか。加護、お願い」
矢野さんの指示でヘアメイクの加護さんが私の傍へ駆け寄る。私は、『表情』を保ったまま、意識をカメラの方へ。
「こんな感じですか?」
加護さんが、ちょっぴりおずおずしながら聞く。矢野さん、私以外にはちょっと厳しいヒトみたい。
「そね、いい感じ。じゃ、続けていくわよー」
上機嫌にシャッターを押す。
シャッター音とフラッシュが、私を包み込む。撮影は二時間近くまで続いた。
それから『社長』が私の様子を見に来てくれた。私は嬉しくて、思わず飛びつきそうになるのを我慢。
いつもと同じ白いスーツにタイトスカート。ちょっと大胆すぎるくらいに胸元が肌蹴て、その真ん中で、プラチナジュエリーが輝いている。
私の自慢の『家族』。お父さんも、お母さんも死んでしまって、一人ぼっちになった私を迎えに来てくれた女性。ちょっと、ううん、かなり過保護ですぐ『イタズラ』してくるけど、それでもやっぱり私にとっては愛すべき家族で。
ふと、PCのモニターを見つめていた青い瞳がこっちを向いて、紫色のセクシーな唇に笑みが浮かぶのが見えた。
思わず、ドキリとしてしまう。
本当に綺麗だと思う。私なんかよりもずっと綺麗で、それこそモデルになっても通用するプロポーションなのに。事務所のみんなが憧れちゃうのも無理ないよ……。身内贔屓なしでそう思える。
「HINA様」
右の方から聞きなれた声がしてきた。
黒スーツを着込んだ大柄の男の人。柿崎さんだ。出会ったばかりの頃は、すごく怖くて、お話することが出来なかったのだけど、今ではすっかり打ち解けることが出来た。
社長に話せない相談事にも乗ってくれてすごく助けられてい」る。
「コーヒーです」
「ん」
私は意識して、不愛想に応える。
私は、『HINA』で居る時と『ヒナ』で居る時を分けている。
まるで、スイッチがあるみたいに。
理由は、全面的に私なのだけれど。
『ヒナ』でいる時の私は自分でも呆れるくらいの『泣き虫』で、嬉しくても、悲しくても、怖くても、寂しくても、緊張しても、直ぐに泣いてしまう。この仕事を始めたときもカメラの前に立つだけで、緊張して泣いてしまって、矢野さんがとても困っていたのを覚えてる。幸いにも矢野さんは私たちと『同じ』だったからよかったけれど、そうじゃない『ヒト』の前では泣いたらダメ。
たとえば、ヘアメイク担当の加護さんだとか、編集長の後藤さんだとか。
その人たちの前で、泣いてしまったら、もう『こちら側』に居られなくなってしまう。
そういう『事情』が私にはある。
だから、私は、私の『秘密』を知らない『ヒト』達の前では『HINA』を演じ続けなくちゃいけない。
辛いことも多い。
たとえば、『トモダチ』が少ない事。
プライベートで仲良くしてくれているのは、社長の妹で私と同期の葵ちゃんくらいだもの。葵ちゃんとも、スケジュールがなかなか合わなくて、オフの日にウィンドウショッピングとか、カラオケとか、ボーリングとか、あとは、一緒にランチとかも儘ならない。
そういう、同年代の娘たちが経験するような事がまったくと言っていいくらいに無い。
同じ業界の娘たちからも距離を置かれていた。
誘われる度に、不愛想な態度でお断りして居たら、厭になるのも当然だよね……。
こういう『HINA』が好きっていう娘も居たりするけど、ボロが出て、『秘密』がバレてしまう事が怖いから、わざと冷たい態度を取って遠ざけてしまう。
『ヒト』と仲良くしたいけれど、出来ない。
そんなジレンマを抱えて、もう二年が経とうとしている。気づけばもう高校もあと一年で卒業になっちゃう。
小さいころから夢見てきた女子高生としての生活は、まさしく『夢』のまま終わってしまいそう。
「HINA様、どうかなさいましたか?」
柿崎さんの低い声で、我に返った。
「ん――」
務めて、平静に。
紙コップに注がれたコーヒーを飲む。
コーヒーの香りとほろ苦い味が、私を落ち着かせてくれた。
「HINA」
ヒールの音を響かせて、社長が近寄ってきた。
「この後は、TVの取材だけだったかしら」
「はい、そうです。その後、藍香様との食事となっています」
私の代わりに柿崎さんが応えてくれる。
あ、そっか。今日は月に一度の家族団欒日だった。最近忙しかったら嬉しいな。
「そう、そのことで貴方に謝らなきゃいけないの。本当に、本当に、悲しくて、悲しくて、泣いそうなのだけど、この後、急用が出来ちゃって、悪いけど、今日の食事はキャンセルさせてもらいたいの」
え――。
本当に珍しい。
というか、初めてな気がする。
社長――藍香さんが、私との予定よりも他を優先するなんて。
寂しいな。
そう思っても貌に出さないようにして「ん」と、相槌をする。
社長の貌から藍香さんの貌になって、HINAである私を抱きしめる。
苦しい。
けど、やっぱり藍香さんも寂しいんだよね。
「苦しい。離して。みんなこっち見てる」
「充電中だから、ヤーよ」
もー、藍香さんがそんな風にしてたら他の娘たちが殺気立っちゃうよ。
ほら、加護さんが恨めしそうに私を睨んでる。
藍香さんは、所属のタレントはもちろん、スタッフの女性からすごく好かれて――というより『愛されている』。その、言いにくいけど、『そういう関係』らしきヒト達も居るみたいで、嫉妬されることもしばしば。
タレントには手を出してない……はず、だよね?
「いーかげん、離れろ。バカ姉貴」
スパンッと乾いた音が響く。黄色いメガホンが藍香さんの頭を叩いた音。
すごい音がしたけど、大丈夫かな。
叩いたのは、私の良く知っている娘だった。
今は、仕事で『男装』しているけれど。
「葵――」
私は、驚きと喜びを抑えて、名前を呼ぶ。
「よっ。HINA! 仕事終わった?」
返事のかわりに、ゆるく首を振る。
ああ、葵ちゃんが目に見えて落ち込んでる!
ごめんね。
綺麗なプラチナブロンドヘアに、ガラス細工みたいに繊細で透き通ったブルー・アイ。同世代の女の子たちが忽ち虜になってしまう中性的で王子様みたいな綺麗な顏。
私と同時期にデビューした人気沸騰の『男装モデル』。
今日は撮影かな? 所謂、『パンクファッション』に身を包んだ葵ちゃんが藍香さんと一緒になって私に飛びついた。
私よりも背の高いスレンダーな身体が私を包み込んだ。
黄色い声がスタジオの中に満ちて、鼻血を流して倒れちゃうスタッフさんまで出て来ちゃった! どうしよう、私じゃどうにもできないよ……。
助けて、柿崎さん!
柿崎さんの方に視線を向けると、あれだけ大きな身体が何処にも見当たらなかった。
「HINA様、下でございます……」
ああ、柿崎さんが女性スタッフの下敷きに! 津波が襲ってきても平気そうな柿崎さんの身体が女の子たちの足に踏みつけられて埋もれていた。気づけば矢野さんやアシさんまでこちらに集まって来ていた。
「あー、はいはい。落ちつてみんな。大丈夫、順番に相手するから」
ちょっと厭そうな声で、葵ちゃんが言う。
宣言通り、一人一人に『壁ドン』だとか『お姫様抱っこ』だとか『お凸にキス』だとか。
いろんなサービスをして、みんなが気絶したところで。
「ふう、やっと終わった」
葵ちゃんが、一仕事終えたような貌をして、今度は私を『壁ドン』してきた。
同性だけど、やっぱりドキドキしちゃうな。
「ね、ヒナ。こんな薄情な姉貴は放っておいて、今夜は『オレ』と過ごそうよ……この前急な仕事が入ってランチの約束保護にしちゃったしさ――ヒナの料理、久々に食べたいな」
葵ちゃんが、私の顎をそっと持ち上げた。
青い瞳と視線が重なる。
うわ、近い! 形のいい唇がどんどん近づいて来る。
心臓の音がうるさいくらいに胸の内で響いてる。
「やめなさい!」
スパンッ! とまた音が鳴る。今度は、藍香さんがメガホンで葵ちゃんの頭を叩いたみたい。
「ってーな! 何すんだ! バカ姉貴!」
葵ちゃんが目尻に真珠みたいに綺麗な涙を浮かべながら藍香さんを睨む。
濡れた瞳がサファイアみたいにキラキラと輝いて、思わず見惚れてしまう。
「それはこっちの台詞! アンタ何しようとしてくれてるの! ヒナのファーストキスはワタシのモノよ!」
あの、藍香さんのモノじゃないです。私のファーストキス。
「二人とも! 落ち着いて!」
私は『ヒナ』に戻って、二人の間に割って入る。
そうしたら、二人して私を抱きしめ、頬をすりすりされてしまう。
藍香さんの大きい胸が私を包み込む。
反対側で『さらし』が巻かれた葵ちゃんの胸が私を押してきた。
うう、二人してどうしてこんなに大きいのかなぁ……。
前に同じ雑誌のカバーを葵ちゃんと二人で撮影した時に『さらし』を巻くのを手伝ったのだけど、すごく大変でした……。
「ごめんねー。大丈夫よ、ヒナ。ワタシがちゃーんと手ほどきして、あ・げ・る」
「大丈夫だぞ、ヒナ。オレがこの年中発情年増鬼ババァの毒牙から守ってやるからな」
「なんですって?」
「やんのか、バカ姉貴」
わわ、このままじゃまた喧嘩になっちゃう!
「こうなったら、また急な仕事入れてやる!」
「あー⁉ やっぱり、アレは姉貴の所為だったのか!」
うん、藍香さん、そういう職権乱用の仕方は良くないと思う。
「柿崎、姉貴を止めるのがお前の仕事だろ!」
今度は、私の後ろで、腰を低くした柿崎さんがハンカチで頭を拭いながら。
「も、申し訳ありません。葵様、私も御止しようと努めたのでございますが、なにぶん本気で暴れられてしまい――」
なんだかごめんなさい。柿崎さん、うちの叔母が……。
それと、葵ちゃんもごめんね、また今度、一緒にお昼しようね。
私は心の中で精一杯謝った。
藍香さんには、後でお説教しなきゃ。
職権乱用はいけない事です。
Ⅱ
あの後、何とか二人の喧嘩を止めて、TVの取材を受けて、自宅のマンションに帰ってきたのは、夜の十一時頃。
一人暮らしには、広すぎる3LDKの部屋は、当然電気もついていなくて。
オートロック式の鍵が施錠され、音声でそれを知らせてくれる。
当たり前だけれど、一人ぼっち。
電気を点けて、ブーツを脱いで一先ずテレビをつける。
丁度、音楽番組のライブ中継場面だったみたいで、激しいロック調の音楽と割れんばかりの声援、主に女の子の。
その音が部屋に満ちて少しだけ、寂しさを紛らわせてくれた。
テレビに映っていたのは、不動の人気を誇るロック歌手【レイヤ】さん。女子高生やOLさん、若い世代の女の子たちを虜にする。男の子たちは、彼に憧れを抱くことも多いみたい。もしかしたら『あの人』もそうなのかな?
私の為に『スターになる』と言ってくれたあの人も。
結局、仕事を続けても見つけることが出来なかった。
業界で仕事を続けていれば、もしかしたら会えるかもしれないと期待していたけれど、どうやらまだ彼が業界に足を踏み入れた様子もなくて。
とても綺麗で可愛い男の子だったから、大きくなったら絶対活躍できると思ったのに。
『この業界』がそんなに甘くない事なんて、私自身よくわかっているけれど、それでもやっぱり『あの人』は第一線で活躍していても可笑しくないのにな……。
ほら、例えば、今もTV画面に映ってる【レイヤ】さんの隣でギターを弾いていたら……うん、カッコいいと思う。
なんて、流石に『トモダチ贔屓』かな。
ふいに、【レイヤ】さんと目があった。
もちろん、気のせいなのだけれど。
そういう風に錯覚してしまった。
『赫色の瞳』
明るい、宝石で例えるのなら、そうルビーのような。
葵ちゃんがよく私の瞳をそう褒めてくれるのだけど、私なんかよりもずっと綺麗で――。
女の子が虜にされてしまうのも、頷けてしまう。
スマートフォンから着信音が鳴った。
こんな時間に誰だろう?
私は、テーブルの上でバイブレーションするスマホを手に取って、ディスプレイに表示された名前を確認する。
藍香さんだった。
今日は、晩御飯ドタキャンになっちゃたから気にしてるのかもしれない。
受話器のアイコンを人差し指でスライドさせて、ハンズフリーモードに切り替える。
ぶきっちょだから、時々間違えて通話を切ってしまうことが何度かあって、藍香さんと話している最中にたまたま、ソレをやってしまって、物凄く泣かれてしまってからは、極力ハンズフリーで通話することに決めた。
「もしもし、藍香さん?」
『ごべんねぇ、ヒナあああぁぁ!』
リビングに藍香さんの泣き声が響き渡る。
びっくりした。
「うん、どうしたの? 急に」
『決まっちゃった……』
「えっと、何が」
ものすごく、落ち込んでいる。
もしかして、お酒飲んでるのかな?
『【レイヤ】の新曲PVにヒナが出ることに決まっちゃったのぉ……』
え? レイヤさんって、今TVに映ってるレイヤさん?
「え? え? ホントに?」
『うん、ホントよ……』
「だって、アレはお断りしたはずじゃ……」
そう、とても光栄な事だったのだけど、初対面だし、男性だし私の事だからきっと緊張して撮影の迷惑になる。
それに――。
『それが、どうやって調べたのか【レイヤ】ってガキはね? ワタシ達の『秘密』を知っているみたいなのよ』
「え――」
心臓が大きく跳ねた。ウソ、秘密がバレてる?
『ヒナ、ヒナ⁉ 大丈夫⁉』
「う、うん……でも、どうして」
「それはワタシにもわからない。けど、向こうが私たちの秘密を知っているとなれば――」
藍香さんが怒っているのが分かる。スマホ越しに歯が軋む音が響いていた。
「うん、わかった。確かに他の『ヒト』達にバレる訳にもいかないから、その仕事、受けるよ」
『でも……』
「大丈夫だよ! そのために特訓したんだから」
特訓。
私の感情を極限まで抑え込む特訓。
何かあるとすぐに泣いてしまう私。
泣いてしまうと『変化の術』が直ぐに解けてしまう。
これまで何度も『ヒト』に正体がバレてしまいそうになって、その度に、藍香さんや柿崎さんに迷惑を掛けてしまった。
だから私は特訓をした。
感情が表に出なくする特訓を。
おかげで仕事中に泣いたりすることはほとんどと言っていいほどなくなった。
たまにキャパシティーを超えちゃう時はあるけれど。
「そう、ヒナがそういうなら仕方ないわね」
「うん、頑張る!」
スマホ越しに藍香さんが悶えているのがわかる。
「えっと、撮影はいつになるのかな」
『明日よ』
ず、ずいぶん急だなー……。
大丈夫かな? 私。
Ⅲ
案の定、寝られなかった。
うう、太陽が眩しいよう。
いつも通りにセットした目覚まし時計から藍香さんのメッセージが聞こえてくる。
それを聞いて、軽くシャワーを浴びて、それから朝ごはん。
一人暮らしだとサボってしまいがちだけど、やっぱり力が出ないからしっかり食べなきゃ。
同業の娘たちは、スムージーでとかで済ませちゃう場合もあるみたい。
着替えをして、メイク台へ。
やっぱり、少し隅が出来てしまったみたいで、ソレをお化粧で誤魔化して身支度を整える。
今日は柿崎さんが車で迎えに来てくれることになっていた。入り時間は午前十時。
まだ八時になったばかりだから時間にも余裕はあるよね。
そう思って、ため息を吐く。
あと三十分ほどしたら柿崎さんが迎えに来るはずだからちょっと休憩。
二十畳以上あるリビングのソファーに腰かけて、ガラスのテーブルに突っ伏す。
ひんやりとしたテーブルは私の意識をそのまま眠りへと誘った。
それから三十分の仮眠をして、柿崎さんに起こされる。
柿崎さんに寝顔を見られてしまったのが、ちょっぴり恥ずかしい。
髪が少し乱れているからと言って、私の髪を梳いてくれた。
見かけによらず、というのは少し失礼かもしれないけれど、柿崎さんは驚くほど丁寧で繊細な手つきで私の髪を梳いて、可愛らしくアレンジまで。
私が感激してお礼を言うと、少し照れた貌をして頬を指で掻く。
その仕草がなんとなく可愛いい。
それから私たちは車に乗ってレイヤさんの所属事務所【スターダスト】へ到着。
楽屋での打ち合わせ。まだレイヤさんは到着していないみたいだった。衣装合わせとメイクとヘアアレンジ。曲のイメージに合わせて、衣装に着替える。ダメージシャツに黒いレザーのホットパンツ。レザーアウターの背中には髑髏のプリントがされていた。ちょっと過激すぎる気がするけど、仕方ない。チョーカーやブレスレットに至るまでパンク系で統一された衣装。着なれている部類だし、派手な色の髪にも合ってる。
「レイヤさん入られまーっす」
男の人の元気な声がスタジオに響く。私は緊張を押し殺してスイッチを入れる。『ヒナ』から『HINA』へ。
切り替えて。
「へぇ、キミがHINAね」
私よりも背の高い『ヒト』。
ビジュアル系の衣装。
黒い髪。
黒いシャツに黒いベスト、黒いタイトなボトムス。
アクセントカラーに赤色のネクタイ。
ク○ムハーツのサングラスで、赫い瞳が隠れているけど、この視線は――。
「ふーん、やっぱり騒がれてるだけあって、美人だね。良かったよ。やっぱりキミを推して正解だったな」
私を値踏みしているような視線だった。居心地が悪い。初対面の『ヒト』にあまり嫌な印象を覚えることは、あまり、ないのだけど――。この視線は、あんまり好きになれない。
けれど、ソレを貌には出さずに。
「ん」
と短く相槌を打つだけで。
「大丈夫だよ……そんなに緊張しないで、なんなら『素』に戻ったっていいんだよ?」
ひどく甘い囁きは耳元から。
吐息が掛かるくらいの距離。
スタジオの空気が氷ついているのがわかる。
待って。
ダメ。
驚いても、貌には出さない。
今の私は『HINA』なのだから。
例えこの『ヒト』が私の『秘密』だとか『ヒナ』の事を知っているとしても。
驚いては、ダメ。
「近い、離れて」
務めて、冷たく言う。
「ハハ、ゴメンね。そんなに怒らないでよ。オレ、女の子に冷たくされたことないからちょっとショックだなー」
軽く言って、おどけて見せた。
たぶん、本当。
きっと、この『ヒト』に迫られることを嫌う女の子はいない。
けれど私はこの『ヒト』を怖いと思った。
「撮影、始まるから、真面目にやって」
「はいはい」
軽く肩を竦めて、踵を返す。
スタジオに設置されたセットの中へ入って、所定の位置へ。
監督さんが、メガホンで私に指示をくれる。
革張りのソファーに寝そべるようにしてセクシーなポーズを取る。
恥ずかしいけど、我慢。
クールに。
私に向けられたカメラに射抜くような視線を送る。
求められているのは、クールでカッコいい女の子。
『HINA』にぴったり。
だから、今は気にしない。
レイヤさんが私の上に覆いかぶさって来たとしても。
気にしない。
気にしない。
気にしない。
顔が近い。
なんだか凄くイジワルそうな笑みを浮かべてる。
アレ?
こんな構図絵コンテにあったかな。
ううん、ない。
ちゃんと確認したはずだもの。
レイヤさんの綺麗な顏がどんどん近寄って来てる気がする。
え? え?
ウソ、待って。
お願いだから。
私はキャパシティーオーバーになって、じわりと込み上げてくる感情を必死に抑えて堪える。
「ストップです」
柿崎さんの声。
レイヤさんの両肩を持って、無理やりに引きはがす。
天井の照明が眩しい。
「困りますね。『こういう』事は」
柿崎さんが、低く冷たく言った。
監督さんやカメラマンさんたち、メイクさんやアシストさん、セットの外でさっき黄色い悲鳴を上げていた女の人たちが呆然としていた。
「カ、カット! カットカット! 困るよマネージャーさん! 勝手な事されちゃ」
柿崎さんはサングラスを外して、低い声で言った。
蟀谷のあたりに太い筋が浮かんでいる。
「それは此方も同じです。監督。こんなコンテは打ち合わせのお段階ではなかったはずです。それに――」
柿崎さんは一度言葉を区切って、凄みながら。
「あなた、今、ウチの大事な『商品』に何をしようとしましたか?」
ひっ、と小さく息を呑む『ヒト』たち。
宙に浮いたままのレイヤさんだけは飄々と笑みを浮かべて、謝罪の言葉を口にした。
「ごめん、ごめん、降ろしてくれる? ただほら現場の『空気』ってあるじゃないですか。こうした方が良いものを造れるって思ったんですよ。オレは」
床に降りて肩を払う。それからサングラスを外して柿崎さんを見上げる。
私と同じ『赫い瞳』。
「そうだとしても、承諾しかねます。以降、お気を付けくださいませレイヤ様」
「はいはいっと、監督、悪いけど、もっかいお願いします」
「あ、ああ」
場の空気が、少しずつ氷解して、レイヤさんが私に向かって優しい笑みを浮かべてくれた。
「ごねんね。HINAちゃん」
「別に――」
それから撮影は滞りなく進んだ。撮影を終えて、楽屋に戻るとレイヤさんが待ち構えていた。
さっきの事をもう一度謝りに来たみたい。
私は『HINA』のままそっけなく振る舞う。
「さっきは悪かったね」
「別に、気にしてない」
「ハハ、キッツいなー。ねぇ、どうしてそんなに『演じてる』わけ?」
「演じてなんか、ない」
カツカツと靴音を響かせて近づいて来る。私は壁を背に負ってしまって、そのまま追い詰められた。逃げ道はないみたい。サングラスを外して、私を見つめる。
間近で見ると、息を呑むくらいに綺麗な赫い瞳。
「ちょっとした『コネ』があってね? キミの『秘密』は知ってるんだよ。驚いたけどね。世間じゃ『クールビューティー』で通ってるキミが実はとても可愛らしい趣味の女の子だって」
「何の、こと」
私は恐怖心を覚えながら堪えて言う。
泣きそうになる。
「ホント可愛いよね……そんなにバレるのが嫌? そんなに『アイツ』に会いたいの?」
アイツ?
アイツって、誰の事だろう? まさか――。
「言ったでしょう? 知ってるって『ノブ』の事、探してるんだよね?」
「ノブ君を知ってるの⁉」
私はあっさり『HINA』から『ヒナ』に戻ってしまって、ハッとなった時にはもう遅くて。
レイヤさんがイジワルな貌で私を見る。
恥ずかしくて、顏は、たぶん真っ赤になっていると思う。
泣いてしまいそうになるのを堪えるのが、すごく大変だった。
「ああ、知ってるよ? だって、一緒に住んでるから」
「え……」
思わず、呆けてしまう。
だって、超売れっ子のレイヤさんと住んでるなんて、ノブ君とどういう関係なんだろう?
「アイツは高校上がる時にこっちへ移ってね。オレは所謂保護者代わりって感じ?」
「じゃ……やっぱり」
「そ、スターになるため頑張ってます」
目尻が熱くなっているのがわかる。
ダメなのに。
ああ、でも止められない。
ああ、嬉しい。
きっと変化の術も解けて、酷い貌になってる。
「家、来る?」
唐突にレイヤさんが言った。
「でも」
「ああ、オレ明日からツアーなんだ。とりあえず、週刊誌の記者連中は押さえておくから逢いに行きなよ」
「本当に、いいんですか?」
「うん」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
それから私に簡単な地図と住所を書いたメモをくれた。
レイヤさんが楽屋を出た後、私は、そっと胸の中でメモを握った。
Ⅳ
昨日の夜は、一睡も出来なかった。
だって、やっとノブ君に逢えるんだもん。
嬉しくて、でも、緊張して。
朝起きて、いつもより長めにシャワーを浴びて、朝ごはんを食べて、メイクできっちり隈を隠して。
それから服を選ぶ。
『トモダチ』なんだから、変に意識しなくたって。
でもやっぱり可愛い方が良いと思う。
うん、そうだよ。女の子なんだから、オシャレしたって可笑しくないもの。
結局、服選びに三時間くらい悩んだ。
撮影でもここまで悩むこともないのに。
鏡の前で、念入りにチェック。
黒いノースリーブのYシャツにビビットカラーレッドの細ネクタイ。
チェック柄のホットパンツにツートーンのハイソックス。
足が綺麗だねとよく葵ちゃんが褒めてくれるし、うん、いい感じ。
変装も忘れずに。
レザーのハンチング帽に髪をしまって、シャナルのサングラスを掛ける。
傍から見たら、ガールズバンドの女の子に見えるはず。
今日はオフ。
藍香さんがお詫びにって、久々に休みをくれた。
すごく、嬉しい。
でも、藍香さんの誘いを断っちゃった……。
変に思われたかな。
でも、ノブ君に逢いに行くって言ったら止められちゃうだろうし。
ごめんなさい。
レイヤさんがくれたメモを確認して、一先ず、駅へ向かう。
私の家から二駅ほどであるし、ちゃんと地図をみれば大丈夫。
と、思っていた時期が私にもありました。
迷ってしまいました。
どうしよう。
かれこれ二時間は迷っていると思う。芸能人の自宅だし、道行く人に尋ねる訳にもいかないよね。気がつけば午後3時過ぎ。少しお腹が空いてきちゃった。
そういえば、お昼食べてない。
ぐるぐるとお腹が鳴って、すれ違った人にクスクスと笑われてしまった。
うう、恥ずかしい。
とりあえず、駅に戻ってもう一度地図を見直そう。
それから駅に戻って、遅めの昼食を食べて、地図を確認して、やっぱり見つけられなくて、最終的に柿崎さんに車で迎えに来てもらうことにして、理由を話して目的のマンションまで連れて行ってもらうことにした。
もちろん、藍香さんには内緒。
駅の周辺はやっぱりたくさんの『ヒト』で賑わっていた。
柿崎さんから『あと数分で到着します』と連絡をもらって、指定の場所の反対側に居た私は急いで走った。
私のワガママに付き合ってもらうのに、待たせるのは失礼だもの。
ブーツで来たのは失敗だったかもしれない。
少し走りにくかった。
「きゃ」
誰かとぶつかったみたい。
私は勢いそのままに後ろに倒れ込んでしまったらしい。
お尻に鈍い痛みがあった。
私は、謝ろうと思って顏を上げた。
「え――」
私は自然と息を呑んでしまう。
だって――。
目の前に『ノブ君』が居たから。
サラサラの真っ白な髪の毛。
プラチナのくりっとした瞳。
背中には、ベースを背負っているみたい。
ダメージシャツに黒のレザージャケット。
ローライズのタイトジーンズ。
パッと見た印象では『ガールズバンド』のベーシスト。
両耳にたくさんピアスをしていた。
女の子みたいって言ったらまた怒られてしまうかも。
たぶんノブ君に間違い。
私より先に立ち上がって、手を差し伸べてくれた。
しばらくぼーっとノブ君を見つめていたらしくて、怪訝そうな貌をされてしまう。
「おい、大丈夫か」
「え、あ、はい……だ、大丈夫です。大丈夫……」
「悪かったな、ごめん、立てるか」
差し出された手を掴んで立ち上る。
私を見上げたノブ君(仮)がすごく落ち込んでいた。
え――。
私何かしちゃったかな。
「ホントに悪かったな。怪我してないか」
「う、うん」
カーッと顔が赤くなるのを自覚できた。
どうしよう! どうしよう! どうしよう!
逢えてうれしいけどなんて声を掛けたらいいのだろう。
そうだ! 名前!
私はノブ君(仮)の肩を掴んで声を――。
「あの、あの、あの、あのののの」
どどど、どうして、ちゃんと声が出ないの⁉
「ももももも、」
名前、名前を聞くの!
「なま、なま」
がんばれ! 私!
私が名前を聞けずにおろおろして居たら、急に手を牽かれて――。
「逃げるぞ」
と言って、走りだした。
え? え?
どうして。
私は訳もわからず、手を牽かれ走った。
ノブ君のペースに合わせて走るのは大変で何度も足が縺れそうになってしまう。
「おい、HINA……で合ってるよな?」
嬉しい! 覚えていてくれたんだ!
「はぁ? アンタみてぇな有名人知らない訳ねぇだろ? それより――」
え? 私の事、覚えてないの? 忘れちゃったの? ノブ君……。
私はショックで、泣きそうになってしまう。
それを必死で我慢した。
Ⅴ
あれからどのくらい時間が経ったのだろう。
よく覚えていない。
ふと我に返った時、私はトイレの個室に閉じこもっていた。
それからすぐにノブ君と再会したことを思い出して、嬉しかった半面、辛かった。
ノブ君は、私の事を忘れてしまったみたい……。
今まで我慢していたモノが一気に決壊して、私は泣きじゃくった。
声を殺して泣く。
きっと涙でメイクが取れてしまって、ひどい貌になっているんだろうな、と思いながらも涙は止まらない。今も、私の頬を熱い涙が伝ってる。
「ヒナ様」
ノックの音と共に、柿崎さんの声が聴こえて来た。
柿崎の顏を見て、泣いてしまった。
だって、サングラスをしてなくて、ボロボロになってしまっているスーツを着たから。
驚きと、ちょっと顔が怖かったのと、さっきまで泣いていたのとで心の中がごちゃごちゃになってしまって。
それから、しばらく柿崎さんの胸を借りて泣いた。
ひとしきり泣いて、角を引っ込める。
「ノブ君は?」
「それが――」
柿崎さんが少しバツの悪そうな貌をして、頬を指で掻いている。
困った時の柿崎さんの癖。
百聞は一見にしかずと言って、柿崎さんは私の手を牽く。
外はすっかり暗くなっていて、夜空に大きく月が浮かんでいた。
私は悲鳴を上げた。
ノブ君が仰向けになって倒れていたから。
倒れている場所が、大きく沈んで、蜘蛛の巣みたいに亀裂が広がっている。
まるで、隕石が落ちて来たみたいに。
「申し訳ありません手加減する余裕もなく……」
柿崎さんが申し訳なさそうに言った。
それから手当をするためにノブ君の家に向かった。おく
幸い歩いても行ける距離だったから、柿崎さんにノブ君を担いでもらって。
大きい所だとは予想してたけど、うちの事務所くらい大きいマンションで、エントランスには液晶付きのインターホンがあって、部屋のナンバーをプッシュするとその部屋に電話に繋がるようになってるみたい。
『はーい☆ どちら様ですかー?』
びっくり、した。
インターホンの液晶画面に映っていたのは、私と同い年くらいのメイド服を女の子。
固まっていた私を見かねて、柿崎さんが応答してくれた。
それからエントランスを通って、エレベーターで三〇階まで。
三〇一八号室の玄関まで、行ってまたインターホンのボタンをプッシュ。
「はいはーい☆」
とても明るい声の女の子が玄関の戸を開けてくれた。
メイド服姿の、カワイイ女の子。
ブロンドのボブヘアは毛先のあたりでふわっとなっていて、金色の綺麗でくりっとした瞳。
健康的な褐色の肌はすべすべで思わずほっぺたをぷにぷにしたくなってしまう。
フリフリのメイド服がとてもよく似合う。
「あれー☆ 誰かと思えば、HINAじゃないですか☆ それに柿崎さんも」
「お久しぶりです。猿喰さん」
「お久しぶりでーっす☆」
ズビシっと可愛く敬礼。
「えっと、お二人ともお知り合い……ですか?」
「はい、ヒナ様。こちらは猿喰金子さんです。【レイヤ】様のマネージャーをつとめておられます」
私は、慌ててお辞儀した。すっかり『HINA』で居ることを忘れてしまった私は、猿喰さんに笑われてしまう。
でもそっか……彼女さんとかじゃないんだ。
ハッ――。
私一体、何を考えているんだろう?
ノブ君に彼女が居たって、別にいいじゃない。
それから、猿喰さんが部屋に上がってと言ってくれたけれど、もう遅いし、ノブ君を寝たまま引き渡して、私達は駅まで歩いて帰った。
それから車で送ってもらって――。
電気を点けないで、ベッドへダイブ。
枕を抱きしめながら。
「うそつき、トモダチだって言ってくれたのに――」
プロットが尽きた