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ヒナ・プロ  作者: 鯉庵
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プロローグ

お久しぶりです



 夜の闇に、欠けることなく、蒼い月が浮かんでいる。月光を遮る雲はなく、小さき星々は、夜の主賓たる月を讃えて粛然と輝く。

 妖美で淡い灯りが照らすのは、黒い森――。

 闇にまぎれて、多くの獣たちが明けぬ夜を謳歌する。

 穏やかな夜とは裏腹に、一人の男と、一人の女が、手を繋ぎ、荒い息を洩らしながら夜の森を駆け抜けている。男の方は、二十歳前後であろうか。大そう優麗な顔をした青年である。けれど、一際眼を惹くのは、風に靡く銀色の長い髪と、ガラス細工の様な繊細で透き通った青い瞳。眼前に豁然(かつぜん)と広がる闇を睨み付けて、駆ける。けれども、最も注目すべきモノは、その額にあった。中央から天を()かんばかりに伸びた青い角。

それは、彼が人ならざる者の証しである。

 一方、手を牽かれ駆ける女は、年のころ十七、八。

 青年と違い、最早襤褸(ぼろ)(ぬの)を纏うに等しい程の身形である。けれど、それでも彼女は美しい。燃え盛る炎の如く、煌めく紅い髪に、彩度の高い赫色の瞳。

 白く澄み切った肌は雪のようで。

 彼女もまた、人ならざる者の証したる角を有していた。頭の両脇から生える紅い角は、片方が根元から折れてしまっていた。

 男と女は駆ける。身に纏う着物がみっともなく翻ろうとも構わない。速く、ただ、速く。少しでも先へ。

 細い枝を乱雑に払いのける。

「きゃ」

 小さな悲鳴が耳に届いた。瞬間――。

 振り返り様、繋いだ手が離れて女が倒れ込んだ。幸いと言うべきか、鬱蒼と伸びた草が少しばかり衝撃を吸収した。

「大丈夫か」

 男は、ひどく冷静に女に言った。

「ええ、はい。大丈夫です」

 女は柔らかく微笑んで、応えた。

 差し出された掌に手を伸ばしたその時、チャリ、と小さく音がした。それは、鎖の音。女の両手両足首に科せられた冷たい音だ。青年の瞳に陰が落ちる。憎々しげに歯を食い縛った。

「待っていろ。すぐにそんな鎖に縛られることのない世界へ連れて行く」

「――はい」

 短くそう応えて手を握りしめた。

「痛ッ」

 女の美しい貌が、微かに歪んだ。よく見れば、額に汗が滲んでいる。

「む、挫いてしまったか。すまない。私の判断が間違っていた」

「きゃ」

 高く、可愛らしい悲鳴が上がった。青年が女を抱きあげたのだ。青い瞳に女の顔が映っている。気のせいか、頬が上気している。

「はじめから、こうしてお前を抱き上げて走ればよかったのだ……すまない、その、照れていた。許せ」

「ふふ」

 女が可笑しそうに、口元に手をやって微笑んだ。青年の利発な貌が崩れて頬を(あか)くし、瞳を逸らした。

 遠くの方から甲高い笛の音が聴こえて来た。視線を其方へ向けると淡い橙色の灯りが、闇に点っているのがわかった。

「予測していたよりも、早いな」

 女が、青年の襟を掴んで固く握った。その拳が震えている。

――どうする?

――戦うか?

 己の実力を冷静に鑑みても、追っ手を全滅させることは容易い。だが、今は――。

 腕の中で震える女を見つめて、頬を撫でてやる。

「心配など無用。お前一人抱えて走るなど造作もない事。しかし、驚いた。少し軽すぎる。『向こう』へ行ったら、もっといい食事を毎日摂ろう。口に合うかはわからぬが、少なくとも、今よりは大分にマシであろう」

「――はい」

静かに言って力いっぱい青年を抱きしめた。



***



「まったく、相も変わらず(せい)(れん)兄さんは女の扱いが下手ね」

 静寂に包まれた砂浜に女の呆れた声が木霊する。ひどく妖艶な女であった。月に照らされて煌びやかに輝く銀色の髪。青年と同じ、ガラス細工のような青い瞳。右目尻に、小さなホクロが一つ。

中華(チャイナ)礼服(ドレス)と和装が、融合したかのような衣服には、オリエンタル調の豪奢な柄が施されている。

豊満で(たおやか)なボディラインが、礼服(ドレス)にくっきりと浮かんでいて、深く刻まれたスリットからは、白い太ももが露わになっていた。其処に佇むだけで、悉く息を呑むような、蠱惑的な女。その女が、紫色の唇に笑みを点して一言。

「はあい。私のかわいい(あや)()さん」

 そう、甘い声で囁く。それから――。

 朱姫と呼んだ女性の下顎を、軽く持ち上げて。

 そっと、唇を重ねる。

「うむ⁉」

 何が起こったのか、思考が追いつかぬまま、朱姫は目を丸くすることしか出来ずにいた。それは、恐らく恋仲であろう青年――青蓮も同じ。

 呆けた貌で、妹である女の暴挙を漫然と見つめている。

「ぐむ⁉」

 熱烈で、濃厚な接吻は未だ続いている。唇と唇の間で、蠢く舌が絡み合う。背中に回した腕が、流れるように降下してゆく。白い掌が、少し痩せた尻を這いまわる。優しく、時に激しく撫でまわしては、尻肉を鷲掴みして揉みしだく。

「ひんっ! 藍香ちゃん……やめっ」

 弱々しい抵抗は寧ろ、藍香を増長させるだけであった。

 かくん、と膝が落ちる。それでも藍香は止まらない。半ば抱き上げるようにして猛烈に、過激に唇を貪る。

「青蓮さまぁ……」

頬を紅くして、呼ぶ。

「はっ⁉」

 正気を取り戻した青蓮が瞬きを数度繰り返す。宙を漂っていた思考が覚醒し、眼前に広がる光景に沸々と怒りが込み上げ、気づけば妹の脳天に固い拳を振り下ろしていた。常人ならば、死に直結し兼ねない程の威力の拳。――けれど、彼女もまた、人ではない。その証したる蒼角が、額から天に向かって伸びている。

「我が妹ながら、油断も隙もない……なんという事だ。私も『未だに』していないというのに……」

 それを聞いて、脳天から足の先まで奔る鈍痛を忘れ、妖艶に嗤った。

「あら、やだ。ホント? それじゃ、今のって朱姫さんのファーストキス? 嬉しい。責任とるわ! 今すぐ結婚しましょう! 大丈夫。私も『向こう』へ行くわ。ウェデングドレスがいいわよね。ああ、考えただけで素敵。兄さん、悪いけど、駆け落ちは私がするわ」

青蓮の蟀谷にくっきりと血管が浮かんだ。そう、皮膚が盛り上がる程に。

「貴様、なにを莫迦なことを言うか。我が愚妹なれど、ここまで阿呆だとは思わなんだ」

「あら失礼な。私は本気よ。本気で朱姫さんを愛してる。兄さんこそ、もたもたしてるから奪われるのよ。いい? 女はね、常に愛を囁かれたいものよ。どうせ、兄さんのことだから【言わずとも理解しているだろう】とか考えてたんでしょう? 甘いわ。私なら四六時中愛してあげるわ……こうやって」

 朱姫の尻を軽く撫でた。

「ひんっ」

 小さく悲鳴を上げて、青蓮の背中に隠れた。袖を掴んで、やや上目遣いをしながら藍香を見つめる。

「――ごめんなさい。藍香ちゃん。私には青蓮様がいるから」

 言われて、青蓮の貌が目に見えて綻ぶ。

 どうだ、と言わんばかりの視線と共に、嗤って見せる。

「――くっ、悔しい! けど、すっごく、いいわ。その表情。あーん! 『向こう』へ行けば、カメラがあるのに! 口惜しい……しょうがないから、頭の中のフィルムに収めるとしましょう! だから朱姫さん! もっとその貌をよく見せて」

 だらしなく、涎を垂らして迫る藍香。美麗な貌が瞬く間に、蕩けてゆく。

 両手の指を百足のように、蠢かせて近づく姿に、朱姫はすっかり怯えていた。

――唐突に、笛の音が響いた。青蓮、藍香、朱姫の長い耳が動く。

「ちっ、時間切れみたいね……ホント、無粋な連中だわ」

「――藍香」

「わかってるわよ。この先に小舟を停泊させてある。二人とも早く行きなさい」

「すまない」

「兄さんにしてはやけに素直ね。まあ、いいわ。最後に朱姫さんとキスもできたし、思い残すことは、無いかな」

 紫色の唇にそっと笑みを点す。

「そんな、藍香ちゃんも一緒に……」

 朱姫の瞳が、濡れている。皮肉にもその瞳が、一層耀きを放っている。青蓮が無言で首を横へ振った。

「行こう」

 それだけ言って、朱姫を抱き上げて、砂を蹴った。

 数瞬で気配が、遠のいていく。

「――さて」

 藍香が、息を吐いて、振り返る。

 視線の先に、影の群れ。松明の炎が、闇の中で揺れていた。

――影の正体は、人の(かたち)をした異形の鬼。浅黒い肌に、鉄錆の如き、くすんだ赤い瞳。唐甲冑の上からでも見て取れる筋肉の凹凸。

 身長は、どれもが六十六寸(2メートル)を優に超えている。手に抜身の唐刀や身の丈ほどある巨大な槍。背には弓を負っている。

(あい)()様! 其処をお退き願いたい」

 藍香に穂先を突き立てた兵隊が、怒鳴り声を発する。それを皮切りにすべての穂先と鋒が、藍香に向けられた。

「うーん、数は思ったよりも少ないわね……舐められたものだわ。私も。直属の親衛隊に雑魚をいくら宛がっても無駄なのに……困ったものね。あのガキンチョにも」

 それは、決して虚勢ではない。純然たる事実である。例え、この場に百、いや、千の兵士が居たとしても、彼女に傷を負わせる可能性は万に一つないであろう。

――故に。

 嗤っている。

 冷酷に。

 残虐に。

 青い鬼が、嗤っていた。

 兵士の誰もが、その屈強な体躯を震わせている。額には汗の玉が大量に浮かんで、今にも膝から崩れ落ちそうである。

「お待ちください。藍香様」

 儼乎(げんこ)たる声が響いた。甲冑が奏でる乾いた音が、兵達を割って近づきつつあった。巌のような体躯。強靭なそれは、異形の中に在って尚、異質。別格であった。硬質な肌に刻まれた傷は、惨憺(さんたん)たる戦場を生き抜いた誉の証し。戦鬼に相応しい形相。

「金剛、貴様か」

 巨影が藍香を覆っている。

 藍香は、腰に帯びた刀の柄に手を掛ける。

 けれど、金剛と呼ばれし戦鬼は、彼女の予想に反して恭しく傅くだけであった。

「なんの真似だ」

 青い瞳が、冷徹に戦鬼を仰ぎ見た。

「無礼を承知で申し上げます。どうか、我が方にお戻り頂きたい。今ならまだ間に合います。道を開け、我々を青蓮様の許へ行かせてくださいませ。でなければ――」

 藍香が刀の柄を握った。

 鞘を這う白刃の音一つ――。

「――でなければ、何だ。金剛」

 瞬間、けたたましく音を立てて、戦鬼の額から赤色が迸る。

「ぐおお、おお……ッ」

 白い砂浜が、鮮血で赤く染まった。戦鬼は、低く唸りを上げて蹲る。額に刻まれた十字傷から止めどなく血が流れ落ちている。

「愚策だな。金剛。その実直さは賞賛に値するが、時にワタシの機嫌をひどく損ねる時があるのだ。私に対する情か、忠誠かは知らんが、敵を前に膝をつくなど、笑止。私と敵対した時点で貴様らは終わりだよ」

 鞘鳴りの音が響く。

 それから、紫色の唇に笑みを点して言った。

「まぁ、ワタシもお前のそういう可愛げのある所は好ましく思っている。だから、お前だけは生かしておこう。逃げるなり、あの『ガキ』に報告するなり、好きにするといい――だが、お前らは許さん」

 瞬き一つ、儘ならない。ほんの数瞬前まで確かに其処に居たはずなのに。その姿は何処にもなかった。ただ、白い砂塵が舞い上がっているだけで。

 悲鳴は、上がらなかった。

 けれど、鬼の兵隊達は躯と化している。頸から上が無くなっている者。手足が削がれ咽び泣く者。凄惨な光景に精神が耐えられず逃避する者。多様な絶望が跋扈する。

「これは、なんの仕打ちか」

 ぽつり、と金剛が呟いた。

「どうして、こんな『回りくどい』ことをなさるのか!」 

 瞬き一つで、事足りるはずだ。痛みも、苦しみも、嘆きも絶望も与えずに、死なせることが出来るはずで、あるのに。

 どうして――。

 どうして――。

 こんなにも、惨い地獄を見せつけるのか。

 血で赤く染まった視界が揺れている。

「――お前の所為さ」

 囁く声は、耳元から聴こえて来た。

「お前が、私の機嫌を損ねるから、可哀そうに、大事な部下があんなにも苦しそうに泣いている」

 さらに続ける。

「もしかしたら、お前一人の犠牲で済んだかもしれない。ワタシの目的は二人を逃がす事だったのだから、時間を稼げれば、それでよかった。私に傷は付けられずとも、時間稼ぎくらい付き合えるだろう? そうすれば、お前一人殺して、私は満足し、そのまま、二人を追って『向こう』へ行っていたかもしれない」

 沸々と。

 湧き上がるのは、怒りか、憎悪か。

 誰に。

 不甲斐ない己に?

 それとも、囁く青い鬼か。

 わからない。けれど――。

 気づけば、槍を振っていた。

 烈風の鈍い音が響く。銀の穂先が青い鬼を捉える事はなかった。が――。

 戦鬼金剛の纏う空気が変わった。

 傷口から止めどなく流れる血は、目尻に溜まり、やがて、頬を伝う。それは、涙にも似て。

「――らしく、なったじゃないか」

 青き修羅鬼が唇に笑みを点す。

 それから――。

 鞘を這う白刃の音一つ。

「――『あいつ』が来る前に片づけないとね」

 呟いた、その時。

『残念だったな――藍香』

 声は、どこからともなく、響いて来た。

「なッ――」

 胸の谷間から、鋭い刃が生えている。鋒から伝わるのは、鮮やかな紅色。唇の先から鮮血が漏れた。

「が――ッ! (そう)(あん)……兄ぃ」

 刀が引き抜かれると、勢いよく鮮血が舞い上がった。

 それから、背後に佇む男の頬を純白の外套を汚す。血濡れた指で眼鏡のズレを正す。

「ふむ。やはり、我が妹ながら注意力に欠けている。お前の残虐性は時に命取りになるぞ? 遊びが過ぎたな――」

 外套を翻して、踵を返す。

「あ、しまった。生かして連れて来いと命を受けていたな。まぁ、この程度では死なんか」

 血の池に沈み、小刻みに痙攣している藍香を見下ろして、淡々という。

「――待ちな、さいよ……がふっ……行かせない……わ……二人が『向こう』へ行くまで、は……」

 再び眼鏡のズレを正し、蒼庵が問う。

「なんだ、まだ諦めていないのか……? どうせ、『向こう』へ行こうが、長く持たんよ。特に――赤は」

 唇から息を洩らして、呆れた様子で言う蒼庵。対し、藍香は、刀の鋒を砂浜に突き立てて立ち上がる。胸元からは、今も紅い血が流れている。

「うるっさいわね。だからアンタはモテないのよ……正論で、感情無視して相手を黙らせて……あの二人はねぇ、それも承知で『向こう』へ行こうとしているのよ」

 蒼庵が鼻を鳴らして一言。

「不毛だな……」



***


 水面に、蒼い月が映っている。櫂が、大きな音を立てて、水面を叩く。波紋が広がって、月が揺れた。

 櫂を手にして、船を漕ぐのは、美しい銀髪にガラス細工の様な青い瞳の青年――、青蓮であった。対面して腰を下ろすのは、長く、紅い髪をした美しい女――、朱姫。彼女の貌は、憂いに満ちていた。長い睫が、赫眼に陰を落とす。

「心配か――?」

「はい」

「そうか。お前に心配されたのなら、アイツはきっと飛び跳ねるほどに、喜ぶであろうな」

 青蓮は、冗談交じりにそんなことを言った。けれど、やはり、彼女の貌は晴れることはない。

「『最期』だと、言っていました」

 閉ざれた唇が、やっと言葉を紡ぐ。

「あんな藍香ちゃん、初めて見ました……私に向かって、最期なんて藍香ちゃんは言ったりする娘じゃないのに……」

 何も言えず、青蓮はそっと朱姫の背に腕を回した。

「大丈夫、アレは簡単に死なんよ。親衛隊の隊長格は、皆等しく阿修羅の血を受け継いでいる。この私もそうであるように、易々と死んだりはしない」

 抱きしめる腕に、力が籠る。

「痛い――」

「す、すまない――」

「ふふ、冗談です。しばらくこうして居てくださいますか?」

「ああ、無論だ」



 Ⅱ


 其処は、王の間。壁一面が赤色で統一され、野太い柱が幾つも聳え立っている。金の龍が、柱に蜷局を巻いていた。対し、磨き上げられた床は、一点の曇りのない漆黒である。中央に敷かれた紅い絨毯は、王座へと連なる階にまで続いている。

 玉座の前には、簾が掛かり、其処に影が映っている。

 玉座に鎮座しているであろう小さな影が、愉快そうに嗤って言った。

「ふーん、やっぱり、出て行っちゃったんだ。あの二人」

「はい」

 階の前で、傅く鬼――金剛が、低い声で応えた。

 漆黒金縁の唐甲冑に身を包む戦鬼は、ひどく怯えていた。

「そんなに怯えなくたって、何もしないよー。元々君らじゃ、藍香ちゃんを止められると思ったわけじゃないしね。蒼庵が居れば、事足りるし、あ、でもごめんねー。蒼庵にボクの話し相手をさせていたら、助けに向かわせるのが遅れちゃった」

 悪びれもせず、言った。その声に在るのは、無邪気さだけで、罪悪感など、塵一つ感じてはいないのだろう。これが王たる者の言葉か。いいや、違う。しかし、この場に居やわせる者が王に異を唱えるなど、あってはならない。この者が王たる唯一の証しは、その圧倒的『力』。事実、この場に居る者どもは、この王に、命を握られているのだから。

「放せ! 放せと言っているだろう! 貴様ら、女は丁重に扱えと教わらなかったのか」

 鬼兵隊に両腕を拘束された藍香が、牙を剥き出して、喚いていた。

「黙れ、この裏切り者が!」

 膝の裏側に蹴りを見舞われて、藍香が膝を付く。頭を無理やりに押さえつけられて、頭の両脇には穂先が突き立てられている。

 藍香が視線だけを上に向けて、殺気を放つ。

――と、

 簾の幕が、ゆっくりと上ってゆく。

 絢爛(けんらん)豪華(ごうか)な造りの玉座に鎮座するのは、まだ幼い(わらべ)であった。

 黒――。

 混じりけのない、純粋な黒色。

 そんな印象。

 枝垂れた黒髪が、顔の半分を覆っている。襟足から伸びた黒い三つ編みが、肩から腰の間で微かに揺れていた。ぴんっと張った長い耳が、上下に動いる。額と、頭の両脇から黒々とした角が生えていて、男なのか、女なのか、わからない。身に纏う着物は煌びやかで、しかし、嫌味を感じさせない上物。

 頬杖を突いて、唇を横に伸ばし、嘲笑を浮かべている。

 傍らで控えている紅い髪をした侍女が、黄金の器を差し出した。文字通り山積みにされた果実の中から、紅い林檎を手に取って齧る。瑞々しい音が、王の間に響き渡る。

 林檎の心を侍女の掌に置いて、それから、再び嘲笑一つ。

「意外だなぁ、君の事だから手足の二三本は切り落として来ると思ったのに、やっぱり、実の妹にそんな事をするのは、忍びなかったのかな?」

 意地悪く言う。

 藍香の隣で傅く蒼庵が、静かに、平坦に言った。

「お望みとあらば、この場で切り落として見せましょう……しかし、どうせ斬ってもまた生えてくるのです。そんな事をしても、この場が汚れるだけでございますよ?」

「ジョーダンだよー。そんなに怒らないで、蒼庵」

「怒ってなど、おりませんよ」

「あ、そ」

 そっけない返答に、聊か不満を感じたのか、心底つまらない、という風にため息を漏らした。

「そうだった」

 徐に立ち上がって、階を降りてゆく。踵の音だけが響いていた。

 やがて、藍香の許で、腰を下ろし、銀髪を無遠慮に掴んで持ち上げる。

「ねぇ、藍香ちゃん。ボクね、面白い遊戯(ゲーム)を思いついたの」

「何――」

 怪訝そうな貌で、言った。

「確か、朱姫だっけ? あの()(れい)の名前」

「そうよ、まさか、何をするつもり⁉」

 藍香のあまりの狼狽ぶりに黒い悪童が、からからと嗤う。

「何もしないよ。放っておいても死ぬのだし、別にあの二人が結ばれるのは構わないよ……でもさ、二人の間に産まれてくる子供は、どうするんだろうね?」

 ぞくり、と背中を駆け巡る、悪寒、嫌悪。下顎が無様に震えて、かちかちと乾いた音が鳴る。

「キシシ、無様無様。蒼庵、見てごらんよ、彼女の貌。こりゃ傑作だ」

 ひどく、可笑しそうに。

 ひどく、愉快そうに。

 黒い鬼が、せせら嗤う。

「心配しなくたって、何もしないから。そう、『何も』しない」

 八重歯を覗かせ頬肉を釣り上げて、さらに嗤う。

「鬼がヒトの世に混じるとどうなるかは、ボクらのご先祖様がよおく、識ってるよね。だから『こんな場所』に今もいるのに」

 悪童は立ち上がり、天を仰いで語る。

「あの二人は、どうせ死ぬ。その後、その子供は、どうするの? 変化の術を覚えさせる? 無駄だよ。無駄。どうせすぐに、ボロが出る。 信じた仲間に秘密を打ち明ける? それも無駄だよね? その結果が『今』なんだから! どうしよう? どうする!? ああ、どうしようもない。怖い、寂しい、ずっと一人だ! ずっと、ずっと、ずっと! キシシシシ」

 無邪気で、残酷な嗤い声が木霊する。藍香は、握った拳を震わせながら唇を嚙む。

「だから――」

 漆黒の王は囁く。

「君が、其れを一番近くで見ててよ」

「え――」

 藍香は、王を仰ぎ見た。

「『向こう』へ行って来てよ。大丈夫、『楔』は解くよ? もちろん、生まれて来る子には何もしない」

「ほ、本当に?」

「うん、ホント」

 悪童は、無邪気に嗤って応えた。

「あ、でも、助けたりしたら駄目だよ? ま、精々ボクを楽しませておくれよ。『ココ』は、ひどく退屈だから……」

 ほんの、一瞬――。

 漆黒の王は寂しげに嗤った。



***



「よろしいのですか?」

「んー?」

 玉座に頬杖を突いて、気だるげに王が応える。

「退屈しのぎだよ、ただの」

 眼鏡のズレを正す。

「そうですか」

「なんだよ、何か問題あるの」

 不満げに、蒼庵を横目に見て言う。

「いいえ、何も」

「気になるなー。蒼庵がボクに物を言う時って、不満があるときだろう」

「そのような事は、決して」

 蒼庵は、それきり口を閉ざした。

「キシシ、今度はちゃんと『お友達』が出来るかな? 楽しみにしてるよ……泣き虫な赤鬼ちゃん


頑張ります

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