#006 地下三階
「いやーっ! ムカデ来ないでー! 」
俺の悲鳴が地下迷宮の通路に木霊する。
俺は無我夢中で大ムカデから逃げていた。
追いすがる大ムカデは六匹か七匹か……
モンスターを引き連れて逃げ回る事を”トレイン”と言うらしいが……
今まさに、俺はトレイン状態だ。
紛うことなきトレインだ。
そんな中、槍を手放さなかったのは奇跡に等しい。
何であいつらは俺を目の敵にしているのか?
誰か教えて!
……と言うか、誰か助けてー!
遡る事、この日の朝。
俺とロンは朝六時を知らせる鐘の音で起きた。
亜熱帯の気候だが、この時間帯は涼しく感じる。
俺達は側に畳んでいた衣服を身に纏い、槍を携え、背嚢を背負い部屋を後にした。
まず最初にする事は、外にある井戸での洗顔。
その後、食堂に向かう。
食堂は既に開いてたが、俺達以外の客はいなかった。
初めての一番乗りじゃないかな?
いつも通り大銅貨を一枚渡し、本日の朝食を渡された。
勿論、昨晩と同じメニューだ。
大量の豆、脂身と筋の多い味付焼き肉、ジャガイモ。
……果物と野菜が食べたい。
そう言えば、広場の露店では果物が売っていた。
今日、探索で稼ぎが良ければ買ってみよう。
俺とロンは特に味わう事も無く、急いで口の中に掻き込んだ。
ぬるい水を飲み干すと再び井戸の前に行く。
そして、背嚢から房楊枝を出した。
歯磨きだ。
食後、十分ほど空けて磨いた方がいいらしい。
広場の詰所の前に着くと、丁度後ろからレンが来たところだった。
レンは特に眠そうでは無かった。
夜遅くまでギルドで働いているらしいが、大丈夫なんだろうか?
目は赤いが、それは文字通り瞳が赤い。
白目が寝不足で充血している訳ではないので、心配する事はなさそうだが……
「ハル、ロンおはようございます」
レンが律儀に朝の挨拶をする。
俺とロンもそれに答えた。
ロンの尻尾が朝から元気よく振られている。
そして、直に階段を下りていく。
地下迷宮入口の魔法円に乗り、地下一階に転移する。
すぐさま灯りの魔法を行使し、暗闇を遠ざけた。
ここまでは手慣れた物だ。
魔法円の部屋を出て、地下二階に移動する部屋へと向かう。
途中、二匹の大ナメクジを屠った。
勿論、魔力結晶と証拠部位は回収した。
地下二階も同様だ。
三匹の大ヤスデと出会った。
最後の大ヤスデから魔力結晶を回収する際に、俺はレンに魔法の使用回数に関して問うてみた。
「レン、ランクアップした俺、火球の魔法、何回使える?」
「うーん、一概には言えないんですけど……五十回は余裕で使えますね」
そんなにか!
初日は十回、一昨日は十四回で眩暈を覚えていた。
それが一気に五十回だと……改めてランクアップの凄さを感じるな。
ロンは今、何回ぐらい使えるだろうか? 二十回ぐらいかな?
俺がそんな事を考えているとレンが、
「ロンは十八回は使えると思います。ここまでの実績からの類推ですが」
なる程、狩った魔物の種類と数で大凡の成長が分かるのか……ってゲームと変わらんな。
違いはHPが無くて、急所に入れば即死する事ぐらいか……蘇生魔法無いかな?
「死者、生き返る魔法、ある?」
俺がレンに問う。
その問いは首肯で返された。
「あると聞いたことがあります。ただ、時間が経過し過ぎたり、木端微塵にされた死体は無理らしいですよ」
あるのか! 流石は異世界! 病気を治す魔法もありそうだな。
それがあれば、乳幼児の死亡率も低いのではないだろうか。
「他には病気や麻痺、呪い、石化、魅了、睡眠、混乱、盲目を治す魔法があります」
それらもあるのか! ……ん? 治す魔法があると言う事はその状態にする魔法もあるのでは……
「当然、そうなってしまう魔法もあります。地下迷宮の魔物の中には使ってくるのもいますよ」
……まぁ、そうなるわな。
「……教えてくれてありがとう、レン」
「どういたしまして」
レンの満面の笑顔が怖い……なんでだろう?
地下三階に下りる魔法円のある部屋に着いた。
部屋の奥に二つの光が見える。
魔力結晶の光だ。
雷球と解毒の魔法は問題なく覚えられそうだな。
ロンも光が見えるようだ。
俺とロンは新たな魔法を覚え、魔法円に踏み入る。
白い光に一瞬包まれ、次の瞬間には地下三階に立っていた。
ここに来るまで、他の探索者には出会っていない。
これが吉と出るか、凶とでるか。
魔法円の部屋を出ると、三方に道が伸びていた。
扉を背に右、左、正面だ。
地下一階、二階と変わらない。
「ロン、匂いますか?」
レンがロンに魔物の存在を確認する。
「左側にいる」
ロンも着実に力を付けていると言う事なのだろう。
俺がランクアップして体力や体が頑丈になったと同様に、嗅覚が鋭くなったのだ。
出来れば大ムカデのいない所に向ってほしい。
……いくらなんでも本末転倒だな。
「いた! 左上、壁を這ってる」
ロンの言う場所を急いで確認する。
そこに奴はいた。
一メートルを超える大ムカデだ。
幅は二十センチ程あるだろうか。
体表は濃い緑色で頭だけ赤い。
まんま日本でよく見たムカデだ。
……やばい、ちょっと泣きそう。
そいつは俺達に気が付いたのか、速度を上げて向かってきた。
速い! 速すぎるよ!
すると、レンが俺とロンの前に颯爽と立つ。
レンは大ムカデが残り数メートルというところで雷球を飛ばした。
雷球は白く輝き、放電しながら大ムカデに向かう。
大ムカデに当たった雷球は一瞬更に眩く輝きを放った。
大ムカデは麻痺をしたのだろうか、その場で固まっている。
レンはその大ムカデに近づき、槍を頭に突き刺した。
そこが急所だからだ。
大ムカデは一瞬体を引き攣る様に少し動いた。
だが、それ以降は動かない。
どうやら完全に絶命したようだ。
それから、レンはいとも簡単に大ムカデの毒顎を切り取った。
何故ならば、そこが証拠部位だからだ。
それだけで無く、薬にもなるらしい。
ふと俺は思う。
病気を治す魔法があるのに薬いるのか? と。
……謎だ。
魔力結晶は大ヤスデと同じ場所、頭部にあった。
大ヤスデの物より心持大きい。
少しでも高く売れるだろうか。
俺とロンで大ムカデの死骸を刻み、火球を出し燃やした。
「動きは少し速いですが、大ヤスデと変わらないでしょう?」
レンはそう言うが、ロンは明らかに青い顔をしている。
俺は更に蒼白な顔をしているだろう。
今ですら、俺は歯が鳴らない様、必死に堪えている。
「次はハルがお願いします」
暫く行くと、その機会が訪れた。
距離は五メートル。
標的の大きさは一メートル弱か。
レンが倒した大ムカデよりは小さい。
俺は武者震いを我慢しながら、前に進み出た。
決して怖いわけじゃない!
脳裏に飛びかかって来たムカデの姿がよぎる。
……ちびりそうだ。
「雷球!」
必要も無いのに大声で叫びつつ、雷球を飛ばした。
雷球は勢いよく大ムカデの体に当たる。
良かったー。
外れてたら俺、泣いてたわ。
後ろからレンとロンの会話が聞こえてくる。
「魔法の名前を叫ぶと威力が上がるんですか?」
「それは無いよ……ほら、察してあげて……」
……聞こえているし、恥ずかしいし。
俺は聞こえぬふりをしつつ、大ムカデに近づく。
動けぬ大ムカデに槍を鋭く突きいれた。
「!」
硬い外皮? に覆われた大ムカデだったが、容易く頭を貫いた。
大ムカデの体から力が抜け、俺の体に魔力が入るのが分かる。
俺は人生で初めて大ムカデを倒した。
こんなに嬉しいことは無いよ。
「……ハル」
ロンの心配げな声に俺は感慨に浸る間も無く、証拠部位と魔力結晶を大ムカデの死骸から回収した。
大ムカデ、恐れるに足らず!
その後、ロンも初めての大ムカデを経験した。
ロンは最初、外皮に手こずっていた。
「硬い! 良く一撃で貫けたね」
ロンの尻尾が下にしょぼーんと垂れ下がっている。
俺はロンを励ますように言った。
「凄く、力を込めた。ロンも次、出来る」
「ありがとう!」
ロンは嬉しそうに俺に礼を言う。
尻尾も嬉しそうだ。
止せよ、照れるじゃないか。
しかし、ロンは可愛いなぁ。
子供の頃飼っていた柴犬を思い出す。
豆助……子犬の頃は可愛かったのになぁ。
地下三階に入ってから五時間は経過しただろうか?
俺とロンは互いに二十匹の大ムカデを退治した。
ロンはレンが言う様に雷球十八回で軽い眩暈を感じたそうだ。
あと数回は魔法を使えると言っていたが、大事を取ってレンが代りにしている。
それにしても、今は何時だろうか?
地下一階、二階を抜けるのに共に一時間は掛かっている。
それを考えると既に七時間は経過している。
今は大体昼の一時といったところか。
……まだまだいけるな。
ロンもその考えに同意した。
レンがロンの代りに魔法を出すと言ってくれたからだ。
俺達は通路の途中に扉を見つけた。
念のために、ロンの嗅覚を頼る。
大ムカデの色付きは願い下げだ。
「……大丈夫。一匹だと思う」
ロンの言葉に頷きレンが扉を開けた。
俺が素早く中に入り、魔物の場所を確認する。
そこにはロンのいう通り、一匹の大ムカデがいた。
だが、場所が悪かった。俺の真上だ。
そいつは俺の右後方に落ちた。
「まずいっ!」
槍を右側に構えていたので、素早く対処出来ない。
魔法も間に合わない……
大ムカデは素早く俺の側に這い寄ると、何のためらいも無く俺の太腿を噛んだ。
「痛っ!」
俺の脚から激痛が走る。
俺は慌てて槍の石突で大ムカデを強かに打ち付けた。
大ムカデは驚いたのか口を離し、俺と距離と取った。
その大ムカデに雷球が襲い掛かる。
レンが放ったのだろう。
刹那、俺の体を締め上げるような痛みが襲い掛かってきた。
胸が痛い……息苦しい……目が霞む……体の力が抜けていく……なんだこれ?
いや、分かっている。
これが大ムカデの毒の効果だろう。
元いた世界より遥かに強力な毒だ。
俺はこのまま死ぬのか……エミ、ごめん。約束、守れそうもない……
眩い光が俺の傍らで発生し、その光が俺を包んだ。
嘘の様に痛みが取れ、太腿の傷が癒える。
どうやらレンが助けてくれらしい。
「ハル! 大丈夫ですか? まだ苦しいですか?」
そのレンが随分と心配そうな顔を俺に向けている。
珍しく、相当焦っているようだ。
「大丈夫。ありがとう、レン」
俺は徐に立ち上がり、健在を誇示した。
だが……本当は少し目が霞む。
「良かった! レンも僕も本当に心配したよ」
ロンも心配してくれたようだ。
ロンにも感謝を。
それに、ロンは大ムカデを始末まで一人でしてくれた。
いつも思うのだが、ロンは本当に良い奴だ。
汚れ仕事も厭わずに、代りにしてくれる。
本当に頭が下がる思いだ。
「次から部屋に飛び込むのは十分に気を付けてからにしましょう」
俺とロンはレンの言葉に大きく頷いた。
それから異変が現れた。
どうも、大ムカデが俺にばかり向かってくる。
どう言う訳なのだろうか?
俺は心配になり、何度目かの休憩時にレンとロンに相談してみた。
「大ムカデ、俺、狙ってる?」
「ああ、やっぱり……」
「……気が付いてしまいましたか」
ロンもそう感じてたようだ。
レンは……確信犯かよ……
そのレンによると、大ムカデに噛まれた場合、大ムカデを引き寄せてしまう事が有ると言われている。
理由は、
「ハルの噛まれた部位から酷い臭いがする」
だそうだ。
大ムカデのフェロモンでもつけられたのだろうか?
そう考えていた直後、それは起こった。
「レン! この先に強い大ムカデがいる!」
ロンは匂いで相手の強さが分かる。
強い大ムカデ、つまりは色付きだろう。
俺達が通路の真ん中で待ち構えた。
ロンか指し示す先は十字路になっている。
その右から一匹の大ムカデが俺達の向かってくる。
だが、それは普通の大ムカデだった。
「あれ?」
ロンが首を捻っている。
そうこうしていると、左側の通路からも通常の大ムカデが向かってきた。
一匹目の大ムカデは雷球の届く範囲外だ。
もう少し引き付けてから雷球を放つ。
すると、正面奥の通路からもう一匹の大ムカデが現れた。
俺達の間に緊張が走る。
こいつが色付きなら万事休すだ。
しかし、そんな事はなかった。
最後の一匹も通常タイプだ。
ロンはこの三匹分の匂いを一匹と感じたのだろうか?
……そんな事は今はどうでもいい。
雷球を飛ばせるのは俺とレンだけだ。
一匹はどうしても同時に対処出来ない。
だが、距離はまだある。
冷静に一匹ずつに雷球を放てば余裕はあるだろう。
俺とレンは互いの対象を決め、大ムカデに対して手を翳した。
雷球の魔法を意識し、魔法円を浮かび上がらせる。
今だ! と思い、俺とレンは阿吽の呼吸で同時に雷球を放った。
その時、驚くことが起きた。
いや、俺が最も恐れていたことが起きたのだ。
最初に対峙した二匹の大ムカデは雷球が当たる前に体をバネの様にして飛びかかってきた。
勿論俺に向ってだ。
緩やかな放物線を描きながら、俺の腕に飛び込んでくる。
その顔を見ると大きな毒顎が、ガチガチと鳴らされていた。
大ムカデの顔は明らかに俺を見ている。
「ひぃっ!」
これは無理だった。
俺は大ムカデの気持ちを受け止める事が出来なかった。
俺は二人に背を向け、その場を駆け出した。
……そう、俺は恐怖のあまり逃げだしたのだ。
「スッ、スッ、ハッ、ハッ、スッ、スッ、ハッ、ハッ」
……かれこれ三十分ほど走り続けているだろうか?
俺は長距離走の呼吸法よろしく吸って、吸って、吐いて、吐いてと息をしながら逃げている。
大ムカデは大変しつこく、一向に諦める素振りは見せない。
それどころか、七匹に増えていた。
……一体どうしたらいいのでしょうか。
皆さんならきっと、最初の所で逃げ出したりはしないでしょうね?
そう、あそこが分岐点だったのです。
最早、戻る事の出来ない過去を尻目に俺は思いの丈を口にした。
「いやーっ! ムカデ来ないでー!」
兎に角、ヤバイ。
これ以上、大ムカデを増やすことは出来ない。
何処かで迎え撃つか、曲がり角ですれ違い様逃げるか。
逃げたとして、レンやロンと合流できる保証もない。
……レンなら俺の場所がわかるだろうか?
ベテラン探索者なら便利な魔法を知っているかもしれない。
だが、それも望み薄だ。
なら……どうする?
迎え撃つにも、俺の使える魔法は火球と雷球、水球、照明、回復、解毒。
照明、回復、解毒は大ムカデを迎え撃てる攻撃魔法ではない。
火球、雷球、水球はどちらかと言えば単体向けの魔法だ。
七匹を一度に相手に出来ない。
火球で大ムカデの動きを止められるか試したが、それは無かった。
残るはありがちな方法として、水と電気で感電させる事だが……水球一つで出せる水の量は高々洗面器一杯分だ。
レンが言っていた両手に魔法円を出せれば洗面器二杯分。
うーん、事前に水球を当ててからやる? と言うか、それが出来るなら雷球当てるか……そうするか。
俺は走りながら適当に雷球を放ち、少しずつ大ムカデをトレイン状態から引き剥がすことにする。
実行するのは目の前の角を曲がってからだ。
曲がり角なら大ムカデの走る経路もある程度予測できる。
俺はスピードを少し上げつつ、角を曲がる。
だが、その奥には俺の運命を弄ぶが如く、大きな扉が存在した。
俺は咄嗟に水球の魔法を放ち、曲がり角に水をまき散らす。
更に駄目元で右手の槍を離し、両手に水球の魔法をイメージする。
……出来なかった。両手とも出来なかった。
慌てた俺は左手から再度水球を放つ。
丁度そこに最初の一匹が曲がってきた。
……後は気合いだ。気合いで雷球を連続で出すしかない。
……水は……すっかり床下に染み込んでしまったようだ。
くっ、煉瓦造りだから?
なんで地下迷宮を防水処理されたコンクリートで作ってないんだよ!
こらーっ! 管理者出て来い!
などと阿保な事を言っている場合では無かった。
兎に角、雷球だ。
雷球! 雷球! 雷球! 雷球!
俺は可能な限り素早く雷球を放った。
目の前を眩い光と、火花が舞い散る。
大ムカデは初撃の雷球を受けて動きが止まった個体にぶつかり、転がり出す。
如何に大ムカデとはいえ、カーブでは遠心力が働くのだろうか?
ひょっとして、水に濡れた通路が滑りやすくなったのかもしれない。
俺は目の前で転がる大ムカデに対して、すかさず雷球を飛ばす。
次の大ムカデも同じように転がったのでそいつにも雷球を見舞う。
流石に五匹目はそれを避けて向かってきたが、冷静に雷球の餌食とした。
後二匹。
天井と右壁から現れたが、そこからだと飛びかかって来れないのかもしれない。
俺はそいつらにも冷静に雷球を放った。
すると、八匹目が……最初の一匹目に躓いてこけた。
そいつが腹を出して蠢いている所に雷球。
九匹目……どんだけトレインしてるんだ?
だが、今更一匹増えた所で変わらない。
雷球を撃ち、そいつを感電させる。
ついでとばかりに、既に動けなくなった奴等にも再度雷球を放った。
意外にも体が熱くなる。
如何やら、倒した個体がいたらしい。
どの個体だが、さっぱりわからん。
俺は急いで大ムカデの急所を貫く。
悠長な事をしていては、何時麻痺から抜け出すか分からない。
九匹目の大ムカデを倒した頃、レンからの声が届いた。
『ハル! 無事ですか?』
「えっ?」
以前レンが俺に対して行った思考転写の魔法だろうか?
驚く俺にレンが再び語り掛ける。
『普通に話して下さい。聞こえますから』
俺はレンの言葉に素直に応じた。
「俺は無事。大きな扉の前にいる」
『大きな扉ですか? あぁ、何となく分かります。暫くそこで待ってください。結界の魔法を忘れない様に』
えっ、それだけで分かるの? レン……恐るべし。
すぐさまレンの言う通り、俺は結界の魔法を曲がり角の先に放った。
この魔法の存在を言われるまで忘れていた。
確かに、有効だろう。
レン達を待つ間に、俺は大ムカデから魔力結晶と証拠部位を集めた。
これで本日の成果は三十二匹となる。
我ながら物凄い数だ。大ムカデは幾らで引き取ってくれるのだろうか?
一人大銅貨百枚ぐらいになると良いのだが……
それから三十分ほどしてレンとロンの姿が現れた。
レンもロンも酷く心配してくれたようだ。
ロンの喜びようはその体で体現している。
俺も会えて嬉しいよ、ロン。
それと、一人で逃げた事をレンに咎められた。
三匹程度ならレンにとっては造作もない相手だったようだ。
もっと、私を信じるようにと。
さて、俺達の目は目の前にある大きな扉に釘付けだ。
水を飲み、少しばかり携帯食を口に入れ休んだ俺達は互いの顔を見合わせる。
そして、ロンに再び確認して貰う。
ロンは匂いで相手の強さが分かるからだ。
「……強いです」
ロンの顔が青くなる。
今度こそ色付きだろうか?
そもそも、色付きは滅多に出ないという話だったが。
地下三階などは探索者が訪れる事は無いのだろうか?
ロンの眩暈も治り、雷球は使えそうとのことだ。
「色付き大ムカデだった場合、動きが完全に止まるまで雷球を当て続けます」
レンの作戦だ。
勿論、俺はその作戦に異議は無い。
寧ろ、近づきたくない。
やがて、レンが扉を勢いよく開けた。
中を覗くとそいつがいた。
黄色く輝く色付き大ムカデ。
体長は三メートル五十センチ前後。
幅は五十センチは有る。
実に禍々しい。
色付き大ムカデは俺に頭を向けると、飛びかかろうと体を縮めた。
そこをレンの雷球が襲う。
続いて、俺とロンの雷球が飛ぶ。
色付き大ムカデは三発の雷球を受け、動きが止まった。
ロンがすかさず雷球の射線を邪魔しない様に大ムカデに駆け寄る。
だが俺は、もう一発雷球を放った。
俺の雷球が当り、放電が終えた頃、ロンは色付き大ムカデに辿り着いた。
ロンは渾身の力を込めて大ムカデに槍を突きいれる。
それは色付き大ムカデであるにも関わらず、一撃で硬い頭部を貫いた。
俺の体を熱が襲う。ロンが倒したのだろう。
止めを差した者以外にも魔力継承が発生するようだ。
……本当に不思議だ。
どういう法則なのだろうか? 距離かな? 攻撃を加えて、且つ、近くにいると魔力継承の対象者になるのだろうか。
レンが色付きムカデの毒顎と魔力結晶を切り出し、俺とロンで身を切り刻んだ。
思いの外、硬い。
俺は体重を乗せながら、四苦八苦して色付き大ムカデを解体した。
最後はレンが二発の火球を同時に放ち、部屋を後にした。
「レン、魔法同時、教えて欲しい」
俺は同時に魔法を出そうとして失敗したことを話した。
レンは呆れ顔で俺に言う。
「練習もせずに出来る訳ありません。最初は交互に魔法円を出せるようにします」
最初は同じ魔法を右手、次に左手に出してみる。
徐々にその感覚を狭めていくらしい。
なる程。
何事もその技術を扱えるようになるには決められた練習方法があると言う事だ。
当然だな。
俺は明日、その練習をやろうと思う。
これが出来るようになれば、地下迷宮の探索に役に立つはずだ。
それに、魔法ギルド? で学ぶ最低限の条件だった。
確実に物にすべきだろう。
その後、二時間ほど大ムカデの駆除を続けた。
駆除した数は、色付き大ムカデが一匹。
通常の大ムカデが俺三十八匹、ロン三十二匹、レン八匹だ。
レンは最初の一匹と、俺を探す間に駆除したらしい。
七匹は魔法も使わず一撃だったとの事。
俺達は地下迷宮を出て、探索者ギルドに入った。
他の見習い探索者はまだの様で、比較的空いていた。
だが、熱気がこもっているのは変わらない。
レンは相変わらず閉じられた受付へと向かう。
受付に着き、暫く待つといつものエルフ女が受付を開けた。
大きな胸が受付台に所狭しと乗っている。
「あら、レン。今日はお早いのね」
「今日は朝早くから入っていたからね。これ、お願い」
レンが魔力結晶の入った革袋と毒顎の入った大きめの革袋を受付に乗せた。
続けて、魔力結晶を受付に並べる。
エルフ女の顔が引き攣る。
「……また……色付きですか……何をしたらそんなに色付きに出会うんですか?」
それは俺も知りたい。
色付きだけを狩れるなら俺は税金を心配しなくて済む。
だが、残念ながらそんな方法は知らない。
……多分、無いだろう。
完全に運だ。
もしくは、管理者に気に入れられ、特別サービスされたか……気に入れられる理由が無いな。
答えの出ない問いに、俺達は苦笑いで返した。
「……換金してきます」
エルフ女は大きな胸を受付台から下ろし、受付を後にした。
今回もまた時間が掛かっている。
色付きがあると仕方がないのだろう。
滅多に出ないとの事だから、鑑定に時間が掛かるのも道理だ。
エルフ女が漸く現れた。
手には当然革袋が握られている。
「今回の報酬は合計大銅貨百四十一枚になります」
えっ! 少ない! 大ナメクジや大ヤスデより明らかに危険な魔物だった。
これではほとんど同じ値段ではないか!
「内訳、知りたい」
俺は暑くなる心を表に出さず、冷静に質問した。
ふぅ、冷静になれ、俺。
その結果は、大ムカデ一匹大銅貨一枚。
色付き大ムカデ大銅貨六十枚との事。
えーっ! 大ナメクジと等価! あり得ない! おーい! 責任者出せー!
「ハル、見習い探索者期間は五階まで一律大銅貨一枚なんです……」
そんなー! ……でも、そう決まっているなら仕方ががないか。
他所からきて、食わして貰っている以上、声を張り上げる事は出来ない。
「分かりました」
俺の言葉に、エルフ女も安心したようだ。
だが、その分、胸を凝視してやる。
「んっ! んっ!」
レンが強く咳払いをした。
レンの顔を見ると、冷たい視線を向けられる。
……俺の女に変な目、向けるんじゃねーぞって事か?
むぅ、仕方ない。
俺達は一人大銅貨四十七枚ずつ受け取った。
この後、蒸し風呂に入り、夕飯を食う。
そうすると残金は……大銅貨九十一枚か。
そう言えば見習い期間が終わると簡易宿泊施設を追い出される。
そもそも、いつ終わるかも知らない。
その辺をレンに確認しておこう。
「レン、見習い探索者、いつまで?」
俺の問いに、レンがきょとんとする。
ロンの顔を見ても同じだ。
何故?
「えっと、知らなかったんですか? 第十層までですから、十一月二十日までです。第十層では泊まり込みになります」
おお! 卒業旅行かー、楽しみだな。
……と言う事では無く、その後の予定だ。
「その後、簡易宿泊施設、出なきゃいけない?」
「ああ、その事ですか。月末までは無料で利用できます。十二月からは新しく宿や、部屋を借りるのが普通ですね」
おお! 月末までは利用できるのか。
それは助かる。
だが、宿は朝夕食込みで一泊大銅貨七枚だ。
十二月だけでも二百十枚必要となる。
税金と合わせて……約大銅貨八百枚か。
眩暈がする……
「安い宿、ある?」
俺の問いに、レンやロンが意外そうな顔をした。
どうしたのだろうか?
「……ごめん。ハルはてっきり騎士団に入るのかと思ってた」
ロンがその理由を教えてくれた。
地下二階でランクアップした俺は、間違いなくトップだ。
その差は容易に縮まらない。
だが、俺には地下迷宮で元の世界に戻る為の魔法を探さなくてはならない。
人には言えない理由だ。
「俺、探索者、続ける」
「そうですか……記憶を取り戻す魔法を見つけたいんですね」
そう、それ! レンは本当に頼りになるな。
俺が阿保なだけか?
因みに、ロンはどうしたいのだろうか?
「ロンはどうする?」
俺の問いにロンははっきりと答えた。
「騎士団に入る。村に残してきた家族を養いたいから……」
そっか。ロンはこの世界に家族がいるんだな。
家族の為に戦う。
当たり前の事だ。
「……そろそろギルドカードを更新して貰いたいのですが」
あっ、エルフ女の存在を忘れてた。
俺とロンのギルドカードを差し出す。
俺の魔力結晶の色は変わらなかった。
続いてロンだ。
ひょっとしたら変わるんじゃないだろうか。
ロンが魔力結晶に手を添えた。
ギルドカードの魔力結晶の色が……変わった。黄色だ。
これでロンがこの世代の二位になったのではないだろうか?
騎士団に限りなく近づいたと思われる。
その後、探索者ギルドを出た俺とロンは、少し早いが蒸し風呂に入りに行った。
風呂上がりの不味い葡萄酒を飲む。
口直しに簡易宿泊施設で良く分からない酒を飲んだ。
それも不味かったが、ロンと飲む酒は楽しかった。