#018 不可能
迷宮都市クノスには遊郭が二か所ある。
一つは東大通りの中程から一キロ北上した界隈に、公認の娼館が並ぶ。
昔の日本で言う所の赤線だ。
もう一つはクノスの南西角地にある貧民街に非公認の娼館が並ぶ。
こちらは当然、青線だな。
因みに、公認とは娼館ギルドに加盟しているか否かで決まるらしい。
今回、俺とロンが連れていかれる遊郭は当然、公認の娼館が建ち並ぶ方だ。
クノスの遊郭は俺の想像と異なり、通りは落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
だが、遊郭の通りを歩く人影は多い。
老若男女を問わずだ。
それでも落ち着いているのは、このような所で通常は見受けられる酔っ払いや興奮した輩がいない為だろう。
それに、店の前に立つ客引き? は清潔で見栄えが良く、しっかりとした衣服を身に纏っていた。
彼らは決して自分から近づかず、見込み客からの問いにだけ答えているようだ。
俺が感心して周囲を見回しながら歩いていると、べべはその中でも奥に位置する、店構えの大きな娼館の前で歩みを止めた。
「ここが、花と若木の園、だ」
べべが娼館の名を告げる。実に分かり易い名前だ。
しかし、何故花園では駄目だったのか? 店に来る客が全て若い訳でもあるまい。
俺が首を捻ると、べべが勘違いして、
「どうした? この店では不満か? 騎士団でも評判の店だぞ?」
と言う。
「いえ、そう言う訳では。娼館の名前が気になりまして」
「名前が?」
べべが、娼館の名前のどこが可笑しいのか、とロンの顔を見る。
そのロンも、さっぱりわかりません、と言う体で返した。
どうやら、俺の感性の方が変らしい。
べべと俺達が店の入口に進むと、客引きが丁寧な挨拶をした。
それに対しべべが、
「今日は従士を連れて来た」
と言った。
今日は、ってどういう事だよ……
客引きが門を開き、俺達を中に通す。
すると、一人の淑女が迎えに現れた。
艶やかな金色の髪を長く垂らした美女だ。
凄い美人。
その美人が胸と腰を薄い布で辛うじて隠し、その上から絹の長衣を纏っていた。
近づくと、麝香のきつい香りが漂ってきた。
嗅覚の優れているロンを見ると、尻尾が大きく、だがゆったりと振られていた。
その淑女が
「いつも御贔屓にして頂き、ありがとうございます」
と、蕩けるような満面の笑みをべべに向ける。
満更でも無いのか、べべも微笑みを返した。……べべってそっち系の人?
「ご案内いたしますわ」
甘い声を俺達に掛け、俺達を先導する。
薄い絹の生地越しに魅力的な肢体が垣間見える。
臀部の形と、縦に入る筋が一歩歩くごとに表れては消え、消えては表れる。
……ぐむむ、目が離せない。
途中、幾つかの扉をくぐりながら、奥へと続く廊下を歩いた。
最後の扉なのだろう、体つきのしっかりとした、門衛と言っても過言では無い二人の男が行く手を阻む扉。
淑女が合図を送ると、その男達が仰々しく扉を開けた。
すると、その奥から嬌声が響き渡る。
俺達はそれに誘われるように、部屋の中へ足早に向かった。
その部屋、いや、大広間は舞台の様な小上がりが幾つかあり、その周囲には背の高い長椅子が置かれていた。
椅子の周囲は薄暗く、小上がりに淡い灯りが灯してある。
その灯りを身体に受け、美男美女が淫らに舞い踊っていた。
「こちらでお待ちください。直にご用意いたしますわ」
淑女はそう言って、去っていった。
俺はその後姿を目で追った。
薄暗いのが非常に残念だった。
「どうした、ハル。早く座れ」
べべの言葉に、俺は長椅子の端に腰を掛けた。
真ん中はべべが、反対端にロンが座っている。
何となくだが、こういう所では間を空けて座るんだろう。
間違いないはずだ。
その考えは直に裏付けられた。
俺達の間に、美男子と美女が座る。
俺の隣は先程の淑女が座った。
その隣から順にべべ、美男子、美女、ロンという並びだ。
連れ同士の視線を塞ぐ、完璧な配置。流石だな。
「従士様は初めてでしょうから、楽しみ方を聞いて頂きますわ」
淑女が俺の体に身を寄せ、囁く。
その手は背と胸に艶っぽく添えられた。
俺の鼻孔に香りが充満する。
話を聞きながら、申し訳程度に絹きれを巻いた美男美女、美男子美少女が酒樽や料理に果物が乗った大皿を目の前に並べるのを見る。
美少女……おい、おい、初潮きてるんだろうな。
すると淑女が、
「あら、小人族が宜しいのですか?」
と悲しげに問う。
「あぁ、小人族だったんですね。成年前の子供かと思いましたよ」
安堵した俺の言葉に淑女は曰くありげに微笑んだ。
……本当に小人族なんだろうな?
不審がっていた俺の手に酒の入った杯を渡される。
乾杯の挨拶はあるのかな? ……と思ってべべをさりげなく見ると既に飲んでいた。
飲むだけでなく、空いている手を美男子の胸に這わしている。
その目は悪戯っ子のようだ。
美男子が堪えているのを見て、満足そうな笑みを浮かべていた。
……べべって両方いける口?
ついでにロンの方にも目を向ける。
すると、澄まし顔をして座っている姿が見えた。
だが、残念な事に、座っているにも拘わらず、尻尾をせわしなく動かしている。
大興奮状態だ。
その尻尾をロンに付いた美女が愛おしく撫でていた。
すると、ロンの顔が一瞬蕩けては元に戻る。
また蕩けては澄まし顔に。
美女がそれを見て、より体を密着させていた。
俺はそれを見ながら、杯に口を付ける。
口の中に芳醇な香りと強い酒精が広がった。
鼻の穴から香りを出すと、それすらも惜しく感じる。
十分に味を堪能した液体を飲み込むと、喉と胃に心地良く焼ける感じが広がった。
「美味しい酒ですね」
「ええ、初めて来た方には特別にお出しする様にしてますの」
何十年も熟成されたブランデーだった。
この特別な酒は常連か相応の対価を払える客にしか出さない。
市場でも中々買えない代物との事であった。
俺は酒の為にもこの娼館に通っても良いと思わせる、
素晴らしい味わいだと感じた。
ブランデーの余韻に浸っていると、小上がりに数名の美しい女が並んだ。
何処からともなく、弦楽器の音が流れ出す。
その音色に合わせて、女が舞い踊り出した。
ゆったりとした動きの中で、自らの肢体を見せつける。
だが、肝心な所は見せない。
いや、一瞬一瞬は辛うじて見えているのかもしれない。
しかし、その辛うじて見えたかもしれない、偶然にもニップルやクラックが目に入ったかもしれない。
それ自体が醸し出す淡い色気が俺の心だけを掻きたてる……俺の心だけ、な。
すると、小上がりで待っていた一人の美女がロンの側に侍りだした。
どうやらロンは相手を決めた様だ。全く、ラナと言う婚約者がいながら不謹慎な。
と俺は自らの行いを顧みずに思った。
「お気に召しませんでしたか? 次はいかがでしょう?」
淑女が小上がりを小さく指差した。
小上がりには美麗な男……と、少年? ……が先程の美女達と同じ旋律で踊り始めた。
「これが若木か……」
と俺が独り言ちると、淑女が
「こちらでも食指が伸びませんの?」
と言う。
綺麗な顔が、些か困惑気味だ。
俺の気が進まないが、説明して方がよいだろう。
「……俺、訳あって不能なんです」
それを聞いた淑女の動きが固まる。
「……うふふ、従士様、冗談がお上手ですわ」
いやー、笑いを取りたくて言った訳では無いんだが。
そう考えている間に、淑女の手が俺のデリケートな部分を触っていた。
その手は長くて柔らかく、繊細な動きをして俺のを弄ぶ。
淑女がひとしきり行為を終えた後、
「殿方の方が……」
と言い始めたので、俺は
「いえ、女しか愛せませんから」
と全力で否定した。
「……困りましたわね」
と微笑みながら思案する淑女。
やおら何か思いついたのか、それを口にした。
「わたくしに任せて頂けないでしょうか? 必ずご満足頂ける美姫をお連れいたしますわ」
そう言われた俺は立ち上がり、ちらりとべべの方を見たらそこはもぬけの殻だった、淑女に伴われて階上にある一室に移った。
そこはホテルのスィートルームかと見まがうばかりの豪華な客室であった。
奥に天蓋が設けられた高級そうな寝台がある部屋があり、手前にはダイニングルーム兼リビングと思わしき構造の部屋があった。
俺は新婚旅行で行った、ミラノのホテルを思い出した。
あの部屋も特別に豪華であった。
しかも、ウェルカムフルーツとシャンパンが冷やされていた。
二人してジャグジーに浸かりながらそれを飲み干したっけ。
……良い思い出だ。
その部屋に一人取り残された俺。
仕方なく長椅子に腰掛け、杯にブランデーを注ぎ、何度か傾ける。
暫くすると、扉が開かれた。
そこには、一人の兎人族の女性が立っていた。
背は高く、胸は大きく、腰は細く、臀部は程よく、足は細過ぎず、かといって太過ぎず。何処となくドリスを連想させる。
「入って宜しいでしょうか?」
俺は透き通るような綺麗な声がした方へ顔を向けた。
その女性はひたすら美しかった。
青い目と光り輝く金色の髪。
大きく、知的な瞳。長い眉に整った鼻。
小さく美しい唇。まさに桜唇。
その唇を吸いたくなった俺は小さく頷いた。
俺の隣に座ったその女性は名をリリィと名乗った。
いい名だ。元いた世界では百合だったかな?
「お身体の事は伺っています。僭越ながら、私めにお任せ頂けますか?」
リリィがその名の通り、花のような笑顔を俺に向けた。
俺は只々その笑顔に見惚れる。
それを了と受け取ったリリィが俺の体に抱き付き、桜の花びらを俺の首に這わした。
それが徐々に下がっていく。
俺の鎖骨を伝い、腕や脇を通り過ぎていった。
胸を執拗に嬲る。
唇だけでなく、手を使い、俺の体のあらゆるところをリリィは弄った。
さらにそれは下がり、脇腹や臍を攻める。
いよいよ、俺の物か! と思った矢先、それは離れていった。
有ろうことか、内股にまで。何て遠くまで行ってしまったんだ!
俺は早く辿り着いて欲しく、身を捩った。
だが、リリィは歩みを早める事は無かった。
千里の道も一歩からとリリィが思ったかは知らない。
しかし、それ程果てしない遠さをリリィの桜は時間を掛けて俺の物の近くまで辿り着いた。
「ああ、いよいよ……」
と口に出して言ったかどうかは覚えていない。
そして、その直後、俺とリリィは共に敗れ去った。
かの皇帝が持つ辞書には書かれていない文字に。
……あっ、あっちは不可能か。
「……申し訳ありません」
リリィが涙混じり謝ってきた。
俺は首を横に振り、問題ないと、体の所為だからと、リリィは素晴らしかったと伝えた。
「ですが!」
とリリィはやや大きな声を出した。俺はそんな彼女を愛らしく思い、許されるか分からないが唇を重ねた。
リリィは慣れた様に舌を絡め、俺の体に身を預ける。
触れ合う肌と肌。
……俺とリリィはいつの間にか全裸になっていた。
俺はリリィの背と腰に腕を回した。
リリィは僅かに汗をかいていた。
徐にリリィを抱え上げた俺は、寝台へと向かう。
そっとリリィを寝台に下ろし、その上に覆いかぶさる俺。
俺はリリィが俺に対して行った事を、いや、これまでの経験で有効だった数々の手並みを披露した。
始めは優しく、時に激しく、一定の間隔で攻めるべき所は攻め、それ以外の所は緩急を織り交ぜて行く。
それに対してリリィは始めは声を小さく出していた。
やがて堪え切れずに、自ら煽情するかの様に声を立て始めた。
俺はそれに答える様に、リリィを飽きる事無く攻め続けた。
「宜しかったのですか? あのままならお代は掛からなかったと思うのですが」
リリィが俺の腕を枕代わりにしていた。
その為、柔らかい胸が俺の体に触れている。
時折耳や尻尾を撫でると体を震わせる。
敏感になっているようだ。
「抱けなくても、十分楽しんださ」
これはある意味で負け惜しみだ。
というか嘘だ。目の前にいる最高の女、そう、エミの次ぐらいに良い女を抱けないで満足するはずが無い。
だが、抱けなかった。
最後まで起きなかった、アレが。
事態はいよいよ深刻だ。
レンが掛けた魔法の後遺症とは言え、これ程とは思いもよらなかった。
「お優しいのですね。でも、今日は流石にこれ以上はできません。暫くここで休ませて下さい」
と、悪戯っぽく舌を少し覗かせて言う。
時間が長くなると娼館へ払うお代が高くなる気もするが、これを断っては男が廃る。
そう思った俺は、笑顔で、勿論だ、と答えた。
「そう言えば、従士様はこちらに初めて見えられたのですか?」
「いや、娼館そのものが初めてだ」
事のついでにこの店の事やリリィの身の上話を聞いてみた。
この店、花と若木の園、は高級娼館の一歩ないしは二歩手前に位置付けられている娼館だそうだ。
それ故、騎士団などの上客が多い。
高級娼婦または男娼も数名いるとの事。
リリィもその一人かと思ったがそうでは無い。
もしリリィがそうであるならば、予約をしなければ相手にして貰えないらしい。
高級娼婦は美しい事は勿論の事だが、血筋が良かったり、政治や芸術への知識が求められる存在との事だ。
娼館のオーナーは誰だか知らない。
だが、噂によると高貴なご夫人との事。高貴って、貴族とかそう言う人でしょ? クノスにはそれ程多くいないんじゃないの? 直に分かりそうなものだが……
リリィは親の借金のカタにここで働き始めたとの事だった。
親は鉱山で、子は娼館で国に借金を返済する為に働く。
不憫な話だ。
俺がそう思っていると、公認の店であるのでまだましとの事であった。
非公認の店の場合、店が売上を誤魔化して、借金返済が滞ることも良くあるらしい。
リリィはこの店で三年ほど働いている。
ただ、借金返済にはあと何年かは働か無くてはいけない。
早く店を出たいかと問うと、勿論と言う。
そう答えた時の瞳には憂いを湛えていた。
店の中では誰もが笑顔で、楽しく声を出してはいるが、決して本心からでは無いのだろう。
因みに借金を返す以外に身請けされる事で抜け出せる事も出来るらしい。
つまり、その人の伴侶もしくは愛人となる事だ。
店と言うよりも国? ここの場合は領主? に対しては返済する事となるので、法外な金額を吹っ掛けられることも無いらしい。
ただ、借金が巨額であった場合はその限りでは無いが。
気になった俺は、
「もしもだけど、リリィが受ける受けないは別にして、俺がリリィを身請けする場合は幾ら必要なの?」
とリリィを身請けする場合の金額を聞いてみた。
帰ってきた答えは俺の想像を超える、巨額の借金であった。
翌日、日が昇る前に俺は娼館を後にした。
従士が寝泊りする寮には門限など無いが、朝帰りを見られるのは不味い、そう考えた為だ。
自室にそっと入り、服を脱ぎ捨て、寝台へと潜り込む。
酷く冷たい。
ひと肌を感じていた数時間前の事を思い出し、思わず手の匂いを嗅いだ。
リリィの匂いがする。
……俺は変態か! と独り言ちりながら、眠りについた。