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ハルと異世界の地下迷宮  作者: ツマビラカズジ
最終章 帰る者、還れぬ者
158/169

#158 軽断

 火帝歴一九〇年六月一日

 

 鐘楼の鐘が午前九時を告げる。

 暑い日差しの下、俺は片手で小さな荷車を押していた。

 その荷車には幌が取り付けられ、中にいる者を日の光から守っている。

 だと言うのにその者は荷車の、触って怪我をせぬよう丸められた(へり)を掴んで立ち上がっていた。

 彼には景色が進み、人の行きかう姿が殊の外刺激的で楽しいらしい。

 

 今より数ヶ月前。

 

「先生、どうしたんですか、その赤子?」

 

「……偶然知り合った人が訳ありでな。涙ながらに預けたいと言うので渋々引き受けた」

 

「……先生はそういう子供がお好きなんですね」

 

「師にはそう言った輩を引き寄せるものがあるのですな」

 

 そう、出入りする剣士と魔導士から、なんちゃらホイホイと同列に俺自身が扱われたその少し前。

 

「それでは先程の方がその子の身の回りを?」

 

「あぁ、一室設け、住み込みで母親代わりをして貰っている。赤子といっても二歳近い。母乳でなくとも問題無く育つそうだ」

 

「いえ、そのような事は聞いておりませんよ。ただ……」

 

「師には失礼ですが随分とお歳を召された方だと思いました」

 

「……乳母のフィリスだ。ここで見た事、聞いた事は口外することも書き記す事も出来ない。安心して接してくれ」

 

 俺はクノスに居を移していた。

 ……時にドゥガルドよ、フィリスもお前にだけは歳の事を言われたくはないと思うぞ。

 お前もどう見ても、基人族でいう四十手前の中年男性に見えるのだからな。

 

 俺が対面に配置された長椅子に座る二人を見遣りつつ、話題が乳母に変わった事で胸を撫で下ろしていると、

 

「それよりも先生、この赤ん坊のお名前は?」

 

 まるで俺の心を読んだかの様にパーンが改めて問うた。

 

「……」

 

「おお、そうだ。私と同じ森人族(エルフ)ですからな。是非とも幼き同族の御尊名を……」

 

 ドゥガルドも赤子の名を重ねて問う。

 

「……」

 

 しかし俺は目を閉じ、考える振りをした。

 そして、

 

「あれ程クノスに移りたがらなかった俺がこの度こうしたのは、乳母が転移魔法を使えぬ為だ。転移魔法が使えなくては隠宅から買い出しを頼めないからな。それに、クノスであれば同年代の子供達も大勢いる」

 

 強引に話題を変えた。

 そう、俺は赤子の名を口にするのを厭われた。

 それを口にすれば、俺は自身の”負け”を認める様な気がしたからだ。

 改めて思う、何でこうなった……と。

 

「そうですか……では領主御子息、オネシファラス様の私生児であらせられるオネシ……」

 

「名前知ってんのかい!!」

 

「我が師よ、当たり前です。第一騎士団が崩壊する程の不祥事。我らが張った”網”に掛からぬ筈が御座いませぬ」

 

「ちっ! ならそう言う事だ! 乳母も赤子の身内だ。粗略に扱うなよ! 但し、特別扱いも不要だ! ここに居る間は普通の子として扱う!」

 

 俺は苛立たしく言い放つ。

 どう言う訳か不明だが、この時、俺は敗北感に打ちのめされていたからだ。

 ところが、俺がそう感じる原因は直ぐに判明した。

 

「ははぁ……実子として養育する。先生、そう言う事ですね?」

 

「然もありなん。家の中にいる普通の子とはそう言う事ですからな」

 

「……」

 

 俺の脳裏に、俺にとっては”絶望”と同義である”並行世界”と言う言葉がよぎった。

 俺はその単語を、可能性を忘れようと激しく(かぶり)を振る。

 そして、

 

「暫く屋敷の外に出る! お前達は茶でも飲んで待っていろ!」

 

 二人に対してあろう事か感情をぶちまけ、椅子を蹴って立ち上がった。

 少し頭を冷やそうとしたのだ。

 しかしその時、

 

「ばぁー、あっ? あっ?」

 

 拙い歩きで赤子が俺の足元に寄って来た。

 そして、(おもむろ)に両腕を上げて、お馴染の催促を始めた。

 

「……」

 

「うっ、うーっ!」

 

 俺が無言で見つめていると、更なる要請が続く。

 仕方なく俺が抱き上げると、

 

「きゃっきゃっ!」

 

 笑い声を上げて、もう離れないと言わんばかりに小さな体で抱きしめて来た。

 俺は赤子特有の香りを感じつつ、その小さな背中を優しく(さす)る。

 赤子はそれが嬉しかったのか、再び嬉しげな声をたてた。

 

「どちらに?」

 

 パーンが目尻を下げながら俺に聞く。

 一瞬、言葉に詰まるも、

 

「……忘れていたが日課である散歩の時間だった」

 

 俺は申し訳なさそうに答えた。

 この子は外出が殊の外好きなのだと。

 この赤子は(ようや)く待ちに待った時間が来たと思って喜んでいるのだと。

 この期待を裏切ると俺を待ち受けるのは、手の付けられぬ程全身を使って泣き叫び、暴れまわる赤ん坊。

 乳母に言わせれば、

 

「泣き止むまで放置しておけば良いのです」

 

 との事であったが、俺にはどうしても耐えられない。

 最期にはどうしても、抱いてあやす事になるのだ。

 甘やかし過ぎだと乳母に諭されるも、致し方のない事であった。

 それに、

 

「ドゥガルドが共にいた時期を思い出されますね」

 

「パーン殿、それは……」

 

 だからな。

 接し方は中々変えられないのだ。

 

 俺はドゥガルドに向けてニヤリと勝ち誇る。

 それから、

 

「では行って来る。フィリス、彼らに良く冷えたお茶等を出しておいて」

 

 左腕に赤子を抱き、右手で幌付きの乳母車を押して出掛けた。

 赤子は束の間、腕の中で飛び跳ね続けていた。

 

 

 

 俺は当時の事を思い出しつつ、乳母車に赤子を乗せ、クノスの街中を行く。

 その姿は特段珍しいものでは無く、(今日では)目立ってはいない。

 基人族が森人族の赤子を連れているのかと職務質問される事も(今日では)無い。

 それは種族柄、他人種と交配され易いからに他ならなかった(と思いたい)。

 それに、クノスの乾季は日差しが厳しい。

 故に、日除けの幌が愛らしい森人族の赤子を好奇の目から隠している所為でもあった。

 俺は時折、

 

「大五郎……」

 

 と赤子に呼び掛けるも、一度としてよい返事が返って来た試しがない。

 それはドゥガルドの時も同じ。

 赤子らしからぬ、冷たい眼差しを向けられたかと思うと、何事も無かったかの様にあらぬ方へと顔を背けるのであった。

 

「よし! 今日は東大通りの武器屋まで行くか!」

 

 俺が赤子のお気に入りの場所を口にすると、

 

「きゃっきゃっきゃっ!」

 

 と嬉しげに笑う。

 二歳近くにもなると、片言の言葉は理解しているのだ。

 

 暫くすると、目的の場所に辿り着いた。

 

「おはようございます! おやおや、今日はうちですか」

 

 武器屋の主が目を細め、楽しげに言う。

 早くもこの赤子は店主から贔屓の客と同列に扱われていた。

 

「今日も暑かったでしょう。赤ん坊に水をお持ちしますよ」

 

 店主は決して俺に飲み物を出したりはしない。

 何故ならば、俺は一度たりともこの店で買い物をした試しが無いからだ。

 彼にとっては赤子だけが大切な”客”であった。

 

「……主殿、今日は幅広の剣(ブロードソード)でも見せて貰おうかな?」

 

「またまたー。当店では貴方に使って頂ける様な品は御座いません。あれば私どもから話を持っていきますよ」

 

 これだから”人”は怖い。

 何もしていない、何も見せていないのに店主はこのように俺を扱う。

 そして、俺が何処に住んでいるかも既に知っているらしい。

 実に油断禁物であった。

 

「それよりも店番をお願いしても宜しいですか? 奥でこの子に水を飲ませて来ますから」

 

 これだから”人”は怖い。

 買わない者を客扱いしないどころか、暇人扱いする。

 尤も、実際に日課の散歩をするぐらい暇なのだ。

 日々、実に暇なのであった。

 

「ええ良いですよ。ついでにまた、おむつも変えて貰えますか?」

 

 俺も大概だがな。

 店主は慣れた手つきで替えのおむつ等が入った肩下げ袋を俺から受け取り、店の奥へと消えていった。

 

「さてさて……」

 

 俺は独り言ちる。

 それから側の壁に手を伸ばし、手慣れた仕草で店番用の前掛けをした。

 赤子に戯れる店主の代わりとして、客への応対をする為に。

 

 ……人に姿を見られぬ様、気を使っている筈なのに。

 何やってんだろうな、俺……

 

 その直後、

 

「そこの背の高い店員さん、ちょっと良いかしら? あそこの壁に掛けてある大槍を取って頂け……」

 

 女性客が店員である俺を呼びつける。

 俺は、何処かで聞いた事のある声だなぁ、と思いつつ振り返った。

 するとそこには、絶世の美女が目を見開いて佇んでいた。

 黒色の髪は短く、元の世界で言うピクシーカットを思い出させる。

 見開き、潤んだ瞳は大きく、深い知性と慈愛が同居して見えた。

 真っ直ぐな鼻筋、小さな顎。

 その間には程よい厚さと愛らしい唇が目立っていた。

 紅を付けていないと思われるのに、今すぐ吸い付きたくなる程、赤みが差しているのだ。

 

 俺の事を背が高いと言っていたが、彼女も明らかに高かった。

 身長百八十三センチの俺と比べると拳一つ分しか低くはないだろう。

 それに……瑞々しい肌。

 亜熱帯特有の蒸し暑さの所為か、汗ばんでいる。

 ゆったりとした衣服は胸の辺りで大きく盛り上がり、その下にあるものを隠せないでいた。

 

 束の間、見つめ合う俺と見目麗しい女性客。

 視界の端で、女性らしい、細く綺麗な手がきつく握りしめられていく。

 その刹那、女性の花のように美しい顔が満面に咲き誇ったかと思うと、左足を前に出した。

 驚いた事にその膝は勢いよく大きく沈み、女性が慌てた所為で体勢を大きく崩したのではないかと俺は考えた。

 しかし、俺の頭の中で警鐘が鳴る。

 俺の腕は無意識に脇腹を庇っていた。

 

 はっ! これはデンプシーロール!?

 

 その時、俺の脳裏にて鮮やかに蘇った記憶。

 それは愛する妻の鬼の様な顔と、この後に襲うであろう激痛であった。

 か、肝臓だけは堪忍して……

 

 だが、それは何時までも訪れはしなかった。

 何故ならば、

 

「あぁ! やっぱりハルだったのね!?」

 

 女が雪の様に白い頬を染め、潤んだ瞳から雫を零しながら、俺の首に抱き付いてきたからだ。

 俺は彼女の耳元でうわ言の様に彼女の名を繰り返し、柳の様に細い腰を抱き返した。

 気が付くと、俺の目からも、涙が止めどなく流れ落ちていた。

 

 互いの気持ちの落ち着きを待ち、顔を見合わせる程度に密着していた身体を離してから、

 

「エミ、どうして俺だと分かった?」

 

 と俺が問い掛けるも、

 

「待って、ハルこそ私がここにいる事にどうして驚かないの?」

 

 エミも疑問を返す。

 更には、

 

「レンは貴方がいる事を知らなかったわよ? あぁ、レンと言うのはあの時授かった貴方の子よ。男の子よ。若干十歳で奥義を会得した天才なの! それでね! あの子ね! 幼稚園の入園式でね! ……」

 

 俺が消えてからの十年間に起きた事を、まるで時系列を無視したかの様にまくし立て始めたのだ。

 その口から俺に伝えたかった出来事を一つ語り終える度に、瞳から涙を流す。

 彼女は何度も何度も手で拭いながら、俺の渡した布で拭きながらも、全てを言い終えようとしていた。

 まるで、俺がまた直ぐにでも消え去るのではないかと怯えているかの様に。

 俺はそんなエミの肩に優しく腕を回す。

 そして、

 

「エミ、落ち着いてくれ! 俺はもう消えたりしないから!」

 

 今一度強く抱きしめた。

 頬を寄せ合い、きつく抱きしめあった。

 エミは先程よりも激しく、我を忘れたかの様に、胸の内に秘めていた思いが堰を切って飛び出したかの様に、号泣を始めた。

 

 そこに、

 

「いやー、お待たせしました。お子さん、本当に人懐っこいですね。色白で目の中に入れても痛くないくらい愛らしいし。森人族(エルフ)のお母さんに似たのかな? ああ、おむつの交換もしておきまし……」

 

 空気を読めない、いや間の悪い店主が店の奥から現れ、俺に話し掛ける。

 その腕の中に、見るからに機嫌の良さそうな赤子を抱いて。

 店内で男女が抱き合う姿を目にして驚き、言い淀む。

 そして、機転を利かせたのか、

 

「あれ? 森人族(エルフ)のお客さんは? 赤ちゃん忘れてますよー……」

 

 などと、いもしない別人を探す振りをした。

 俺はそれを緊張した面持ちで見守る。

 エミは俺の背に腕を回したまま、周囲に素早く目を配るも、やがて不思議そうな顔をした。

 それもその筈。

 そもそも店に入って来た時分には、店内には店員の姿一つしか無かったのだ。

 その店員とは俺だったのだ。

 店主の腕に抱かれた赤子は、

 

「うーっ! うーっ! あっあっ!」

 

 嬉しそうに腕を大きく広げている。

 そのつぶらな瞳に俺の姿をとらえたまま。

 

「……ハル?」

 

 それは疑問形の衣を纏った確信。

 俺の背に回された細い腕が、俺の体の中で鈍い音を生み出しながら締め付けていく。

 俺は兎に角、誤解を解こうと、

 

「ぎゃああああ! ち、違うんだ! その子は知人から、た、たまたま預かった子で……」

 

 必死に弁明するも、

 

「何か月も前からほぼ毎日同じ時間に見えられるのに?」

 

 店主が余計な口を挟む。

 その直後、俺の体の芯から一際鈍い音を発したかと思うと、奥にいた店主が俺の目には逆さまに見えた。

 

 その後、エミの疑いが解くのに俺は小一時間も要した。

 

 

 

 俺達が屋敷に戻ると、そこにはパーンだけが残っていた。

 どうやらドゥガルドは、何らかの理由で先に帰ったようだ。

 

「お帰りなさい、先生。今朝は遅かったですね? あれ? どうされたんです、そのご婦人?」

 

 パーンが怪訝な顔をして俺と、俺と腕を組み、しな垂れ掛かっているエミに目を向ける。

 俺はその問いに対して、当たり障りの無い答えを返した。

 

「……偶然出会ったんだが……また訳ありでな。痛っ!?」

 

 刹那、俺の脇腹にめり込むエミの拳。

 その傷みの所為で、俺は抱いていた赤子を落としそうになる。

 

「だ、大丈夫ですか、先生?」

 

 さしものパーンも青ざめた。

 俺は強かに痛めた患部を摩りながら、

 

「わ、分かってる。ちゃんと説明する。え? ああ、大丈夫だ。俺の妻だ。痛っ!!」

 

 釈明を口にするも、

 

「ちゃんと説明しなさいよ! ……おほほ、この男の妻です。いつも主人がご迷惑をお掛けしていますわ」

 

 業を煮やしたエミが再び拳を振りぬき、それから何事も無かったかの様に頭を下げた。

 それから、自ら説明を始める。

 

「訳あって離れ離れとなっていたのですが、奇跡的にこうして再会する事が叶いました」

 

 その場が極めて重い空気に覆われたのは言うまでも無かった。

 赤子の無邪気な笑い声だけが場違いに響いている。

 

 

 

 その日の夜、俺はエミと共に長椅子の上で抱き合っていた。

 赤子は鐘楼の鐘が午後九時を告げる前に寝入っている。

 最近では一度眠りに就くと、午前六時までは決して目覚めたりはしない。

 尤も、時折悪夢にうなされたのか、夜中に泣き出す事も稀にある。

 そう言った時は乳母が対応してくれる。

 俺がする事は、赤子が風邪を引き、魔法で熱をさましてやるぐらいしか無かった。

 

「そう、未来ではそんな事があったのね……」

 

 俺は大層迷ったがエミに一部始終を話した。

 俺がこの世界に呼ばれてから、この世界の過去に飛ばされる迄を。

 多くの友や知己と出会い、別れた事を。

 今では何処にでもある良くある話の様にも思えたのだが、さめざめと泣くエミを見ていると、俺は考えを改めざるを得なかった。

 やがて、泣き止んだエミが核心を突く。

 

「でも、ハルがそんなに辛い顔をしているのは、ハルが数百年も独りで過ごしていたからなの?」

 

「いや、それなんだが……」

 

 俺は全てを告白した。

 最期の魔王と配下の者達との出来事を。

 パーンの事を。

 アンコの事を。

 ドゥガルドの事を。

 テノスの巫女コレットに召喚されたレンの事を。

 ”楽園創造魔法”と言う名の下で魔人族三十万人を文字通り黄泉路に送った事を。

 そして何よりも、夫婦同然の関係にあったアレクシスの事を……日々を……最後の別れ際を……

 

「エミ……俺は……」

 

「ハル……もう泣かないでハル……。私以外の女の事で……あぁ、ハル! それに何て辛い思いを……」

 

 意外な事にエミは怒らなかった。

 俺を忌避せず、嫌悪感を抱きもしなかった。

 それどころか、その豊かな胸の谷間に俺の顔を導いた。

 次第にエミがパジャマ代わりに着ている薄手の長衣が濡れそぼる。

 それも俺の流す涙で。

 彼女の事で流す涙はとうの昔に枯れ果てた筈なのにだ……

 

「あぁ、ハル! 何て可哀想なハル!」

 

 エミは俺の顔を再び強く抱きしめた。

 ひとしきり抱きしめた後、熱い口づけを俺に求めた。

 何度も何度も、何度も何度も俺の名を呼びながら求めた。

 俺の顔中にキスを施した。

 まるで熱病に掛かったかのように俺の名を口にしながら。

 

 

 

 寝台の中、俺の胸板に頬を擦り付けるエミ。

 彼女曰く、元の世界の俺のと比べ、遥かに心地良いらしい。

 涎にまみれている筈なのに、飽く事無く続けていた。

 そんな彼女に対し、俺は疑問を抱く。

 

「そう言えば、さっき話したんだが、エミがこの世界に呼びだされた直後、俺はエミに言語理解向上魔法(長期)を掛けた。それなのに、どうしてエミには性欲があるんだ?」

 

「……男性のEDは性欲があってもなるもの。それに女性版ED、つまりFSDは様々な症状が含まれているわ。潤わない、行為そのものに嫌悪感を抱く、オーガズムを感じない等ね。例を上げたら際限が無いのよ」

 

「……ふーん、つまり?」

 

 分かったような、分からない様な……

 

「思うに男性の場合は一点に特化し、女性の場合は広く浅く影響を及ぼしている。要するに女には影響が現れ辛いのではないかしら?」

 

「……」

 

 俺は返す言葉を失った。

 その事に少なくとも今の今まで、つい先程まで悩んでいたと言うのに。

 そもそも、エミは言語理解向上魔法の”永久”ではなく”長期”でも問題無く言語をこの短期間で習得している!

 あぁ! よくよく思い返せばレンもそうだった!

 何それ!? 俺だけが貧乏くじを引いたって事か!?

 

「うふふ、レンを恨んでは駄目よ? パパが浮気しない様に、あの子なりに考えたのだから」

 

 ……ま、まぁ、そうだな。

 親が他所の女と出来てる何て、反吐が出る思いをするだろうからな。

 って言うかしたのか? レン……本当にすまない。

 俺は良い父親では無かった様だ……

 と、今更ながら海より深く反省してみる。

 

「あぁ! でもハルのこの逞しい体いいわ! 元の世界のハルもニヒルな美男子だったけど、こっちのハルも良いわね!」

 

 エミのその言葉に、俺は先程の、出会った時の疑問を口にした。

 

「そう言えばエミ、どうして俺だと直ぐに分かった?」

 

「うーん、強いて言うならば”匂い”かしら? 思えばこの世界に現れた直後もハルの”匂い”がしたもの」

 

 匂い!? 俺は今更ながら自身の体を確かめる。

 だが、いくら嗅げども、嗅ぎ慣れた営みの香りしかしなかった。

 すると、頬を染め上げ、口を窄めるエミ。

 彼女は何やら恥ずかしがり、

 

「馬鹿ね! いくら夫婦とはいっても久しぶりなのよ? やっていい事と悪い事があるわ……」

 

 俯き、顔を隠した。

 その愛らしさは、紛う事無く、同衾する際のエミであった。

 俺は恥ずかしがるエミを抱き起す。

 そして、何かを言おうとする唇を熱く塞いだ。

 

 束の間、”タイムパラドックス”の文字が頭をよぎるも、この時ばかりは、甘えて喉を鳴らすエミを前にした今は、俺はその事を深く考える事が出来なかった。

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