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ハルと異世界の地下迷宮  作者: ツマビラカズジ
最終章 帰る者、還れぬ者
157/169

#157 愛する者の為に下す

 火帝歴一八九年一二月五日

 

 レンがクノス地下迷宮の新たな管理者と成り、百年に及ぶ眠りから目覚めてから、早二十年が経とうとしていた。

 その日以来、クノスの周辺では魔物と出会う機会が増加の一途を辿っている。

 その為、時の領主は怯え、自らの務めを放棄し、帝都テノスへ救援を要請するとの理由を付け、身一つで逃げ出す有様であった。

 

 当然の事ながら、クノス領内は荒れた。

 騎士団や”城”に務める者達は主の不在を好都合とばかりに私利私欲に走った。

 クノスの街は汚れ、次第に活気を失い、女子供が外で遊べぬ程に治安は乱れた。

 それは街の外にも波及する。

 街道は寂れ、魔物を狩るべき騎士の姿とすれ違うのは稀となる一方、昼日中の街道ですら魔物が跋扈しだした。

 その為、食糧や物資が高騰し、人そのものの流れが滞り、それが更にクノスの街を乱す原因となる。

 正に悪循環。

 この状況を劇的に変えるには、たった一つの手立てしか存在し得ない……

 それには悲しくも辛い決断を下す必要があった。

 

 

 

「……パーン、レンはまだ決断を渋っているのか?」

 

「はい、他の者でも問題ない筈だと。力が有りさえすれば誰にでも担える筈だと頑なに申しているそうです」

 

「……そうか」

 

 それは……全くその通りなのだ。

 探索者ギルドによって”黒”と認められる力量があれば、誰にでも全うする事が出来る。

 ただ、その高みに至るには何度も死を意識せざるを得ない。

 いや、何十とな。

 それに……並の者ではその過程で魂が潰えてしまう。

 蘇生が行き届かなくなってしまうのだ。

 木端微塵と成る機会など、クノスの地下迷宮では幾らでもあるのだから。

 故に、俺達の様な”ホムンクルス”が”黒”と成る。

 事前に処置さえしておけば、幾らでも拾える命なのだから。

 

「……パーンにそれと無く伝えてくれ。このままでは未来永劫一人きりだぞ、と。ホムンクルスでなければ、同じ時を刻めない」

 

 俺は苦い思いをしつつ、伝え聞くであろうレンに対して酷な事を口にした。

 それはレンにとっては選びたくとも選べない代物。

 自らの暗い未来を、自身の家族にも押し付けることを意味するのだから。

 

「はい……」

 

 パーンもまた重い声を返した。

 彼もまた、自身に課された重い任を憂いている様にも俺は感じた。

 

 

 

 火帝歴一九〇年一月一日

 

 この日、クノス地下迷宮の最下層にはそうそうたる面々が揃った。

 レンが遂に折れ、管理者としての権能を使う事に同意したからだ。

 それこそが”勇者召喚魔法”もとい”近親召喚魔法”。

 巫女コレットに乞われ、俺自身がレンをこの世界に呼び寄せた魔法であった。

 俺はそれを幾つかの魔法と合わせて、”管理者”がその身に宿さなくとも行使出来る様に仕組んでいた。

 何故ならば、習得するには現在のレンですら力が届いていないからだ。

 それは遥か未来に、家族三人で訪れた天空の城ミノスにおいても証明されていた事だった。

 

 同じか……

 俺は独り言ちる。

 最下層で俺が目にしたのは、最愛の妻であるエミが管理者となり、階層を造り替えた際と同じ光景であった。

 要するに、俺とエミが生まれ、育った街並みが広がっていたのだ。

 若干俺の見知った物と違うがな。

 それは俺が消えてから経た十年という、元の世界における月日を物語っていた。

 

 そして……レンが佇んでいたのは小学校の体育館の裏。

 そこが彼にとって何よりも思い入れの強い場所であるらしい。

 レンはそこで水晶の中に囚われていた。

 

 ……好きな子に告白したとか? されたとか?

 

 だが、そんな事はどうでもよ……くは無いか。

 巫女コレットの件もある。

 何れ元の世界に戻るのだ。

 不倫……と言うか、浮気……と言うか、兎に角、二股交際は良くない!

 

 ……まぁ、エミに言わせればどの口が言うのか! と怒られそうだがな。

 

 さて。

 話を元に戻すと、俺()はレンの周りに集まっていた。

 総勢四名。

 一人は吸血鬼ユリアン。

 レンとは尤も長きに渡り、知己を深めた間柄であった。

 もう一人は山羊人族の剣聖パーン。

 巫女コレットの命により、ここクノスに赴任している扱いだ。

 彼にはクノスの騎士団を鍛え直す事を求められている。

 要するに武技武術の指南役としてだな。

 その二人の間に立ち、最もレンの側に近づいているのが巫女コレットだ。

 美しく育った彼女は今にも水晶ごとレンを抱擁せんと身構えるも、それを辛うじて堪えていた。

 そして、無論最後の一人は”俺”であった。

 但し、その場に立って姿を現している訳では無い。

 ともすれば、レンに攻撃されるかも知れないからな。

 黒魔導士が、いや魔王が復活したと勘違いされて。

 故に、俺は深き闇の中で事の成り行きを見守っていた。

 

 『皆さん、わざわざご足労ありがとうございます。これから僕はかの忌まわしい魔法を行使します。知っての通り、それは”近親召喚魔法”。何故か、迷宮の管理者である僕に与えられた”特別な力”の一つです』

 

 レンの発する言葉の端々に彼がこの日まで抱えていた悩みの深さが現れていた。

 それでも、彼は決断した。

 ここクノスを、いや礎となった帝国を支えんが為に、かの魔法を使う事を。

 それは自らそうされ、怒り狂った所業を自身で執り行う事を意味していた。

 ”誘拐”、”拉致”。

 それも世界を跨いでの……

 

 酷い話だ。

 被害者であり、自らの望みの為にそれを実行した、加害者たる俺が言うのも何だがな……

 

 俺が一人黙考していると、眩い光が現れたのを感じた。

 それは都合六つの巨大な、且つ複雑な魔法円、

 

 『”近親召喚魔法”!』

 

 であった。

 異世界とこの世界を繋ぎ、

 術者の血に基づき対象を狭め、

 虚無に捕らえ、

 魂を抜き出し、

 新たな器を創り、

 魂をそれに注ぐ。

 

 ふっ、実に馬鹿馬鹿しい魔法だ……

 この世界に縁も所縁(ゆかり)もない俺達家族三人が犠牲になるのだからな。

 そもそも、これは術者が異世界人である事を想定しているのか?

 それとも、異世界に旅立った縁者を連れ戻す為の魔法だったのか?

 いや……

 

 今更ながら尽きる事の無い疑問が俺を襲う。

 それを他所に、四つの魔法円が消え、残された二つの魔法円が光の筒を形作った。

 やがて、その光が弾け飛んだかと思うと、

 

 『お、お母さん!?』

 

 全裸の、若々しいエミがその場に(うずくま)っていた。

 

「この方が、レンの? お、お義母さ……」

 

 巫女コレット最初に動き出し、何処からか取りだしたマントをエミに掛けようと近づいた瞬間、

 

「……時よ理から離れ、我のみを見つめよ」

 

 俺は世界の時を止める。

 そして、パーンの影の中に創り出した”空間”からゆっくりと這い出た。

 

 先程まで、俯瞰視魔法で見ていたのとは異なり、見渡す限りモノクロの世界が俺の視界に広がる。

 それは俺が”時の止まった中”にいる証拠であった。

 

 俺と言う夫を奪われ、続いて我が子レンをも魔法円に奪われたエミ。

 為す術も無く、目の前で消え行く俺やレンを見届けるしか無く、彼女は如何程の苦しみをその内に抱えたのだろうか?

 俺にはその苦しみが……分かる。

 ……する者を目の前で失うのは何よりも辛いのだ。

 それもエミにとっては都合二回。

 俺は今すぐエミを抱き起し、俺が無事であると伝えたい、彼女の心を救いたい衝動に駆られた。

 頬を摺り寄せ、口付けを幾度も交わしたかった。

 抱き合いたかった。

 しかし……それをやってしまえば……

 

「全てが水泡に帰す……」

 

 やも知れなかった。

 歴史の改変は俺そのものを消し、ひいてはこれまで払った全ての犠牲を無駄にする事に繋がりかねない。

 それだけは、許容出来なかった。

 俺の手は……する者の肌と、血の温もりをまだ覚えているのだから……

 

「だから、エミ。今俺が……エミに、最愛の妻にしてやれることは……これだけだ……。すまない……」

 

 エミの傍らに寄り、彼女の頭を優しく撫でた。

 体をそっと抱き、彼女の温もりを感じた。

 

 何時までもそうし続けたい思いを俺は断ち切り、立ち上がり、彼女の身体に向けて手を翳す。

 

 数百年我慢したのだ。

 後少し、もう少しで……

 

 そして、無数の魔法円を中空に描いた。

 一つは”言語理解向上魔法(長期)”。

 言葉の理解を早め、記述された物を目にすれば忘れる事が無くなると言う、正に俺達の為に造られたかのような魔法であった。

 エミに対してそれらを含めた”加護”を発動しようとした瞬間、

 

「ん?」

 

 俺は何かが動いた気配を、誰かの視線を僅かに感じた。

 しかし、それは有り得ない事だった。

 時を止められた空間内では、その術者しか動ける者はいないのだから。

 

 俺はすぐさまその事を忘れ、エミの身体に先の魔法を刻み、その場を後にした。

 自らの目的を果たしたが故に。

 この世界に降り立ったばかりのエミを一目見れたが故に。

 

 ……相変わらず誰よりも美しかったな。

 

 無論、危険はあった。

 名だたる強者が揃っているのだ。

 それだけで無く、レンが”管理者”を務めていたのだ。

 だが……俺は無事やり遂げた。

 だからこそ、俺は万感の思いを込めて、

 

「時よ、あるがままに……」

 

 時計の針を元に戻した。

 

 

 

 火帝歴一九〇年二月一日

 

 木々が生い茂る森の中。

 廃墟と思わしき建物が一つ、あった。

 巨大な石柱が幾つも使われたそれは、まるで鳥籠の様にも見える。

 柱の間には石が積み上げられ、立派な壁を形作っていた。

 そう、それこそが俺がおよそ五百年前に設けた”隠宅”。

 その中に、俺を含めた三名の男が集まっていた。

 内一人は、俺より背が高く、長い髪を無造作に垂らした森人族(エルフ)の男であった。

 

「エリザベスと申す者が私の下に新たに配属されました。その者、驚く事に……」

 

「莫大な魔力を保有していたんだろう、ドゥガルド?」

 

「はい、ご存知でしたか……」

 

「……まあな。注視しつつ、その者には他の者を余り近づけさせるな。特に男は厳禁だ!」

 

「はっ、はぁ? 承りました……」

 

「で、次はパーン。お前の方はどうか?」

 

「”城内”の雰囲気は芳しくありません。今にも反乱が起きそうですね」

 

「……そうか。何とかならんものか?」

 

「どうでしょう? 現領主は帝都に逃げ、その御子息は幼いが故に力不足。騎士達は愛想をつかしております。最早なる様にしかならないと思われますが」

 

 おいおいおい。

 それではまるで、すぐにでも反乱が起きそうじゃないか!

 いやいやいや。

 困る、それだと俺が非常に困る。

 少なくとも俺がいた未来では無事に領主権が子息に継承されていたのだから。

 

「師よ、命じて頂ければ反乱分子を人知れず処分いたしますが……」

 

「それは駄目だ! 実際に反乱が起きてからでは遅いが、反乱を起こしそうだと言って人を殺めるのは絶対に許さん!」

 

 何故ならば、俺のいた未来にどのような影響を及ぼすか分からないからだ。

 こんな事になると知っていたら、”死没年歴”を読んで来たのにな。

 あれならば、誰がいつ、どのようにして死んだのか、領民の死亡履歴を(つぶさ)に記していた筈だ。

 

「分かりました。では、その者らの命を直接奪わず、権力の中枢である”城”から離れるようにすれば良ろしいでしょうか?」

 

「……うーん、まぁそれなら良いだろう。頼んだ」

 

 ドゥガルドが

 

「はっ!」

 

 と俺の決めた方針に従う旨を返すも、片やパーンは

 

「……」

 

 乗り気がしない様であった。

 

「どうした、パーン? 思う事があるのか?」

 

「……いえ、特には」

 

「そうか? なら良い。今日はここまでだ。また翌月の同じ日に集まってくれ」

 

 俺が会談の終了を宣言すると、二人は軽く腰を折り、目の前から瞬く間に消えた。

 

 さて。

 問題はこれからだ。

 あまりにやる事が無い。

 暇つぶしにする事が無い。

 以前なら魔法を探究したり、人に物を教えたりしていたがな。

 

 街に入れば刺激は得られるだろう。

 が、俺は万一の事を考えて極力近づかない様にしている。

 何処の誰が俺を目にし、記憶するか分からないからな。

 

 故に……俺は森の中を一人彷徨う。

 森に自然と溶け込む程の、薄汚れた衣服でな。

 自分で言うのも何だが、その姿はまるで幽霊やゾンビの様でもあった。

 

 

 

 森の中は普段から人気など無い。

 何故ならば、魔物が出没するからだ。

 街から近い場所ですら、最近ではコボルトやゴブリン、運が悪いとオークに出会う。

 それもこれも、領主による統治が行き詰っているからに他ならなかった。

 

 この日もそうだ。

 パーンやドゥガルドと別れた後、遣る事の無い俺は人知れず下々の安全を守ろうと、魔物を見つけては討ち取っていた。

 と言っても、増えすぎている魔物を間引く程度だ。

 遣り過ぎて魔物を一掃すると、色々問題が起きそうだからな。

 

 するとそこに、珍しい音が近づいてきた。

 それは馬の蹄が地を蹴る音。

 それも、一頭や二頭では無い。

 十数頭という、物々しい数であった。

 鎧同士が激しく当る所為か、甲高い金属音が閑散とした森の中に響いてくる。

 

「……なんだ? (いくさ)……な訳無いか。魔物にでも追われているのか?」

 

 俺は音のする方へと”感知”を向ける。

 意外にもそれからは、人と馬以外ものは見いだせなかった。

 

「……きな臭いな」

 

 それに、どうやら前を行く数頭が逃げ、後から十頭以上の馬が追いすがっている様に俺には感じられた。

 やがて”俯瞰視魔法”が先頭を走る者の顔を捉える。

 それは、このクノスの重要人物、少年の面影を残す領主子息であると知れた。

 俺は迷う事無く、彼らを助けに向かった。

 

 

 

 

「貴殿は我らの命の恩人です!」

 

 万感の思いを口にしたのか、逃げるに疲れ切っていたのか、領主子息とその随伴者は倒れる様に馬から転げ落ちる。

 そして、地に手足を付け、汚れる事を厭う事無く、俺をまるで神の如く崇め始めた。

 

 ……これがあの”冷血”と呼ばれる領主様の若かりし頃の姿か。

 

 俺は意外な面を見せる彼を冷やかに見つつ、他の者達へと視線を移した。

 一人は少女から乙女に差し掛かったであろう、十代中頃の見目麗しい女。

 美しい衣装に身を包み、それだけで育ちの良さを露わにしている。

 風によって運ばれた香りの中には、どこか懐かしいものが含まれていた。

 もう一人は、老年の騎士。

 近衛の証でもある、第一騎士団の鎧を身に纏っていた。

 その左腕には雅な布に包まれた一歳前後に見える赤子。

 あれだけの喧噪の中、馬の背の上で激しく揺られていたと思われるのにスヤスヤと寝息を立てていた。

 

 ……大物になるな。

 それはそうと、揺さぶり症候群とか怖くないのかね?

 あっ、治療魔法を掛ければ治るか……

 

 俺の考えを遮るかの様に、

 

「ウーッ! ヴーッ!」

 

 くぐもった声が轟く。

 それは領主子息達の後ろに転がる、十数名に及ぶ襲撃者達が発していた。

 捕縛魔法の黒い縄の隙間から覗くは、何れも近衛の鎧。

 そう、領主子息は最も信頼を寄せていた者達に殺されるところだったのだ。

 何故に? 何も知らなければ不思議に思っただろうが、さに非ず。

 現領主が至らぬ所為で、帝都に逃げた所為で、年若き領主子息が狙われたのだ。

 鬱憤の捌け口としてな。

 尤も、それだけが理由ではない様だがな。

 

「領主子息様、こうなってしまった原因にお心当たりは御座いますでしょう?」

 

 俺の投げ掛けた問いに、領主子息は唇を噛みしめる事で答えた。

 顔を俯かせたり、背けたりはしない。

 それは為政者たらんとする、彼の矜持(きょうじ)の表れであったのだろう、

 

「無論、分かっております」

 

 問い掛けた俺の目を射る様な瞳で見返し、はっきりと彼は答えた。

 

「なれば……この処置、どうするお考えですか?」

 

 命の恩人とはいえども、下賤な者からの不躾な問い。

 本来であれば、領主子息が答える義理は無い。

 それどころか、無礼者と称して斬り捨てても問題無い。

 だがこの時、彼はただただ答えに窮した。

 少女は俺達の会話を固唾を飲んで見守りつつ、目覚めた赤子を老騎士から渡され、細い(かいな)に抱く。

 その直後、領主子息は狂おしそうに吐き捨てた。

 

「無論、彼らには死んで貰う!」

 

 紛う事無き苦渋の決断。

 何故ならば、彼を討とうとした者達は寝食を共にした者だったからだ。

 ”近衛”とはそういう物であった。

 しかし……

 

「それ”だけ”ですか? 彼らの命だけで収めるおつもりですか?」

 

 俺は重ねて問う。

 世の不条理を彼に思い出させるためにも。

 

「……」

 

 領主子息は答えない。

 いや、答えられない。

 それには幾つかの理由があった。

 その一つを露わにする為に、

 

「……では彼らに訊いてみましょう。貴方を討とうとした者達の中で最も位の高いのは……そう、あの者です」

 

 と口にし、俺は縛られた十数名の騎士の中から、第一騎士団の副団長と思わしき男に目を向けた。

 俺に指し示された男は必死に自身の階級を表す印を隠そうとするも、それは徒労に終わる。

 近づいた俺により、引き摺り出されたからだ。

 

 俺は副団長の口に噛ませていた縄を消す。

 そして、

 

「誰に頼まれた? 誰が首謀者だ? 俺の手を煩わせずに全てを吐けば家族の命までは取らぬよう働きかけてやる。どうだ?」

 

 可能な限り威圧的に問うた。

 ”家族”と言う言葉を聞き、途端に青ざめた副団長。

 すると、彼はスラスラと答えた。

 この場にいる騎士だけで計画し、実行したのだと。

 皆捕まったと。

 それ以外には誰一人加担していないと。

 俺はその答えに満足した振りをして、

 

「領主子息様、副団長がかように申しております。この者達の命だけで事を収めて宜しいかと」

 

 と試す。

 案の定、領主子息は

 

「そ、そうだな! 彼らの命だけで……」

 

 と口にするも、その刹那、一際高い泣き声が辺りに響いた。

 発したのは少女に抱かれた赤子。

 耐えられぬ程きつく抱きしめられたのか、顔が赤黒く変色し、苦しそうにしていた。

 

「……そちらの少……女性の方が良くご存知の様ですね。彼らの命だけで収めてはいけないと言う事を」

 

 直後、場の空気が重くなる。

 しかし俺は、関係が無いとばかりに言葉を続けた。

 

「領主子息様。ここに”真実薬”が御座います。これをこの者に処してみましょう」

 

 更に重苦しさを増す場の雰囲気。

 俺はそれをも無視して、薬を騎士の口に注いだ。

 その直後、語られる真実。

 それは、

 

「わ、我らは”救民の徒”である! 不当なクノスの簒奪者にして無能な輩を廃し、新たにして正当な主を迎えんが為、結成した! 無能な者に、その放蕩息子だけでなく私生児まで……」

 

 さながら言語明瞭、意味不明な政治家の独演会の如しであった。

 俺は男を強かに蹴り上げ言葉を止める。

 そして、

 

「今回の首謀者と結社に参加している者の名を洗いざらい吐け」

 

 必要な情報だけを求めた。

 すると、

 

「はっ! 首謀者は直ぐ後ろにいる! 近衛騎士にして領主子息の覚え目出度い騎士ヴェルノだ! それに第一騎士団の全騎士が結社に参加しておるわ!」

 

 領主子息にとっては衝撃の事実を言い放った。

 刹那、

 

「オネシファラス様御免!」

 

 剣を抜き放ち、赤子を抱く女性へと襲い掛かる老騎士。

 彼が領主子息へと向かわず無防備な女に向かったのは、得体のしれない俺が領主子息の側にいては分が悪いと悟っただけでなく、最低限の目的を達する為でもあった。

 

「あぁ! オフィーリ……」

 

 領主子息が女性の名を言い終える前に振り下ろされた剣が一つの命を奪おうとする。

 無論、救おうと思えば俺には救える命。

 だがこの時ばかりは、俺がそうするには(はばか)られた。

 何故ならば、未来から来た俺は知っている。

 領主子息が跡継ぎに恵まれるのは、彼が領主を継いだ後の事だったからだ。

 

「いやーっ! お、お父様!? どうして!」

 

 血濡れた腕を見て叫ぶ女性。

 胸の中の赤子は血(まみ)れになっていた。

 

「我が娘、オフィーリアよ! 婚姻が結ばれぬ内はあれ程ならぬと申したでは無いか!」

 

 老騎士ヴェルノが渾身の力で吼えた。

 それはまるで酷い悪戯をした子を諭すかの様でもあった。

 そう、年若き恋人達は自ら犯した不始末の代償にその命を求められたのだ。

 それも自らが使役する筈の騎士達によって。

 その事からも領主一家がこのクノスを全く掌握出来ていない事を物語っていた。

 そもそも、ヴェルノ自身もお灸をすえるつもりで同僚に相談したのだから。

 しかし、事ここに至ってはその事実は意味を為さない。

 これは明確な”反乱行為”であるが故に。

 

 俺は瞬く間に老騎士を捕縛魔法で縛り上げる。

 そして、

 

「……処断を」

 

 求めた。

 それも厳しい眼差しを向け、暗に苛烈な刑に処する様にと。

 さしもの領主子息もその事に気付いたのか、

 

「いや、しかし……」

 

 と逡巡する。

 俺はそんな彼に更なる追い打ちを掛けた。

 

「此度は偶然私が近くを通りがかったから助かりましたが、次はそうならないでしょう。その時、ただの怪我で済むと思いますか?」

 

 そして、治療魔法を幼き女性に施す。

 何故ならば、老騎士は自らの娘の腕だけを狙い、女性の抱く赤子には傷一つ付けてはいなかったのだ。

 無論、俺は知っていた。

 彼の心が声高にそう叫んでいたからだ。

 我が命と引き換えに、目を覚まして欲しいと。

 娘とその配偶者に、孫に幸せになって欲しいと。

 老騎士はそれだけをただただ願っていた。

 

「……そう……ですね」

 

 領主子息は自らの剣を抜き放つ。

 その目からは幾筋もの痕を作り、涙が零れ落ちていた。

 

 

 

 処断を下した領主子息の(かんばせ)は先程までとは大きく異なっていた。

 それだけで無く、胸の中に固い決意を秘めていた。

 良き領主たらんと。

 その為にも誰よりも強くあらんと。

 やがて彼はその思いを口にした。

 

「名も知らぬ魔導士様。私には何もかもが足りません。どうか私めにそのお力を貸して頂けないでしょうか?」

 

 藁をも縋る思いとはこの事だろう。

 森の中を一人彷徨う魔導士。

 ぼろ布を纏う姿は明らかに不審者だ。

 例え命を救われたとは言え、信を置くには危険すぎる。

 しかし、彼は決断した。

 頼れる者が他にいない。

 ここは、この命を救われた運命に掛けて見ようと。

 俺はその思いに応える。

 但し、一方的な条件を付して。

 

「正しく領主と成るまで子を生すに非ず。故にその子を手放せ」

 

 それは非常な宣告。

 だが、史実通りとする為には致し方の無い事であった。

 

 ……酷い話だ。

 あの時、あれ程後悔したと言うのに、俺はまた同じ事をする。

 いや、あれだけの事を、自らの手に掛けたからこそ、今更ここで止める訳には……

 

 俺もまた一つの決断を下す。

 自身の幸せな家庭を守る為に、その芽を一つ間引く。

 俺は……本当に酷い人間となってしまったのだ。

 

「そっ! それは……」

 

「嫌なら……」

 

「私なら構いませぬ! その代り貴方様が責任もってこの子を育てて頂けるなら!」

 

 それは事の成り行きをただ見守っているだけかと思われた、か弱き女性の言葉。

 自らの父親を、愛する男に殺された女性から発せられた、文字通り身を裂く思いで下した決断。

 毅然とした顔からは滂沱の涙が零れている。

 

「私で良ければな。但し、見た所乳離れはしていないのだろう? 乳母はそちらで用意するのが条件だ」

 

 俺の言葉に目を閉じて最良の答えを探そうとする領主子息。

 いや、既に答えは出ていたのだ。

 ただ、その言葉を発するのに時間が必要だったに過ぎない。

 自身の初子と、領主としての責務を計り、その結果を口にする為にだ。

 

「……分かりました。思し召しに従います、導師様」

 

 その時の彼の心の内は、波一つ無い、静かな水面(みなも)の様であった。

 だがしかし?

 一方の当事者たる俺はこの直後、思いもよらぬ結末に慌てふためく事となる。

 それは俺の知る歴史と大きく異なる物だった。

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