#151 開戦前夜
第四四代魔王歴三〇五七年
この年、この世界の歴史が動く。
力の源は支配階級”魔人族”への思い。
長い年月、暗闇の下、市井の人々が声を潜め、同じ事を口にし続けていた。
それは僻み、妬み、嫉み、恨み、辛み。
数多の呪詛そのものであった。
「働いても働いても、街中に家を買えぬ。それもこれも、魔人族が家屋を独占して所有しているからじゃ……」
「新たに商店を興そうにも”商店株”が買えない。それもこれも、魔人族が商店株を独占しているからだ……」
「古くからの悪習や悪法を改め様にも、改められぬ。それもこれも、魔人族が改革を望まないからだ……」
「魔人族は際限なく懐に富を蓄え、それを使おうとはしなんだ。これでは儂らに金が廻って来ぬ……」
「魔人族は俺達より遥かに長命だ。基人族が十代経ようとも、彼らは年若き子供のまま。不公平だ……」
つまるところ、魔人族だけが他の種族と比較して遥かに長生きをし、その結果富と権力を独占してきた。
その偏りを是正する、富を分配する、権力を分散する等の政策を施す事無く、今日にまで至ったのが根本原因なのだが……
積もり積もった不満はやがて、大きな流れを造りだす。
それはまるで、堆積した土砂を押し流す鉄砲水の如く、この時代を駆け抜けて行くのであった。
一方、歴史の裏側ではどうか?
ありていに申せば、俺の周囲では血生臭い事件に事欠かなかった。
テノスに赴任して早七年。
少なくとも一年に二度は名も無き暴漢に襲われていた。
「そこの怪しげな仮面を被った魔導士、止まれ! 貴様が巫女アンを通し、魔王が送り込んだ刺客だな! 正義の下に我らが成敗してくれるわ!」
「……ひょっとして、私の事ですか?」
「当たり前だ! こんな月の昇らぬ真夜中に、人気の全くない裏路地を、髑髏の仮面を被って歩く酔狂がお前以外何処に見えるのだ!」
……確かにその通りだな。
明らかに俺は怪しい。
だがな、
「人を見かけだけで判断するなんて酷いじゃありませんか! 仮面を付けている理由だって、ちゃんとあるんですよ!」
俺の話を少しは聞け。
十名近い人数で俺を取り囲んでいるのだ、その位の余裕が貴様らの心にはあるだろう?
しかし、
「世迷言は死んでからほざくんだな! もう一度言うが、貴様は我らの野望を潰えんが為、王国が送り込んだ刺客だと判明しているのだ!」
彼らはほんの僅かな時間しか、俺に与えてはくれなかった。
尤も……それだけでも十分だけどな。
「死ね!」
闇夜を切り裂く暴漢の声。
それが辺りに反響する。
しかし……それ以外の音は決して立つ事はなかった。
何故ならば、音を発する元であった彼らは忽然と”消えた”からだ。
跡形も無く”消失”したからだ。
そして、彼らの行き先は誰も知らない。
いや、知られてはいけない場所であった。
第四四代魔王歴三〇五七年五月某日
雨季が過ぎ去り、乾季が押し寄せている。
その所為か、南から湿気を含んだ風が吹き、辺りを蒸し暑くしていた。
それは巫女コレットが治めるテノスの離宮でも同様。
木々が生い茂り、幾つもの影を計画的に造りだしている庭園であっても、その鬱陶しさとは無縁では無かった。
「相変わらず乾季が訪れると暑くなりますね」
レンが当たり前の事を当たり前に言う。
それに対して俺は、
「当たり前だ。乾季だからな」
至極当たり前の返事をした。
はっきり言おう、暑くて暑くて、余計な考え事をしたくない気分なのだ。
それなのに、レンは間を置かずに、俺に話し掛けて来る。
「黒魔導士さん、先日は”復活魔法”と”聖枷”を教えて頂き、ありがとうございます」
「黒魔導士さん、先日はテノス地下迷宮の最下層まで付き合って頂き、ありがとうございます。凄く助かりました」
「黒魔導士さん、コレットの誕生日を祝う為に”守護の腕輪”を作って頂き、ありがとうございます。彼女、私とお揃いだと知って、凄く喜んでくれましたよ」
「黒魔導士さん、コレットがそのお礼にと言って、彼女から鎧の制作を頼まれたのでしょう? すいません、お手数をお掛けする事になってしまって……」
等々等々。
まるで、今生の別れを惜しんでいるかの様に、話し掛けて来る。
……いや、レンはその通りの心境なのか?
「……別にそれ程手間を掛けた訳では無い。一見して、何処にでもある普通の鎧だからな。完成前だが……見るか?」
「良いんですか?」
「構わん。それにお前の為に造った鎧だ。一度試しに”装着”して貰おうと思っていた所だしな」
「装着?」
俺はそう答えて、転移門から四角い、豪奢な箱を取りだす。
明らかに、金やミスリル、それに魔力結晶をふんだんに使用した箱。
大きさは一辺が一メートル弱程もある立方体だ。
「……これは?」
「魔導鎧櫃。勇者専用の鎧が収納されている箱だ。天辺にある一際大きな魔力結晶に触れて見ろ」
俺の言葉に、レンはおずおずと従った。
レンの手が伸び、魔力結晶に触れる。
その刹那、
「力が……欲しいか?」
俺によく似た声が辺りに響いた。
「えっ? 黒魔導士さん、これは一体……」
「黙って聞いてろ!」
良い所なんだからさ。
「……そうか。ならばくれてやろう、貴様の最も大切な者の命と引き換えにな!」
「いや、そんな一言も答えて無いのに!」
慌てふためくレン。
それだけで無く、
「まっ、まさか本当にコレットを!?」
巫女の名を叫んだ。
そう、正にそのリアクションこそが態々作った箱の肝なのだよ。
動揺する最中、愛する者の名を叫ぶと言うな。
……って、おいおい。
今現在、レンの最も大切な”人”は巫女コレットなのかよ。
我輩、いと悲しい……
無論、エミには絶対に秘密だ。
レンとコレットの事となると、人が急に変わるからな。
刹那、魔導鎧櫃が開いた。
それと同時に眩いばかりの光がレンを襲った。
それはまるで、輝く繭の如しであった。
「なっ、何も見えません! 黒魔導士さん!?」
レンがあらん限りの声で俺を呼ぶも、俺は自ら仕込んだ魔法が上手くいくかを見定めるのに忙しかった。
そして、俺は確信した。
「完璧だ!」
包んでいた光が突如消え去り、その場にいるのはレンただ一人。
ただし、光に覆われる前と大きく姿を変えていた。
そう、彼は身に纏っていたのだ。
俺の拵えた鎧を。
黄金色をした膝下までを覆うブーツ、膝当て、腿当て、腹当てと草摺、肩当の付いた胸当て、手甲から肘当て、そして頭部の……
”側頭部から生えたかに見える羽”を意識したサークレット。
いずれの箇所にも魔力結晶が填め込まれ、能力を底上げする魔法が刻み込まれている。
「こ、これは……」
レンが驚愕している。
それもその筈。
今頃、彼の脳内ではその鎧が如何に素晴らしい物であるかと、説明が為されているからだ。
その証拠に、彼は徐に、
「だ、脱着……」
と気恥ずかしそうに言葉を発した。
すると、再び光に包まれたレン。
その光はレンから離れ、空中の一点に集まったかと思うと、やがて鎧櫃の中へと戻った。
自動的に閉じられる鎧櫃。
その時、その場にいれば誰もが垣間見れただろう。
明らかにその鎧は、人では無い、何か別種の生き物の形をしていた事を。
翼を広げた姿は実に美しい。
伝説によると処女しか背に乗せないらしいな。
「ぺ、ペガサス?」
「違うな、あれは天馬だ」
意味は一緒だけどな。
俺のその答えに、レンは苦り切った顔をしていた。
「どうだ? 気に入ったか? 手を翳した時にお前を所有者として登録した。が、お望みで有れば解除しておく。巫女コレットの前で同じ台詞を吐くのも一興だぞ?」
「……いいえ、結構です!」
「そうか……」
我輩いと興醒め。
面白い演出だと思ったのに―。
まぁ、それよりもだ。
「中々良い鎧だったろう? 俺の自信作だ!」
何と言っても愛する我が子に拵えた魔導鎧一式。
所有者の声に応え、着るのも脱ぐのも自由自在。
それだけで無く、鎧としての性能も一級品だ。
いや、特級だな。
俺が丹精込めて魔力を込め、魔法を刻んだのだから。
「あ、ありがとうございます……」
その割には、レンは嬉しく無さそうだ。
暫くすると、彼はその理由を語り出した。
「黒魔導士さん、本当に何でも出来ますね。僕の魔法の先生ですが、様々な武具も扱えるのでしょう?」
「……何処でそれを?」
「パーン先生が話してくれました。自分に戦い方を教えてくれたのが黒魔導士さんだって」
……あ、あ、あ、あのおしゃべり糞野郎め! きつく言い含めておけばよかった!
俺は口ごもってしまった。
レンに”黙っていて悪かった”と言えれば良いのだが、それは難しい。
先日俺を襲った者達や、その他の者に知れたら、この時代の書物に俺の存在が記され、俺の知る歴史が変わってしまうかも知れないからだ。
せめて、誰に知られたか分かれば、対処のしようもあるのだがな。
俺が沈黙を続けていると、レンが重ねて問い掛けて来る。
「本当に今更なんですが……黒魔導士さん、どうして貴方が魔王と戦わないのですか? 貴方は反乱軍に加担しているのですよね? 僕よりも少なくとも魔法が強くて、パーン先生が師事する程剣も扱える。どうしてですか? どうして僕が戦って、貴方が戦わないんですか!?」
あぁ、本当に今更だな。
だが……その疑問は尤もだ。
だとしても、俺の口から全ての真実を語る事は出来ない。
何故ならば……
「俺には愛する妻と息子がいる。彼らの為にも俺は戦う訳にはいかんのだ。それに……レン、お前が勇気ある者、”勇者”だからだ! そして、俺にはそのような勇気が無いからだ! 魔王を討ち倒す者は”勇者レン”で無ければならない。その為の”勇者召喚魔法”なのだ!」
そう、俺には”勇気”が無かった。
歴史を改変してでも、愛するエミやレンと二度と会えなくなってでも、この歪な円環、”メビウスの輪”を断ち切ろうとは思えなかったからだ。
目の前にいる若きレンには、決して話せない事だった。
「そ、そんなの勝手ですよ! 僕にだって愛する者や、家族がいたんだ! それに、貴方には僕の何倍もの力がある! その気になれば、貴方なら戦争を起こさずとも国を乗っ取れるでしょう? それなのに……」
言っただろう? 俺は別に、この国が欲しい訳では無い。それに……
「それは既に手遅れだ。この流れを止めるにはテノスの領主様は領民を扇動し過ぎた。彼らは怒りの捌け口を求めている。血を見ずには止まるまい……」
「馬鹿みたいですよ! 自分達で自分の首を締めて! こんなの間違ってますよ! 戦争なんて……何一つ良いことないのに……」
「そうだな、レン。戦争は間違ってる。最上位の者は勝敗しか気にせず、士官は兵の損耗にしか耳を傾けない。下々は奪い、手にする物にしか目が向かない。その過程で弱き者が倒れ、野垂れ死に、空腹にあえぎ、餓死しても……心を痛めるだけだ。ただ”可愛そうに”とな。と同時に”でも自らの家族で無くて、愛する者達で無くて本当に良かった”と思うのだ。それが普通だ」
俺の両手は二人の手を握るだけで精一杯なのだから。
「僕だって戦いたくない! 戦場になんて立ちたくない! 誰も殺めたくない! 誰にも死んで欲しく無い! 出来る事なら敵だって必要最小限しか……」
「……」
「そうだ! 魔王と一騎打ち出来ないんですか? 互いの代表戦と言う形で!」
「……」
「良いと思いませんか? ねぇ、何とか言って下さいよ……」
それが駄目なんだ。
お前には言えないが、歴史が変わってしまうからな。
レン…すまん。
本当にすまん。
お前に、こんなに辛い思いをさせて……
「残念ながら、これが戦いと言うものだ。それとも……逃げるか? 反乱軍は瓦解するぞ? お前の友や……誰よりも大切にしている巫女が……」
「うるさい! そんな事しませんよ! ただ吐き出したいだけですよ! 本当は僕を浚った貴方や巫女を心の底から憎悪したいのに……それも出来ない! もう、気が狂いそうだ!!」
レンはそう吐き捨てるやいなや、何処かに駆け出して行った。
恐らく、俺と一緒にいるのが辛いのだろう。
自らの存在意義を否定する”強大な存在”。
それが”黒魔導士”なのだから。
それでも、レンは戦場へと向かった。
盛大な出陣式に見送られながら。
俺は次第に小さくなっていく彼の背中を、城壁の展望室から見届けながら、独り言ちる。
瞳は僅かに潤んでいた。
「良い所なんだ、邪魔しないで頂きたい」
いや、気配を消しつつ、俺の背後に現れた者に語り掛けた。
すると、その者は、
「いやはや、”賢者”殿、探しましたよ。まさか、反乱軍の拠点に身を潜めているとはね。流石の我らも考えもしませんでした」
軽口を叩きながら、腰に佩いた剣を抜き放つ。
俺はその動きを”監視”しながら、レンの姿が見えなくなるまで、目で追い掛けていた。
「態々来て頂いてようだが……俺の方に用は無い。それに、先程も言ったように俺は感傷に浸っているんだ。邪魔するな」
「ふふふ、そのような事を言われましてもねぇ。我らも必至なのですよ? ”楽園”などに移り住みたくは無いですからねぇ」
「……それを伝えに? ご苦労様。魔王様には俺から伝えておくよ」
「いえいえ、その必要はありません。何故なら……賢者殿にはここで消えて貰いますから!」
刹那、俺に襲い掛かる人影が四つ。
それらは、突然現れたかと思うと……突然掻き消えたのであった。
展望室に残されたのは俺と……俺と先程まで口を訊いていた男。
俺は肉眼でレンの姿が見えなくなったのを確認してから、そいつの方へと振り返った。
「き、貴様! 何をした!?」
褐色の肌を持つ美丈夫が、怒りに顔を歪ましている。
俺はそんな彼に向って、
「知りたいか? なら特別に教えてやろう。俺は集めているんだよ。王に背く魔人族をな」
にっこりとほほ笑んだ。
しかし、俺の前には誰もいない。
彼もまた他の人影と同じく、足跡も残さずにこの場から掻き消えていた。