#147 百年の終わり
第四四代魔王歴三〇四六年八月某日
夜空には満月が昇り、その光で辺りを照らし出していた。
その月明かりの下、俺の目に映るは荒れ果てた大地。
見渡す限り岩塊や石塊が転がり、植物はほぼ生えていない。
故に、動く物は少なく、大きく抉られた大地は周囲を覆う切り立った崖を山かと錯覚させていた。
”死の大地”それが現在の、広く知れ渡った呼称。
百年前までは”肥沃な広陵地帯”であった。
その地に俺達は今、佇んでいる。
三名の成人した男女が。
それにしても……思い返しても、この百年は様々な事が起きた。
パーンの特訓に明け暮れた日々。
時にはやり過ぎてしまい、パーンが巫女の下に逃げ出した事もあった。
そんな彼も……今では立派な青年となった。
いや、何処から見ても”パーン先生”その人だ。
俺を鍛え上げた男が俺と並んでいる。
様々な魔道具を創り出した。
その一部や作るに必要とした魔法円を巫子に納めもした。
奉納された日時や物、製作者を覚えていたからだ。
そう、俺はふとした切っ掛けで、製作者が実在するのか、否か。
制作し得るのか否かを調査したのだ。
結果、その者が作り得ると判断した場合は見守り、時には助言した。
作れぬと判断した場合は俺が自ら作った。
存在しない者がいた時は俺がその名を名乗った。
その様な危ない橋を渡っても、身元が判明する事は無かった。
ただし、予想外の問題も起きた。
エリアスが宮廷魔導士筆頭の辞職騒ぎを起こしたのだ。
噂によると、彼曰く”真理を探究したい”、”私も後世に残る魔道具を創り出したい”のだとか。
仕方なく、彼にだけは俺が作った事を教えたのであった。
近年は迷宮の拡張に勤しんだ。
そう、”魔王の呪い”その正体は俺だったのだ!
クノスを中心とした正三角形を描く三都。
アノス、ミノスそしてテノスに存在する地下迷宮。
その階層を魔法の力で増やしたのだ。
”空間拡張”で押し広げ、”天地創造”や”偽装”で作り込む。
魔物達を”魔物召喚”で呼び寄せて。
階層の守護者として”黒騎士”を生み出して。
手間は掛かったが、何処に何を設置するかは悩まなかった。
何処に何を設置するか、俺はその全てを把握していたからだ。
何故か?
俺にはその完全な知識があった。
巫女コレットが提供してくれガイドブックのな。
言語理解向上(永遠)魔法の副次効果。
記された物は全て記憶できると言う……
その後、巫女アンに願い出て再び”神域”へと向かったのだ。
その時の会話は、今でも忘れられない。
「……これは賢者様。お久しゅう御座います。一見、どなたか分かりかねました。その……」
「”老いたから”ですよね」
「いえ……その……髪が腰まで伸びておりますし……それに、雰囲気が少し。基人族特有の……お年を召した方の色香が……」
「それを”老いた”と言うのですよ。まぁ見ての通りなので、気にはしてませんがね」
と俺は負け惜しみを言う。
実際は、とても気にしている。
永遠に生き長らえるホムンクルスの体でありながら、如実に老いたからだ。
まさか……本当に設定された年齢まで老い続けるとはな。
エミはあの時何と言ったか?
確か……エミが転移した実年齢まで老いると言ってた筈。
要するに、今の俺は見た目が三十八歳前後と言う事だ……
「まぁ、そうですか? でも、素敵ですよ。頼り甲斐に満ちて、か弱き乙女を優しく包む様な空気を纏っていらっしゃいます。そう、アレクシスも常々申しておりました。オーラフに匹敵する背の高さ、広い肩幅、鍛え抜かれ、均整の取れた身体、長いおみ足。その様な賢者様であれば、私が力を使わなくとも、城の娘達など如何様にもご自由に出来るであろうと……」
「……」
俺が返答に窮していると、
「……時に再び”神域”へ伺いたいとか?」
巫女アンは話題を華麗に変えた。
加齢だけに?
「ええ、そうなんです。そろそろ時期が差し迫って参りました。入念な準備をしておこうと思いまして」
「そうですか。有り難い事です。ええ、勿論”神域”へ入る事を許可いたします。いえ……今後はお好きなようにお使いください。我らへの配慮は無用です。地下迷宮と同じく、如何様にも」
「ありがとう。その言葉を頂いて安心しました。では早速失礼致します……」
こうして俺は天空の城を自由にする事が許されたのだ。
閑話休題。
いや、巫女アンから神域の恒久的な利用許可を得てから幾日かが経過した。
この日、俺達は”死の大地”を訪れる。
その場所に似つかわしくない、普段着のままで。
内一人は、
「パーン、もうそれぐらいにしたらどうだ?」
山羊人族の男。
スラリとした立ち姿が、彼を王国有数の剣士であるとは思えなくしていた。
「す、すいません、先生。感極まってしまいました」
「それに、アレクも……」
そう、もう一人はアレクシス。
森人族の見目麗しい女だ。
「何よ! ハルは寂しくないの!? 今生の別れとなるのよ!」
いや、そうかも知れないけどさぁ……もとい、アレクシスにとっては間違い無くそうなるのか……
「そ、そうだな……存分に別れを惜しもう、な……」
最後の一人は、無論俺だ。
そして、俺達三人によって囲まれた、その中央にいるのが……体長二メートルにまで育った仔アルパカ、もとい竜王の幼生体。
絹の如き毛が月明かりに輝き、その容姿も相まって、より幻想的に見せている。
背中に生えた羽や頭の角も随分と立派になった。
そう、言うまでも無く”アンコ”だ。
またの名を”竜王アングルボザ”。
この百年間、俺達四人は家族の様に接してきた。
その一人が遂に旅立つ時を迎えたのであった。
約束した時間は百年。
決して短い時間では無い。
だが、長くは感じなかった。
それだけ、充実した時を俺達は過ごしたのだろう。
始まりが突然で有れば、別れの時を知るのも突然であった。
ほんの数日前、
「お父様、お母様、私は次の満月の夜、空に帰らねばなりません……」
夕食を食べ終えた後の団らんの時間に、何の前触れも無くアンコがそう口にしたのだ。
まるで、かぐや姫の様に……
因みに、アンコは出会ってから十年弱で片言の人語を口にし始めた。
背後霊の方では無く、本体がだ。
その後は急速に言葉を操る事が可能に。
人の子が言葉を覚える経過を彷彿とさせるものだった。
その子が……
「あぁ、そろそろ行かなくてはなりません。もう、お迎えが……」
無慈悲な宣告を下す。
そして、アンコが指し示した空の一角には百五十余りの黒い影が漂っていた。
それこそが、
「飛竜……」
アンコまたの名を竜王アングルボザの眷属であり、これから彼女が率いなくてはならない者達である。
刹那、アンコが眩い輝きに包まれた。
その輝きは瞬く間に体積を増し、何時の間にか元の数倍の大きさへと膨れ上がる。
発する光が強すぎる為、俺は目を開け続けるのが困難であった。
「ア、アンコ!!」
アレクシスの叫び声。
心配の余り、異変を見せる者の名を強く呼んだのだ。
その直後、彼女の気持ちを和らげるかの様に、輝きが徐々に収まり始める。
やがて、俺達は目にした。
淡い光に包まれた、目にも鮮やかな純白の飛竜を。
絹の如き光沢、白銀色をした細長い毛に覆われた、美しき飛竜を。
猛々しい角を伸ばし、輝かせ、叡智に溢れる瞳を持つ飛竜を。
膨大な魔力を発散し、真に王者となった飛竜の王たる姿を。
美しい……陳腐な言葉であったが、それ以外に言葉を思い浮かべる事が俺には出来なかった。
『ハルよ……我が庇護者であった者よ。大義であった。汝の尽力により、我は真に竜王と相成った。故に褒美を下す。受け取るが良い』
「な、何を言う……そんな物別に……」
俺が辛うじて言葉を漏らした次の瞬間、俺の両の手が生暖かい感触を伝えて来る。
「えっ!?」
驚き、素早く目を向けた俺。
手の中には空色に輝く球体があった。
まるで両手で水を掬うかの様に。
大切な宝物であるかの様に。
事実それは、
『この世に二つと無い竜宝珠である。真に汝が助けを望みし時に使え。我は如何なる事でも汝の望みを叶えよう』
であった。
……何でもって……例えばこの星? 異世界? を壊して欲しいとか? な訳……
『汝が真にそれを望むなら、我は叶えるであろう……』
「じょ、冗談だよ。それより、こんな物はいらん。邪魔だし、誰かが間違って使ったり、俺から盗んで悪用されたら……」
『心配無用である。汝が必要な時、願いさえすれば良い』
飛竜の王アングルボザがそう話すがいなや、竜宝珠は俺の両手の中に消えていった。
まるで、融け入るかのように。
すると、アングルボザは俺との用件が終わったのだろう、今度はアレクシスへと向かい合った。
『我が母アレクシスよ。我は……我は……真に汝を母と……』
「アンコ、いいえ、アングルボザ。その言葉で十分よ。私も貴方を実の娘と思っていたわ……」
『アレクシス……いえ、母上……貴方から頂いた無常の愛……貴方の娘となれて良かった……』
「ええ、私もよ。貴方の母になれて良かったわ。それに貴方は私の誇りよ。いつまでも、永遠にね」
『私も同じ思いです! ですから……本来ならば父上と同じ……竜宝……』
「今は貴方との、いえ……私達四人が過ごした思い出で十分。さぁ、竜王様。涙を拭い、前を御向きになって……」
アレクシスのその言葉が竜王に竜王たる姿勢を取り戻させる。
そして、改めて居住まいを正し、今一人の男へと顔を向けた。
『パーンよ、父上を頼みましたよ』
「ええ、お任せ下さい」
束の間の静寂。
すると、竜王アングルボザは再び俺を見詰めだした。
……えっ? それだけ? 一言だけ?
『父上……いや、時界を制覇する者よ。汝に残された人生が幸せに満ちた物になる様、我は祈らずにおられぬ』
パーンには一言だけらしい。
兄妹同然で育ったのに……
それに……と、時を制覇する? 不死のホムンクルスだけに?
まぁ、取り敢えず……
「あ、うん。心配してくれてありがとうな。でもな、父さんは大丈夫だぞ? 遣ると決めたら遣り切る性格だからな。それまでは絶対に……」
俺が茶化す様な話し方をすると、アングルボザも”アンコ”であった時の口調で応じた。
『だからこそなのです……父上、母上を心から愛していますか? 母上は心の底から父上を愛していらっしゃいますよ?』
「ちょ、アンコ!? 何を急に言い出すのよ! やだ、ハル! そんな目で見ないで……わたし恥ずかしいわ」
「いや、俺だって恥ずかしいよ? 娘に急にあんな事いわれたら……なぁ?」
そのやり取りを悲しげな瞳で見つめる竜王。
彼女は威厳を取り戻した声で俺達に零した。
『故に、我は心を痛めるのだ。”その時”は訪れる。それは”必然”であるが故に……』
それは……アレクシスをこの先待ち受ける命運。
誰もが決して口にしない歴史的事実。
王国の滅亡であった。
それでも、俺は……
『我は往く! いずれ訪れる再会の時を心待ちにしてな! その時は必ず来る! 故に別れの言葉は吐かぬ。我が汝らに贈る言葉は……”また会おうぞ! ”のみである!』
竜王アングルボザは大音声で言い放つと、大きな翼を広げた。
そして、そのままの姿勢を維持しながら緩やかに上昇し始める。
まるで、ホバリングするかの様に。
やがて、一定の高度に達したのだろう、一気に飛翔した。
自らの眷属である飛竜達が待ち構える空域に向かって。
みるみる小さくなる我が娘の後ろ姿。
その刹那、彼女との思い出が走馬灯の如く蘇ってきた。
お腹が空くと、
「モプー!」
と泣き、目敏く好物を見つけると、
「モプ! モプ!」
と意思表示をする。
気に食わない事があると、
「モプ……」
と顔を背け、ご機嫌斜めとなった。
そこにパーンが登場すると、
「モププー!」
と叫び、楽しげにじゃれ合い出す。
時にはそれでも機嫌が直らない事も。
そんな時は……大好きな果物を出してやった。
すると、
「モプー! モプー! モプー!」
嬌声を挙げて喰らい付いたものだ。
人語を解し始めると、
「ととたま、かかたま……」
何かにつけて俺とアレクシスを呼んだ。
物の名を教えてやると嬉しそうに繰り返し発した。
好物の料理の名を知ると、それを連呼し、何食も続けて作らされた。
俺達とアンコの容姿が異なる事を知り、涙した時もあった。
何時しか自身が飛竜である事を理解するも、新たな苦難の幕開けでもあった。
それに対し向き合い、アンコ自ら前向きに考えるまで長い月日が必要であった。
その事を俺とアレクシスに話してくれた、その事実がどんなに俺とアレクシスを喜ばした事か!
そんな……あぁ、可愛い我が娘が、アンコが……あんなに小さく見える程、遠く離れて……
最後までしっかりと見ていたいのに、視界が潤み始めた。
零さぬ様にしていても、零れ出てしまった。
俺の頬を生暖かい液体が伝う。
幾筋も伝う。
止めどなく伝う。
鼻頭がつんと痛みだし、堪えきれなくなる。
その時、
「あぁ、ハル……私達の娘が……」
アレクシスが言葉にならない声を漏らしながら、俺に抱き付いてきた。
「あぁ、アレク……あぁぁ……」
アレクシスを元気づけようとした俺の発した声も形にはならない。
俺達はただただ涙した。
きつく抱き合い、涙した。
本当に幸せな日々を送れた、四人での生活を思い浮かべながら。