#142 暴走
大魔導士ディボルドとの面会から一月が経とうとしていた。
俺は久方ぶりにクノスを離れている。
といっても、向かう先はクノスとは目と鼻の先、郊外から広がる森の中。
高く生い茂った、亜熱帯地方特有の木々に囲まれた場所に、人が決して踏み入れぬ場所に俺は用があったのだ。
湿度は高く、汗は止めどなく吹き出ては流れ落ちる。
羽虫が何処からともなく現れては、纏わりつく。
木々の枝から狙いを定めて落ちて来るヒルの類。
その様な中、幾つもの川を渡り、谷を越え、丘を登り、俺は突き進んでいた。
時折、
「全く……何が”秘密基地を作るぞ”よ! これだから男は……」
アレクシスが愚痴りだす。
しかし、俺はその度にそれを華麗に聞き流す。
何故ならば……俺は彼女を誘っていないからだ。
”秘密基地”を設けるのだ。
誰にも知られる訳にはいかなかった。
故に俺は度々、
「もう帰れよ! 宮廷魔導士の仕事が溜まってるんだろ!?」
と追い返そうと試みるも、
「……いやよ!」
アレクシスは決して引かなかった。
彼女曰く、
「私の務めはハルに目を付けた有象無象を追い払う事よ!」
らしいのだが……この様な人里離れた場所に追い払う対象がいる筈も無い。
だからこそ俺は、
「フンッ! なら勝手にしろ!」
と語気を強めて言い放つのだが、彼女も負けじと
「ええ、勝手について行くわよ!」
言い返してくる。
こうなると俺には諦めるしかなかった。
やがて、拠点を設けるに丁度良い場所が見つかる。
数十メートル程もある木々に覆われてはいるが、光が少なからず届く。
尚且つ、周囲を幅広く、深い川に囲まれていた。
所謂、中州の様な場所だ。
ただし、その一部が小高い丘。
恐らく土砂が堆積したのではなく、元から存在していた丘の周囲に川が通るようになったのだろう。
ここなら、人の目を気にする事無く暮らせる。
魔物?
勿論、多少はいる。
川の中には人の数倍はある肉食魚”大鯰”や竜の口を彷彿させる事から俺に命名された”竜口魚”が泳ぎ、中州の中心には大鷲が営巣していた。
しかし、それらは決して襲い掛かって来る事は無かった。
分かるのだろう、本能的に。
俺の方が遥かに強いと言う事が。
刹那、苛立たしい感情を剥き出しにした声が辺りに響き渡る。
「なに!? ここに建てるわけ!?」
この所、アレクシスはご機嫌斜めであった。
理由は薄々分かっている。
それに加えて巫女アンから直々に
「何とかして頂けませんか?」
と伝えられてもいた。
挙句の果てにはディボルドまでが、
「……差し上げたいと言ってるのだから、有り難く頂けば良いでは無いのかの?」
と。
とは言ってもねぇ……
もう過ちは繰り返さないとエミに誓った身だ。
今度ばかりは迷う筈も無かった。
「ああ、ここに小屋を建てる。場所も分かったんだし……もう、帰れば?」
俺は殊更、彼女に対して冷たく当たった。
何故か?
妖艶な女性にしつこく求愛されても悪い気はしない。
然るに、俺には一刻も早く為さねばならない事があった。
それは”勇者召喚魔法”と”近親召喚魔法”の謎を解く事。
現時点でその何れも存在してはいない。
では如何にして巫女コレットはその魔法を入手したのか?
考えられるのは……巫女アンと同じく”救世召喚魔法”を行い、顕現した”神”より下賜されたか。
もしくは……未だ無名の魔導士がその術を見出したか。
しかし、その可能性は低いであろう。
異世界と通ずる魔法は……俺の知る限り”近(異界)神召喚魔法”のみ。
そしてそれは、巫女アンが”救世召喚魔法”により呼び出した”神”から授けられた魔法。
王家やそれに傅く巫女により秘匿された”救世召喚魔法”を在野の魔導士が知り得る訳も無かった。
まさに今この瞬間、それを知り、実行できる名も無き実力者となると……俺ぐらい?
……あれ? あれれれ?
その刹那、
「な、な、な、何ですって!」
俺の背後で膨大な魔力が膨れ上がるのを感じた。
その所為か、巣に帰っていた大鷲が甲高い鳴き声を上げて飛び去っていく。
危機を察知した俺は慌てて振り返った。
その時、俺の視界に映ったのは”般若”の仁王立ちする姿であった。
「い、い、い、言うに事を欠いて”帰れ”ですって!? も、も、も、もう我慢できないわ! 絶対に許さないわよ!」
俺は行き過ぎた対応をしてしまったらしい。
よくよく考えれば、今少しスマートな対応も出来た筈であった。
それなのに……
その僅かな後悔が大きな隙に繋がった。
それを逃すことなく、アレクシスが一気に間合いを詰め、俺の懐に入り込む。
「この!」
……俗物が?
と同時に抜き放たれた右拳。
俺の鳩尾にめり込んだ一撃は強力で且つ、俺の体をいとも簡単に吹き飛ばす事が出来た。
「グハーッ!」
腹部に叩きこまれた強烈な一撃、その為口から空気が吹き出す。
次の瞬間には、俺の体は木を貫いていた。
木が倒れ、他の木々に重なる音が森に響く。
俺の体は泥にまみれ、土の香りが鼻をうった。
痛む体。
しかし、俺の頭は回転を早めていた。
……どうする? アレクシスを抑え付けるには手間が掛かりそうだ。
面倒だし、時間が勿体無い。
そう、俺は一刻も早く、先程頭に浮かんだ可能性を忘れないうちに検討したい。
その為には……
俺は決断を下した。
多少の、後々問題となりそうないざこざを抱える事にはなる。
だが、今の俺にはより重要な事であった、先の閃きを追及する方が。
俺は辺りに霧を厚く立ち込める。
更にはアレクシスを中心として”鳥かご”を構築した。
「くっ、この程度の魔法で私の目を欺けると思っていて!? おのれ……」
俗物が!
しかし、俺の耳にその言葉は届かない。
何故ならば……俺は更なる攪乱用に数発の浮遊水球をその場に漂わせた後、空を彷徨っていたからだ。
土柱魔法によるカタパルトによって。
「取り敢えず、その線で検討してみるか……」
アレクシスから逃げおおせた後、考えを纏め終えた俺は独り言ちる。
限りなく低い可能性の一つではあった。
が、俺はその道を歩む事にした。
他人に自らの、俺達家族の命運を委ねる気にはなれなかったからだ。
束の間、俺の体を包むかの様に優しい風が吹いた。
周囲に木々の姿は無く、腰までの高さしか無い草が生い茂っている。
その中にポツリと存在する岩の上に、俺は胡坐をかいて座っていた。
辺りに俺に近づこうとする魔物はいない。
「よう、賢者殿! この様な所で珍しいな! それに……随分と薄汚れておるな! 竜とでも殴りおうたか!?」
だが、”人”は別であった。
城で初めて出会った頃とは違い、砕けた口調で話しかけてきたのは魔王。
後ろにオーラフを伴い、趣味である”狩”に勤しんでいる様だ。
「魔王様こそ、城を離れるとは珍しいですね。もう”薬”が切れたのですか?」
「言うな! そう毎日巫女とあってはおれぬよ! それに、互いに異なる空気を吸ってこそ、また逢いたくなると言うものだ。それもこれも、お主の御蔭だがな!」
そう、俺は体に同じ問題を抱える魔王と喫せずして心許し合う仲となったのだ。
「千年を超える時を生き続けているとな……もう、何も感じぬよ……」
という、寂しげな告白を機に。
その結果、俺は”秘薬”を煎じ、提供した。
以降は、言わずもがなだな。
無論、俺がいつまでも作り続ける訳にもいかない。
故に、それも伝授した。
ただし、決して公にしないようにと言い含めて。
誰かに作らせるとしても”真に信用できる者にのみ”と約束をさせたのだ。
「しかし、奇遇だな! 折角だ、我の狩に付き合って貰おう」
つい先程、考えの纏まった俺にその申し出を断る理由は無かった。
魔王の狩は些か趣が異なる。
その対象は大鷲や大虎や大獅子。
それらが別種の魔物等を襲おうと身構えている所を仕掛ける。
まさに、食物連鎖の頂点に人が立っているかの様な構図であった。
今この瞬間、魔王は一人藪を掻き分け、獲物目掛けて進んでいる。
その背後に俺とオーラフが並び、周囲を警戒しつつ、魔王の様子を眺めていた。
その時、オーラフが珍しく俺に問い掛ける。
「賢者様、王国が滅びるのは真事でしょうか?」
実に答え辛い質問だ。
彼やアレクシスは”楽園創造魔法”が行使された結果を正確に知り得ている。
そうであっても、俄かに信じ難いのだろう。
王国の消滅、もしくは崩壊を……
俺は小さく頷く事で答えた。
すると、普段は言葉少ない彼にしては珍しく、言葉を続けた。
「王国が死しても兵な死なず。故に、我らはその前後に起きるであろう戦において散る」
それも間違いでは無かった。
勇者レン率いる一軍と王国近衛隊は街道を大きくそれた場所、正にこの平原にて雌雄を決する。
反乱軍による宣戦布告と決戦場の指定によって。
そして……彼らは全滅したのだ。
「……さぞかし強い戦士と相見える事になるのでしょうな。我は一介の武人として逸る気が抑えられませぬ」
意外にもオーラフは”死”そのものを恐れてはいないらしい。
それどころか、強者との戦いに胸を躍らせている。
その相手が我が子レンと言うのが皮肉ではあったがな。
故に、俺はいくら乞われても彼らに己が技を教える事は無かった。
彼らにはレンに討たれて貰う必要がある。
それが後世に伝えられた歴史なのだから。
「おい、貴様ら! 飛竜が現れたぞ! これから彼奴を仕留めてくれるわ! ようく見ておけ!」
喫せずして魔王が俺達に掛けた言葉により、気まずい会話が打ち切られる事となった。
そしてその話題は、俺達の間では二度と上らなくなった。
第四四代魔王歴二九四六年六月一日
魔王の狩に付き合ってから数ヶ月か経過していた。
俺の活動拠点も森の中に整えられ、すっかり根を下ろしている。
アレクシスに対して放たれた魔法”鳥かご”。
その跡を活用した石積の家。
それが新たな我が家として機能している。
とは言え、大した造りでは無い。
玄関扉を開ければ、直ぐに居間が続く。
隠す物、遮る物など無い為、台所やトイレや風呂場へ続くドアが一望できるのだ。
部屋の中程にはロフトへと続く階段。
そこに一人用の寝台が置かれている。
階段の影となる場所には地下へと続く下り階段。
その階段を降りきった場所、扉の先にこそ、俺の”秘密の部屋”が設けられていた。
扉には特殊な細工が施してあり、俺以外に開けることが出来ない。
そしてその奥には”空間拡張魔法”にて作られた”部屋”が広がっていた。
因みに先の魔法は風船を膨らませるのに似ている。
空気の代りに魔力を入れ、押し広げる。
当然、風船であればそれに反して空気を押し出そうとする作用が発生するのだが、この広げられた空間も同様であった。
新たに魔力を込める事で、その反発する力を和らげる。
その為、空間を維持する為には魔力を時折足す必要があった。
俺は今まさにその空間の中にいた。
複雑な魔法を創り出す為に。
だが、
「……また失敗か」
であった。
この数か月間、幾度と無く繰り返し描かれた魔法円。
それらは決して輝きを放ち続ける事は無かった。
「おかしい……まだ何か足りないのか?」
必要となる、礎となる魔法は揃っている筈だ。
異世界とこの世界を繋ぐ近神召喚魔法。
魂を土塊に宿す魂魄与骸魔法。
言ってしまえば、近親召喚魔法はそれらを組み合せれば良い。
然るに、何かが足らないのだろう、何度神聖文字を組み替えても上手くいかないのだ。
その時、俺の背後にある扉を叩く音がした。
俺は思わず、
「入ってるよ」
と答えてしまった。
それに対して、
「知ってるわよ! 城から急ぎの連絡が届いたのよ。ハルにも来て欲しいって」
アレクシスが最初に上ずる声で答え、その後落ち着いた声で扉を叩いた理由を口にした。
あの日以来、彼女は微妙な距離で俺に接している。
決して体を接する事無く、かといって一日以上離れる事も無く。
付かず離れずと言った所であった。
ただし、毎日顔を合わせている。
言うなれば……通い妻の押しかけ女房。
彼女は甲斐甲斐しく俺の世話を焼いていた。
その為に、宮廷魔導士を辞してまで。
何と言うか……有り難いし、嬉しいんだけどな……辛い所だな。
応えられないのがな……
「それはまた急だな。……で、どんな理由?」
「聞いて驚くわ! 赤い巨神が現れた所為で、魔物が暴走しているそうよ!」
その時、俺の記憶が鮮明に蘇った。
クノス地下迷宮の深淵にて相見えた巨人兵器。
かの強大にして、我が身を葬り去った強烈な一撃を。
そして、彼の者を倒した魔槍スコーピオンが……今はこの手に無い。
俺はその事実に身震いを隠せないでいた。