#140 望み
「救世を望みしはお前か? 異形異界の少女よ。我は異界の神ハ……”ルト”である!」
俺は一部噛みながらも、尊大な姿勢を損なう事無く、決め台詞を言い終えた。
噛んだ理由?
ここは過去世界。
”遡行召喚魔法”で浚われたのだから、それは間違い無い。
そして、俺は彼らを窮地から救う……言うなれば救世主。
寧ろ彼らにとってみれば、”現人神”だ。
故に、歴史に”神”として”ハル”の名を残す訳にはいかなかった。
何と言っても、元の時間軸において、俺の名は酷く珍しい部類の様であったからな。
俺の投げ掛けた問いに対し、目の前にいる、四つん這いをした魔人族の女からの答えはない。
それどころか、体を小刻みに震わせている。
これは……恐れ?
突然現れた”神”を名乗る男。
しかも、神聖言語を操っている。
畏怖を感じても仕方が無かった。
もしくは……言葉が通じなかったのか?
俺は今一度、話し掛ける事にした。
それも、今度は古代言語を用いて。
「救世を望みしはお前か? 異形異界の少女よ。我は異界の神”ルト”である!」
「ぷっ……」
俺が古代言語で口上を述べ終えると同時に、奥で誰かが吹いた。
何者かがそれを諌めたのであろう、小さな声。
それらが引き金となったのか、目の前の女の身体がより大きく震えだす。
必死に何かを堪えようとしているのだろう、首を垂れ、露わになった首筋の浅黒い肌が俄かに赤く色づき始めていた。
刹那、
「ヒッ……ヒッ……」
漏れ出た、笑いを押し殺すかの様な声。
女は口から出た音を自らの手のひらで慌てて抑えようと試みる。
その格闘が終わるまで、暫しの時間を彼女は要した。
やがて、女は勝ったらしい。
自らの感情を制御する事に。
顔を上げ、四つん這いから両膝立ちとなり、自身の名を俺に告げた。
「先程は失礼いたしました、”ハー・ルト”様。極短期間に同じ言葉を耳にしたのでつい……。して、私めの名はアン。王国の巫女を務め、貴方様を時の彼方より呼び寄せし者にございまする」
俺は女のその言葉によろめく。
特に、我が名を誤って覚えられた事にだ。
……ハー・ルト!? ……失敗した。
よりによって、そんな形で覚えられるとは。
それもこれも、大事な所で噛んだ所為で……
我輩、いと悲しい……
それに加えて、彼女はあの”巫女アン”。
”クノスの中のクノス”で出会った、美貌の巫女に相違なかった。
あの頃より、更に幸薄そうな顔をしているがな。
俺はバツの悪そうな顔を作りつつ、巫女アンに問うた。
「あのー、当初からただの”人”であると、ご存知だったのでしょうか?」
「はい」
正に即答であった。
俺はその言葉を聞いた瞬間、自身の顔に熱が宿るのを感じた。
その直後、
「ブァッハッ! アーッハッハッハッー! もう駄目だ! 我慢できない! 巫女アン! これが我らが”最期の希望”とやらだと言うのか! これが”神”の言う”賢者”か! アーッハッハッハッー!」
人目を憚る事無く、大口を開けて笑う男。
巫女アンの後ろに控えていたその男に対し俺が視線を向けるのと、巫女アンの諌める声が部屋に響いたのは、
「我が君! 客人に失礼でございますよ!」
ほぼ同時であった。
第四四代魔王歴二九四五年一一月一日
まさかの、六百四十三年前。
如何やら俺は過去へのタイムスリップに成功したらしい。
それも異世界において。
流石は”不可能を可能にする魔法の力”と言った所か。
別に望んでした訳では無いがなー。
さて。
巫女アンに現在の暦を聞いている間に、俺の目はこの部屋の薄明りに慣れて来た。
目の前にいるのは四名の男女。
その傍らには……何時か何処かで見た覚えのある”禍々しい仮面”。
周囲には巨大な石柱が等間隔に並び、ドーム状の天井を支えている。
まるで、どこぞの大聖堂の様に。
半径は二百メートルもあり、綺麗な円形を描いている。
”部屋”と呼ぶには大き過ぎる場所。
そして……俺はこの景色に見覚えがあった。
そう、ここは、
「ええ、その通りです。ここは王都クノスの地下。”大空洞”と呼ばれる場所にございます」
だった。
つい数ヶ月前にもここにエミとレンが吸血鬼に捕らえられ、助け出しに向かったのだ。
見間違えようも無かった。
そこに、巫女アンと俺を除き三名の者がいる。
何れも、見覚えのある者達。
一人は、
「ご紹介いたします。この者は王国の宮廷魔導士アレクシスでございます」
妖艶な魅力を醸し出す、豊かな肢体を持つ森人族の女。
逆三角形を思わせる髪型がすこぶる特徴的だ。
彼女は優雅に一礼するも、口元が僅かに綻んでいた。
もう一人は、
「次なる者は、王陛下の近衛騎士にして、我が国の筆頭騎士、剣聖オーラフでございます」
オネシマス団長に引けを取らぬ程の美丈夫。
それどころか、何処となくオネシマス団長に似ている。
森人族の彼は能面の如く、顔色を変える事も無かった。
そして、最後の”優男”。
彼は、不遜な態度で自ら名乗りを上げだした。
「我は王! あまねく世界を支配した魔人族の支配者である!」
名乗ってねぇ……
いや……”名”が無いのかも知れない。
そういうの、稀によくあるしー。
ただ……何て呼べばいいんだ?
巫女の様に”我が君”とか?
……何か違う気がする。
どちらかと言えば、より親しい間柄の場合、用いそうな呼称だ。
ここは……無難に、後の世と同じ呼び名で呼んだ方が良いだろう。
暦にも記されているんだし。
「あのー、魔王様、巫女様……」
「何だ?」
ふぅ、正解したようだ。
俺は自身が安堵した事を気取られない様、言葉を続けた。
「素朴な疑問を述べさせて頂きます。私はどの様な理由でここに呼ばれたのでしょうか?」
いや、実際のところ、俺が未来から召喚された、その訳には心当たりがある。
それでも、俺は彼らの口から直に聞きたかったのだ。
そして、魔王は
「うむ、遥か時の彼方より現れたお主なら既に知っていよう! 我ら魔人族を楽園に誘うが良い!」
と言い放った。
俺はその言葉に内心答える。
ですよねー、と。
だが、俺はその事をおくびにも出さない。
ただ、
「なるほど、相分かりました」
と普通に答えるのみ。
何と言っても、俺はつい先程、その為の魔法を習得したばかりなのだから。
驚く事は何一つない。
しかし、当事者である彼らはそうでは無かった。
「何と!? 誠か!? 真実、我ら魔人族を楽園に……」
「ほ、本当にございますか!? ハー・ルト様、是非とも今すぐ我らに救いを……」
驚きの余り、口々に囃し立てる。
それどころか、この場での実行をせがみだしたのだ。
が、俺は伝えねばならない。
「直には出来ません。色々と準備が必要です。それに……」
「それに? 何でございましょう? 我らに出来る事なら如何なる事でも致しましょう!」
俺はその言葉に目を細める。
そして、俺はその真偽を確かめた。
「では、褒美に何を頂けますか? 巫女である貴方に私の望みを叶えられますか?」
すると、彼女は大上段に言い放つ。
「む、無論です! わ、私以下城にいる侍女、息女は言うに及ばず殿方を含め、いついかなる時でも御所望下さい!! み、皆も我らが大願が成就する為と思えば、快くその身体を差し出すでしょう!」
それでも、巫女アンは最後には頬を染め、声を落とし、上目遣いで俺の目を見つめながら、振り絞るかの様に
「ただし、最初はわ、私めを……」
と、気恥ずかしそうに言い添えた。
ただ、それは彼女の一存でしか無かった様だ。
それを証明するかの様に、真っ先に反対する者が現れた。
「アン!! 一体何を言うか! 血迷ったか!?」
それは魔王。
まぁ、当然だな。
いきなり王を差し置いて、そんな事を決められてもねぇ……
「馬鹿な事を申すな! 其方は我が魂、我が心の糧、我の全てである! 他の者ならいざ知らず、それは許さぬ!」
違った。
巫女アン以外ならどうでも良いらしい。
そして、それは忠実な臣下としても受け入れられない様だ。
その証拠に、アレクシスが魔王に対し厳しい眼差しを向けている。
オーラフ?
彼は変わらず、無表情のままだ。
いけるんか?
俺の下らぬ疑問を他所に、二人の言い合いは続いていた。
「私はまだ誰の物とも決まっておりませぬ! それもこれも、我が君がその様な事を公言して憚らぬ所為ではありませぬか!」
「何を! 我が物を我が物と言って何が悪い! それに我らは心を通じ合わせた仲では無いか!」
「心だけ通じ合った所で何だと言うのでしょうか? 心だけなら文通でも宜しい! 私めは真実の愛を望むのです!」
「ぐぬぬ! 我とてその考え、そう願っておる! 然るに……」
暫く続くのかと思いきや、途端に元気が無くなる魔王。
対して、勝ち誇る巫女アン。
痴話喧嘩、何故か突然、その幕が降ろされたようだ。
俺はこの機会を逃さない。
「あー、御取込み中すいません。あのー、私もその様な事を望んでいません。それに、もっと大切な、切実な問題です」
俺の言葉に、二人の視線が俺の方に向けられた。
その時、俺は間髪入れずに問うた。
「私を元の時間に戻す方法を、ご存知なんでしょうね?」
そして、彼らは声を揃えて答えた。
「……存知ませぬ」
「……知らぬ!」
それに対する俺の声は、
「……はぁ?」
であった。
束の間の静寂。
緊迫する空気。
さり気無く行使した魔力測定魔法。
その行為を感づいたのか、得物を構え始めた魔導士と剣聖。
それは俺に対する明らかな敵対行動とも言える。
……身勝手な事をしておいて……
この時俺の中で何かが弾け飛んだ。
遅まきながら、俺を誘拐した者達に対しての”憤怒”が俺の胸中に沸き起こったのだ。
数年ぶりに得られた幸せな日々。
後少しで元の世界に帰れる筈だった。
それを突然奪われた。
心の奥底から湧き上がる怒り。
それに呼応する自身の魔力。
黒い靄が体から吹き出し、俺の頭上で人型を為そうとしていた。
彼らはその現象に戸惑い、魅入っている。
その隙を狙い、
「ならば死ね!」
俺は魔力からなる、十の腕を生やし、魔力からなる光輪を投げ付けた。
十光輪。
魔王と巫女アンに対して四本ずつ。
間違いなく、彼らが事の首謀者であるが故に。
それに、残る二人は魔力総量が彼らとは一桁違ったからだ。
放った光輪と入れ違う形で、アレクシスとオーラフが襲い掛かって来た。
その手に、魔力結晶の剣と槍を握り、必殺の一撃を俺に見舞う為に。
俺は彼らの一撃を捌く為、両の手に光針を出した。
襲い来る二人の得物を受け止める為に。
剣聖の一撃が上段から激しく打ち込まれる。
俺はその強烈な太刀筋を十字型に交えた光針で受け止めた。
オーラフの瞳が僅かに驚きの色を湛える。
しかし、それは一秒にも満たない間。
彼はすぐさま二太刀目を繰り出してきた。
それも、僅かに遅れて来たアレクシスとタイミングを重ねるかの様に。
オーラフの刺突とアレクシスの刺突が異なる角度で俺の胸を狙う。
俺は、その攻撃を躱すことなく、敢えて前に出る事で対処した。
オーラフやアレクシスの踏み込みよりも早く踏み込む。
そこに新たに生じた隙間を埋めるかの様に、魔力で出来た腕をねじ込んだ。
その手には同じ色に輝く光剣、所謂光針を握っている。
「アン! 退け!」
魔王はそう叫びながら、輝く大盾を自身と、巫女の前に展開していた。
その為、俺の放った光輪は彼らに届く事無く、大盾の表面に突き刺さる。
それを見届けた直後、俺は今まで一度も行使した事の無い、自ら禁呪と定めた魔法円を遥か頭上に展開した。
と、同時に俺の周囲に魔法円が幾つも現れる。
描かれた文字から、それが如何なる魔法かは直ぐに知れた。
それは俺も頻繁に使う”捕縛魔法”であった。
黒く、強靭な縄がオーラフやアレクシスに致命傷を与えようとしている魔法の腕や、俺の体を固縛しようとする。
その刹那、
「お止めなさい! 私達の負けです! クノスを滅ぼすおつもりですか!」
巫女の悲痛な叫び声が大空洞に木霊した。
「アン! 何を言うか!?」
怒鳴る魔王に対して、巫女アンは静かに頭上を指差した。
そこには、俺が先程展開した魔法円。
神聖言語にて記されたそれは”超爆発”の魔法である事を表している。
今、俺達がいる場所はクノスの直下。
かの魔法が発動すれば……少なくとも地盤沈下が起き、クノスは地中に埋没するだろう。
下手をすれば……
「くっ! 下郎! 今すぐあの魔法を解せよ!」
「我が君! その様な事だからこうなったのですよ! 貴方がお下がりなさい!」
俺のほぼ全魔力を瞬く間に使い、描かれた魔法円。
その輝きを、俺は朦朧とする視界で微かに捉えていた。
我ながら凄まじい魔力を秘めた魔法円だな……
そして、俺は確信した。
この戦い、少なくとも引き分けには持ち込めそうだ。
”仮面”を被される事は無いだろう……と。
その証拠に、巫女アンがオーラフとアレクシスに対して、武器を手放し、俺から距離を取る様に命じた。
代わりに巫女が自ら近づくと言う。
「ア、アン!」
「お黙りなさい!!」
魔王が口を挟もうとするも、それを制する巫女アン。
やがて、彼女は再び、俺の前で跪いた。
「貴方様のお怒りはごもっともにございます。貴方様の意思に反し、この様な時と場所にお連れした事、決して許されぬ事でございましょう。重ねて謝罪させて頂きます。誠に申し訳ございません」
「ふざけるな! 形だけの謝罪など人形にも出来る! そもそも、だ! お前達は俺を召喚し、頃合いを見計い、そこに用意してある”隷属の仮面”を被せようと考えていた、違うか!?」
俺が指差した場所に、隷属の仮面であった物が転がっていた。
今はもう、二本の光輪によって見る影も無い。
「そ、それは……」
「知らなかったとは言わせないぞ! この場にある以上、全ての責任は巫女アン、貴方と……魔王、貴様にあるのだからな!」
俺は魔力が枯渇し、立っているのもやっとの中、魔王を睨み付ける。
奴は顔色一つ変える事無く、俺の視線を受け止めていた。
「……ふっ、恐れ入った。あの仮面の存在を知っていようとはな。流石は悠久の時を超えて現れた”賢者”だけの事はある。しかし……」
「黙れ、魔王! お前は勘違いしている! お前が今すべきことは時間を引き延ばし、付け入る隙を探し出す事じゃない。それにだ。俺の精神に干渉した場合、アレは即座に起動する! 嘘だと思ったら、今すぐ見えない様に展開した”魅了”を行使して見るんだな!」
「我が君! もう、お止めください! 我らはこの方に縋る他、道は残されていないのですよ!」
「クッ……だがアン……」
「ハー・ルト様、どうかお許し願います! どうか何卒、気をお静め下さいませ! 我らには……」
「ならばまず最初に謝れ! 魔王! お前からだ! 何なら、巫女アンから先に殺し、俺と同じ思いをお前に味あわせてやっても構わないんだぞ! 愛する者を突然奪われた痛みをな!!」
その時、初めて魔王は目を見開き、顔色を青くした。
やがて、
「……ハー・ルト殿、我が間違っておった。すまない。そして……どうか我らにお慈悲を……」
巫女の横にまで歩み寄り、巫女と同じ様に衣服が汚れるのを厭う振りもせず跪いた。
それを見た俺は、
「……フンッ! 最初からそう言う態度を見せてればいいんだよ!」
と、心の中で毒づいた。
「で? どう言う状況な訳? 最初から掻い摘んで説明して」
無論、俺は大凡の事は知っている。
歴史書に記されていた範疇だがな。
しかしながら、何故俺がここにいる?
それを確認する事が専決であった。
なぜならば、俺の事はどの歴史書にも残されていなかったからだ。
俺の心の中に一つの言葉が去来する。
それは……”タイムパラドックス”。
過去世界を改変すると、現代世界が崩壊もしくは存在しなくなるとか言う事象だ。
俺の懸念を他所に、魔王が口を開き始めた。
「全ては我ら魔人族がこの世に存するが為に起きる。故に我らは願った。緩慢な滅びとその末に起こるべくして起きる大戦を避け、我らのみ新たな世界へ旅立とうと……」
その結果、彼らは楽園創造魔法の創出を決断した。
以来、数百年の時を経たにもかかわらず、成功の糸口を掴めずにいる。
そこで彼らは他力を頼る事にした。
要するに、”神”の力を。
救世召喚を行い、この世界の神の降臨を願った。
しかし……
「神は現れなかった?」
「いや……顕現された。だが……その御業は発現されなかった。そもそも、その様な力が無いと仰られてな」
……そ、そっかー。
それで?
「ただ、神はこう申された。”我は此方の神、然るに汝らは我が下を去りしを望む。我は彼方の神に非ず”」
……良く分からん。
家出するくせに親を頼るなって事?
「その時、一つの召喚陣を下賜されたのだ。それが……」
何? 俺を呼んだ遡行召喚?
「異界神召喚であった」
……ああ、アレね。
使い道が無いと思っていたが、ここで使われていたのか……
「我らはその魔法円に戸惑い、使う事を躊躇われた。如何なる神であるか、ようと知れぬからな。しかし……他に頼りし術も無い。故に、苦渋の決断の末、行使した。そして、それは功を奏した。異界の神は我らを許すと申されたからだ。ただし、問題が一つ残った。異界に神自ら我らを引き入れる事は叶わぬ。故に、”汝ら自身の力で運命に抗うが良い”とな」
……うーん、それも分からないでもないか?
遊びに来たいなら来ても良いけど、交通費やその手段は自前でね、って事だろ?
「我らは再び苦悩した。その術が分からず長きに渡り思い悩んでいたからだ。すると、異界の神はこう申した、”現世の者に力無くば、後世の者に頼るが良い”……と。異界の神が我らに下賜された魔法こそが……」
「俺を呼んだ召喚魔法と言う訳か……」
俺の言葉に四人の男女が揃って頷きを返す。
如何やら、俺の敵は”異界の神”の様だ。
はぁ……やれやれ、だな。
「で、その”異界の神”は何処に?」
クノスの地下迷宮では様々な”神の一柱”と目される魔物を討ち倒して来たのだ。
そこそこ良い勝負をする自信が俺にはあった。
「それが……」
「神は去ってしまわれました。”我は我が世界に戻り、我自ら斉えん”と申されて……」
魔王が何故か言い淀んだ時、巫女がその言葉を継いだ。
彼女の瞳は俺の目を射るかの様であった。
……来るなら来るって一言云ってよね! 掃除するんだから! って事?
「……はぁ、そうですか。それは……残念……ですね」
チッ! 振り上げた拳の下ろし先が無いのか! 全く苛立たしいとはこの事だ!
しかし……俺どうする?
”楽園創造魔法”を行使するには下準備が膨大に掛かる。
そして、それを行使したとしても、俺自身は元の時代に戻る事は出来ない。
尚且つ、俺の名を残すと……後の世が改変される恐れもある。
名前を”ハー・ルト”と間違って覚えられたとは言え……書物には一切残されてはいなかった。
……一体どうする? 俺どうする? 考えろ! 俺考えろ!
「あ、あの……」
巫女アンが恐る恐る俺に声を掛ける。
対して俺は、
「ん? 何だ!?」
と極度の緊張か、はたまた熟考した所為か大声を出してしまった。
「す、すみませぬ。ただ、お考えを……我らの望みを叶えて頂けますでしょうか?」
「ああ、その事ですか。ええ、かま……」
そこでふと、俺の頭に閃く物が。
何も俺一人で万事うまく執り行う必要は無いのだ。
彼らも最初に言っていた、「何でもやりまーす!」と。
俺はここに来て漸く、居ずまいを正した。
警戒を解き、彼らと同じ姿勢をとる。
そして、
「魔王様、それに巫女アン様。私が元の時代に無事戻る為に協力してくれますか? そして、私が行使する魔法の内容、本質を知り得ても”決して躊躇わない”と約して頂けますでしょうか?」
俺は改まった口調で問うた。
瞳に力を入れ、決して冗談ではないという意を込めて。
「ああ、我が名を掛けて約束しよう。我らが種としての大願が成就するのであるならば!」
「はい、如何なる労を惜しまず、ハー・ルト様に従います」
二人の言葉に嘘は無い。
そう感じた俺は大きく頷き、そして、
「ではまず最初に……私の名を忘れて下さい」
喫緊の課題から一つずつ片付ける事にした。