#014 地下九階
空は今にも雨が降りそうな曇り空だ。
明日は約束を破って外に出たくなくなりそうだな。
俺とロンが槍の講習が行われる広場の片隅に向かうと、どう言う訳か閑散としていた。
理由は直に分かった。
詰所の掲示板に中止とあったのだ。
だが、中止の理由は不明だ。
どうせ大した理由でも無いのだろう。
俺とロンは特に考えず、地下迷宮へと向かった。
すると、地下迷宮の入口でマリオンとタイタスに出会う。
「お前達、これから入るのだな? であれば、俺達に付き合え!」
百獣の王である獅子人族マリオンの予想外の言葉に俺とロンは絶句した。
それに加えて何時にも増して激しい威圧感。
俺は蛇に睨まれた蛙とはこの事だと知った。
ついでに言うならば、マリオンの目が光った気がする。
あっ、猫科だからか? 空が曇って暗いしな。
尚、ロンに至っては膝が音を鳴らしそうなほど震えていた。
俺とロンは為す術無く、地下迷宮の五階へと連れていかれた。
「ここまで来れば良いでしょう」
タイタスが口を開いた。それに応じたマリオンが恐ろしい事を言う。
「ああ、ここならば邪魔が入らん……」
ひーっ! こ、殺されるー! せめて、せめて、この体でも大人の階段を登り切ってから死にたかった……
と、一人馬鹿な事を考えていると、マリオンとタイタスが俺とロンに向けて頭を下げた。
俺達が戸惑っていると、マリオンとタイタスが理由を述べ始める。
第二騎士団が戦闘中に魔物の集団に襲われたこと。
多数の被害が出たこと。
その中にマリオンとタイタスの家族が含まれていたこと。
このままではマリオンが家長となるかもしれないこと。
マリオンの家は代々騎士を務める名門であること。
筆頭従士にならなければ一族の取り纏めがままならないこと。
正直、俺とロンには関係ない。
だが、
「先日のトーナメントで不戦勝での優勝でなければこのような事を頼まずに済んだのですが……」
とタイタスに言われたら、ねぇ? 断れないじゃないか。
やる事は簡単。
色付きの大蟻を探し、色付きをマリオンとタイタスが倒しやすいように雑魚を俺とロンが引き受けること。
流石に二人では探している間に魔力が途中で切れたり、時間が掛かりすぎたりするらしい。
地下五階に入ってから既に二時間が経過した。
ここまでに処理した大蟻の数は百二十を超えている。
だが、色付きはいなかった。
もう少し奥に行く必要があるだろう。
俺達の時もそうだったからな。
「マリオンとタイタスは身のこなしや振舞いが綺麗だね」
ロンがここまでの大蟻退治で感じたそうだ。
それに対してマリオンとタイタスは、
「うむ、幼少の頃より修練を積んでいるからな」
「ええ、私達は生まれながらに騎士と成る様に育てられましたから」
二人は良くも悪くもその結果だと言う。
色々大変な事もあったのだろう。
時折顔に影が射す。
「だが、ロンも直そうなる。騎士団に入れば否応無く鍛えられるからな」
騎士団では槍だけでなく、剣や盾などの様々な武具や馬、算術、書き取り、法律、格闘技、作法等を学ぶ。
それぞれ及第点を取れなければ騎士に叙任される事は無い。
厳しい世界だな。
……探索者で良かった。
だが、ロンの目は輝いている。
夢にまで見た世界が手の届く範囲にあるのが分かっているからだろう。
地方から東京の大学に入る直前って感じかな? ちょっと違うか?
休憩を終え、大蟻のいた二つの部屋を抜けた所に探していた物が見つかった。
扉のあるべき場所に、白い物が堆く積まれている。
大蟻のコロニーがここから始まっているのだろう。
三匹の大蟻がその前に衛兵よろしく立っていた。
俺とロンが手を翳して赤い魔法円を描く。
その中心から火球が飛び出した。
火球は大蟻を一瞬で焼き尽くし、魔力結晶と焼け跡だけをその場に残した。
俺は更に爆発の魔法を行使し、轟音と共に白い遮蔽物を吹き飛ばす。
遮蔽物は部屋の内側に吹き飛ばされ、塵が煙の様に垂れ込めた。
時折姿を現す大蟻を火球で屠る。漸く辺りが晴れ渡り、室内が確認できるようになった。
そこは大蟻の卵が所狭しと並べられていた。
「一つ一つ潰すのは時間が掛かるな……」
マリオンが意外にも愚痴めいたことを口にした。
そこで俺はレンの様に魔力を込めた鎌風を試すことに。
先日の駆除の際、何となく感じが掴めたようなのだ。
「俺に任せてくれ」
俺が颯爽と三人の前に立つ。
左手を前に突き出し、鎌風の魔法円を出した。
その魔法円に体から魔力を送るイメージをする。
体から赤外線が出てポカポカするような、温泉マークの湯煙のような……左手から暖かい何かが湧き出る。
おお! 出来てるな!
しかし、よくよく考えれば、どれだけ出せばいいか分からん。
まぁ、そこは大体で良いだろう。
十秒ほど続けてから鎌風の魔法を行使した。
目の前に、白く巨大な弧が現れる。
それが部屋の壁を削りながらも大きくなり、やがてチェーンソーのような音を立てながら飛んで行った。
部屋にあった卵は当然の事、側面と反対側の壁にすら深い傷が出来ている。
「……お見事です。ですが、いささかやり過ぎです」
そう言ったタイタスを含めた三人の俺を見る目が、悲しい物を見る、憐れみの目だった。
エタノールの刺激臭の所為か、目が濡れて来た。
その部屋から十分ほど歩いた場所に二つ目の部屋があった。
衛兵の大蟻を倒し、中を覗くと大蟻の幼体が所狭しと転がっている。
「ここは僕が!」
ロンが素早く前に出た。
ロンが同じく魔力を込めて鎌風を出す。
すると、絶妙な大きさで白い大きな弧が幼体を切り裂いていった。
「素晴らしい!」
マリオンから驚嘆の声があがった。
それを聞いたロンの尻尾がせわしなく揺れている。
嬉しかったようだ。
別に俺は気にしない。ロンが先にやって失敗すれば、俺は成功してたとか思わない。
マリオンに認められたいとか無いしー。
そもそも、俺の方が本当は年上だしー。
子供に褒められて嬉しいわけ無いしー。
「ハル、気落ちするな。次はきっと上手く行く」
うぅ、タイタス、ありがとう。お前、いいやつだな。
もう二度と、虎キチなんて心の中で思わないよ。
幼体のいた部屋から歩いて十分ほど経過した。
そろそろ次の部屋が現れるだろう。
そう考えていると、案の定、部屋が見つかった。
その部屋には俺達が探し求めていた物がいた。
色付きの大蟻だ。
二匹いる女王蟻の傍らに四匹の色付き雄蟻が。
さて、どうしたものか? レンが一緒の時は、レンが矢面に立って雄蟻らの攻撃を一手に引き受けてくれた。
だが、俺達の力量でそれは難しいだろう。
では、どうするか? それは……みんなで考えよう!
「色付き四匹を一度に相手にするのは難しい、タイタス考えはあるか?」
いきなりマリオンが無茶振り。
お前も考えろよ!
「確かに一度に四匹はマリオンでも無理ですね。逆に言えば、一匹ずつなら大丈夫でしょう」
ほうほう、成る程ねと思ってると、ロンが、
「では一匹ずつ、おびき出すかしてマリオンが倒せば目的が達成できるね」
まぁ、そうなるね。三人の目が俺を見つめる……なに? 俺に期待してるの? え?
「……そ、それではこんなのはどうだ?」
俺は何も考えていなかったことを悟られない様、急いで誤魔化しつつ案を述べた。
土柱の魔法を使って、雄蟻の体が抜ける事が出来ない様に縦格子を作る。
後は格子越しに槍で突くなり、魔法で焼くなりだ。
転移魔法円がある部屋ではないので、天井までの高さは四メートル。
魔力を込めれば何とかなるだろ。土柱魔法でやった事無いけど。
「むぅ、騎士らしく正々堂々とは言えぬが致し方ない」
なら聞くな、俺騎士にならないし。
それに、実力が低い者が強い者に勝つには小細工が必要だよね? 俺を手放しで褒めてくれたっていいんだよ?
縦格子を作る時、意外にもマリオンとタイタスが魔力を込められないことが分かった。
ちっ、使えないな……すると、口に出していないにもかかわらず、マリオンとタイタスに睨まれた。
雰囲気でばれてしまったか。
一人考えていると、ロンが俺にいそいそと近づいてくる。
「ハル……口に出してたよ」
むぅ、最近独り言が多くなってね……歳かな? それとも、心の病かな? どちらにしても魔法では治らないね。
俺とロンは直径一メートル、高さ四メートルの土柱を大蟻のすぐ側で立てる。
その間、大蟻は一切襲ってこない。
傍から見ると実にシュールな光景だろう。
土柱の数は六本。
壁と土柱、土柱と土柱の間はおおよそ四、五十センチ。
多分、大蟻は通れないだろう。
マリオンとタイタスは猫科だから問題無く通れると信じたい。
まぁ、槍と魔法もあるしな。
最初に八匹いる働き蟻の駆除を行う。
鎌風を飛ばし、首を刎ねた。
次に、マリオンが二匹いる女王蟻に対して鎌風を放つ。
問題無く倒した。
そして、色付き大蟻が初めて俺達の存在に気が付く。
大顎を鳴らし、格子のこちら側にいるマリオンに対して威嚇する。
そして、格子から頭を出し、側に立っていたマリオンの首をその大顎で食い千切ろうとした瞬間、その大蟻の首が胴体から離れ落ちる。
マリオンの槍が一閃されたからだ。
その後も残った色付き大蟻が、次々とマリオンに襲い掛かろうとするも土柱で作られた格子に阻まれた。
突き出された頭を無慈悲に切り落とすマリオン。
その最後の一匹が屠られた時、マリオンは片膝をついた。
急激な魔力の継承が行われたせいだろう。
俺の場合はぶっ倒れて十分ほど横になってたな。
暫くして立ち上がったマリオン。
「……どうですか」
タイタスが心配げに問う。
マリオンがその不安を払うかのように満面の笑みで答えた。
「素晴らしい!」
良かった。
ご満足いただけたらしい。
なんだか魔力も大分使ったみたいで疲れて来たんだよね。
俺がそう思っていると、マリオンに感づかれたのか、
「二人に礼を言おう。おかげで十分な成果を得られた」
と言った。
その後すぐに、地下迷宮を出る事となった。
探索者ギルドにて換金をする。
色付き魔力結晶が四個、それ以外が百六十四個だった。
一人当たり大銅貨九十一枚にもなった。
「これはほんのお礼だ」
と言って、タイタスから革袋を受け取り、俺に渡した。
それにはマリオンとタイタスの分として分けられた大銅貨が入っている。
「いいのか?」
俺は人頭税分を稼がなければいけないので、喉から手が出るほど金が欲しい。
トーナメントでの優勝も逃した所為もある。
だが、マリオンが俺に渡そうとしているのは、マリオンとタイタスのれっきとした取り分だ。
若干、気が引ける。
しかし、マリオンは言った。
「俺は既に十分な報酬を得た。それは、色付きを倒した事だ」
それを聞いた俺とロンは、マリオンの分だけを頂戴する事にした。
タイタスは色付きを倒してないからだ。
タイタスが嬉しそうにしていたので、そうして本当に良かった。
その後、俺達とマリオン達は二手に分かれた。
俺とロンは蒸し風呂に入りたかったからだ。
風呂上がりにエメリナの店に顔を出した。
先日のエレノアの色付き大蛙の脚肉に対する鬼気迫る様子が俺の不安を掻きたてたからだ。
「こんにちわー」
俺とロンは店に入って行く。
すると、エメリナは頗る元気そうな顔をして答えた。
「あら、いらしゃい。ハルが来てくれると嬉しいわ」
思ってもみなかった言葉に俺の顔が赤くなる? あれ? そんな事も無かった。
お世辞だから?
だが、俺もお世辞を返さなくては、紳士と言えない。
「俺もエメリナに会えて嬉しいよ。いつもより今日は綺麗だね」
臭い台詞だ。
しかし、後ろ半分は本当だ。
今日はいつもよりエメリナが輝いて見える。
なんと言うか、肌が艶々。
あの肌で顔を挟まれたい。
「ふふふ、ハルの御蔭よ」
あれか? 大蛙の美肌効果と言う奴か? エメリナ、あれ食ったのか……文化が違えば食う物も違う。
しょうがないか。
しかし、エレノアの件は杞憂だったかな?
俺とロンはその後、エメリナと取り留めもない話をして店を離れた。
簡易宿泊所の食堂で夕食を摂り、食後の一杯を楽しむ。
今日はいい一日だったね、とロンと語り合う。
マリオンとタイタスと友誼が深められ? 大金も稼ぐことが出来た。
それに、信じられないことに人頭税分は貯まったのだ! 後は一割税だが、何とかなるだろう。
もう俺は、自由だ!
「ハ、ハル。声に出てるよ……」
ロンの顔が焦っていた。すまんな、ロン。
今日はちょっと疲れているみたいだ。
そんな俺に、より疲れる元が現れた。
「あら! あんた達、今日も飲んでるの!」
ドリスが現れた。
ドリスは一緒に飲みたそうにしている。
誘いますか?
いいえ。
俺が放っておくと、ドリスは小さな樽を抱えて持ってきて勝手に席に着いた。
俺の隣の席だ。
ドリスはロンから俺にターゲットを変えたようである。
ドリスが樽の口からマグカップに酒を注ぐ。
それを勢いよく飲んだ。
「あーっ、美味い! 生き返る!」
お前は昭和の親父か。
ふとドリスの顔や肌を見ると、昭和の親父とは思えないほど、瑞々しい肌をしていた。
先程見たエメリナの肌と甲乙つけ難いほどだ。
「なに? 私の肌に触りたいの? ハルならいいわよ」
本当にいいの? と俺は拾われる子猫のような顔を作ってドリスの目を見つめながら、ドリスへと手を伸ばした。
伸ばす先は見事な双丘。
ドリスのその大きな胸の所為か、大きく広げられた胸元。
そこに手が触れる瞬間、
「ばっ、馬鹿! 冗談よ、冗談!」
顔を真っ赤にしてドリスが俺の目から反らす。
思わず、俺の口角が上がった。
そのことにドリスは気付かなかった。
その後、他愛もない下世話な話が続く。
やがて、先日のトーナメントでの俺とタイタスの試合に話題が移る。
「銀貨二枚得るのに、道具を揃えたのに使えなかったのは傑作よね」
とか、
「まさか、魔法を使ってまで勝とうとするとは。多分、ハルが初めてよ」
とか、ドリスに言いたい放題言われた。
最終的には、
「そんなにお金が欲しいなら、このドリス姐さんがハルを一晩銀貨二枚で買うわよ!」
とか言い放った。
俺が尻込みすると予想したのだろう。
初心な少年ならいざ知らず、俺は大人だ。
舐めるな!
「僕で……いいの?」
と、意図的に左肩を少し覗かせて、俺は母親を探す、迷子になった小動物のような顔を作って答える。
案の定、ドリスがドギマギして逆に怖気づく。
「ば、馬鹿ねぇ! じょ、冗談よ!それに……そんな必要も無くなるかもしれないしね……」
最後は負け犬の遠吠え……でもないか? 意味深な発言をしたドリスは、急に酔いが醒めたのか、
「もう、帰るわ。またね」
と言って去っていった。
翌、十一月十七日。
地下九階。大鼠の駆除に来ている。
初の哺乳類だ。
大鼠は体高一メートル前後だが、稀に二メートルを超えるらしい。
カピバラみたいなもんかな?
……正直、大きさに関しては驚くことは無くなった。
四メートルと言われても、ふーん、って感じだ。
動きが素早く、凶暴、集団で獲物を襲う。
……カピバラでは無いらしい。
そもそも、魔物と言われるぐらいだし。
対処方法は地下八階で習得した麻痺魔法と地下七階で習得した睡眠魔法を使う。
どちらも広範囲に効果を及ぼす。
これらを使う理由は証拠部位が大鼠の背中の皮だからだ。
可能な限り傷つけずに狩る必要があった。
それが無ければ、鎌風等で処理していただろう。
急所は頭と、心臓。
普通だな。
背中の皮を傷つけたくないので、頭を狙う。
今回は特に難しい訳でも無いので、最初から俺とロンに任された。
大鼠は部屋に集まる習性があるようで、纏まって揃っている所に魔法を行使する。
稀に効かなかった個体が襲い掛かってくるが、それは俺やロンが冷静に処理した。
日頃の鍛錬の成果か、魔力継承の効果か大鼠の動きがはっきりと見える。
楽勝だった。
そう、大鼠の駆除には全く問題は無かった。
だが、俺達の雰囲気は悪かった。
「レン、何かあったのかな?」
ロンが小声で俺に問う。
それに対して俺は肩を竦めて、分からないと答える。
既に三回目の休憩だ。
だが、妙に張り詰めた雰囲気になってしまう。
レンがいつもとは違い、何か考え事をしている為だ。
それも簡単な問題では無いのだろう、
「分かりました」
「静かに」
「(魔力結晶を)取りましたか?」
と、言うか、無言で頷くだけであった。
会話を交わすのは俺とロンだけだ。
休憩時には時折する質問には端的に答えてくれる。
だが、それだけだ。
俺は思い切ってレンに話し掛けた。
「なぁ、レン。何かあったのか? 今日はいつもと違うから、俺もロンも辛いんだ」
「すいません、ちょっと困ったことが起きましてね。その対策を考えていたんですが……」
「俺やロンには相談できないことなのか?」
と、俺が言うとレンが、申し訳なさそうな顔をして答えた。
「……ロンには問題ないのですが。」
俺には言えない話らしい。
何それ、怖い。
その後、俺が事あるごとに聞いても、レンは頑なに答えることは無かった。
「そうそう、明日も槍の講習は中止です。魔法ギルドに行って下さい。先方には話を通してありますから」
結局、もやもやとしたままこの日の駆除を終えた。
駆除した数は大鼠が四十二匹、大蛙が一匹だった。
皮が嵩張って大変だったが、レンの用意した大型の背嚢と袋で凌いだ。
換金すると大銅貨百二十九枚となり、一人四十三枚の大銅貨を手に入れた。
因みに、探索者ギルドの受付に現れたエレノアの肌も艶々だった。
もしかして、エメリナとエレノア、それにドリスは繋がりがあるのかもしれない。