#127 全ては霧の中
俺は今、土下座をしている。
どこで?
地下迷宮百階、管理者の間で。
それも大勢の人に囲まれながら。
”聖女の棺桶”から這う這うの体で出た俺の前に、意外な人物が新たに加わっていたのだ。
それは俺の馴染の人物。
リリィ、レイチェル、ドリスに……何故だかファリス達だった。
俺は彼女達の姿を目にした瞬間、
「助けに来てくれた!」
と内心喜ぶも、目をサッと逸らされた事でそれは俺の勘違いだと知る。
そして、腕を組み、俺の前で仁王立ちするエミ。
俺は彼女の前で、正座をし、両手と頭を地に擦り付けるしか無かった。
それを無言で見つめるエミ。
その鋭い視線が俺の頭部に感じられる。
それから暫くして、
「アビゲイル覗いているのでしょう? 今すぐ来て!」
声高に言い放つ。
更には、
「それとレン、彼女もお願い」
と意識の戻っているアリスの方へと視線を送りながら顎をしゃくった。
俯瞰視魔法……土下座しながらも周囲が見渡せる。
実に便利な魔法であった。
俺の背後に、二つの魔法円が現れたのも見える。
その中から、淫魔の二人が出て来たのも。
アビゲイルとベアトリス。
俺の数々の情事? を約定に反してエミに売り渡した二人。
故に、俺は思わず、
「アビゲイル! 話さないと約束したじゃないか!」
叫んでしまった。
刹那、雷撃が俺を襲う。
「ぎゃぁああ!」
「うるっさい! ハルは黙ってなさい!」
鬼嫁の雷が俺に落ちたのだ。
それを嘲笑しながら見ていたアビゲイルは言った、
「勿論、話しておらぬ。もっとも、エミは知っておった。事実、お前の人族からすれば目に余る所業はエミから知らされたのだ。愚痴られたのだ。亭主のお下がだらしない、とな。それとな、お前との逢瀬は話さぬと約束はしておらぬぞ?」
「約束は違えた事が無くてよ?」
ベアトリスも同じく。
……なら……何故バレた? リリィ達とのお楽しみが……
その理由はエミの口から語られた。
「一年ほど前、レンにお願いして、彼女達をここに呼んで”お話”を聞かせて貰ったのよ。あの時は思わず怒りで我を忘れたわ」
エミのその言葉と、意味ありげな視線がリリィ達に向く。
その刹那、彼女達は顔色を更に青くした。
「あの時はごめんなさいね。本当に貴方達やクノスの住民を怖がらせたるつもりは無かったのよ?」
「だが、その所為で地上では地震が頻発し、あまつさえ火山が噴火したようじゃな?」
あ、あれはエミの怒りが元で起きたの!?
周囲が驚愕しているのを他所に、エミはアビゲイルに対して満面の笑みを返す。
すると、アビゲイルは一歩引き下がり、自身の顔の前で両腕をクロスした。
まるで何かから顔を守ろうとするかの様に。
その直後、一陣の風が舞ったかと思うと、アビゲイルの体が海老のように折れ、地面に倒れ伏す。
ベアトリスが駆け寄ろうとするも、エミの冷たい視線がそれを許さなかった。
「……で、最後はアリス、貴方から聞きたいの。今までは吸血鬼が貴方の近くにいた所為で、直接呼ぶのを憚られたから」
……そ、その前に俺を呼べ。
そもそも、エミがこの世界にいると知っていたならあんな事しなかったよ!
……いや……この世界にいると知ってても……やってた……な……
「わ、私はハルの事を愛していたわ! け、敬愛しているエリザベス様とは言え、そこは……」
そう、確かにアリスはエミを敬っていた。
それでも、その対象を傷つけ、穢す事になろうとも、嘘をつきたくなかったのだろう。
そして、彼女は明言した。
俺を愛していた……と。
……いた?
あれれれれ?
俺の困惑を他所に、エミの口撃は激しさを増す。
「言っておきますけど、ハルとは決して子を生せないわよ! 彼は人外、ゴーレムとも言うべき存在だから!!」
その事実を知ったアリスと、それを含むリリィら女達、加えてファリスが顔を引き攣らせる。
……つーか、何でファリスまで?
ドゥガルドは物悲しげな表情を浮かべ、オネシマス団長は無表情に神器レプリカの剣を布で拭いていた。
エミが先程までと一転して、優しい声でアリスに話し掛ける。
慈愛の、地獄に現れ、落ちた者を救う、観音菩薩の如き顔をして。
「アリス、お願いだから話して。今話してくれたら無かった事にするから。ここクノスでは第一夫人に秘密で逢瀬を重ねたら重罪だったわよね? 違ったかしら?」
せ、正確に言うと、子を生しては駄目なのだが……
直後、エミの体から膨大な魔力が立ち昇る。
黒い靄の如く湧き出したそれは、やがてエミの背後で人型の化け物を思わしき姿に。
その余りの巨大な力と異形に目を見開き、恐れ、身体が震え始めたアリス。
彼女は観念したのか、俺達の出会いから、新月の夜に繰り返し行われた密会の様子、その一部始終を余すことなく語った。
それを黙って聞き続け、身動き一つしない、エミ。
ただ、怒りに首元から上を真っ赤に染め上げたエミ。
それでも、彼女は優しい声を出す。
「それで、貴方はどうしたいの? ハルとは子をつくれないわよ?」
「わ、私は先程も言ったようにハルを愛していました。でも、今ではもう……」
「……愛して”いた”? そう、それで?」
「ほ、他の者を……」
そして、アリスは語り出した。
新月の夜に、俺と逢えなくなったある日、吸血鬼ユアンと関係したことを。
その頃には魅了にも抗えていた。
でも……彼はいつも寂しそうで……私も寂しかった。
それ以来、求められるたびに……。
何時しか、彼を愛していた。
……でも、現状を受け入れる。
吸血鬼ユアンの事は今後落ち着いて考えたい。
ハルの事は……愛する者を奪われた今は……許せない……と。
その独白を聞いた俺は、過去の男とされていた事実と……愛する者を奪った仇とアリスに目されている事に絶句する。
逆に、エミは若干嬉しそうに、アリスを労うように、彼女へと語り掛けた。
「ありがとう、アリス。感謝するわ……以上で全ての証言を聞いたわ。よって結論を下します。いいわね?」
最後の問いは俺に投げ掛けられたもの。
俺は只々、
「はい……」
と首を垂れるのみ。
そこに、無慈悲な宣告が下された。
「もう暫く離れましょう。折角会えたけど……今すぐに、元通りに生活するのは……同居するのは無理よ。他の女と肌を重ねたなんて……正直気持ち悪いわ。ごめんね、ハル……」
……いいや、エミが謝る事なんてないよ。
俺が……俺が全部悪いんだから……
でもね?
「それは……さ、再構築に進めるって事?」
「そうね、それは……ハルの行い次第かしら? 私の浮気の条件覚えている?」
俺はその言葉を聞き、口の中の唾をゴクリと呑み込む。
そして、はっきりと答えた。
「あい……お、覚えています」
「それを守り続けてくれたら……考えるわ。それと……毎晩可能な時は夕食を作りに来ること。いいわね?」
エミがそう言った直後、明確に反対する手が上がる。
それは、レンからだった。
「お、お母さん! 僕は反対です! こんな汚らわしい……」
「レン……お父さんとお母さんはまだ夫婦なの。簡単に切り捨てられないのよ? 十年も、いえ、何百年もまって、心焦がれていて、いざあって、こんなのが父親と分かって……本当に不憫な子。でも、お母さんの気持ちも分かって欲しわ」
「そ、そんな……。でも……お母さんがそこまで言うのなら……。わ、分かりました……」
「ありがとう、レン」
優しくレンに微笑んだ後、エミは俺を睨み付ける。
「ハル、貴方も良いわよね?」
反論など許されない。
「あい」
「では早速、今夜からよ」
意見も許されない。
「あい」
「でも……その前に……」
「その前に?」
「うふ、うふ、うふふふふ……」
エミの怪しげな笑い声が辺りに木霊する。
それを聞いた俺以外の者は、更に数歩、俺から距離をとった。
「な、なに? エミ、どうした?」
エミの魔力が周囲に満ち始める。
俺は嫌な予感しかしていない。
いや、半ば覚悟を決めていた。
「アリスとの浮気が精算されて無かったわね……」
だが、覚悟していたとは言え、言わざるを得ない。
「えっ、うそ……」
と。
た、確かにアリスとの分は入って無かった。
だから?
エミは無邪気な微笑みを俺に向けて、子供に諭す様に語り掛ける。
「ハル、もう一度喰らいなさい。聖女の棺桶……その中で罪を贖って……」
「い、いやーっ! 許して、エミ! 今度こそ、もうしま……ギャァアアアアアー!!」
次の瞬間、俺の全身を焼けるような痛みが襲い掛かった。
更にはエミにより、思考知覚向上魔法を掛けられた俺。
その結果、未来永劫、止む事の無い、地獄の業火の中に投げ込まれたかに等しい苦痛に俺は飲み込まれた。
その中に入れられた、穢れた魂は、自ら滅する事を望むであろう。
それが唯一の、贖罪であるかの様に。
俺もその例外ではなかった。
それでも、罪は許される。
一度目よりも遥かに長い時を聖女の棺桶の中で過ごした俺にも救いの手は差し伸べられたのだ。
棺自身が俺を吐き出す。
まるで汚物の如き扱いで。
そして、俺は動けない。
動く気力も無い。
あるのは深い自責の念と……悲しいかな……エミの顔を見た喜び。
そして、俺の口にのぼる言葉。
「ごめん……エミ……」
「良かった。ちゃんと反省したようね? もう、次は無いわよ?」
「はい」
……こうして、俺とエミの、十年ぶりの再会は無事? 終わった。
その夜、俺とエミは二人きりの食事を楽しむ。
レンは諸事情により辞退した。
夫婦水入らず、と気をきかせた訳では無い。
結果的に”管理者”の代替りとなったとは言え、任務を無事全うしたのだ。
その報告をする為、秘密裏に領主様と会っているらしい。
それに何と言っても、”城”の一員たるエグバートの扱いが問題だからな。
あの後、意識を取り戻した彼は、数年分の記憶を失っていた。
具体的に言えば、俺と吸血鬼ユアンが初めて出会った頃からの記憶が無いのだ。
結果、混乱した彼は意味不明の言葉を叫ぶ。
仕方なく、その姿を見かねたレイチェルが彼を捕縛魔法で”芸術的に”拘束し、彼の今では”無人の”屋敷に連れ帰った。
その時、彼女は嬉しそうに、
「ハル様、私にお任せあれ。しっかりと、調きょ……いえ、躾けてまいります」
と言ったものだ。
俺とエミの間にも、多少ギスギスしながらも会話の華が咲く。
「俺が消えて十年間も……よく俺が帰ってくると信じて、待っててくれたんだな。本当に、俺が帰ると信じ続けていたのか?」
「ええ、今でこそ不思議よね。でも、当時はハル以外考えられなかった。それに、一番の理由はレンがハルの小さい頃の姿にそっくりだったからよ」
……銀髪赤目の美少年が俺にそっくり? 誰かと勘違いしてないか?
「そ、そうか?」
「ええ、本当にそっくりよ。今でこそレンはシルバーブロンドの髪に、アルビノみたいに赤い目をしているけど。髪の色と目を黒くすれば瓜二つ。自分では分からないものよ」
「俺、あんなに美形だった? 女にもてた試し無いけど……」
「ふふふ、ハルには私がずっと側にいたからよ。悪い虫は追い払えって、お父様とお母様に頼まれてたから。それに、自業自得でもあるわ。貴方、弟の勇人君と貴方の親友を加えて”三馬鹿”、”残念メンズ”って陰で呼ばれていたのよ。コンビニで厭らしい本を立ち読みしていたから」
うそーん、あれ誰かに見られてたの!? それをエミに指摘される……恥ずかし-……
「そ、そうだったんだー……」
だがしかし? そこで湧き上がる一つの疑問。
「だとしたら……何故、レンの髪の色と目が違うんだろう?」
「それはね。召喚する魔法円に、この世界に来たらそうなる様に術式が組み込まれていたからなの。私の髪質もそう。私がストレートが良かったと零したのをレンが覚えてくれてたから」
「と言う事は? 俺の場合は……」
「ハルの場合は……御免なさい。レンと相談して、出来得る限り私達の力を貸さないで、ハルの独力で達成して貰いたかったの。管理者の件もあったのと……ハルは、直ぐに楽をしようとするでしょう?」
……否定できない自分がもどかしい。
エミが管理者であり、強力な魔導士であると知ったなら……俺は一切の努力をせず、頼りきりになっていただろう。
「それでもね、レンには内緒で貴方と連絡を取ろうとしたのよ?」
「えっ!? どうやって?」
「レンに最初に渡された辞書。あの一番後ろのページにハル宛に魔法で手紙を書いたのよ。レンに気付かれないよう、急いで。乱暴な字になってしまったけど、ハルがこの世界の文字を読み書き出来る様になれば呼んでくれると信じて。そうすれば……あれで簡単なメッセージの遣り取りが出来たの。レンにも内緒で」
……知らなかった。
それに、あの辞書は……字を覚えてから開いていない。
そういえば、確かに乱雑な字で文字が書かれていた。
何と……あれがエミからの……そりゃ、お釈迦様でも気が付くめぇて……
「でもね、心配だったの。元のままのハルだとモテて、直ぐに女を作ると思って。それで……少し……ううん、随分と顔の造りをいじったの……」
「……まじで? それでも結構モテたぞ」
「元が良いからよ。そもそも、あの魔法は一部の色や形を変える力しかないようだったわ」
「それで、レンは赤目銀髪なのか?」
「ええ、そうよ。レンはああされた事を本当に怒っていたわ。あの所為で色々と苦労したようなのよ」
「なるほど……。まぁ、いっか。それなりにモテたし……」
「ハル? 反省してないの?」
エミの目が危険な色を湛える。
俺は慌てて、
「えっ!? そんな事無いよ! 海より深く反省したし! そ、そ、そんな事よりも、だ。俺、今だ加齢しているけど? 二人はそうでも無いよな? 何で?」
自己弁護を試み、更には話題を変えた。
エミの目から険は消えなかったが、話しを変える事には成功した。
「……話したくは無いのだけれど……私は元の世界で四十代目前まで歳を重ねたわ。だから、ハルにもそうして貰おうと。それに、その年頃ならハルの性欲も落ち着くでしょ?」
……なるほど。
周到な計算だ。
確かに四十代なら性欲は著しく減退しているのかもしれん。
だがしかし?
俺の父親の事を考えると……差に非ず。
いい年こいて、”狙撃手”なるエロ本を隠し持つぐらいだからな。
それにしても、俺は四十代まで加齢するのか……
大丈夫だとは思うけど……若ハゲになったりしないよな?
若ハゲのまま数百年、数千年も生きるとか……地獄なんですけど!
その時は……剃るか!
「私はレンの御蔭で二十歳で止まったの。レンに事あるごとに”お母さんはお父さんにプロポーズされた二十歳の時が一番きれいだった、だから父さんもプロポーズしてくれた”と話し聞かせてたから」
「……そうかー。それじゃぁ、しょうがないよな」
理不尽だけどなー。
その後、俺達は今後の方針を話し合った。
腰を据えて帰還する方法を探す。
その為に俺は神聖文字で書かれた文献を具に調べたりして。
やがて俺は、長時間座り続けた所為か、凝り固まった体を解すかの様に、窓辺に立って外を見る。
そこに、音も無く、スッと寄り添うエミ。
意外にも、腰に腕を巻き付けて、俺の見ている物を一緒に見だす。
月明かりの下、外は一面、霧に覆われていた。
神々しい、聖なる力に満ち溢れた霧。
聖霧。
クノスの、その全ては霧の中にあった。
それは地下迷宮から出た直後、俺が放った魔法。
領主様の決断を受け入れ、俺がその願いを叶えた。
吸血鬼の分体を討滅するために。
街中はいうに及ばす、城の中も、高貴なる身分の者達の屋敷も、クノスの地下に隠されている地下坑道にも俺の放った聖なる霧が満ちている。
エミの頭が俺の肩に乗る。
俺はそっと、拒否されないかドキドキしながら、彼女の肩を優しく抱いた。
……よかった。拒否されなかった。
そして、何時までも見続ける。
目に映るのは……全ては霧の中。
ん? オネシマス団長が話したエミの浮気疑惑?
言えるかよ、この状況で……
全ては霧の中……
第五章を最後までお読みいただき誠にありがとうございます。
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