#011 地下六階
十一月十日。夜明け前から細かな雨がしとしと降り続いていた。
細雨だ。
空には広く雲が掛かり、太陽から光を阻んでいた。
遠くを見渡すと、空の端に時折瞬く光が見える。
「雷か……」
この世界に来て初めて見たな。
十一月の雷だと雪起しの雷だが、亜熱帯のここでは違う。
雨季の雷かな?
ウキウキするな……
今日も朝からエイブによる槍の講習を受ける。
幸いにして雨は霧雨程度になった。
俺とロンが広場に着くと、いつもより多い人影に気付く。
どうやらその全てが見習い探索者らしい。
本日の講習内容はエイブによる槍舞披露とその習得であった。
それが意外と人気があるらしく、このように自由参加にも関わらず、大勢の見習い探索者が集まっていた。
驚いた事に、マリオンとタイタスの姿も見える。
意外だ。
こう言う事は鼻で笑うタイプかと思っていたが、そんな事は無いらしい。
大人びて見えても男の子と言う事か。
エイブの槍舞と言うか、槍の演武もしくは殺陣は美しく、且つ、ダイナミックそして切れがあった。
キレキレだ。
端的に言うと凄く格好良かった。
俺が女だったら惚れたかもしれない。
だが、女じゃない。
残念だったな、エイブ。
その後、エイブの指導の下、演武を学ぶ。
とは言っても、基本的な一連の流れを真似るだけだ。
ゆっくりでも良い、形を崩さずに出来れば合格だ。
一時間ほど続けた頃に、突如雨が強く降り出した。
続けて雷の音が轟く。
俺はその音に慌てて地下迷宮の入口へと階段を駆け下りた。
ロンも俺の後を追って来る。
「ハル! どうしたの? そんなに慌てて何処行くの?」
ロンの言葉に俺は罰が悪そうに答えた。
「……雷がちょっと……」
そう、自慢では無いが俺は雷が大の苦手だ。
遠くで鳴る分には構わないが……兎に角、鳴り止むまではここを出たくない。
俺は有無を言わせない勢いで、
「折角だから……地下迷宮で魔法の練習をしよう!」
と言った。
ロンは苦笑いをしながらも応じてくれた。
おお、真の心の友よ!
俺達は前回練習した時と同じ部屋に移動した。
ここであれば誰の迷惑にもならずに練習する事が出来る。
たまに邪魔されるが、公共の場だ。
それは仕方がない。
まずは魔法の同時行使だ。
両手に火球の魔法をイメージする。
問題無く出来た。
遅延も無く、全くの同時だ。
そのまま火球を放つ。
……問題ない。
二つの火球が合わさって大火球になる、と言う事は無かった。
魔法の合成はこれじゃないかも。
次に水球と冷気を試してみる。
これは直に出来なかった。
同じ魔法円では無いからだろう。
何度か試して、漸く魔法円を描くことが出来た。
そのまま、魔法を出す。
……問題無かった。
魔法円さえ出せればその後の魔法は正常に放たれる様だ。
ただ、冷気と水球なので氷の球が飛ぶかと思ったが、そんな事は無かった。
魔法円の出し方だろうか? 重ねると良いとか?
次に、火球の魔法円を三つ出してみる。
暫くは躓いたが何とか出来た。
魔法の行使も問題ない。
ただ、随分と疲れを感じる。
オバダイアも魔法の同時行使は魔力を余計に使うと言っていた。
あまり使う事は無いかもしれないな。
ロンも同時行使は問題なく出来ていたが、別の魔法円を同時に出すことは手こずっていた。
ただ、繰り返すことによって出来る様になった。
鎌風の魔法に魔力を多めに込めて? 効果範囲を上げる練習は散々だった。
そもそも、魔力を込めると言う状態が理解できない。
頭の中で念じてみたり、手に力を入れてみたが駄目だった。
元気を分けてくれと言っても駄目。
こればかりはどうにもならなかった.
俺はいよいよ諦めて、ロンに帰ろうかと提案した。
「そうだね。もう、大分遅くなったから帰ろう」
と直に同意した。俺は迷宮離脱の魔法円を出した。
ロンが俺の体に触れ、戻ろうとした時、
「待て!」
と言う大音声。
驚いた所為か、魔法円が消える。
恐る恐る声がする方を振り返ると、背の高い、茶色い髪を後ろに流した男が手を伸ばしていた。
腰の辺りには薄茶色の尾と先端に黒い房がみえる。
その後ろにいる大柄な男は短く刈り込まれた髪が見事な虎縞を表していた。
マリオンとタイタスだ。
彼らが俺達に用がある素振りをする。
……面倒な事でなければ良いが。
「ど、どうしました?」
ロンが口ごもりながら問う。
マリオンの威圧感が相変わらずだ。
俺の背にも冷たいものを感じる。
もしくは威厳とか風格とでも言えばよいだろうか?
流石は百獣の王だ。
尻尾を巻いて逃げ出したい気分だ、尻尾無いけど。
「すみません、本当に怖がらせるつもりはないのですが……マリオンはこれで普通なのです」
……自然体でこの迫力。
種族差か?
それとも育って来た環境が違うから?
「……すまん、この通りだ」
マリオンが意外な事に頭を下げた。
人間も出来てるのか……完敗だぜ。
「はぁ……それで御用は?」
ロンが気を取り直して聞く。
それに比べて俺は言葉を出すことも出来なかった。
俺、不甲斐ない。
「騎士団に入れる人数は知っておるとは思うが、見習い探索者からは六名だ」
成る程。
従士の枠は二十名。
残り十四名は入団試験を実施して選考される、か。
それで?
「これは知らぬとは思うが、見習い探索者から入団した者の内、最も強く、賢い者が筆頭従士となれる」
ふむ、ふむ。
筆頭従士になると箔が付く。
その後の出世にも影響すると言う所か。
「俺は何としても筆頭従士に成りたい!」
マリオンが声を荒げる。
余りの迫力に俺とロンは一歩足を引いた。
急に叫ぶなんて反則や……それで?
「だから……俺と戦え!」
なんでやねん! 意味が分からん。
途中に大切な何かをすっ飛ばしたやろ?
堪らず俺が口を挟む。
「もう少し、分かり易く理由を説明して……」
マリオンが俺を睨み付ける。
……いや、目つきが鋭いだけで、睨んではいないのかもしれん。
慌ててタイタスがフォローする。
「度々すいません。要するに、力比べをして現状を把握したいのです」
タイタスによると、魔力結晶回収実績によって俺とロンが成績トップだと考えられる。
何処でそんな情報を知り得たんだろ? 因みにマリオンとタイタスが後に続くらしい。
マリオンは由緒正しい騎士の家系らしく、兄が筆頭従士と成った為か、家族から無言の圧力を感じているとの事。
勿論、本人の意向もあるだろうが。
プレッシャーに弱いとか……可愛い百獣の王だな。
まぁ、分からんでもない。
親が良い大学出てると、子供も当然頭が良いと思われるよな。
頑張って勉強してその通りになったとしても。
周りはいつも父さんの子供だから、とか、母さんの血を引いたのね、とか。
ただ見れば 何の苦も無き水鳥の 足に暇なき我が思いかな
ってやつだ。
マリオンは探索の無い日もこうやって頑張っているんだろう。
ならば良かろう! 相手になってやる!
「ロン……して上げなさい」
俺は菩薩の如き顔でロンを諭す。
慈しむ、慈愛の心。
いや、蜘蛛の糸を垂らす心境だ、マリオンに対して。
ロンが糸だな。
ロンは唖然としている。
そして、何で僕がと零した。
「いや、俺は騎士になんないし……」
「なんだと!」
俺の言葉にタイタスが素早く反応する。
なに? 悪いわけ?
対してマリオンは冷静だ。
俺が言葉を続けるのを待っている。
だが、俺はしゃべらん。
何だが面倒だし。
すると、タイタスが焦れてしまったのか、
「……理由をお聞かせ願えるか」
と言う。
仕方がない。
お願いされたら言うしかあるまい。
俺は十分な間を取ってから言った。
「そこに、地下迷宮が……」
「有るからとかは無しに。真意を知りたい」
……言葉を遮られた上に、念押しされてしまった。
仕方がない。
「深層にある魔法を習得したいのと、探索者の方が稼げるからだ。このままでは納税出来ない」
この言葉には納得が言ったようだ。
マリオンは頷き、タイタスは口許が僅かに上がった。
すいませんね、貧乏で。
「そう言う事なら仕方がなかろう。ロン殿、お相手願えるか」
マリオンの言葉にロンが槍の先に穂鞘を被せる。
マリオンも同様だ。
怪我をしたら大変だからな。
一応ルールも決めておこう。
エイブの講習で行う、掛かり稽古でいいだろう。
力比べだしな。
マリオンも異を唱える事も無かった。
互いに十回ほど攻守を変えながら行う。
マリオンの所作は見事な物だった。
構えが美しく、体の動きも流れるようだ。
ロンは逆に力強く、動きが大きい。
これはマリオンの方が長く、良き師の下で鍛錬を続けた為だと思われる。
あれを直に出来るようになるのは無理だな。
掛かり稽古を終えたマリオンは納得できたようだ。
「やはり、魔力継承はロン殿の方が上だと思われる」
マリオンとタイタスは俺達に感謝の言葉を述べた後、再び地下迷宮の探索へと戻ていった。
彼らを見送った後にロンが言った、
「次は負けないから……」
が非常に印象的だった。
主人公か……
だが、魔力継承の力が多くても、技術が無ければ歯が立たない。
それが良く分かった俺達だった。
「あっ!」
頭上に上がっている灯りが僅かに暗くなった。
二時間経過したようだ。
俺は再び迷宮離脱の魔法を出す。
ロンが俺の肩を掴むのを確認してから、魔法を行使。
一瞬で地下迷宮の入口へと戻った。
空気は澄んでいるように感じる。
雨が上がったのだろう。
広場に出ると、遠くの空が明るく、そして綺麗に見える。
俺は何よりも雷が止んだ事に安堵した。
雨雲が過ぎ去った方角には厚く、黒い雲。
積乱雲だろうか? 時折輝く光は雷光と思われる。
「ハル、これからどうする?」
ロンの言葉に俺は我に返った。
あまり考えていなかったが、十日後には一人暮らしとなる。
何か小物類でも事前に下調べをしておいた方が良いだろう。
「雑貨屋に行ってみようと思う。ロンは?」
武器屋、つまり、マクミランに行くらしい。
今日は時間もある。ラナとゆっくり交友を深める事が出来るだろう。
「分かった、後でマクミランの店に寄るよ」
俺はそう言ってロンと別れた。
俺は以前、レンと偶然会った雑貨屋に向かった。
品揃えが豊富かどうかは知らない。
他の店と比べて安いのかも知らない。
ただ、あの時会った美人エルフ店員が目当てだ。
店に入ると直にその美人エルフ店員が現れた。
あまり客がいない。
暇な時間帯なのだろうか?
「いやっしゃいませ! ……あら以前背嚢を見に来てた?」
艶やかな薄黄緑色の髪が白い透き通るような肌に映える。
顔は小さく、目は大きいが優しく垂れ下がっていた。
……綺麗だ。
そんな美人エルフ店員が俺の事を覚えていた。
おい! 凄く嬉しいじゃないか。
この身体は童貞。
チェリーボーイ。
簡単に勘違いしちゃうぜ。
「ええ、あの時は大銅貨二枚が全財産で……買えなかったんです」
思わず余計な事を言ってしまった。
だが、美人エルフ店員は
「あら、買えたじゃない」
と言う。
えっ? あれ? そう言えばそうだな。
計算間違えてたのか……まぁ、どっちにしても飯代になってたし。
俺が黙考していると、美人エルフ店員がお決まりの台詞を言った。
「本日の御用は何かしら?」
俺は見習い探索者である事、店を訪れた用件を伝えた。
すると美人エルフ店員が腕を胸の下に組んで、持ち上げる様にして考える。
腰をしならせ、線の細いボディラインがタイトなワンピース越しに表れる。
俺が見惚れていると、
「そう言えば、次の探索は地下六階よね? 貴方、手袋持ってる?」
と言った。
俺は首を横に振る。
「やっぱりね。六階からは魔物を解体する時に手袋があった方がいいわよ。病気がうつるって、皆言ってるわ」
おいおい、そんな大事な事初めて聞いた。
俺は美人エルフ店員の進める革手袋を選んだ。
少しきつめだが、指の長さが合い、動かしやすい物だ。
肘と手首の間まで革で覆われ、簡単なベルトも付いている。
革の籠手ほど頑丈な作りはしていない。
手先を使った作業が出来るようになっている。
「ありがとうございます。えっと……」
「私の名前かしら? エメリナよ。うふふ、男性に名前を聞かれるなんて恥ずかしいわ。では、貴方は?」
美人エルフ店員もとい、エメリナが僅かに頬を赤らめて答える。
……これはいかん、可愛すぎる。
エミと言う伴侶が居ながら、これは俺に対する新たな試練か?
「ハル」
俺の名前を告げると、エメリナは咀嚼するかの様に二度、繰り返し呟いた。
「ハル、素敵な名前ね。これからもよろしくね」
零れんばかりの笑顔に、俺の顔が熱くなるのを感じる。
俺は咄嗟に話題を変えた。
「と、所でエメリナはこのお店長いの?」
俺の問いにエメリナの笑顔が一瞬で暗くなる。
だが、直に笑顔になった。
先ほどと比ぶべくもないが。
「もう、三年かしら。慣れないながらもね」
何やら色々あったようだ。
エルフの寿命は長い。
そう言う事もあるのだろう。
「何だか……辛い事を思い出させたみたいだね。ごめん……」
「ふふふ、ハルは優しいのね。……そうそう、ハルがさっき言ってた道具類だけど四日程頂けるかしら。予算は銀貨一枚でいい?」
俺は大きく頷くと、革手袋の代金として大銅貨十枚を払い店を後にした。
その後、武器と防具の店マクミランに行くと店の奥でロンとラナの姿が見えた。
店主であるマクミランが暖かい眼差しで二人を見守っている。
俺がマクミランの側に寄ると、先ほど買った革手袋を目敏く見つけた。
「良い革手袋だね。大銅貨二十枚近くしたんじゃないかね?」
えっ! 俺が出したのはその半額だ。
エメリナは俺が金を余り持ってないと思って安くしてくれたのだろうか? そう言えば、背嚢もいきなり二割引を提示してた。
……俺に惚れたか?
「やぁ、ハル! 来たんだね」
ロンの声がした。
声のする方に顔を向けると、満面の笑顔で向かって来るロンがいた。
分かり易い。
俺にもこんな時期があったなぁ。
……随分遠い昔の様に思われる。
「ああ、ついさっきな。ところでロンは革手袋持ってるか? 地下六階からは有った方が良いらしいぞ」
「そう言えば、聞いた事が有る。どうしよう、用意してないや……」
ロンが困り顔だ。
俺がエメリナの店を紹介しようと口を開きかけると、
「それならこれにしなさい」
マクミランがロンに言った。
手には革手袋。値段は……大銅貨八枚らしい。
親族価格だろうか?
「ハルの持つものよりは質は悪いが、これで十分だろう。騎士団に入れば支給されるからね」
そう言う事か。
なら、ロンには十分だろう。
ロンが会計を済まして店を出ようとすると、奥からラナが出て来た。
「ロン、明日からは地下六階なんでしょう? 気を付けなきゃ駄目よ!」
既に嫁さんぽい事を言ってる。
そして……二人の距離が近い。
まさに紙一重。
これでさり気無く体が触れあっていたら、完全に出来てるな。
つまりはやったって事だ。
若い奴は分かり易いからな。
だが、二人は絶妙な距離を開けている。
ふぅ、まだのようだ。
良かった……
翌日
朝から曇り空だ。
厚い雲が垂れ込めている。
今にも雨が降りそうだな。
俺達は普段通り、六時過ぎから地下迷宮へと入った。
今日はロンの階層転移魔法を使って地下五階に直接向かう。
転移した最初の部屋には四つの扉。
そのうちの一つ、一と書かれた扉を通り抜ける。
俺達が本日初めての組みでは無いようだ。
所々、新しい焼け跡が見られる。
地下五階から六階へと転移する部屋に着くと、魔力結晶の光を探す。
問題無く二つ見えた。
魔法を習得できる。
この階の魔法は目くらましとその解除魔法だった。
地下六階の魔物に目くらましが有効なのだろう。
試しに出してみると、魔法円から強力な光の束が出る。
まるで警察が使う投光器だ。
俺とロンが問題無く魔法を使えた事を確認したレンは、地下六階へと促す。
地下六階の転移部屋にも四つの扉があった。
レンは迷いなく、四、と書かれた扉を選ぶ。
扉を抜ける前にレンから簡単な説明があった。
「察しているとは思いますが、この階の魔物には投光魔法を使います。目をくらましたら急所である頭を狙ってください」
魔物は大ヤモリ。
遂に虫から爬虫類へと変わった。
感激だ。
まぁ、どうでもいい事は置いといて、大ヤモリに関してだ。
体長は一メートルから三メートル。
稀に五メートルのものがいるらしい。
急所は頭、心臓だが、心臓を潰しても暫く動く。
狙うなら頭だそうだ。
首を刎ねても良いが、通常の鎌風では無理だ。
槍を使って刎ねる。
証拠部位は尻尾の先端が鋭く硬くなっている、その部位との事。
精力剤になるらしい。
……漢方薬かよ。
因みに、ヤモリは共食いはする。
色付きが出そうだな。
俺達が最初の大ヤモリに遭遇したのは転移部屋を出てから二十分程経ってからだ。
体色は灰色で薄黄色の斑模様がある。
予想通り壁に貼りついて、難なく歩いている。
俺は事前の取り決め通り、最初に投光魔法を使った。
大ヤモリの顔に強力な光が当たる。
照明魔法を使っていてもその光の強さが分かる。
あれを食らえば人間でも失明もしくは暫く目を開ける事は出来ないだろうと思われる。
驚いた大ヤモリは二つある前足で両目を隠そうとした。
だが、それは悪手だった。
足だけで壁には接着していられないらしい。
鈍い音をたてて壁から落ちた。
俺は既に大ヤモリの側に駆け出していたので、素早く頭に槍を突きいれた。
丁度大ヤモリの額の中央部だ。
しっかりとした手応えを感じ、それを更に確実にする為、槍先を動かす。
大ヤモリの両目を隠していた手が驚いたように開き、口が大きく開けられた。
喉の奥からくぐもった音。そして舌がだらりと下がり、俺の体に魔力が流れるのを感じる。
……心地良い。
崩れ落ちた大ヤモリを仰向けに倒し、短剣を使って胸を切り開く。
魔力結晶を取る為だ。死んだとは言え、血抜きをした訳では無い。
切る度に血が流れる。
革手袋を買っておいて良かった。
万が一、手に怪我を負って、大ヤモリの血が傷口に入ったら、変な病気になっていたかもしれない。
感染症は怖いからな。
そう言えば、レンも今日は革手袋をしている……まぁ、誰かが伝えると思っていたのだろう。
大ヤモリの心臓の傍らで見つけた魔力結晶はこれまでのより若干大きかった。
続いて証拠部位だ。
尾の先、硬く尖った所を切り落とす。
大きさは三十センチ前後か。意外と大きいな。
その後、大ヤモリを槍で細かく刻む。
短剣だと返り血がね。
最後は肉片と血溜りに火球を放った。
ゴムが焼けるような匂いがする。
その匂いが功を奏したのか、新手の大ヤモリが現れた。
今度はロンの番だ。
ロンも俺と同じく難なく処理した。
地下六階に来てから五時間が経過した。
現在の駆除数は丁度二十体。芳しくないな。
地下六階からは一体当り大銅貨三枚となる。
現状では一人当たり大銅貨二十枚。
もう少し稼ぎたいところだ。
だが、元々大ヤモリは集団行動しない。
出会うのは常に単体だ。
こればかりはいたしかたない。
「そろそろ休憩にしますか」
レンの言葉で俺達は背嚢を降ろす。
本日二度目の休憩だ。
俺は二人のマグカップを受け取り、水球から水をよそう。
レンは先程屠った大ヤモリの血抜きした尻尾を焼き、ロンは結界魔法を幾重にも出す。
地べたに座りながら、焼きあがった大ヤモリの尻尾を頂く。
意外といける。
ただ、若干舌が痺れる。
弱い毒か?
ロンとレンは何も言わずに食べている。
気にしなくていいか。
「ロンは最近、マリオンと力比べをしたようですね」
レンが何処から聞いたのか、昨日の話をした。
ロンが肉を頬張りながらレンが知っている事に驚いている。
「ロンはマリオンをどう思いましたか?」
「全然敵わないと思った」
ロンは正直に言った。
俺もそう思う。
マリオンもそうだが、タイタスも強いと思う。
あの二人は別格なのかもしれない。
「そうですか……ロンは筆頭従士に成りたいとは思わないのですか?」
レンの問いに、ロンははっきりと答えた。
「興味ない。騎士に成れれば十分」
レンが意外そうな顔をした。
俺がそんなレンの為、ロンの答えを捕捉する。
「騎士に成れれば、ロンはラナと結婚できるからな」
俺が出しゃばった所為か、ロンが顔を真っ赤に染め上げた。
余りに恥ずかしいのか、両手で尻尾を抱きかかえている。
……か、可愛い……い、いや、俺にその気は無いんだが……
「成る程。分かりました」
レンが一人、納得したらしい。
これでその話が終わりかと思ったら、ロンが逆襲が始まった。
「ハ、ハルはどうなのさ! この前、蒸し風呂でドリスの裸をじっくり見てたけど!」
やだ、恥ずかしい。
バレてたの? まぁ、あれだけ見てたら、そりゃばれるか。
「……どう言う訳ですか、ハル」
レンの言葉が冷たい。
何故お前が気分を害するのだ? まさか……敢えてもう一度言おう、俺にその気は無いと!
「いや、良い体とは思ったが、不思議とそんな気分にはならなかった。種族が違うから?」
俺の言葉にロンが再び驚いた顔をした。
レンも気まずそうだ。
「ハル、記憶が無いから仕方がありませんが、今後種族差の事は言ってはいけません」
今でこそあまりないが、且つては種族差別が激しかったらしい。
他種族に対して性欲が湧かないのは、差別主義者と見なされる。
気を付けなくては。
「分かった。ロン、すまなかった。この通りだ」
俺はロンに対して頭を下げた。
それでロンの顔から険しさが消えた。
本当に良かった。
友達を失う所だ。
「ハルは誰か良いと思った人いないの?」
ロンが俺に聞く。
まぁ、しいて言えばあの女だ。
「強いて挙げれば、雑貨店で働くエメリナかな。物凄い美人だと思った。だが、どうこうしようと思ったことは無いよ。それに、レンの女なんだろ?」
俺の言葉にレンが慌てる事無く答える。
「いえ? 違いますよ。念の為言っておきますが、エレノアも違います」
なん、だと……豊満エルフ女のエレノアも違うのか。
だとしたらレンの本命はどこだ? もしや……既婚者?
「結婚もしていません。思い人の有無は……秘密です」
なんだ、秘密って。
つまらん。
からかえないじゃないか。
そんな事を言いながら俺達は休憩を終えた。
先ほどの休憩から二時間経過した。
体力はまだまだ大丈夫だと感じる。
だが、そろそろ時間的に帰る頃合いだ。
そんな俺達の前に大きな扉が見える。
……大きな扉にはいい思い出が無い。
だが、レンはその扉を開くだろう。
ロンが匂いを嗅ぐ。
魔物の強さが分かるからだ。
「数は分からないけど、強い個体はいる」
「では、開けますよ」
ロンの言葉を聞いてもレンは躊躇しないな。
レンが扉を開け、ロンが照明を室内に灯す。
俺は投光魔法を行使する対象を探し、実行する……はずだったのだが、室内に広がる光景に思わず目を奪われてしまった。
室内には四匹の大ヤモリがいた。
三匹の大ヤモリは体長二メートルから三メートル弱だろう。
残り一匹は大きく、五メートルはある。
巨大ヤモリだ。
二匹の大ヤモリが口を存分に開けて、巨大ヤモリを威嚇している。
対する巨大ヤモリは長い尾を振り回し、大ヤモリを寄せ付けない様に懸命だ。
後ろにある物を守っているのだろう。
「……ハル、ロン。あれは大ヤモリの卵です。壊さずに回収しますよ」
では、どうするべきか。
二匹の大ヤモリは卵を狙っていると思われる。
巨大ヤモリは卵の親なのだろう。雌かな?
巨大ヤモリの方が強そうなので、先に倒したい。
だが、巨大ヤモリを先に倒すと、大ヤモリが卵を食い荒らしてしまいそうだ。
因みに、もう一匹の大ヤモリは巨大ヤモリの口に頭から咥えられている。
動きが無いから死んでるかな?
徐々に巨大ヤモリの口の中に体が飲み込まれている。
完全に見えなくなるのも時間の問題だ。
「レン、卵どうするの?」
ロンが問うと、レンは簡潔に答えた。
「非常に高く売れます」
それを聞いて、俺の中では方針が決まった。
「小さい方から片づけよう。卵がなにより大切な物だ」
俺の言葉に二人とも同意する。
非常に高く……か。
何か気持ちが昂るな。
作戦は簡単だ。
俺とロンが小さい方を倒し、レンが巨大ヤモリを牽制。
小さい方を仕留めたら、巨大ヤモリを卵を壊さずに殺す。
巨大ヤモリに対してはレンが冷気と眠気の魔法を使うと言っていた。
それならば暴れて卵を壊されることも無いらしい。
爬虫類だけに寒さに弱いからだろう。
作戦が決まり、巨大ヤモリ達の方へ視線を向ける。
巨大ヤモリの口からは既に尻尾しか見えていない。
卵は……無事だ。
俺とロンが静かに大ヤモリの側に忍び寄る。
俺は標的の右側面から投光魔法を出す。
斜め前には巨大ヤモリ。隙を見せれば俺も食われる。
だが、互いに五メートルは離れている。大丈夫だろう。
冷静に狙いを付け、魔法を行使した。
大ヤモリは突然の強い光に両手で目を覆う。
しかし、既に目は見えない状態だ。大ヤモリが混乱状態に陥っているのが見てわかる。
俺は素早く近づき、槍を大ヤモリの脳天に突き刺そうとした。
その時、巨大な影が俺を覆った。
「しまった!」
俺は肝心な所で巨大ヤモリから目を離した事を呪った。
黒い影が急速に俺に近づく。
影は大きな顎を見せつける様に俺を……通り過ぎ、大ヤモリを頭から咥えた。
首から上を口の中に捕らえられた大ヤモリは激しく身を捩る。
抗えば、逃げ出せる。そう信じての行動だろう。
だが、それはやがて虚しい現実を大ヤモリに知らしめる事になった。
徐々に大ヤモリの体から力が失われる。
手足の動きが弱まり、遅くなり、最後は小さく痙攣する。
完全に巨大ヤモリの口から垂れ下がるだけの状態になるまで、さほど時間を必要としなかった。
そんな巨大ヤモリに対してレンは一つの魔法円を出す。
巨大ヤモリの周囲が瞬時に白い靄に覆われ、凍てつく。
巨大ヤモリの体は霜に彩られ、大きく開いていた瞳孔が閉じた。
……多分、寝たのだろう。
レンは一切の迷いなく槍を眉間に穿った。
突き刺さった槍を何度が動かし、巨大ヤモリの死を完全なものとする。
レンの一部始終を見た俺は、次にロンの方を確認した。
ロンは既に魔力結晶と証拠部位を採取していた。
……俺だけが何もしていない。
俺はその後、巨大ヤモリの腹を開き、飲み込まれた大ヤモリから魔力結晶と証拠部位を取った。
一匹は胃の中にいたので、胃液の何とも言えない匂いを十分嗅ぐことになった。
地上に戻ると、そこは雨の世界だった。
世界は雨の匂いと音で満ちている。
気象庁の分類で言えば、非常に激しい雨、となるだろう。
雨の為、暗く、周りが見えない。
仕方なく俺は魔法で灯りを灯した。
そして強い雨の中、大きな大ヤモリの卵を抱えながら探索者ギルドに向かった。
今日は蒸し風呂は必要ないな……傘とか存在しないし、行くだけ無駄だ。
大ヤモリの換金は一匹当り大銅貨三枚。
卵は……何と銀貨一枚だった!
総額大銅貨二百七十三枚。一人大銅貨九十一枚だ。
やばい。
やばいよー、儲け過ぎ。
元いた世界の金額に換算すると九万円だ!
死ぬリスクは有るが、蘇生魔法もあるらしいし、探索者は辞めれないかもしれんな。
……死ぬわけにはいかないけどな。