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#103 地を揺らすもの(2)

 目にも止まらぬ速さで襲い来る氷鎗、それが俺や師匠が張った魔法障壁に跳ね返される事十数回。

 ”地を揺らすもの”フェンリルは未だその姿を現さないでいた。

 ”魔物感知”魔法の範囲を最大限に広げても、それは感知出来ない。

 それは、

 

『フェンリルは感知不能じゃ』

 

 と言う言葉からも裏付けられた。

 

「ハル様! ご武運を!」

 

 ファリスの声援が背中越しに聞こえるも、それに構ってはいられなかった。

 姿は見えなくとも、その魔物から絶えず襲い掛かる重圧(プレッシャー)を感じていたからだ。

 足が(すく)む。

 それでも、俺は前に出ざるを得なかった。

 このまま一方的に超遠距離からの攻撃を受けていては埒が明かないからだ。

 倒さなければ先に進めないからだ。

 

 一歩、また一歩と魔槍スコーピオンを構えながら進む事一時間、やがて辺りの様相が様変わりしだした。

 

「……雪?」

 

 そう、俺の頭上から粉雪が舞い降り始めたのだ。

 それはやがて降る勢いを増し、雪自体も大きくなる。

 風も徐々に吹き始め、何時しか吹雪の様相を呈していた。

 

「これも……フェンリルの力?」

 

『その通りじゃ。今少し生き長らえることが出来れば、対面できるじゃろう』

 

 俺は師匠のその言葉に嫌な予感がした。

 間違いなく何かが起きようとしている。

 吹雪など、その前触れ、事前準備であるかのように。

 俺はこの時ばかりは守りに徹する事にした。

 ”防御力向上”魔法を重ね掛け、魔力結晶が嵌め込まれた防具には”防御力向上付与”魔法を施す。

 更には”魔法障壁”で自身をドーム状に覆い、四方に”魔法の盾”を張る。

 その間も雪は降り続け、何時しか膝の辺りまでが雪に埋もれていた。

 刹那、それは起きた。

 

 突如降り積もった雪を押し退けて突き出た無数の”ソレ”は天を突かんばかりに伸びる。

 先端は針の様に鋭く、百年杉の様に太く、水晶の様に透き通った氷の柱。

 俺は危うく串刺しになる所であった。

 それにしても随分と綺麗な氷だ。

 氷柱の向こう側がくっきりと見える。

 俺は思わず見とれ、次にその中の一つに触れようと近づいた。

 

(たわ)け者! 迂闊(うかつ)に近づくでない!』

 

 俺が触れようと右手を伸ばした瞬間、師匠の怒声が頭に響く。

 それと時を同じくして氷柱の表面に変化が起きた。

 小さな氷の芽が芽生えたかと思うと、それは瞬く間に伸び始めた。

 それは一つだけでは無かった。

 それはどんな鋭利な刃物すら敵わぬ程の鋭い斬れ味を持っていた。

 俺は最初に襲い掛かって来たそれを躱し損ねた。

 右腕を貫いたそれはその貫きし場所を瞬時に凍りつかせ、容易に抜けなくし、そのまま勢いよく俺の体ごと持ち上げていく。

 その姿はまるで、七つの枝を持つ燭台の様でもあった。

 実際のところ、枝の数は七つどころでは無いのだが……

 

 

 

 

「くっ……抜けない……」

 

 前腕の中程を貫かれただけでなく、その周囲を固く氷で固められた俺は高さ十メートル余りの所に吊り下げられていた。

 火球や火焔石弾を幾度と無く当てるも氷の枝はビクともしない。

 為す術も無く、俺はただ枝から吊り下げられていたのだ。

 

『それはの、氷森(ひょうしん)と呼ばれておる。フェンリルが獲物を捕食しやすい高さに吊り上げる技じゃ』

 

 師匠のその言葉を裏付けるかのような気配が辺りに満ちはじめる。

 それは俺の背後からゆっくりと近付いてきた。

 近づく(たび)に周囲の空気が下がっていくのが分かる。

 白かった吐く息が、瞬く間に凍り付くようになるまで然程(さほど)時間をようしなかった。

 

「い、息が……」

 

 苦しい。

 それ以外に表現のしようのない状況に俺は陥る。

 浅い呼吸音が静かな氷の森の中に響いた。

 すると、他の音も聞こえ出す。

 それは大質量の物が柔らかい雪を踏みしめる音、鳴き雪だった。

 それともう一つ、カタカタと俺の歯が奏でだす。

 それは寒さ故に起こる音。

 俺の全身にはいつの間にか霜が降りていた。

 

 俺の背後から徐々に近づいていた鳴き雪の音。

 やがてそれは俺の極近くで鳴り止んだ。

 辺りに鳴り響くは俺の歯から発する規則的な音だけとなる。

 俺は恐怖していた。

 心の奥底から恐怖していた。

 これ程の絶望を感じた事は後にも先にも無いと思われるほどに。

 刹那、顔に生暖かい空気が掛かり出す。

 俺はそれが何か良く考えなくとも理解できた。

 嫌な臭いを含んでいたからだ。

 俺はそれの発生源を見たくは無かった。

 だが、不思議とみなくてはならないという気もした。

 俺は僅かな間に葛藤を繰り返し、意を決して風が吹く方に俺は顔を向ける。

 

 そこには、俺の身の丈よりも大きな”牙”が並んでいた。

 

 象牙の様に白く、根本は大樹の如く太い牙がゆっくりと上下に広がっていく。

 その開かれた(あぎと)はまるで、天を衝くかの様に思えた。

 口の奥に見える空間は赤黒く、底には一見してざらついているのが分かる、巨大な舌が這いずっている。

 歯茎からは滝のように粘ついた液体が流れ落ち、その一部は鋭く尖った歯の隙間から零れ落ちていった。

 俺に許されているのはそれが閉じられるのを見届けるのみであるかのように、俺は錯覚する。

 すると、

 

『……なんじゃ、もう諦めるのかの?』

 

 酷く落胆した声が響いた。

 俺はその物寂しげな声色に弛緩(しかん)していた気を張り詰め直す。

 そして、一閃した。

 右ひじから迸る液体が周囲を赤く染め上げる。

 その一部は巨大な牙やそれを支える歯茎、それにフェンリルの鼻先にも及んだ。

 そう、俺は凍りつき、枝に固縛された自身の右腕を体から切り離したのだ。

 白一色かと思われた世界に赤黒い花が幾つも咲いていた。

 それは酷く汚らしく見える。

 俺はそうした事に罪悪感を覚えた。

 しかし、フェンリルは違った。

 その魔物は嬉しそうに俺の血が掛かり、赤くなった場所を舐めていた。

 木の枝に俺の右腕は無い。

 それどころか枝も無くなっていた。

 ……既に喰われ、奴の腹の中に沈んでしまった様だ。

 俺は素早く現状を整理する。

 右腕は肘から先が無く、止めどなく血が流れ落ちていた。

 俺は素早く”回復”魔法を行使して止血する。

 そして、目の前にいる巨大な魔物に関して考察し始めた。

 まず第一に、御多分に漏れず大きい。

 それに、白い。

 雪の様に白い体毛で覆われていた。

 赤黒く輝く目は鋭く、自身がこの世界の統治者であるかのように、自信に満ち溢れている。

 そして、何よりも問題なのが、感知出来ない事であった。

 それはつまり、遠距離でこの魔物の所在を掴めないと言う事。

 故に、一度たりとも目を離せない事を表していた。

 

「……それに初手の氷の槍だ。衝撃波を伴う程の速さを有していた」

 

 それを寸分違わずに超長距離から狙って放つ。

 離れて戦うのは、

 

「俺にとって些か不利、だな」

 

 であった。

 いや、正直に言おう。

 勝機を見いだせない、と。

 しかし俺は手負い。

 この場に留まり槍働きする訳にもいかなかった。

 完全に消えた腕を生やすのは時間が掛かるからな。

 リスクはあるが、距離を取らざるを得ない。

 俺はそう結論づけると、

 

「爆ぜろっ!」

 

 と叫ぶと同時に周囲に無数の”爆発”魔法を行使する。

 それによって舞い上がった雪や氷の屑、それらの中に隠すように石柱の魔法で巨大な壁を作る。

 ほんの僅かの時間でもフェンリルが俺の後を追えない様に。

 そして俺は”捕縛”魔法の縄を氷で出来た枝に伸ばし、枝から枝へと飛び移りながらその場を後にした。

 

 

 

「さて、どう攻めるか……」

 

 俺は生やしたばかりの腕を摩りながら独り言ちる。

 先程は運よく逃げられはしたが、二度目があるとは思えない。

 如何に魔物とは言え、神の名を関する化け物だからな。

 そう簡単にはいくまい。

 そうは言っても、あの魔物を倒さなくては先に進む事は叶わない。

 手強い敵に出会う度に(つまず)いてはいられないのだ。

 俺はこれまで培ってきた経験を元に、対応手段を練り上げる。

 

 やがて、周囲の空気が再び凍てつき始めた。

 

「来たか……」

 

 俺がそう呟いた刹那、俺を覆うように展開していた魔法障壁に大質量の物がぶち当たる。

 大音が二つ轟く。

 一つは魔法障壁に当たった音。

 もう一つは大質量の物が空気を切り裂いて発せられた音だった。

 地面を覆っていた雪が再び舞い上がる。

 遠くからは鳴き雪の音が駆け寄って来ていた。

 (じき)に再び雪が降り出すだろう。

 俺はそうなる前に迎え撃つべく準備を施す。

 周辺の地表に幾つもの魔法円を描いて。

 

 数分後、辺りには雪が降りしきっていた。

 時折、思い出したかの様に氷鎗が放たれては轟音を鳴り響かせる。

 その度に音の発する周囲の雪が吹き飛ばされはするが、その痕は瞬く間に消されていった。

 それ程に雪は厚く降っていたのだ。

 そして、それは現れた。

 それは最初赤く輝く光が二つだけしか見えなかった。

 まるで信号機の赤の様に。

 当然だろう、かの魔物の身体は、雪と見紛う程白いのだから。

 白以外の色はその瞳にしか宿ってはいないのだから。

 フェンリル。

 またの名を”地を揺らすもの”。

 その口を開けば上顎は天にも達し、目や鼻からは赤い炎が噴き出す。

 正しくその通りだ。

 目や口の中は赤黒く、溶岩の様に赤かった。

 俺の背に冷たいものが流れ落ちていく。

 先程も俺を襲った恐怖が蘇ろうとした。

 それでも、俺は槍を構える。

 

「レンやエミもこの道を通っていったんだ。俺にだって……」

 

 出来る筈だ。

 そのような根拠のない言葉で自身を勇気づけながら。

 その直後、フェンリルが大きく駆け出した。

 俺との距離を一瞬で縮めたその足が、雪に埋もれた魔法円に触れる。

 刹那、赤熱した一本の石槍が降り積もった雪の間からロケットのように飛び上がった。

 それは周囲の雪を蒸発させ、煙を生み出しつつ、フェンリルの白い体の中へと吸い込まれていく。

 それは火焔石槍。

 俺が氷鎗に対抗する為、急造で編み出した魔法であった。

 その火焔石槍が自身の物とは異なる赤色に塗り代えられていく。

 火焔石槍に触れ、煙を上げながら。

 それはフェンリルの血。

 俺の苦肉の策は奴に確かな傷を与える事に成功したらしい。

 そう思った束の間、フェンリルはいとも容易くそれを抜き取る。

 傷は容易に塞がれたようだ。

 そして、フェンリルは周囲を舐めまわすように見遣ると、その目を眩い程光らせた。

 直後、俺は上空から何とも言えない異変を感じ取る。

 それは一瞬後に露わとなった。

 一本の氷鎗が俺の仕掛けた魔法円の中心に寸分違わずに突き刺さっていたのだ。

 それを目にした次の瞬間、音と共に雪が押し寄せてきた。

 そして、次々と降り注ぐ氷鎗。

 それは俺の仕掛けた魔法円を全て霧散させ、遂には、俺に降りかかり始めた。

 

『それはの”氷鎗雨飛”といわれておる。文字通り雨の如く降る氷鎗の事じゃ。ただし、狙いを外すのは稀なのじゃ』

 

「なっ、これはまずい!」

 

 俺は咄嗟に”捕縛”魔法で作ら得た縄を氷で出来た木々の枝に飛ばす。

 無論、再びその場所から離れる為にだ。

 しかし、それは一筋縄にはいかなかった。

 氷の枝に縄が取り付くとその枝はポトリと落ちたからだ。

 まるで、フェンリルの意思が伝わり、俺を逃さぬ様に。

 

「な、なら幹の方ならば……」

 

 その考えは功を奏した。

 氷で出来た太い幹は俺の体重が縄越しに伝わっても倒れる事はない。

 俺は押し寄せるかの様に降る氷鎗を辛うじて躱しながら、氷の木々の間を飛び回った。

 やがて危険な雨が止み、俺が一息つこうと考えたその時、巨大な影が側背から飛び掛かって来た。

 そう、フェンリルがだ。

 奴は俺が現れる場所を先読みしていたかのように現れたのだ。

 

『その通りじゃ。忠告はしたのじゃぞ、”狙いを外すのは稀じゃ”とな』

 

 俺はその言葉に構わず魔槍スコーピオンを揮った。

 それも闇雲に魔力を込めながら。

 魔槍は襲い掛かるフェンリルの巨体を隠すかの様に刃を巨大化して迎え撃つ。

 それは魔槍スコーピオンで有ればこそ出来る芸当だ。

 魔力さえ込めれば長さや大きさが思うがままに変える事が可能なのだから。

 巨大化した魔槍スコーピオンを突き出す事で俺はフェンリルに対して牽制したつもりだった。

 しかし、それは容易に躱された。

 それどころか巨大な牙で刃に噛みつかれ、いとも容易く俺の手から奪い、放り投げられる。

 それは大きな弧を描きながら何処かに消え去っていった。

 それが俺の手から最も頼りとなる武器が失われた瞬間だった。

 

「ま、まだ剣がある!」

 

 俺はありったけの大声で強がりを言い放った。

 続いて、腰に佩いた二振りの剣を抜き放つ。

 (いず)れも(つか)には魔力結晶が嵌め込まれた剣を俺は短い一方を中段に、長い方を上段に構えた。

 そして、構えながらそれぞれに異なる魔法を付与する。

 それは”素早さ下降付与”と”防御力下降付与”。

 傷を与える度にその効果が期待できる魔法だ。

 傷を与えても直ぐに癒える事は先刻承知。

 であれば、このような特殊な状態を創り出せる魔法に俺は縋る事にしたのだ。

 その結果が芳しく無ければ、また別の手を考えれば良い。

 その余裕があれば……ではあったが。

 

 巨大な白い狼と相対するだけで俺の体の穴と言う穴から汗が吹き出しはじめた。

 それは獣独特の、無機質な瞳が俺を()め付けている所為だ。

 絶対的な捕食者が獲物を捕らえた目。

 後は首に喰らい付き、絞め落とすだけ。

 そう考えているかのような目だ。

 俺の吐く息は白く、荒々しく、背中からは白い靄が立ち上っていた。

 対するフェンリルは何も発してはいなかった。

 初見のままその在り様は何一つ変わっていない。

 憎たらしい程、綽然(しゃくぜん)としている。

 

 フェンリルが悠然と右前足を一歩、前に出した。

 それが地についた瞬間、その爪先の前方が高さが一メートル程の波の如く盛り上がる。

 俺が驚き、目を見開いていると、その波は驚くほど速く俺に押し寄せて来た。

 

「なっ……」

 

 何が何だか分からない。

 だが、あれを何も考えずにこの身体で受ける事は(はばか)れた。

 そう考えた俺は咄嗟に魔法円を描く。

 それは白き輝きを放つ”爆発”魔法。

 それを迫り来る雪の波、何時しかそれは二メートルを超える高さに変わっていた、に放った。

 白き燐光に輝く球が同じく白き波に重なる。

 刹那、轟音と共に波は弾け飛んだ。

 周囲を氷の屑が覆い隠す。

 目に映るのは一面白銀色の煙幕だけであった。

 しかし、フェンリルの手は留まる事を知らない。

 突如、煙幕を切り裂いて現れた三本の氷鎗が俺の魔法障壁を甲高い音と共に打ち破る。

 その威力は魔法障壁を崩しても尚、余りあった。

 俺の傍らに着弾した三本の氷鎗、それらの伴った衝撃波が俺をもの凄い力で突き飛ばす。

 その威力は凄まじく、俺だけでなく周囲の雪も一応に氷の木々を超すかの様に高く舞い上がらせた。

 

「ぐぁはあーっ!」

 

 強烈な衝撃の為か、俺の肺から空気が押し出される。

 辛うじて見開いていた目が周囲を歪んで映していた。

 それは酸欠の証。

 俺は吐く力を押さえつけ、無理矢理呼吸を試みる。

 その最中、俺の目は捕らえていた。

 巨大な白銀色の魔獣が軽やかに跳ね、中空を舞う俺をその前足で上から押さえつけようとしているのを。

 

「あべぶがー!」

 

 俺の口から言葉にならない叫び声が迸る。

 それと同時に俺は左の手の甲から”捕縛”魔法による縄を投げ掛けた。

 それは”地を揺らすもの”の牙と俺を一直線に結び付ける。

 俺はその結果起こった反動を利用して反撃を試みた。

 振り子のように激しく振られる最中、縄の長さを急激に短くし、俺は”地を揺らすもの”フェンリルの鼻先へと飛び掛かる。

 残された二振りの魔力結晶剣に込められた魔法に残された時間で込められるだけの魔力を込めて突き刺した。

 

「キャインッ!」

 

 その巨体に似合わぬ愛らしい声が一つ発せられた。

 それは二振りの剣が鼻先に深々と刺さった直後の事だった。

 次の瞬間、俺は俺の手に残された唯一の武器を手からもぎ取られ、

 

「フガッ!」

 

 と言う鼻息と振りほどくかのような首の動きで遠くに飛ばされる。

 その時、俺の目には確かに映った。

 フェンリルの鼻頭に剣の根元まで深々と刺さった二振りの剣が。

 

 

 

 

「イテテテテーッ!」

 

 俺は受け身を取ることなく、氷で出来た枝を幾本もぶち抜き、最後は固い幹に後頭部を強かに打って止まった。

 幹のその場所には朱色の華が咲いている。

 首筋にも生暖かい物が流れ落ちるのを感じた俺は素早く”回復”魔法を掛けた。

 続いて、”魔法障壁”もだ。

 そして、

 

「さて、如何するかな?」

 

 と俺は独り呟いた。

 武器はもう無い。

 後は己が身と魔法だけだ。

 使える手は更に少なくなっていた。

 ただし、今の俺には考える余裕がある。

 どう言う訳か、フェンリルの追撃が無いのだ。

 その巨大な姿は遠くに見えている。

 前足で鼻頭を酷くこすりながらも、赤い双眸が俺の方をじっと見つめていた。

 

「……思った以上に効果があったのか?」

 

 一瞬とはいえ、強大な魔力を込めた”素早さ下降”と”防御力下降”の魔法だ。

 万が一効果があったと言うのなら、その影響は小さくは無いのかもしれない。

 その証拠に、俺が一歩前に踏み出す度に氷鎗が襲い掛かる。

 俺は”魔法障壁”が破られぬ様最善の注意を払いながら都度、張り直す。

 それだけで無く、無数の”筒付魔弾”や”火焔石槍”を放った。

 フェンリルはあろう事かそれを躱すことなくその身に受ける。

 否! 躱そうと試みたのだが、叶わなかったのだ。

 ”筒付魔弾”はフェンリルの白い雪山の様な体に、鮮やかな赤い模様を加える。

 ”火焔石槍”は毛を焼き、肌を焼く。

 その傷は瞬く間に癒えるも、その痕は残ったままであった。

 

「いける! ”筒付魔弾”に状態異常を付与しながらこのまま押し切れれば……」

 

 俺が勝機を見出した瞬間、奴は奥の手を出した。

 鼻っ柱に突き刺さりし剣を取り除こうとするのを諦めたのか、四肢で地面を強く踏みしめる。

 更には、首を大きく振り上げた。

 奴の身体が裾野の大きな、巨大な山にも見えた瞬間、

 

「ウォオオオオオーン!」

 

 と辺りを揺さぶり、氷の木々を崩すかのような特大の遠吠えを発したのだ。

 恐ろしく長く、気圧される程の重低音を響かせたそれは明らかに俺に向けられた物では無いと分かる。

 そう、狼の遠吠えは仲間を呼ぶ為の物だと広く知れ渡っているからだ。

 

「まさか……他にも仲間がいるのか?」

 

 あり得ないだろ! (ようや)く糸口が掴めたと思った矢先に……これだ。

 同等の魔物が、フェンリルがもう一匹現れたら俺が勝ち残る可能性は限りなく少なくなるだろう。

 

『それは無いの。しかし、かの者が使いし技は”眷属召喚”。呼び寄せし者達の力は()して知るべし、じゃの』

 

 ……時々思うのだが、”心障壁”の魔法を展開している筈なのに何故心が読まれるのだろうか? まぁ、それは置いといて。

 今は目の前の危機を如何に対処するか、だ。

 フェンリルを中心に数多の霞が造り出されている。

 恐らく、そこから新たな魔物、フェンリルの眷属が出て来るのだろう。

 まるで、召喚魔法のように。

 

「ん? 召喚?」

 

 そう言えば猫糞してた、もとい、戦利品として頂いていたな”召喚杖”を。

 あれは俺がこれまで倒した魔物を顕現するらしい。

 今こそ、あれを使う絶好の機会じゃないか?

 俺は転移門(ゲート)を繋げ、”召喚杖”を何処からともなく取り出す。

 続いて、それをフェンリルに対して仰々しく構えた。

 顔には満面の笑みを(たた)えながら。

 

「眷属召喚!」

 

『な、なんじゃと! まさかお主、城の宝物庫を……』

 

 俺は声を発すると同時に、自身の前に巨大な召喚魔法円を描く。

 微かに聞こえた、老人の狼狽した叫び声を無視して。

 俺の選んだ魔物の所為か、魔法円はヘドロで濁った水のような色合いをしている。

 そこからゆっくりと、”ソレ”はまるで出産のクライマックスかの様に頭から現れた。

 一体目はまるで膝小僧を抱える子供の様な姿で魔法円から生み出され、そのまま地に落ちていく。

 地表に触れるか触れないかの瞬間、ふわりと回転し、足から地面に降り立った。

 俺はその姿を見て絶句する。

 それは予想外にも豪奢なドレスを身に纏っていたからだ。

 それだけで無く、手には杖。

 それには髑髏の形を模した水晶が先端に嵌め込まれていた。

 その肌の大部分は幽鬼(グール)の如き灰色を帯びている。

 ただ、顔の一部と左肩とそれに連なる腕には肉がついていなかった。

 そこだけはまるでスケルトンの様に。

 反面、持て余しているかのような熟れた身体を”彼女”は俺にじっくりとみられることを厭いもせずに、俺の前に立った。

 そして、先の杖を両手で掲げ首を垂れる。

 それはまるで俺に恭順を示すかのように見えた。

 更に、その後から次々に現れた先の同類達が俺の前で(ひざまず)く。

 俺はそれをまるで夢を見ているかのように眺めた。

 その多くが全身を覆う肉がまるで無い”骸骨”であった故に。

 そう、俺が呼びだしたのはスケルトン。

 だが、只のスケルトンでは無い。

 それを示すかの様に彼らは色とりどりの色を身に纏っている。

 その先頭に立ち、彼らを率いるかの様に佇んでいた女が口上を述べた。

 彼女に至っては妖艶な”紫”をその身から立ち上らせている。

 

『我が名はアレクシス。主様の忠実な僕。骸と成り下がりし勇士を率いし者。何なりとご下命を』

 

 俺の心の中に甘美な声が届く。

 それは俺の心や身体を甘噛みするかのように聞こえた。

 俺はほんの束の間、それに身を震わせるも毅然とした声で答えた。

 

「”地を揺らすもの”を地に這わせてみよ!」

 

 その瞬間、(とき)の声の如く金属が打ち鳴らされた。

 それは骸の大軍が手に持ちし武器が音。

 互いの武器をぶつけ合い、音を響かせているのだ。

 すると、アレクシスは顔を上げる。

 続いて後ろを振り返り、

 

「オーラフは精鋭を率いて突撃せよ! ……お前は主様を自慢の障壁で守るがよい!」

 

 彼女のすぐ後ろに控えていた二人の男に命じた。

 一人はオネシマス団長によく似た美丈夫、恐らくはオーラフ。

 もう一人は垂れた瞳が優しげな印象を残す色男だった。

 不思議と品の良さそうな雰囲気を醸し出している。

 その二人はアレクシスに命じられるまま、配置へと就いた。

 それを確認した彼女は、

 

「進発!」

 

 と大音声で叫ぶ。

 総勢数千にも及ぶ死者の大行進の開始であった。

 

 

 

 それは正に総力戦の様相を呈していた。

 互いに数千の軍勢を率い、僅か数百メートルを挟んで対峙する。

 牙を剥き出しにして威嚇するフェンリルとその眷属共。

 時折、オーラフが率いる最前衛やアレクシスのいる中衛に氷鎗が飛ぶも、強力な魔法障壁がそれを防いでいた。

 

「雑魚には構うでない! 主様はフェンリルの首だけをご所望ぞ!」

 

 正にその通りだった。

 俺が望みしはフェンリルの”死”、もしくは”無力化”だ。

 それ以外の事は些事であった。

 それは例えフェンリルの呼び寄せし眷属の数が数千でも変わりの無い事。

 それは簡単に証明出来た。

 

「捕縛!」

 

 俺はその言葉を声に出すと同時に”敵意感知”魔法が示す光点に向けて魔法を放つ。

 それはただの犬畜生には抗えない強力な拘束具であった。

 無論、いち早く異変を察知して駆け出したフェンリルの眷属もいた。

 だがそれすらも、地雷の如く雪の下に忍ばせた”捕縛”魔法に絡め取られていく。

 俺は大方の眷属が行動不能と相成った時を見定めてから、一気にかたを付ける為の魔法円を描く。

 それは、

 

「逃れられない光雨!」

 

 だ。

 長大な黄金色をした一匹の竜が放物線を描きながら地を襲う。

 その(あぎと)が最初の獲物を咥える為、大きく開かれるかの様に広がり、それは大花の花弁の如く地表を覆った。

 

「オーラフ! この機を逃すでない!」

 

 アレクシスの激が飛ぶ。

 それと同時に彼女の魔法がフェンリルに対して放たれた。

 それは電柱の如き大きさの光る針。

 魔法の矢とは一見して異なる、見るからに強力そうな魔法であった。

 それがフェンリルの周囲を旋回しつつ、注意を逸らす。

 その間隙をオーラフ率いる前衛が襲い始めた。

 

「ガウッ! ガルルルルゥ!」

 

 フェンリルは光る針を威嚇しつつ、骸の軍勢を相手にする。

 時には噛みつき、時には前足で踏みつけ、時には氷鎗を落として。

 しかし、骸の勇士で且つ、その最精鋭の者どもはいとも容易くそれを躱してはフェンリルの四肢に取り付いた。

 俺はそれを驚きの目で見ながらも、決して攻め手を緩めない。

 

「火焔石槍!」

 

 と発し、フェンリルの死角から幾度もその魔法を放った。

 しかし、その傷は容易く癒えてしまう。

 俺は今一度、この好機を得る決め手となった事柄を思い出した。

 

「状態異常だ! 奴には殊の外有効だぞ!」

 

 俺の言葉を聞いたのかアレクシスは七色に光る大針を放った。

 それが一つ、フェンリルの背中に突き刺さる度に甲高い声が木霊する。

 恐らくだが石化や麻痺、混乱に猛毒等が込められたそれらは、確実にフェンリルを追い込んでいた。

 骸骨達も傷口を開き、そこからフェンリルの体内へと挑んでいるようだ。

 

「止めだ!」

 

 俺は余裕のある今だからこそ出来る大技を使う。

 それは魔力を込める為に数分の時間を要する術。

 とある目的の為に研鑽を積んでいた際に造り出した魔法であった。

 その名も、

 

「悔め! 苦しめ! 泣け! 叫べ! それも永遠に! ……グレイプニル!」

 

 だ。

 それは白銀の世界に突如現れた暗黒の沼。

 その沼のあらゆる所から鋭く尖った触手の如き物が溢れ出す。

 それは骸の者達を避け、フェンリルの身体に近づくとその切っ先を奴の身体の中に深々と差し込んでいった。

 

「キャイーンッ! キャイーンッ! キャイーンッ!」

 

『……まるでお主が魔王に見える』

 

「……否定はしない」

 

 何故ならば俺が率いしは死者の軍勢。

 使いし魔法はあらゆる状態異常を引き起こす大網。

 きっと今この時、俺の顔は愉悦に歪んでいるだろうからな。

 

 

 

 やがて力なく地に横たわった白銀の狼に対し、俺は悠然と介錯を施した。

 その瞬間、且つて無い程大量の魔力が俺の中に宿る。

 俺は眩暈を感じ、その場に膝を突いた。

 

「主様、おめでとうございます」

 

 アレクシスはたいそう嬉しそうな色を(かんばせ)に浮かべ、それどころか、その姿が土塊に還るかの様に崩れる最中、

 

『何時でもお呼び頂きますよう、拙にお願い申し上げます』

 

 とまで言った。

 それは驚くほど一瞬の出来事。

 その理由は分からないが、”悲哀”を俺は感じていた。

 

 それから更に(しばら)くすると、二つの人影が現れた。

 それは長躯な師匠と中背のファリスの物だった。

 ファリスは俺が失くした魔槍スコーピオンを携えていた。

 師匠は俺の側にまで来ると、

 

「全く、ハラハラさせおって……」

 

 と言いながら”疲労回復”魔法を俺に使う。

 そして、

 

「じゃが、最後の魔法は中々の物じゃった」

 

 と言って、珍しく俺を褒めてくれた。

 俺はその後、地下八十階への転移部屋に降りるだけ降り、地下迷宮を離れた。

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