#100 夜会のある日
迷宮都市クノスにある白亜の城。
そこでは時折、夜会が開かれる。
理由は様々だ。
領主様が下々(と言っても上流階級だがな)の暮らし振りを確認する為であったり、上流階級の新たな参加者(この場合は後継者など)を見る為であったり、自らの興味を満たす為であったりする。
俺が初めて客として招かれた理由もその様なものだった。
自らの師であるレイチェル、そのレイチェルの師に当たる俺。
領主様はどうしても俺に会いたかったらしい。
その念願がかない、俺に相対した領主様は感極まった上で、こう言った。
「おぉ……導師様。見て下さい!」
その時、俺はそこが密室? で本当に良かったと思った。
何故ならば、領主様は俺に赤い縄を示していたからだ。
自らの身体をきつく縛る赤い縄を……。
いやいやいや、それを見せて俺にどうしろと? そもそも、導師様? 何だよ、レイチェル? どう言う事だよ? 俺は冷静を装いつつ、
『助けて、れいちぇりえもん! どうしたら良いか分からないの!』
と”思考転写”を飛ばす。
すると、彼女は小さな声で答えた。
「厳しくお咎めを……」
そ、そう言う事? って、全然わからん! だが……領主の性癖に関しては知っている。
”令嬢と下僕”の大会で度々優勝し、且つ、殿堂入りする程だ。
筋金入りの変態なのだろう。
そう思うと、不思議と彼の思いに応えることが出来た。
冷たい眼差しを領主様に向け、俺は更に冷たく言葉を投げ掛ける。
「我に意見を求めるなど……レイチェルさんや、やっておしまいなさい!」
「あぁ! そ、そんな!」
領主様の口に上った言葉とは裏腹に恍惚とした表情を見せる”それ”はレイチェルの手により、床に転がされた。
「では私は蔵書室に向かいます。後はお願いしますね」
俺はレイチェルが被りし氷の仮面が小さく頷くのを見てから、その場所を後にした。
あれ以来、俺は”新月”の夜に開かれる夜会には必ず参加していた。
今宵もそう。
俺はレイチェルとリリィを伴い、夜会が催される白亜の城を訪れる。
この日の為にドレスを誂え、朝から髪を結う。
やがて一通りの準備を終えた頃合いに、ファリスが俺に声を掛けた。
「ハル様、馬車の用意が整いました」
「分かった。直ぐに降りるから下で待っていてくれ」
暫くしてから、俺は眩いばかりに輝く二人の美女を従え、ファリスの待つ馬車へと乗り込んだ。
白亜の城に入った俺達にはまず最初に会うべき人がいた。
そのお方の使いとして、筆頭従士が俺達を出迎える。
そこから、彼らは俺達を引率するかの様に前を歩いた。
当然ながら、俺達はその後に続く。
そして、案内された部屋には俺達だけが招き入れられた。
中で待っていたのは領主様……だけに非ず。
その正妻も揃っていた。
何時しか彼女もまた、レイチェルの薫陶を受ける様になったらしい。
御蔭で夫婦生活は円満になった、と彼らのご子息である方に言われた。
……正直、俺は返す言葉に困った。
寧ろ、打首獄門を覚悟した。
だが、そうはならなかった。
彼の謝意は本物だったからだ。
彼自身、実の両親の不仲に心を酷く痛めていたらしい。
それがレイチェルに出会ったことで、もとい、俺の無実を証明する為に行われた”まな板ショー”を見た事で二人は再び愛し合う仲に。
……正直、複雑な心境だ。
それに……夜会で会う人が口々にあの時の話題を俺に振る。
「まだ、不能なのか?」
とか、
「どうやれば君のいる高みに登りつめる事が可能か?」
とか、
「あの時は第一騎士団のアリス様が貴方の意識を刈取ったが、そうしていなければ一体どこまで……」
とか、
「きゃー! ファリス様の! きゃー!」
挙句の果てには、
「俺がお前の”兄様”になってやってもいいぞ?」
とか言われる始末だ。
故に俺は領主様に提案した。
”新月”の夜に開かれる夜会。
その時ばかりは”仮面”を付け、浮世を忘れましょう、と。
それが受け入れられ、俺は先の様な事を言われる事が少なくなった。
但し、目敏い者は俺の存在にいとも容易く気付く。
彼らはめいめい俺に近づいては、
「まだ女を娶られていないご様子。我が一門に連なる娘など如何でしょうか?」
「あぁ、ハル様。我が商会と是非ともお取引を……」
「ハル様! 我が屋敷に帝都において高名な術者が参ります。宜しければご紹介を……」
等々、口にする。
俺はそれらに辟易としていた。
相手をしている時間が惜しかったからだ。
故に、以降はリリィを伴う。
彼女を俺の秘書であるかの様に彼らの相手を務めて貰う為に。
「リリィ、後は頼んだよ」
俺はそう言って、夜会が開かれている大広間をひっそりと出る。
そして、城の奥にある蔵書室へと一人向かった。
足音を響かせながら、城の廊下を歩く。
稀に巡回している騎士や従士らとすれ違った。
俺は目礼を返し、先を急ぐ。
時は金なり。
それに、月明かりの無い新月の夜でしか俺は心ゆくまで蔵書室を楽しむことが出来ないからだ。
廊下の角を曲がり、吹き抜けのある場所に出る。
そこの階段を上がりきり、少し行った先に目的とする蔵書室はあった。
故に俺は階段を上る。
階段の踊場に見えた人影を気にしながら。
俺が踊場に差し掛かる頃にはその人物が誰か知れた。
俺は久しぶりに会う彼女に優しく声を掛ける。
「やぁ、ドリス。もういいのかい?」
すると、彼女はあの惨劇を受ける以前と同じ微笑みを俺に向けた。
「ええ、もう大丈夫よ。それに……」
今夜であればあの”力”は著しく弱められている。
俺は彼女のその言葉に、
「そうだな」
と端的に答えた。
「そう言えば、急いでいるのよね? では一言、これまで言えなかった礼を言うわ。ハル、ありがとう。貴方の御蔭で私は救われた。それに……」
ファリスの子を生し、何物にも代え難い幸せを得た。
本当にありがとう、と彼女は言う。
俺は、
「ドリス、俺は君の心が満たされているならそれで良い。どうか、末永くお幸せに。……では、行くよ」
それだけを告げて先を急ぐ。
彼女は首を垂れ、俺への謝意を体で示していた。
……良かった。
本当に良かった。
ドリスと再び顔を合わせることが出来て。
あの日、俺の顔を見て狂った様に叫び、気を失ったのが今生の別れとならなくて。
俺の頬を雫が垂れ、一筋、痕を残す。
階段を上りきった俺は、俺より先にこの場所に辿り着いていたファリスとすれ違う。
彼はドリスと同じ様に頭を垂れていた。
そして、俺がそれを見て頷くのを得て、ドリスのいる踊場へと降りて行った。
きっと、愛する者を労わりに向かったのだろう。
ドリスの身体は極僅かに震えていた。
言葉では全快したかの様に言ってはいたが、未だ俺と顔を合わせるのは……。
俺は拳を且つて無い程強く握りしめた。
蔵書室の大扉を前にして俺は領主様から借り受けた部屋の鍵を取り出す。
それは二十センチ近くある大きな鍵。
その鍵を俺は大扉の鍵穴へと差し込んだ。
そして、鍵を捻る。
すると、大きな音と共に扉や壁から機械的な音が成りだした。
恐らくは何らかのからくりが仕込まれているのだろう。
それだけでなく、ここには清浄な空気が溢れている。
聖属性が付与された結界がこの周囲に施されているからだ。
暫くして一際大きな音が鳴り響いた。
俺はそれを合図にして大扉を押し開く。
刹那、俺の鼻をこの部屋独特の香りがうった。
それは大量にある皮の匂い。
殆どすべての本が羊皮紙などの皮で出来ているからに他ならなかった。
俺はその臭いがする中に足を踏み入れる。
暫くすると扉を五回、叩く音がした。
この部屋へと至る道はファリスが守っている。
故に、この扉がノックされるのは彼が死んだ時か、俺の待ち人が来た時だ。
そして、五度、決められたリズムで鳴った。
それは先の後者であった事を物語っている。
「待たせたわね!」
俺が扉を手前に開くと、その待ち人は勢いよく俺に抱き付いては言い放った。
彼女の柔らかな頬が俺のに触れる。
俺は手を彼女の腰に回しきつく抱きしめた。
彼女もまた、俺の首に回した腕に力を入れる。
俺は思わず、彼女の臀部に乗る白い毛玉を揉んだ。
その瞬間、起立した白く長い耳が力なく折れるのを感じる。
そのまま、彼女は熱い吐息を俺の耳に吹きかけては身を捩った。
それを受けて、俺の悪戯心に火が灯る。
あぁ、この場でアリスを……いや、アリスと心ゆくまで楽しみたい。
だが、それは叶わぬ夢。
叶えてはならない欲望。
俺は彼女の腰を抱いていた腕を解く。
そして、抱き付く彼女を引き剥がそうと彼女の肩に置いた。
重ねていた身体が離れてしまう、そう感じたのだろう。
アリスは俺の頬を両手で挟み、素早く唇を重ねる。
躊躇なく差し出される彼女の舌。
俺は自身の口の中で彼女のそれを暫く味わい、そのお返しを彼女の口の中で繰り返した。
「どうだ? 少しは”魅了”に抗う事が出来たか?」
新月の夜、俺はアリスに会う度に同じ事を問い掛ける、一縷の望みをかけて。
だが、返ってくる答えは変わらない。
「んー、相変わらず良く分からないわ。エグバートの護衛として近くにいる為ね!」
そう、アリスはエグバートの護衛として奴の側に仕えている。
だが、護衛とは名ばかり。
実際は違った。
「血を取られる頻度は? 代わりの生娘は?」
その問いにも彼女は首を横に振る。
余り覚えていないらしい。
まぁ、これは想定内だ。
魅了が掛けられている間、それは夢を見ているかの様に感じるからな。
俺も同じだった。
「ハル、余り無茶をしては駄目よ! 彼は”城”の正式な一員よ。領主様の覚えも目出度いわ。貴方に何かあったら……。それに、私は処女のまま血を差し出すだけ。何の問題も無いのよ?」
……但し、今はまだ、な。
吸血鬼が何を企んでいるのかは不明だ。
数年前、封印から抜け出た奴はエグバートを取り込んだ。
更には自らの分体を世に放った。
その所為で俺は大切な物を幾つも失った。
……それどころか、アリスの異変にも気づけなかった。
奴が”城”の一員に自らの有用性を示し、領主様に取り入る前に俺が察知していれば、アリスも生贄の様な役割を命じられる事も無かっただろう……。
彼女の青春、貴重な時間がおぞましき理由で食い潰されていく。
俺はその事を考える度に腹の中を口から吐き出したくなる。
それに、奴は事あるごとに力を失った俺に対して絡んできた。
挑発をしてきた。
俺が挑発に乗らないと分かるや、指名依頼を乱発してきやがった。
その所為で何度も死線を彷徨う羽目に……。
無論、俺も手を拱いてばかりはいない。
レンや師匠にアリスの解放を頼んだ。
でも、それは為されなかった。
領主様は既にエグバートを重用すると決めた後だったからだ。
それどころか、アリスの件は目を潰れと言ってきた。
”魅了防止”魔道具の使用も厳禁。
彼女一人の犠牲でクノスの平安が守れるならば安いと判断したのだろう。
それ以来、俺はアリスを誘い出す。
それも、新月の夜に。
その時であれば、奴の力が著しく落ちると知ったからだ。
霞がかかり、まるで生けるマリオネットの様なアリスもこの時ばかりは自我を取り戻す。
彼女の心や体が穢されていないか、を確認する為に。
そして、俺の心を落ち着かせる為に。
「ふふふ、私の事を思って苦しむハルの顔、とても素敵だわ! 出来る事なら私だけのものにしたいわね。でも、それは叶わぬ夢。それは……ハルの心の中心にはいつもエミがいるからだわ!」
アリスはそう言って俺の瞳を覗きこむ。
俺はその力強い輝きを避ける事無く受け止めた。
彼女の言った事は本当の事だからだ。
「……やっぱり、今の私では彼女に勝てないのね! まぁ、見てなさい! 何時かハルの心臓を私が奪うから! ……さぁ、話して!」
……それを言うなら”心”だろ。
俺はそう思い苦笑いする。
その後、彼女に話して聞かせた、この一か月間に起きた事柄を。
彼女はそれを嬉しそうに聞く。
俺にしなだれかかり、心地よさそうにして。
「名残惜しいけどそろそろ戻るわ!」
小一時間後、彼女はそう言って蔵書室を去っていった。
アリスは薄々知っていた、俺がここで待ち合わせをする理由が他にある事を。
そう、何も彼女と会う為だけにここに来ているのではない。
”聖属性”を持つ結界であれば俺にも描けるからだ。
故に、新月の夜に彼女と会うのであればどこでも良かった。
俺は懐から古びた鍵を取り出す。
蔵書室を開けた鍵とは異なるそれ。
地下迷宮の地下三十八階でクノスの巫女から託された鍵だった。
蔵書室の最奥、教えられた場所に俺は佇む。
束の間、鍵に魔力を込め始めた。
それを受けて鍵が赤く輝き出す。
俺のギルドカードに嵌められた魔力結晶と同じ色だ。
つまり……この鍵は俺の魔力を計り、資格の有無を確認している……らしい。
「……まだ駄目か」
此度も隠された扉は開かなかった。
”赤”ですら入る資格が無いらしい。
……本当に”黒”もしくはそれに比肩する魔力が無ければ開かないのかも知れないな。
俺は肩を落とした。
そして、傍に置いていた読みかけの本を手に取る。
”実例古代王国魔法技術の初歩”と表紙に金色に輝く文字で記されたそれは、ここ暫く俺が愛読していた本だった。
何気に”魔法融合応用”に記載された内容より実用的な事が掛かれている。
今宵も俺はその本を読む、夜会が終わるその時まで。