価値のある明日
その日はいつも通りにやってきた。
ダラダラとした毎日を送ってる僕のいつも通りの退屈な日がやってきた。
その時はそう思ってた。
昨日はなにもすることがなく、なにかを改めてやる気分にもなれないので日をまたぐ前に寝た。
朝起きていつもやることはSNSを確認することだ。大抵の僕と同じ世代の人は夜遅くにつぶやいてたりするものだ。僕は夜は弱いのでこうやって、朝に夜あった情報を確認する。
まあ、大抵は「バイト疲れたー」とか、「明日のテストまじやべー」とか、くだらないことばかりなのだけど、たまに面白い情報があったりする。そんな感じでいつもSNSをみている。そして、今日もSNSを見た。しかし、今日はいつもと大きく違った。
その内容を確認するために、僕は布団から飛び出し、自分の部屋からリビングに向かい、リビングにあるテレビをつけた。テレビをつけるといつもやっていたバラエティー番組はやっておらず、かわりに臨時ニュースが放送されていた。
その内容はあまりにも衝撃的なものであり、すぐに頭で整理することはできなかった。ただ、わかったことは、今日の18時ごろに人類は滅亡するということだった。この時はただ、絶望感しかなかった。人類が今日、滅亡することはきっと僕よりも先に起きている母親と父親は知っているはずなのだが、リビングには見当たらなかった。家の中を探してみると母親と父親は寝室に置いてある仏壇に泣きながら祈っていた。それもそうだろう、誰もが今日もいつも通りに生きれると思っていたのに、明日がくると思っていたのに、もう、明日は来ないのだ。この地球上に住む全ての生き物に対して、死は確実に近づいてきていたのだ。それは僕も例外ではないのだが、死が近づいているのに、なぜか恐怖感というものがなかった。絶望感というものはあるが死にたいしての恐怖というものはなかった。もし自分自身の生きた時間の価値というものは自分が死ぬ間際に分かるものであるなら、自分が生きてきた19年間は価値のないものだったのかもしれないな。
僕の名前は阿佐野 承平。それほど裕福ではないが貧乏というわけでもない普通の家庭に生まれ、普通に育っていった。小学生のころは地域のバスケットクラブに入っていて、週に二回はバスケの練習をしていた。僕自身、バスケはとても好きだった。だから、中学生になって、もちろんバスケ部に入った。その中学校のバスケ部はそんなには強くなかったが僕がレギュラーになった2年生の夏に県大会で3位になった。そこで人生始めてのメダルをもらった。銅メダルだったけど、僕にとっては金より輝いている気がした。そして、僕がバスケ部の副部長になり、夏の県大会後の冬の県大会で1位となり、全国大会に出場することとなった。県大会で1位になった僕たちに敵はいない、全国でも必ず金メダルをもらってやる!そんな気持ちで僕らは全国大会に挑んだのだった。全国の壁は高かった。県大会1位は他の県も同じだ。1位と1位がぶつかり合うのが全国大会なのだ。簡単に勝てる相手ではない。そんな高い壁を僕たちは飛び越えた。そして、決勝戦まで進んだのだ。ここまできた僕たちにはもはや自信しかなかった。絶対的な勝利、負けることはない。そう思っていたのだ。そんな決勝戦の前の日に僕は階段を踏みはずし、足の骨を折る怪我をした。チームは優勝を逃した。それでも、2位にはなれた、いままで全国へも行けなかった学校が2位になれたのだ。優勝は逃したもののそれでも大喜びだった、僕を除いて。僕は決勝戦に出れなかったのがあまりにも悔しかった。階段を踏みはずした自分に強い憎悪感を感じた。僕の首にかかった銀メダルは輝いてはいなかった。
その後、怪我の症状が思った以上に重く、僕はバスケをすることができなくなった。好きなものをとられたのだ。好きなものをとられ、何もなくなった高校生活をおくり、大学に進学し、そして、今に至る。
僕の19年間は中2の冬の怪我によって、無価値なものになったのかもしれないな。無価値な人生だと思えるからこそ、死に対して恐怖感というものがないのだろう。この無価値な人生に対して後悔なんてないのだ。
本当に後悔はないのだろうか?
怪我をしてしまったのは確かに後悔するべきことだ。しかし、それ以外にも後悔することはある。なぜ、怪我をして好きだったバスケを失ったあと、また、新しい道を見つけようとしなかったのだろうか?なぜ、こんなにも無価値な生き方をしてきたのだ?両親が大切に育ててきてくれたこの命を自分の諦めのせいで無価値にしてしまったのか?
さっきまでの感情は消え、かわりにいままで感じたことのない後悔を僕に与えた。
死を前にして、無価値に生きてきたことに対して後悔をおぼえたのだ。これから、明日からまた、生きることに対して価値を見出そう。しかし、もう、明日は来ない。
そうか、死ぬということは僕から価値のある明日を奪うことなんだ。死ぬってやっぱり辛いんだ。
18時過ぎ、太陽が西に沈むころ、阿佐野 承平は両親とともに最期のときをむかえたのだった。
初作品です。




