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[資料]内政系小説・農耕のやり方

作者: 肥前文俊

 内政系小説では、開墾や収穫の描写が非常に重要になってきます。


 荒地を耕す方法や、うねの作り方、つかう農耕道具など、

非常に簡略化しますが、農業のやり方を知っておいて損はないでしょう。


◆開墾の仕方◆


 まず、開墾する土地は領主のものである、ということです。

 多くの場合は、領主に認可をもらい、その内の何割か領主に持っていかれます。

 代官の場合は荘園になります。

 中世も後期になると、山を切り拓くのは中々許可されなかったようです。



 木を拓き、根を掘り、大きな岩や石を取り除きます。

 雑草を取り除き、収穫後であれば作物の根を除いたり、土中の土を表面に持ってくる天地返しを行います。


 収穫後であればすきを牛や馬にかせることが多いです。


 この際使われる道具は、スコップではなくツルハシです。


 日本では土壌調査にスコップが使われますが、これは土が柔らかいからです。

 荒地やヨーロッパのような硬い土壌を掘り返すには、ツルハシが使われます。


 この作業は貧乏な村であれば、村長も含めて全ての人が行います。


 開墾作業は乾いたときでないと出来ません。

 雨の直後など、土が湿った時に行うと、泥状になり作物を育てるのが大変になります。




◆土を肥やす◆


 開いたばかりの土壌は、栄養がありません。

 そのため、最初に肥料をやる必要があります。


 これを元肥もとごえといいます。

 元肥になるのは家畜ふん尿です。


 牛糞や馬糞を一箇所に集める、稲ワラなどと混ぜ合わせると熱が発生します。


 成分が変わった堆肥たいひを土に混ぜ合わせることで、土が柔らかく、

空気を含み、水はけが良い上、保水力が良い、理想的な土壌が出来上がります。

 なお、十分な発酵がされないまま、土壌に混ぜてしまうと、それはそれで問題が起きたりします。


 ちなみに人糞を使う肥溜めはヨーロッパ圏内では使われません。

 大変な忌避感を催し、誰も試してくれないでしょう。

 それどころか異端者と認定される恐れもあるので、転生系作者の方はお気をつけください。


 また、腐葉土も使われます。

 これは開梱時の森を切り拓く際にも、落ち葉などを先に取り、堆肥化させます。



うね作り◆


 綺麗な土壌ができたら、畝を作ります。

 畝の幅は作物によって全然違います。


 大体60センチくらいと考えておいてください。

 スイカなどは2mくらいとるようです。


 畝の高さは一般的に5~10cmなのですが、水はけの悪い土地では、畝の高さを20~30cmと高くすることで、水はけを良くします。


 畝を通す方向は、日当たりや風通しが平均する「南北畝」が基本です。

 冬越しをさせる野菜は「東西畝」に。

 まんべんなく日が当たるように植えることで北風や霜から守ります。



◆種植~発芽から間引き、雑草取り◆


 薄い食塩水に種を放り込み、浮いたものは質の悪い種という選抜方法があります。


 代表的なき方に、すじまき、ばらまき、点まきがあります。


 基本的には筋蒔きです。


 点蒔きは1箇所に2~3粒づつ、タネが重ならないように撒きます。


 ばら蒔きは小さな粒のタネに向いています。

高いところからパラパラと撒くと、タネが重なりにくく均一に蒔きやすいです。


 筋蒔きは溝をつけ、一列に蒔いていきます。

 種を蒔いたら、土をかぶせます。覆土といいます。



 中世では、全て人力のため、水やりは積極的に行われませんでした。

 もちろん乾いたらあげていたのですが、今ほど重要視されていませんでした。

 雑草取りも同様です。


 新に開墾する必要や、労役、日常生活でも一つひとつの作業に時間がかかるので、

手間隙をかけて育てることが出来なかったのです。




◆害虫予防◆


 作物の組合せや、ハーブ<特にマリーゴールド>などを植えることで、天敵、害虫をある程度予防することができます。

 基本的には地道に殺していきます。



◆収穫◆


 ようやく出来た作物を丁寧に取っていきます。

 この時、出来が良い物や、発芽が早かったもの、寒さ暑さ、天候に強かったものなどは、目印を付けておいて、その種を次回に使います。


 メンデルさんが法則を発見するまで、ほとんど品種改良は選抜<上の作業>で行われていたので、中世物では必須の作業です。


 収穫後は土を掘り返し、犁を入れ、堆肥と混ぜ合わせ、別の作物を次の機会に植えます。

 連作ではなく輪作ですね。


 中世の二田圃制では、そのまま一年放って、牛などを放し飼いします。

 三田圃制では、コムギ、オオムギ、放し飼い、となっています。



 イギリスの産業革命時代に、囲い込みがされるまで、畑の境界は迷路のように複雑に絡まり合っていました。

 これは犁を入れる順番が関係します。


 四輪農法ノーフォークが行われるまで、家畜の数は非常に少なく、そのため、犁を入れるのも最初と最後では2ヶ月も間があきました。


 種植も最適な時期があり、収穫量は全然変わってきます。

この不公平を解消するためにも、四角四面の農地境界線よりも、絡まりあった状態で行うほうが、便利だったのです。


 同時に、これらは些細なコトで領地争いが発生する原因になりました。

 中世の領主にとって、揉め事を処理する裁判は、重要な資金源になったと言われています。

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