第五話 風紀委員
七つの瀑布が天から降り注ぐ。
その水量はいとも簡単に、第三校舎跡近辺を跡形もなく更地へと押し流すだろう威力を内包することが押して測れる。
全てを等しく呑みこむ濁流を防いだのは一人の少女だった。
「アムルタート」
「あなたはいつも誰かの尻拭いですね、美樹」
美樹が軽く右足のつま先で地面を鳴らした直後、「ぽんっ」と小さな芽が頭を出す。
美樹と相棒の声が重なった。
『息吹け。世界を支える偉大な大樹――世界樹』
小さな芽が急速に成長する。
地面から延びる一番太い茎は幹に、一番太いものから分かれていた茎は枝に、葉は生い茂る緑の天蓋に。学園の敷地全てをその影に収めてもまだ影の淵が見えないほどの大樹は、茂らせた天然の傘で水姫の瀑布を受けとめた。
「さすが美化委員長。役職持ちなだけはあるね」
隣で悟が呟き、それよりもさらに外周では水姫の大技を無傷で受け止めた美樹へ称賛を贈る生徒たちの歓声が聞こえる。しかし美樹はそれらを黙殺し、視線を頭上へと向ける。学園に降り注ぐ水は防げたが上空にいた翔太までは庇いきれなかったのだ。
(せめて世界樹の葉がクッション代わりに受け止めてくれればいいけれど)
美樹の顔つきは厳しい。あれだけの水量に押し流されればいくら世界樹で受け止めようとも押しつぶされる可能性が高い。
僅かに落ちてくるのは水滴と木漏れ日のみとなった大樹の下で光に目を細めながら遠くを見やる美樹は、隣で悟がまた呟くのを聞いた。
「……なんだ、ありゃ?」
悟が呆然とした声音なのは珍しい。そう思い顔を見れば大きく目を見開いていた。良くも悪くも脳天気な彼がこうなるとはまず普通ではない――
「……なに、あれ?」
視線を再び頭上に戻した美樹が呟いた言葉は図らずも悟と全く変わらぬものだった。
◇◆◇◆◇◆◇
碧の奔流が立ち込める。
誰かを慰撫するかのような流れ。しかし弱弱しくなどなく、害ある物から守り抜く意志を感じる風。実際、水姫の「天垂水槍」もその柔らかな奔流に掻き分けられていた。
その中央。
今まで水姫が互いに能力をぶつけ合っていた相手が居る。
そして、もう一人。
碧の長髪を躍らせて、一人の女性がこちらを睨んでいる。その背には大きな白い翼。
「……誰? いや……なに、と言うべき?」
「まさか……あなた、いや、でも……」
自分の胸元からかなり困惑した相棒の声を聴いて水姫は眉根を寄せた。ジブリールがここまで動揺した声を聴くのは初めてだったからだ。
果たして答えはジブリールより明かされた。
「久しいな〝神の力〟。私の契約者が今ここで死んでしまうのはやはり良くないのでな……何よりそれでは一週間前に助けた意味がなくなってしまう」
「やっぱり、あなたなのですね〝神の薬〟! 長い時を姿も見せず放浪していたあなたがなぜここに!?」
ジブリールの驚きに呼応したのは水姫だけではなかった。眼下、巨大な木の下からこちらの推移を窺っていた者たちの驚いた声がざわめきとなって届いた。
「大天使ラビエル……」
またの名をラファエル。風を司る四大天使の一。
(……これほどの大物が出てくるなんて! この一年生に感じた違和感の正体はコレね!)
一人、ぞくぞくと内から何かが這い上がってくる水姫だったがラビエルはお構いなしにジブリールと話を進めていた。
「さてジブリン」
「ジブリールです」
「さてジブリン」
「…………なんですか」
「翔太はな、一週間前にパズズの暴威に巻き込まれて重体だったところを、たまたま通りかかった私が助けた相棒だ。私がいくら奔放な気質とは言っても己の相棒の危機に黙って見ているほど無情でもない。これ以上闘るのであれば、私が助力したうえでのものになる。私達四大天使が本気でぶつかり合ってはこの都市も無事では済むまい。未だ現代の世に疎い私ではあるが、それはお前も望んではいないだろう?」
この時、翔太は内心で「南無とか言っていたくせに……」と思ったが、助けてもらった手前何も口には出さなかった。彼の正面に居た水姫は翔太がラビエルにじとっとした半眼を向けているのをジブリールともども認めていたが。
と、水姫のしていたペンダントが淡く蒼色の輝きを放ち一人の女性が顕われる。蒼の、ふくらはぎにまで届こうかという髪に、女性らしい曲線のある起伏に富んだ体。そしてラビエルと同様白い翼――ジブリールである。
「確かにそれは望みませんが……ラビエル、あなた今パズズと言いましたか?」
「言ったがどうした」
「どうしたじゃないでしょう! どうしてもっと早く言わないんです! 古代より現代まで〝代替わり〟なしの魔人ではないですか!」
ぎゃーぎゃーと現代に顕われた美しき大天使二人は、みっともなく口げんかを始めてしまった。
ただ額に手を当て頭上を振り仰いだ翔太と目をぱちくりと瞬いて固まった水姫の眼下で、見物人たちもただその遣り取りを見ているしかなかった。
◇◆◇◆◇◆◇
「大体、あなたはいつもいつも……どうして大切なことを言わないんです」
「ふん。ジブリンはいつもいつも、きっちり堅苦しいんだ」
右手に蒼のペンダント、左手に碧髪の人形を持った翔太が廊下に立っていた。時はとっくに放課後になり今は太陽もどこか黄色がかっている。もう少し時が経てば朱くなり夕日となるだろう。
広大な校庭からは運動部の掛け声ではなく、美化委員の声が聞こえる。昼に水姫が壊した第三校舎の瓦礫を撤去しているのだろう。時々、教師のものだろう大人の声も聞こえてくる。
壁に背を預けながら右に視線を向ければ横開きの扉。上には札が突き出していてこう書いてある。
職員室、と。
「翔太! お前もこの堅物に言ってやってくれ!」
「翔太くんと言いましたか。あなたもコレの契約者であれば少し言ってくださいな」
大天使二人の口げんかに重く息を吐きながら彼はただ待つ。今日の昼の出来事は当然問題となった。校舎を壊したのだから当たり前だが、水姫が呼び出されて説教中なのだった。
模擬戦後、翔太は質問攻めにあった。妖人なのに何故天人のように契約者を得ているのかは勿論、水姫を相手に良い具合に立ちまわったことがいけなかった。今まで不真面目で通り目立たなかったことが更に引き金となったのだ。
そのような混沌とした場を収集したのは教師陣ではなく美樹。彼女は事態の収拾には役職上慣れていたのか、集まった生徒をさっさと解散させ部下の委員たちを集めると、瓦礫の撤去と教師への報告を命じ、水姫の襟首を掴んで自分は生徒会室に行ってしまった。その際、
「……帰ったら、聞かせてもらいますからね?」
「キミ! 放課後! 放課後に話があるから帰らないでね! これ勝者の特権! 忘れてないよね!? 勝ったのは私なんだから言うこと聞きなさいよ!」
敬語になった美樹は本気で怒っているときである。翔太はもう観念してただ頷いた。
もう一人についてもしつこく付き纏われるだろうことが容易に想像できたので、それよりは手っ取り早く話を聞いた方がマシと妥協して二度頷いたのだった。悟に肩を叩かれたときは自分のことながら、哀愁を感じたものである。
そして放課後まで待ったわけだがそれまでも、そこからも翔太にとっては苦痛のごとき視線、視線、視線。
流石に教室では同情もあったが、放課後のチャイムが鳴りやまぬうちに水姫が教室に押しかけてきたことがいけない。その後ろには多くの生徒を引き連れていたのだから、翔太の顔は引き攣った。そして一言、
「……今から職員室で、先生と話さなきゃいけないから、待っててくれる?」
悄然と項垂れながら呟いた。美少女と言える水姫が弱々しく「待ってて」など言ったため周りの空気が凍りついたときは、窓から飛んで逃げようかと思ったくらいだ。
そして今、水姫が「ハイ……」とジブリールの憑代を翔太に預けて職員室に「ドナドナ」と入って行って、かれこれ一時間になろうかというところだった。
(……まぁ、落ち込んでいたってことは自分が非常識な行動をやらかした自覚はあったということか……あれでも風紀委員長ってのは務まんのかね?)
翔太の感想も一理あるのだが、彼女が風紀委員長を任せられているのはこの学園ならではの理由があるからでもある。
ガラリ、と音が生まれる。
ぼんやりしていた意識をハッと覚醒し横を見れば、
「失礼しました……」
頭を下げて水姫が出てきたところだった。戸を閉めてから自分を見つめる視線に気づいたのか翔太と目を合わせ、
「……あはは、怒られちゃった」
力なく苦笑し、頭をかきながら言うので、
「……当たり前だろ」
眉尻と肩を下げて、力無く答えた。表情が何か残念な娘を見るような顔になっていたのはご愛嬌、というところだろう。
◇◆◇◆◇◆◇
翔太が水姫に連れられて訪れたのは、本校舎を挟んで第三校舎の反対側に建つ第二校舎。その外観は学校というよりも、アパートに近かった。
外に面した廊下に取り付けられたドアが入り口。一つ一つの部屋がそれぞれの集団の部屋になっているのだ。全校舎の中で一番小さな建物で三階建て。一階は運動部・文化部含めた各部の部屋が集まり、二階は各委員会。そして三階は各学年選抜委員と生徒会の集まりになる。
当然彼らが訪れたのは二階にある風紀委員に割り当てられた部屋だった。
部屋に入ると正面一番奥に一つ事務机がある。職員室にある物と同じもののようだ。右側はパーテーションで区切られており、どうやら応接のために整えてあるらしい。
それだけだった。左側や奥の事務机の前にはかなりの余裕が残っている部屋だ。
「ささ、入って入って」
水姫に促され部屋の右側、パーテーションの奥に通される。向かい合ってソファーが置かれていたのでその一方に翔太は座った。
「キミはコーヒーと紅茶ならどっちかな?」
水姫が入り口の横にあるシンク台に向かいながら聞いてきたので、
「あ、じゃあ……コーラで」
多少ひねくれたつもりの答えだったのだが、出てくるあたり普段飲んでいるのだろうか?
「で……話ってのは? 穂澄先輩」
「あ、私の名前は知ってるんだね?」
「そりゃあ知らない人の方が少ないでしょう。風紀委員長ですからね」
岩園学園の委員会は少々特殊な役割を担っている。この学園で風紀委員といえば「学生警察」とでも言えばわかるだろうか。学園の設立目的が「魔人という脅威に立ち向かう人材の育成」であるため、学生の内から現場を実体験させる活動があるのだ。
その最たるものが各委員会である。その中で風紀委員は「治安の維持」を目的としている。天人や妖人という異能者・異形の諍いや魔人の只人への被害を無くすために警邏していたりする。
「そう、活動内容も知ってるんだね」
「美化委員は街の被害を軽減する防衛活動や、修繕活動を通して特区の〝美化〟に努めるなんてことも知ってますよ」
「だったら話は早いかな」
にっこりと笑いかけてくる水姫の表情は確かに魅力的だった。なので翔太が見惚れて思わず固まってしまったのも無理はない。
「キミに風紀委員に入ってほしいの」
「………………え?」
だから反応も遅れてしまう。
「実はこの風紀委員、私しかいないことまでは知っているかな?」
「………………なんだって?」
事ここに至って翔太は水姫が自分に見出したモノを悟った。
水姫は先の模擬戦で翔太の実力が風紀委員に属するに値すると判断したのだ。治安を維持する目的から荒事にも多く遭遇する活動だ。当然、委員にもある程度の実力は求められるのだろう。
「……スンマセン。一人ってのは……マジですか?」
「……マジなんです……」
翔太はがっくりと項垂れた。
(そういうことか……以前から探していた人材について、お眼鏡に適っちゃったワケ……)
(どういうことだ? ジブリールの契約者が一人だとまずいのか?)
(そりゃ、一人では限界があるだろうよ。だから二か月前から探してたんじゃねぇの? 新しく高等部に来た中から一緒に活動せきそうな人材を……あれ?)
そこまでラビエルと会話して翔太はおかしなことに気が付いた。
「……二年や三年には的確な人っていなかったんですか?」
「私たちの学年や三年生で実力がある人たちは皆もう他の委員に入ってたりしてるのよ。その他も全部人材採られちゃって……風紀委員は厄介事が多いから……」
翔太がめんどくさそうだと顔を顰めたのは言うまでもない。
「で、でも! やりがいはあるよ! 風紀委員ってだけで戦闘に関する実力があるってことだから周りにも頼られるし、一目置かれる! そりゃあ揉め事に巻き込まれたり〝名無し〟〝名付き〟に関わらず魔人との戦闘では矢面に立たされるけれど、いろんな人に感謝されることだってある……からさ……その……やっぱり、だめ、かな?」
慌てて言い繕ったが尻すぼみに言葉を無くしてゆく水姫も風紀委員についてあまりいい噂が立っていないことを承知しているらしく、翔太が風紀委員に入りたくないと当然勘ぐってしまう。
曰く、風紀委員は岩園学園で最も死亡率の高い活動である。
魔人との戦闘や、天人や妖人の諍いの仲介に奔走するうちに大なり小なり負傷することはあるだろう。ただ最初に矢面に立たされることが多い活動なだけで他の委員も最終的にその過酷さにそれほどの差はない。
またここが「天原」という特区であっても、あくまで学園の活動である。当然、担当教師がおり大きすぎる問題は同伴してくれるか別の対処法を模索してくれるので死亡するなどという事態はまず起こらないだろう。だが、それを伝えてもイメージというのは中々払拭できないものだ。
両手で包むように持つ紅茶が入ったマグカップを俯き加減に眺める形で沈黙した水姫を見て、ガリガリと頭をかきむしる翔太。
(女ってのは反則の多い生き物だな……そんな表情をされて何の躊躇もなく無下にできる男がいると思ってんのかね?)
(ふむ。キミが女性に対して〝見栄〟を張れる〝紳士〟で契約者としては誇らしく思うぞ)
からかいと小さな笑いを含んだ声が脳裏に響く。ラビエルの言葉に気が重くなるが仕方がない。
「……勝者の特権てヤツでしょう」
「え?」
「模擬戦の勝者の言うことを聞くんでしょ? 敗者は。それが条件でしたよね」
「……あ」
水姫としてはその条件は「話を聞いてもらう」ということに使ってしまったつもりだったので、大きく目を見開いて驚いた。
(……授業をサボるような子かと思えば、このような思いやりも見せるのですね)
(やっぱり気を遣われたのかな、ジブリール?)
(そうでしょうね。男の子が見栄を張ったのですから女の子として応えてあげなさいな、水姫)
「そうね。そうだったわね。じゃあ改めて。二年A組。風紀委員長の穂澄水姫よ」
「一年Z組。羽根倉翔太です……まぁボチボチ頑張ります」
「翔太くんね。色々大変なこともあるだろうけれど、模擬戦で見せてもらったキミの実力なら大丈夫だと思う。ヨロシクね!」
差し出された小さな手を握る。
その先に見える嬉しさの滲む笑顔はすっかり朱くなった夕日に照らされて、どこか現実のものではないような美しさだ。
この表情を見られただけでもこの勧誘に折れた役得はあったのかもしれないと翔太は思った。彼自身はそれでもこれからの学校生活について、憂鬱そうに溜息を吐いたが。
引き続きご意見、ご感想、誤字報告など待っています。
宜しくお願いします。




