第九話 特区騒乱
水姫が校舎裏の林でパズズと遭遇した翌日。風紀委員長である彼女が生徒会室で各委員長クラスの人間と報告を含めた会議を行っている間、風紀委員に割り当てられた部屋で翔太と悟がくつろいでいた。
「さすが水姫先輩だよな。名持ちの、しかも代替わりなしの古から健在の魔人を退かせるなんて」
「そうは言うが、あの娘もパズズを倒すには至らなかった。翔太から聞くところによるとあの娘はジブリンの契約者としてこの学園、いやこの特区では有数の実力者だと聞いた。
あの娘――水姫嬢が倒せないとなると、こちらとしては非常に厳しいと言わざるを得ん。そのことを踏まえたうえで感心しているのか、悟?」
眉をしかめるのは人形に諫められた悟。
「だが相手と同格だということは証明できただろ?」
「それが甘いと言ってるんだよ、ラビエルは」
ズズ、と缶コーヒーを飲みながら翔太も会話に加わる。彼らは彼らで、パズズに干渉を受けた不良を退けたが、不良たちの状態を直接見て、水姫とパズズの戦闘の結果を聞いて彼らなりに考えをまとめているところだ。
「いいか? 俺たちがパズズの能力について図書委員長の本間先輩に話を聞きに行っていたことは話しただろう? それでも俺たちはあの不良先輩を目の当たりにして動揺している。詳細な情報ではないし、極めて小さな情報だということも有ったけど事前に情報を収集していても、相手の能力は予想外のものだったんだ」
「だからなんだよ?」
「これだからお前はサルなんだ」
「人間だよ!」
この野郎、とラビエルに掴みかかる悟。野郎ではない、と悠々躱すラビエル。そんな両者を宥めた後で翔太は話を続けた。
「つまり、だ。パズズの潜在能力ほか、全力解放時の実力などは未知数なんだ。先輩と対峙した時だってパズズが本気だったとは思えない」
これは水姫の話を聞いて翔太がまず不安に感じた点だった。己の身を以てジブリールの強大さとそれを扱う水姫の技術――天女としての「穂澄水姫」の実力は強大だと知っている。そんな彼女が、
「……思い出せよ、悟。先輩は林に入ってしばらくした後、パズズの先制攻撃で戦端を開いたと言っていただろう? あの先輩が周囲を警戒していたのに不意打ちを受けたんだ。それだけで先輩とパズズ、どちらが強大なのかは想像が付く」
同格なんかじゃない。
相手は間違いなく格上だ。
退かせたんじゃない。
相手が勝手に退いたのだ。
「パズズは身を隠していたにも関わらず水姫嬢が近づいてきたことでこの特区内にもそれなりの実力者が居ることを知ったのだろう。逃げずに水姫嬢と相対したのはこの特区内の上位者を見極めるためだと思う」
「……なんだよ、翔太もラビエルもものすげぇマイナス思考じゃね?」
そう言う悟だが、彼も話を聞いて現状を把握してきているのだろう。顔に浮かぶ笑みは強がりだと一目瞭然の、強張ったものであった。
「ただ、昨日で先輩と決着を付けなかった以上、何らかの目的があることは確かだ。この特区に来たのは偶然ではなく、パズズが己の意志で訪れたことだと思う」
「私も同感だな。私と翔太が出会った時に翔太を巻き込んだのは戯れだろうが何らかの意図があってここを訪れたことは確かだろう。昨日の妖人たちの異常な変化も目的に準じていたものなのかもしれん」
ラビエルが翔太の携帯電話を胸に抱きながら、人形特有の少しごわついたような羽を羽ばたかせて相棒の肩に乗る。己の形態がストラップであるくせに携帯電話の方が付属品になってしまっている。なんとなくラビエルの図々しさが窺えるワンシーンである。
そんなラビエルが翔太の肩上で眺める先には己の相棒とその友人が意見交換しながら先日のようにパズズに干渉された人間にはどう対応するか、もしパズズ本体に遭遇したらどうすべきかなどを話し合っている。
逃げるだとか、集団で相手にするべきだとか色々言っているが、
(しかし翔太。キミは気付いているか? キミもまた私と契約してから未だに一度も私の力を行使していないんだぞ? そういう意味ではキミもまたパズズと同様に〝未知数〟だということに)
ラビエルは己の相棒がカギだと思っている。いや、自覚した自惚れとも言えばいいのかもしれない。贔屓目があることは確かだ。それでも大天使である自分の力は強大であることは確かだ。ジブリールと並ぶ四大天使の一角なのだから水姫が扱うものと同格の力は出せるだろう。
その上、翔太は妖人だ。変態したときの彼の身体能力は凄まじい。水姫と立ち回った動きからしても妖人の中でも中々のものではないかとラビエルは己の選んだ相棒に間違いはなかったと思っていたくらいだ。只人の水姫が天女としてあれほどの実力があるのだ。妖人である翔太がラビエルの能力を行使したならばどれ程のものになるだろう。
「まぁ、訓練も無しに十全に実力を発揮できるとも思っていないが」
「なんか言ったかラビエル?」
首を横に振るラビエル。翔太は妖人としての戦闘技能は磨いているのだ。天人としての能力を未だ十全に扱えないとしても致命的な問題にはならない筈だ、内心そう思うラビエルだった。
◇◆◇◆◇◆◇
ロの字型に並べられたテーブル。全ての席が埋まっていた。
入り口正面に位置する上座に座るのは生徒会長。生徒会室には岩園学園の実力者の中でも更に群を抜いている者たちが集まっている。
議題はもちろん、
「さて。皆に集まってもらったのは言うまでもない。昨日、穂澄風紀委員長が遭遇、好戦した魔人〝塵風魔帝〟について話し合うためだ」
声を発したのは上座に座る生徒会長の肩書を持つ生徒。
恰幅のいい、男子生徒だ。隣には怜悧な顔立ちのスレンダーかつ長身な女子生徒が控えている。
岩園学園生徒会執行部生徒会長・毬木檀縄。彼は校内、いや天原最高峰の天人の一人だ。
「で、ぽっちゃり。お前はどう考えてんのよ?」
「ぽっちゃりじゃない! 俺は…………そう! 肉付きがいいんだ!」
檀縄に早速声を掛けたのは、体育委員長と書かれた札の席に座る巨漢。胸板が厚すぎてシャツの前が止められないのか、羽織っているだけだ。下に半袖の服を着ているので肌を見せていないのが救いだろう。
「剛毅。あなたは檀縄をいつもからかわない」
「美樹。あなたはどこでも誰かを窘める立場ですね」
注意されたのは、主に実動を担当する体育委員会のトップ、唐島剛毅。
注意したのは、特区の清掃をはじめ、防衛・修復までを受け持つ美化委員の頂点、小暮美樹。美樹に続いて発言したのは彼女の契約者であるアムルタート。
「美樹ちゃんもカッカしないで。アムルタートもわざわざ指摘しないの」
やんわりと声を放つのは、怪我人の治療・搬送といった救命活動を担当する保健委員の女子委員長、保田愛枝。ゆるいウェーブは天然パーマだろう、茶の長髪を持つ三年の天人であり、
「あんまりうるさいと魂持ってくぞ。脳筋」
低い声を放つ契約者、〝神の救い〟アズラエル。
「誰が脳筋だ、コラ」
「あんたよ」
この場で一人、我を貫いて読書しているのは情報の統計・作戦立案を受け持つ図書委員長・本間文子。
「ちんちくりんも時たま喧しいのにね」
彼女の相棒である〝神の秘密〟ラトジエルが茶化す。その後に鋭い音がしたのは文子がラトジエルの媒体を引っ叩いたためだ。
「……ゾフィエル、特区内で何か変わったことは?」
「ないな。極めて普段通りの光景だよ、数司」
眼鏡を掛けた、前髪で表情を隠す男は情報の伝達や収集を受け持つ放送委員長・濱数司。そして契約者の〝神の密偵〟ゾフィエル。
「……皆、静かに。水姫、話を聞かせてくれるかしら?」
檀縄の傍に控える女子生徒が発言する。
竜ヶ城桜子。
生徒会執行部副会長にして、特区内どころか国内でも有数の妖人。檀縄すら正面からの戦闘は「マジ勘弁」という存在。桜子は檀縄を「……初めて見つけた、同世代で私以上の人です」と慕っていることが、どちらが岩園最強なのか全校生徒の興味は尽きないところだったりするのだが。
「……では、軽く昨日のことを」
「イエス。厄介な魔人が相手です。皆の意見も聞くべきときです」
そして、風紀委員長・穂澄水姫と契約者である〝神の力〟ジブリール。
岩園学園の主だった実力者が――生徒会と各委員長の面々が顔を合わせているのだ。
◇◆◇◆◇◆◇
「――ということは、塵風魔帝は何らかの目的があったためにこの特区内に侵入してきたということか?」
「そうでしょうね。更にあの場で水姫に追い詰められたわけでも無く退いたのは、この特区内の脅威を測るためだと思うわ」
水姫の報告を聞いて唐島と文子が結論をまとめる。
その間に顎に手を当て考えていた桜子がふと視線を上げて水姫に、いやその契約者のジブリールに尋ねた。
「塵風魔帝の目的は予測できるのかしら?」
「ノー。いまいちわかりません。そもそもパズズは古代より威風堂々たる風の魔王と呼ばれ恐れられる脅威です。そんな存在である彼が、私たちを前にあっさりと退くことを選択する目的……想像できません」
「……ジブリールに限らず、他の契約者にも一つ聞きたい」
全ての視線が上座へと、毬木檀縄へと収束する。彼は視線が集まったことを確認するようにひとつ頷いてから声を発した。
「代替わりなし、とは制限の無いものなのか?」
「何が言いたい、肉塊」
「誰がだ! ……ゴホン。アズラエルにも分かるように言うとだ」
檀縄が皆を見回す。
「魔人という存在は、人の弱み、負の感情に付け込んで肉体を乗っ取るものだ。彼らがどれ程強大であっても、その肉体が乗っ取ったものであり半不滅の存在であっても、俺にはやつらには歴とした枷があるように思えてならん」
「枷、ですか?」
「そうだ穂澄。奴らが使っているのは人の体なんだ。いずれ衰え、朽ちていくものだとは思わんか?」
檀縄以外が絶句する。
「なぁ。もう一度聞くぞ? 魔人が乗っ取った肉体ってのは無期限に使用に耐えられるものなのか? もし、そうでなかったら極めて危険だと俺は思うね。この特区には只人より身体能力に優れた妖人が集められてるんだ。
もし、そんな天人すら追い付けない身体能力に天人のごとき魔人の異能が加わればどれ程の脅威か……」
分かるか? と念を押すように一息。
「塵風魔帝は、肉体の乗り換えのためにここに来たんじゃないのか? 先の不良たちへの干渉については自らの力が妖人に注ぐことが可能か見るためで、それを確認できた今、奴は次に己の存在を標的に注ぎ込むんじゃないのか?」
魔人にしろ、ジブリールたちのような存在にしろ、彼らは意志を持つ力の塊だとも言える存在だ。違いは人を器に自らを注ぎ込むことで内から乗っ取るのか、憑代に宿り相棒として外から支援するのか。
「……生徒会長としてこの予感を見過ごすことは出来ん。今すぐ特区内に警戒網を……」
檀縄が言い掛けた時だった。
室外から慌ただしい足音が聞こえる。それは徐々に近づいてくることを示すようにどんどん大きくなり……
「会長!!」
入ってきた男子生徒が荒い息も整えぬままに要件を告げた。
「特区の各地で、妖人が血統に基づく変態とは別に、明らかに異常な状態となって暴れています!」
先手を取ったのは、パズズだった。
◇◆◇◆◇◆◇
天原中央区。そこは天原の中でとりわけ都市化が進んでいる区画だ。
その区画にある一つのビルの屋上に翻る色がある。
くすんだ、茶色のぼろきれ。
日に照らされるのは肉の腐り落ちた顔。
塵風魔帝・パズズ。
「さて、選別の儀式を止められる脅威は居るのか……お手並み拝見と行こうではないか」
彼の眼下では混乱が生じている。幾体かの異形が他の通行人たちに襲い掛かっているのだ。暴れるものに共通するのは全員が妖人であって、その風貌は明らかに正気を失っているということ。
魔人としてのパズズの力を注がれたのだ。撫ぜるものを侵す風は、内から妖人たちを狂わしていく。風貌に始まり、その行いから風聞を、果ては侵された彼らの風格すらも軒並み破壊していく、風。
「――王が命じよう。この混乱の中で、我が風に呑まれることなく振る舞うがいい。その上で……」
頬のこそげ落ちた顔で、笑みを浮かべる魔人が一人。
「その上で、我が風に呑まれた者どもの前にひれ伏すがいい。さすれば自然と助けは現れるのだろう。昨日の〝神の力〟のような、力ある者が。その姿を目前に、嫉妬しろ。渇望しろ。憤怒しろ」
どう捉えても命が尽きた人間にしか見えないそれは。
「くれてやるぞ。より大きな力を。このパズズの存在を。我が意識こそ、威風堂々たる風の魔王なり。その身を我が貰い受けることを光栄に思うがいい」
新たな器を求め、特区の妖人の選別のために、特区を混乱に貶める。
不気味な生温い風は、遂に吹き荒れる颶風へと化していた。




