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〜Other side〜
遊び相手が居なくなった狼達は暇を持て余し、昼寝の為に寝そべっていた。
一陣の心地良い風が吹き、狼達は更に惰眠を貪ろうとするが−−それに乗って来た微かな匂いを嗅ぎ取り、寝そべっていた全てが一斉に立ち上がる。
鼻をひくつかせ、鋭い眼光は虚空を睨む。
その匂いが漂って来た方角を判別した五色の首輪を巻いた狼達は猛然と駆け出し、それを見咎めた隊員の制止を振り切り駐屯地の敷地を出て行く−−−
−−真横に振り抜かれた斬戟に遅れて、首が地面へ落ちた。
「……………」
「…和樹…」
「……今ので最後のようです…」
襲撃してきた刺客達の死亡を見届けた雪蓮と和樹は互いが持つ得物へ血振りをやり、鞘へ納め、息をつく。
愛銃へセイフティを掛け、それをホルスターに戻した和樹は億劫そうに手近の木の幹へ腰を下ろす−−が背中側の脇腹から痛みが走った。
「…………」
無言で腰の位置を動かし、痛まない場所で落ち着ける。
「……お怪我はありませんか?」
「…私は大丈夫よ…和樹は……」
「……申し訳ない。御覧の通り−−喰らいました」
和樹の脇腹には箆を途中でへし折った一本の矢が突き刺さっている。
既に肉が固まっている為、無理矢理、引き抜くのは少しリスクがある。
ならば抜かず、このままが良いと彼は反射的に判断した。
ヘタをすると開いた傷口から激しい出血もあり得る。
「…大丈夫?」
「……少々、疲れました。申し訳ありませんが…休ませて下さい」
「……判ったわ」
「…あぁ…それと…」
「なに?」
「…煙草を下さい」
「え、たばこ?」
「…そこに入っています」
和樹は腰掛けつつ雪蓮へ貸したコートのポケットを力なく指差した。
その箇所を彼女が上から叩くと確かに何かが入っている。
ポケットへ手を突っ込み、指先に触れた物−−煙草の紙ケースを取り出し、次いで所々に小さな傷が走る年季が入った銀色のジッポを引き出した。
紙ケースから一本を引き抜くと、その吸い口を和樹の口元へ寄せ、彼が銜えたのを確認した後、いつも和樹がしているようにジッポの上蓋を開け、ホイールを回しフリントへ擦り付け、火を煙草へ点けてやる。
「……フゥー……」
点けられた煙草を深く吸い込み、紫煙を吐き出せば、それが虚空へ立ち昇った。
「…ありがとうございます。…少し落ち着きました…」
「……うん……ここに置くね?」
和樹の表情に微かな穏やかさが戻ったのを認めた雪蓮は彼の傍らへ煙草とジッポを置く。
「……あの兵装は…曹魏兵ですな…」
「…私を狙ったんでしょうね」
「…えぇ…。まぁ…残念な事に伯符殿は存命しておられる」
皮肉と冗談混じりの言葉に雪蓮の顔に苦笑が浮かんだ。
「…揚州の奥深く−−それもあからさまに曹魏兵と判る兵士……という事は本隊は間近まで迫っている」
「…でしょうね…。…たぶん、州境の城を片っ端から落として、報告する為に走る伝令も片っ端から殺した…って所かな?」
「…大凡はそうでしょう。…報告を入れておきます−−−…チッ」
和樹は腰の弾帯へ手を伸ばし、トランシーバーを取るが……その様子を見た途端、舌打ちをかました。
「……ハァ…」
溜息と紫煙を吐き出し、彼はトランシーバーを元へと戻す。
「…どうしたの?」
「…壊れていました。修理は……ここでは無理でしょう」
戦闘中に襲い掛かる矢を無理矢理、身体を捻ったのが悪かったのか。
矢は身体にこそ当たらなかったモノの逆にトランシーバーへ命中していた。
しかも困った事に電源が入らず−−壊れてしまい役に立たない。
「……伯符殿は今直ぐ城へ向かった方が良い。早急に対策を練らねば」
「…和樹は?」
「……私は少し休んでから参ります。相−−…将司には、もしかすると間に合わないかも知れないと伝言を願います」
「…判ったわ。じゃあ…先に行ってる」
「お気を付けて−−…あぁ、もうひとつ」
駆け出そうとした雪蓮を和樹が呼び止めた。
「黒馗を放しておいて下さい。そうすれば私の下へ来ますので」
「…判ったわ…それじゃ」
軽く手を振る和樹を一瞥すると雪蓮は林の外を目指して駆け出した。
その足音と気配が遠ざかり−−−
「−−……グッ…!!」
−−和樹は必死に我慢していた苦痛を曝け出し、苦痛が漏れた口から煙草が地面へ落ちた。
堰を切ったかのように溢れ出す脂汗が彼の顔中から滴る。
−−…畜生…!!−−
胸部に途方もない灼熱感を感じる。
不意に込み上げて来たのは吐き気。
咄嗟に彼は口元を押さえるが−−たまらず、胃の中の物を全て地面へぶちまけた。
「ゲホッゲホッ…ウッ!!?」
嘔吐が止まらない。
胃の中の全てを吐き出してしまい、最後には胃液しか出なくなってしまう。
荒く息を吐き出し後頭部を木の幹へ預ける。
頬の筋肉が弛緩して口の端から涎が流れ出、普段とは明らかに違う、虚ろな双眸の瞳孔は散大していた。
「……ハァ…ハァ…」
悪寒が襲い、彼は寒さで身を震わせる。
歯同士がぶつかり、ガチガチと音が出る。
−−…まるでマラリアじゃねぇか…−−
熱いのに寒い、寒いのに熱い。
しかも酷い悪寒は彼が経験した事のあるマラリアの症状と似ている。
ポタリ、と水滴が落ちる音が微かに響いた。
だが、それは水滴ではない。
彼の歯茎、そして鼻から出て来た血だ。
オマケとばかりに目眩もしてきた。
−−やっぱり…毒矢だったか…−−
暗殺を企てる者が通常の武器を使う筈がない。
刺し違えても−−喩え、相手の身体を掠めただけでも死を与えられるだけの物を使う。
だからこその毒矢だ。
−−…また…歴史が変わったな…−−
華雄は泗水関で散華せず、董卓も戦いの果てに世を去らなかった。
曹操に追い立てられた劉備は逃走の果てに−−蜀を建国した。
そして今回も−−若くして暗殺される筈だった孫策は死ななかった。
その代わりに−−彼が死を迎えようとしている。
「……ククッ…」
涎と血が溢れ出る口を歪ませ、彼は含み笑いを零した。
「…誰にも看取られず……畜生には似合い−−」
呟いた瞬間、再びの嘔吐感が襲い、彼は胃液を吐き出す。
「…ハァ…ハァ……あん…?」
目眩のお陰で朧気に映る彼の視界に入った異物。
傍らにあるそれを掴むと、良く見るため霞む眼を擦る。
「……神様より…愛を込めて…?」
それは何らかの薬剤が入った注射器。
シリンジにはラベルが巻かれ、何かが書かれている。
[神様だぜ〜♪ちょっとヤバそうだから、お節介だと思うけど薬送ったぜ♪あっ、使い方だけど静脈にブスッ!!とやってくれや。…まぁ…急拵えだから、ちょっと副作用があるけど…。んじゃま、そーゆー事で−♪]
「……………」
この状況には似つかわしくない文面に彼が言葉を失ってしまうのも無理はない。
というか、注射器に良くここまで色々と書き込めたモノだ。
「…………ククッ…」
息も絶え絶えの和樹は何を思ったか微笑を浮かべ、注射針の保護キャップを銜えると、それを引き抜き様、地面へ吐き捨てた。
震える右手で左腕の袖を捲り、強く腕を握り込み血管を浮き出させる。
そして浮き出た静脈の上へ注射針を宛がい−−ゆっくりと刺して行く。
「…………」
プランジャを押し込み、中の薬剤を投与する。
それが無くなると刺した時と同様にゆっくりと引き抜く。
使用した注射器を地面へ捨て、針を刺した箇所を押さえた瞬間−−心拍数が跳ね上がった。
「−−−ッ!!?」
有り得ないほど早く刻まれる心臓の鼓動。
その早さに心臓が破れるのではないかと錯覚に陥り掛けてしまう。
「…ガッ…カハッ……!!?」
毒が回る肉体へ更なる苦痛が広がり、和樹はたまらず崩れ落ちてしまった。
激しく胸が上下に動き、荒い呼吸が吐き出され、脂汗がダラダラと流れ落ちて行く−−−
「−−曹操軍の現在位置は?」
軍議が行われている部屋へ案内された途端、将司は開口一番に現在状況を尋ねた。
「斥候の報告では建業の北−−この辺りまで進軍している」
黒い長髪の美女−−大都督である冥琳が入室してきた人物を認め、簡潔に述べつつ机上へ広げた地図の一点を指し示す。
−−そこは20kmも離れていなかった。
「−−至近距離も良い所だ。…将兵の召集は?」
「現在、近隣の邑へ呼び掛けて必死に掻き集めていますが……3万が限界です」
「…了解。…公瑾殿、防衛線は何次まで想定しましょう?」
「……前線へ2万を割き、残りを二次、三次の防衛線へ当てるしかないだろう。黒狼隊の状況は?」
「中尉」
「はっ。現在、駐屯地にて総員出撃の用意を進めており、四半刻もあれば完了致します」
次々に報告がなされている最中、扉が開き、華雄が入室して来る。
「済まん、遅れた」
「華雄か。お前の隊にも出撃を命じる。直ちに準備を」
「あぁ大丈夫だ。来る前に兵達へ命令しておいたぞ」
「結構だ」
事態を理解していた華雄は既に自身の部隊へ出撃命令を下してから来ていたらしい。
ならば問題ない、と冥琳は結論付け−−先程から疑問に思っていた事を眼前で地図へ眼を落とす将司へ視線を向ける。
「将司、和樹はどうした?」
「…先程、部下からの連絡で伯符殿と出掛けられたようです」
「雪蓮はともかく…和樹までもか…」
「冥琳、安心せい。蓮華様が策殿達を呼びに行っておる。その内、顔を出すじゃろう」
緊急事態にも関わらず、悠然と佇む祭は窘めるように冥琳へ声を掛ける。
それを聞いた彼女は深呼吸をし−−冷静さを取り戻した。
「−−孫策様、孫権様が参られました!!!」
部屋の外から兵士が声を掛け、君主達の帰還を告げる。
それが終わるか否かの刹那で扉が開かれ、二人の人物が入って来た。
「−−ごめん、遅くなったわ」
「…………」
冷静な面持ちの雪蓮とは逆に妹の蓮華の表情は強張っている。
「……伯符殿、和樹は一緒では?…駐屯地か?−−中尉、通信入れろ」
「はっ。…こちら朴中尉。隊長、応答願います」
将司の求めに応じ、中尉はトランシーバーを操作する。
「−−隊長、応答願います」
彼は何度も呼び出すが−−いくら待とうとも応答は来ない。
「駄目です。応答しません」
「…故障か?」
「おそらくは…」
「−−…将司…」
唐突に彼は雪蓮に呼ばれ、視線を中尉から彼女へ向ける。
「…これ…なんだか判る?」
彼女の手には綺麗に畳まれた黒い布がある。
雪蓮がそれを広げて見せると−−将司と中尉の顔が一瞬で強張った。
「それは…隊長の…!?」
「…伯符殿。何故、貴女が“それ”を持っていらっしゃるのか説明を願いたい」
「…母様の墓参りに行った時……私と和樹は曹魏兵に襲撃されたの」
その告白に、この部屋に居る全ての者の顔が二人同様、一瞬で強張る。
「…それで相棒は?」
冷静であろうと将司は努めるが、声が掠れてしまう。
「…和樹は私を庇って、矢を受けたわ」
「…それで?」
「…本人は…大丈夫だって。…伝言があったわね。“もしかしたら間に合わないかも知れない”そうよ」
「…本当に…大丈夫な様子でしたか?」
将司の問い掛けに雪蓮は力なく首を振り、否定を示す。
「…暗殺を企てるような輩が“ただの矢”を使う訳がないわ」
「−−じゃあ…和樹様は…!!?」
「…えぇ、毒矢を受けたのよ」
空気が一瞬で張り詰めた。
雪蓮の報告に、眦へ涙を溜める者、沈痛な面持ちをする者−−様々な反応が現れたが、この男だけは違った。
「−−将司?」
無言で雪蓮へ歩み寄った将司は、彼女の手にあるコートを掴み、それを中尉へ差し出す。
「朴容国中尉」
「−−はっ!!」
名と階級を同時に呼ばれた彼は踵を鳴らし、直立不動の姿勢を取る。
「部隊長の生死不明の状況につき、暫定的だが小官が臨時で我が隊の指揮を執る。異存は?」
「心より貴官の指揮に従います!!」
「結構だ。貴様は小隊の指揮を含め、小官の補佐を務めよ」
「……はっ!!」
最敬礼をした後、中尉は差し出されたコートを受け取り、それを戦闘服の上から着込んだ。
「−−では代行、指示を願います」
「駐屯地への回線を開け」
「はっ!!」
彼女達が見守る中、中尉は指示を受け駐屯地にトランシーバーのチャンネルを合わせる。
<−−はい、駐屯地指揮所>
「こちら朴副長代行。通信回線を拡声器に繋げ」
<副長代行?……中尉、副長は−−−>
「良いから早く繋げ!!!」
<−−は、はっ!!!>
中尉の怒声に指揮所で応対をする隊員だけでなく、将司を除いた彼女達が一瞬、身体を震わせた。
<−−繋げました、どうぞ>
報告が入り、中尉はトランシーバーを将司へ手渡した。
「−−総員傾注」
開口一番にそう切り出した彼は二の句を繋げる為、呼吸を整える。
「まず最初に言っておく。…少佐が曹魏兵の手により負傷したそうだ。生死は不明である」
一方的に話す為、こちらからでは向こうの様子を知る事は出来ない。
しかし、隊員達が息を飲み、響めいているのは容易に想像がつく。
「部隊長の生死不明につき小官が臨時で指揮を執る。なお朴中尉は小隊指揮の他に自分の補佐へ就いてもらった」
瞑目し、片手を腰へ当てつつ将司は呼吸を整え−−命令を下す為、口を開く。
「−−命令を達する。準備が整い次第、各隊毎に出撃せよ。曹操軍は建業の北、約20km地点をこちらへ向かっている。装備は完全武装。ナパームも用意だ」
無表情で淡々と告げる将司だが彼女達は彼が何を言っているのか、いまいち判別できない。
だが−−彼にはそれに注釈を入れる余裕などない。
「本作戦の目標は−−何もない。戦術も何も不要だ。−−殺せ、とにかく殺せ、眼についた敵兵を片端から殺せ。向かってくる者、逃げる者、戸惑う者、投降する者−−関係ない、全てだ、全て殺せ。奴等の眼を抉り、腹を斬り裂き、脳漿をぶち撒けてやれ。遠慮も躊躇も要らない。とにかく殺せ。……ただし−−−」
通達を途中で切った彼は−−その双眸を鋭利なまでに吊り上げた。
「−−曹孟徳。奴は俺の獲物だ。誰も手を出すな。奴の頚は…この俺が……この呂百鬼が必ず獲る!!」
……う〜〜…ここまでしか書けなかった…!!
本当に申し訳ありませんが、戦闘突入は次回までお待ち下さいm(__)m