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「−−ほぅ……存外、大人しいのだな…」
「まぁな−−オイ、赤、引っ張るんじゃない」
「…………」
「青も戯れつくな」
「…………」
「黄は……寝てるか」
「…………」
「…緑…頼むから顔を舐めないでくれ…」
「……なぁ韓甲…」
「あん?」
「この狼…名前はなんと言ったか?」
「桃だ。それがどうした?」
「……私が言うのもなんだと思うんだが……」
「あぁ」
「……あまりにも酷くないか?」
「………まぁ…首輪の色で判るんだ。合理的ではあるだろう」
「……………」
午前で終わった今日の執務。
日課となりつつある狼達との戯れの為に駐屯地へ寄ろうと思ったのだが……。
同行すると言い出したのは華雄である。
なんでも噂を聞き、会ってみたかったのだとか。
大丈夫だろうと思い至り、彼女の同行を許可して来た訳だ。
……狼達は華雄に吠えるどころか威嚇さえしなかった。
…まぁ…飼い始めて約一ヶ月は経つのだ。
人間に慣れて当然だろう。
眼前の地面へ胡坐を掻きつつ、膝へ桃色の首輪を巻いた桃を乗せ、その毛並を撫でる彼女は……俺に呆れたような視線を向けて来る。
「…子供が出来たら、その子に心底同情するだろうな…」
「…そいつは聞き飽きた文句だな。相棒や部下共から既に言われてる」
「ならば直すんだな」
「…善処しよう」
戯れてくる四頭の狼達を順繰りに撫でつつ返答−−だから緑、俺の顔を舐めるな。
会話に邪魔な狼を引き剥がしていると、彼方から部下の一人が駆けて来る。
「−−少佐、お楽しみ中に失礼します」
「楽−−…まぁ良い、なんだ?」
口上を訂正させるのも面倒だと思い至り、用件を尋ねる。
「はっ、お客様が参られました」
「…客?」
「孫策の姐御です」
「…伯符殿が?」
「はっ、正門で御待ちです」
「…直ぐ行こう」
立ち上がると、コートや軍服に付着した狼達の毛を粗方払い、傍らへ置いていた愛刀二本を剣帯の吊革へ下げる。
「来るか?」
「いや。ここに孫策が来るという事は、お前への用事だろう。私は……桃達と戯れていよう」
「判った。お前達、大人しくしていろ」
了解したように狼達が一斉に軽く吠えた。
すると俺の命令通り、華雄の周りへ寝そべる。
それを見届けると軍帽を小脇へ挟み、歩き出す。
正門が見えて来ると、そこには確かに騎乗した格好の美女が待っていた。
俺の姿を認めたのか彼女は馬上から手を振って来る。
「−−和樹、ヤッホー♪」
「御機嫌麗しゅう。本日の御用件は?」
「ブー、素っ気ないな〜。…ちょっと付き合ってくれない?」
「どちらまで?」
「あ〜そんなに離れた所じゃないわよ。…ちょっとね…」
「……承知しました。護衛の任、お受け致しましょう」
「うん…ありがと」
「黒馗を連れて来い」
「はっ!!」
近場に居た部下へ命じると、敬礼を俺に送り、厩舎へ駆け出して行く。
連れて来られた黒馗は−−食事の途中だったのか少し不機嫌そうだ。
愛馬の顔を軽く撫で、鐙へ片足を乗せると一気に鞍へ跨がる。
「−−参りましょう」
「うん。じゃあ私に付いて来て。ヤッ!!」
「ハッ!!」
互いの愛馬の腹を蹴り、一気に駆け出した。
〜Other side〜
「−−副長……流石に昼間っから飲酒はどうかと…」
「だって他にする事ないんだも〜ん」
「も〜んって…。診療所は良いんですか?」
「ん?あ〜平気平気。ちゃんと加減して呑るから」
「はぁ…」
将司の屋敷には珍しい事に客人が来ている。
…半強制的に呼び出された人間が“客人”と呼べるかは甚だ疑問ではあるのだが。
「お前も呑む?」
「…いえ…俺は水で良いです…」
客人−−歩兵小隊を預かる中尉は眼前で胡座を掻きつつ酒盃を煽る上官へ呆れた眼差しを向けながら、腰の弾帯から水筒を取り出し、そのキャップを開ける。
「下戸だっけか?」
「んな訳ないでしょう。ただ昼間から酒は呑みたくないだけです」
「ふ〜ん……昼間っから心置き無く呑るのは俺の夢なんだけどなぁ…」
「…たった今、叶いましたね」
「条件に“心置き無く”って入ってただろうが」
軽口に次ぐ軽口。
これが自分の上官の気質なのだと判っていれば、腹が立つ事もない。
ただし呆れるのは仕方ないだろうが。
中尉は溜息ひとつ零し、戦闘服の胸ポケットからシガレットケースを取り出して内の一本を銜えるとジッポで火を点ける。
「中尉」
「フゥー…はい、なんですか?」
「今晩の予定は空いてるか?」
「妓楼ですか?…お供したいのは山々ですが……自分達で決めたルールを破るというのは−−」
「夜の点呼までは帰れるぜ」
「−−喜んでお供させて頂きます」
中尉は実に素晴らしい返答をした。
返答を聞いた将司は微笑を浮かべつつ盃を傾けようとして−−それを床へ置く。
「−−御免、城よりの遣いです!!呂猛将軍は御在宅でありますか!!?」
「応、ここに居るぜ」
遣いだと大声で口上を述べた兵士は門を通り抜け、将司の眼前へ進み出る。
「御前を失礼します!!周瑜様より火急のお呼び出しにございます!!至急、登城を!!!」
「何かあったのか?」
慌てた様子の兵士とは逆に将司は落ち着き払い問い掛ける。
「曹操の軍勢が建業の間近まで迫っております!!将軍もお早く登城を!!!」
それを聞いた瞬間、将司と中尉は立ち上がった。
「…なんだって報せが入らなかったんだ…」
「はっ!!どうやら曹操軍は州境の城を悉く陥落せしめ、あまつさえこちらの伝令を片端から殺害した模様です!!!」
「……判った。直ちに登城する」
「はっ!!では失礼致します!!!」
礼をした後、兵士は猛然と駆け出して去って行く。
それを横目に捉えつつ将司は煙草を取り、口へ銜えると中尉が差し出したジッポで火を点けた。
「…ったく…面倒だな…」
「えぇ。…しかし着替えていなくて良かったですね?」
「ん?……あぁそうだな…」
今更、自分の格好に気付いたのか将司は苦笑いを浮かべつつ、寝室へ向かうと衣紋掛けに吊るしていたコートを羽織り、外へ出る。
中尉の姿は縁側になく、既に厩舎へ入り、自身と将司の愛馬の準備をしていた。
「中尉。悪いが今夜の予定は延期だ」
「そのようで……まぁ…こっちの方が個人的には嬉しいですが」
二人に浮かぶ表情は獰猛な微笑−−−
「−−ここよ…ここが…私の母様の墓…」
「…武門の棟梁が、こんな辺鄙な−−…失礼しました…」
「アハハッ♪まぁ誰だって、そう思うわよね〜」
失言を謝罪する和樹と朗らかに笑う雪蓮の眼前には一基の墓石が鎮座している。
その墓石に刻まれた名は−−孫文台。
雪蓮の母であり、現在の孫呉の礎を築いた女傑が眠る墓である。
「母様ったら生きている内から“私が死んだら静かな場所に埋葬してほしい”って言ってたのよ」
「では、遺言に従ったと…」
「うん。…たぶん、死んだ後はゆっくりしたかったんじゃないかな〜?」
女傑がどのような想いでそんな事を言い残したのかは定かではない。
だが…雪蓮の言う事は強ち間違いではないだろう。
「…久し振りに来たけど汚れちゃってるわね……綺麗にしないと」
「…女性の墓が汚れたままというのは宜しくない。手伝いましょう」
「…ありがとう…」
周囲に自生した雑草を引き抜き、苔がこびりついた墓石を拭いて行けば、掃除を始める頃よりも随分と綺麗になった。
墓石を拭く水を汲む為、近くに流れる小川へ行った際、雪蓮が摘んで来た花を彼女は墓前へ手向ける。
雪蓮は片足をついて墓前へ跪き、深々と頭を下げた。
それに触発され、彼女の背後へ控える和樹も踵を音を鳴らして合わせ、最敬礼−−しようとするが適切では無い事に気付き、被っていた軍帽を脱ぐと、それを胸へ宛がって頭を下げる。
しばしの無言。
互いに祈りを捧げ−−ややあって雪蓮が立ち上がる。
それを認めた和樹も姿勢を正し、軍帽を被った。
「ありがとう、和樹。…母様の冥福を祈ってくれて…」
「いえ。……どのような御方だったので?」
「え?」
「文台様です。…想像するに…伯符殿に似ていらしたのでは?」
雪蓮の背後にある墓石へ視線を向けつつ和樹が問い掛ける。
「あ〜…まぁ似てたのかなぁ…?戦狂いの所とか−−あっ、でも私は母様より酷くないからね!!?」
「……は?」
「母様ったら単騎で敵陣に突っ込んだり、若い頃なんか江賊とか海賊相手に大立ち回りしてたんだから〜!!」
「……申し訳ありませんが……何処が違うのか全く判りません」
「え〜!!?ちゃんと話、聞いてた〜!!?」
「はい。…ですが…伯符殿も似たような所が多々…」
「ブー!!私はあそこまで酷くないわよ〜!!!」
頬を膨らませ、お決まりの不機嫌そうな表情をする雪蓮に彼は苦笑を零す。
「……でもまぁ…良くも悪くも私の先達になってくれたのは確かね。…君主として尊敬に値する人だったわ」
「そうですか」
「うん。……母様……」
墓石へ向き直った雪蓮が今は亡き母親へ声を掛ける。
「…やっと孫呉を統一できたよ。母様は志半ばで逝っちゃったけど…見てくれてるかな?やっと…孫家の悲願が果たせたわ」
ポツポツと呟くように母へ報告する雪蓮が、おもむろに和樹へ振り向いた。
「そうだ、母様に紹介するね。この人は和樹−−じゃない韓甲。今、私の所で将軍をしてるの」
雪蓮が手招きをし、和樹を呼ぶ。
それに応える形で彼は墓前へと進み出−−雪蓮と肩を並べる。
「カッコいい男でしょ?腕は良いし頭も切れるから……母様も気に入ると思うわ。…母様に自己紹介して…」
その言葉に和樹は少し顔を顰め、恥ずかしそうな表情を浮かべるが、直ぐにそれを引っ込め、踵を鳴らし墓前へ最敬礼する。
「−−韓狼牙と申します、文台様。…傭兵ながら御息女:伯符殿の御厄介になっております」
「母様、和樹は凄いんだよ〜?黒狼隊って部隊の隊長で、とっても強いんだ。独立する時から色々と頼りにしているの」
「…勿体なき御言葉にございます…」
雪蓮は和樹に向かい、悪戯っぽくウィンクすると再び顔を墓石へ向けた。
「…母様…やっとここまで来たよ。あともう少し…もう少しで母様の夢が果たせる。だから…もう少しだけ待っててね?それが果たせたら報告に来るわ。母様が好きだった、お酒を持ってね」
それに応えるように微風が二人の頬を撫で、木々を揺らした。
「嬉しい?…待っててね、母様。そして…私達を見守って。必ず、夢は果たすから−−」
口上が終わったのか彼女は黙り込む。
再び、一陣の風が吹き、二人の身体を通り過ぎて行く。
すると和樹の横で彼女の身体が僅かに震えた。
孫呉とはいえ−−しかも春が近いとはいえ、この時代の異常気象の所為か少しばかり肌寒い。
そう思い至り、彼は着ていたコートを脱ぐと雪蓮の背後へ回り込み、それを羽織らせた。
「−−…ありがとう…」
「いえ。…私の物で申し訳ありませんが、御召しになった方が良い」
「…和樹は大丈夫?」
「お気になさらず。慣れておりますので」
「…そう……でも、ありがとう」
彼女から離れた和樹は再び背後へ控える。
「…ねぇ和樹」
「はっ」
「……どうしたら…貴方は私の真名を呼んでくれるかな?」
「………は?」
唐突すぎる問い掛けに和樹の頭は混乱しかけた。
コートを羽織ったままの雪蓮は振り向き、和樹を見上げる。
「だって、まだ誰の真名も呼んでないから」
「…それは大変申し訳ありませんが…上下関係を明確にしておきたいだけです。それに−−」
「それに?」
「−−…傭兵如きが君主の真名を呼べる訳がありますまい」
「……………」
和樹が放った言葉に雪蓮は無言になる。
「…私と貴方では身分が違うって言いたいの?」
「はい」
「…それが貴方の枷になっているのだとしたら…身分なんてモノを作った奴を呪いたいわ」
「……人間が社会を築けば必然と身分は作られる。呪った所で無駄です」
「……それもそうか」
苦笑いを零した雪蓮はそのまま歩き出し−−和樹の横を通り抜けると、その場で回り、笑顔を浮かべ彼を見る。
「じゃあ、気が向いたら呼んでみてちょうだい♪」
「…気が向いたら、ですか?」
「そっ。気が向いたらね♪でも、あんまり待たせたら駄目だからね〜?私、気が短いから♪」
「判りました。善処しま−−−」
和樹の言葉が途切れた。
「…クソッ…!」
悪態をついた和樹は、周囲を見渡す。
それを不思議に思った雪蓮だったが−−彼女も気付いた。
−−この空間に僅かだが漂う殺気に−−
「和樹…気付いた?」
「………」
悟られぬよう、然り気無く雪蓮は腰に帯びた南海覇王の柄を軽く握り、和樹もホルスターの留め金を外す。
「……何人かしら?」
「複数でしょう。おそらく伯符殿を−−−」
彼は予想を述べようとしたが、それは必要なくなった。
奥の茂みから雪蓮へ向かい、一本の矢が向かって来る。
−−警戒を怠った−−
よりにもよって、自身の師匠から口酸っぱく言われていた事を忘れていた。
−−彼女は間に合わない−−
今から教えたとしても雪蓮が即応できる可能性は限りなく低い。
−−そして俺も間に合わない−−
この位置からでは雪蓮の前へ躍り出て、矢を排除する事は叶わない。
−−ならば−−
和樹は一瞬で結論を弾き出した。
雪蓮の手を引き、その反動を利用して彼女の前へ出ると身体を捻り、腕を回して細い身体を覆う。
「−−−ッ!!?」
久方振りに感じる戦場で馴染んだ苦痛。
それに顔を顰めるが、右手をホルスターへ納めた愛銃に手を伸ばし−−セイフティ解除。
そして彼は引き抜いたデザートイーグルを射点であろう茂みへ躊躇なく発砲した−−−
恋姫の二次創作−−しかも呉ルートなら……まぁ在り来たりで申し訳ありませんが、テンプレな展開ですね。
でも……こうしないと次回あたりの戦闘のシーンに繋げない……。
……あれ?……これって…ジェノサイドになる可能性が−−−