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恋姫†無双-外史の傭兵達-  作者: ブレイズ
第六部:張燕という男
89/145

76


時間は飛び−−っていうか飛び過ぎ&端折り過ぎた。






「−−世の中とは不思議なモノだな」


「…旦那…いきなり何ですか?」


「いやなに……独り言だ」


深夜の許昌の一画にある、こじんまりとした酒家の店内には壮年の店主と客である長い黒髪を後頭部の辺りで縛った青年だけが居た。


通りにある大方の店は既に閉まっており、この酒家も例外ではない。


しかし店主曰く、この客だけは別なのだとか。


カウンターテーブル状の席に腰掛ける客−−飛燕は盃を傾け、酒を呑み下す。


「……さっきの独り言は……」


「ん?」


「旦那に関係ある事で?」


「……まぁな」


盃をコトリと机上へ置いた飛燕は徳利を取り、酒を注ぐ。


「…つい最近まで曹操軍では新兵だった人間が、今では−−」


「−−警備隊の隊長……確かに世の中は不思議なモンですなぁ」


「あぁ…。といっても、以前とあまり待遇は変わらないがな」


「またまた御謙遜を…。変わった事はあるでしょうに」


「…書類仕事」


「は?」


「…書類仕事なんか嫌いだ」


「…………」


机上で両手を組み、顔を俯かせ、暗い表情で呟く飛燕の様子を店主はカウンター奥から認め……見なかった事にした。


−−唐突に外へ通じる戸が開かれる。


「−−隊長、やはりこちらでしたか」


「−−お邪魔しますなの〜」


「−−邪魔すんで、おっちゃん」


入店して来たのは凪、沙和、真桜の三人。


「皆様、お疲れ様でした」


「……隊長。そういう言葉遣いは止めて下さいと何度も申し上げた筈です」


「いやしかし…皆様は自分にとって教官ですので−−」


「それじゃ、示しが付かないの〜」


「しかし…」


「しかしもかかしもあらへんがな。最近まで新兵だったとしても隊長は隊長なんやで」


「……善処します」


直らない飛燕の言葉遣いを彼女達は窘めるが……それが成就するのは大分、先になる様子だ。


「隊長、本日の報告書です。御確認をお願いします」


「…判りました」


近寄ってきた凪から手渡された警邏の報告書を受け取った飛燕は呑み掛けの酒を一気に呑み下してから、それへ眼を通す。


今日は特に問題となるような事件は無かった。


昼は道案内、夕方から店等が閉まる時間までは酔っ払いが起こした喧嘩の仲裁や保護。


それらを確認した飛燕は懐から矢立を取り出し、筆を引き抜くと綿へ染み込ませた墨を含ませ、報告書へ署名する。


「−−確認しました。どうぞ」


報告書を返した飛燕は筆を片付け、肴である乾物を口へ放り込んだ。


「夜警の交代まで皆様は詰所で仮眠を取って下さい」


「隊長はどうするのですか?」


「自分は見ての通り−−もう少し、こちらで呑ませて頂いてから任務に戻ります」



不謹慎に見えるだろうが、彼はシフト外。


その間なら、ある程度の事は許されている。


「……少しはお休みになって下さい」


「そうなの〜。たいちょ−全然休んでないの〜」


「…隊長、最後に寝たのって何日前や?」


「……三日前でしたかね?」


「えぇっ!?沙和だったら死んじゃうの〜!!」


「隊長、今すぐ飲酒を止めて睡眠を取って下さい!!」


「そうや。大事な時に使いモンにならへんかったら大変やで?」


「御心配をお掛けして申し訳ありません……が、御安心を。昔から徹夜は得意ですので」


「それはもう徹夜とは呼びません!!!」


「……済みません」


耳鳴りがする程の凪の怒声に飛燕が縮こまった。


その様子を目撃した店主は、こいつは珍しい、と若干の驚きを抱く。


「とにかく、今日はもう控えて下さい!!」


「……店主、勘定だ」


「…はい…確かに頂きました」


「また明日も頼む」


「お待ちしております、旦那」


迸る威圧感を背後に受けつつ、飛燕は巾着から代金を取り出し、それを店主へ手渡した後、まるで連行されるが如く彼女達によって店から連れ出された。


深夜の許昌の大通りは人影がなく、昼間の喧騒は跡形もない。


月明かりだけを頼りに詰所へと向かう彼等。


先程の酒家でしこたま酒を呑んでいたのにも関わらず、飛燕の足取りはしっかりとしていて、酔っている様子は微塵も感じられない。


「……やはり冬の夜は冷えますね」


「はい……ですから隊長、言葉遣いを−−」


「判っていますよ、凪殿。判ってはいますが……慣れるまで待って下さい」


「……まぁ、真名で呼んで頂けるようになっただけ良しとします」


「…申し訳ない」


白い息を吐きつつ、飛燕が謝罪する。


彼女達が新参者−−しかも最近まで新兵だった彼を気遣い、真名まで預けているのには理由がある。


華琳の命令というのもあるが、それは小さな事だ。


理由は勤務態度である。


警備隊というのは新設されたばかりで、しかも栄職とは言えぬ部署だ。


だというのに彼は一心に任務を遂行していた。


シフト外の飲酒や食事、城での書類仕事以外は、常に城下へ出て、民と真摯に向き合っている。


酒家での飲酒はストレス発散と情報収集の為であり、訪れる民達へ警備隊は近しい存在であると示す為なのだ。


……まぁ単に酒好きなだけなのかもしれないが。


詰所へ辿り着いた彼等は戸を開け、中へ入り込んだ。


挨拶をしてくる隊員達へ軽く返しながら仮眠室の戸を滑らせた。


仮眠室には五つの万年床があり、現在はその全てが空いている。


「もうクタクタなの〜〜」


「そうだな…」


「はぁ〜……早く勤務明けんなって、たっぷり寝たいわぁ」


口々に言葉を交わしつつ、彼女達はそれぞれの万年床へ横になる。


「……隊長?」


「…あれ、寝ないの〜?」


燭台へ火を灯した飛燕は万年床の上で胡座を掻き、あろう事か読書を始めていた。


「……どうも眼が冴えているようで…。少し本を読んでから休ませて頂きます。皆様は遠慮なさらず、休んで下さい」


「…灯りが点いたままじゃ眠れないの〜」


「…眼を瞑っていれば眠れます。お二人は?」


「自分は大丈夫ですが…」


「ウチも平気やけど……隊長、ちゃんと休んでな?」


「えぇ、約束します」


「…判りました。お休みなさい」


「お休みなの……ふわぁ…」


「お休み、隊長」


「……お休みなさい」


それほど時間を待たず、眠りへ落ちた三人の穏やかな寝息を捉えながら、飛燕は孟徳新書を“交代の刻限まで”読み進めたそうだ。










−−明けて早朝。


張燕の姿は城内の中庭にあった。


色落ちした茶色の鍛練服の上着を脱ぎ捨て、彼は地面へ両手を付き、いきなり倒立を行った。


そしておもむろに両腕を屈伸させ−−倒立腕立て伏せを始める。


調練漬けの毎日だった新兵の頃とは違い、現在はまともに鍛練する時間が乏しい。


その為、就業開始の刻限直前まで、こういった鍛練をするのが彼の日課となってしまった。


引き締まった筋肉の身体には数多の傷跡が走っている。


それは修羅場−−戦場を経験し、生き残って来た者には顕著に現れるモノだ。


「…47…48…49…50…!」


倒立から直った彼は地面へ脚を付け、姿勢を自然なモノへ戻した。


次に脱いだ上着の傍らへ置いた装飾がない質素な両刃の剣を手に取り、鞘を払う。


柄を片手で握り、切っ先をダラリと地面へ下げ、彼は瞑目する。


意識を集中させ−−周囲に自分へ襲い掛かろうとしている複数の敵兵が居る事を想定した。


ジリジリと距離を縮めてくる三人の敵兵。


−−その一人が動いた。


開眼した飛燕は、突き出された槍の穂先を払い除ける。


「フッ!!」


槍の柄を固く握りつつ敵兵を引き寄せ、その首筋を斬り裂く。


−−まずは一人。


背後から再び槍が突き出された。


それを身体を捻る事で避け、片足を上げると敵兵の膝を躊躇なく蹴り、骨を砕く。


−−二人目、ただし戦闘不能。


間髪入れず、残った敵兵が剣を振るう。


その刃を受け止め、鍔迫り合いへ持ち込み、股間を蹴り上げる。


想定したのは男性だった為、当然の如く身体が弛緩した。


その隙を見逃さず、鎧の継ぎ目から剣を突き立てる。


−−三人目、死亡。


膝を砕かれた為、這って逃げようとする最後の敵兵に近付き、背後から首へ剣を突き立て−−刃を回す。


−−死亡確認、敵兵全滅−−


得物を納めようとした瞬間、飛来した小石を振り上げた剣の腹で受け止め、次いで矢の箆を掴む。


飛燕が掴んだ矢を一瞥すると−−鉄製の鏃でなく、訓練用の木製のそれが付いていた。


「−−チッ…」


「−−姉者……いや済まんな張燕」


声が聞こえた−−小石と矢が飛んで来た地点だと思われる方向へ顔を向ける。


そこには小石を全力で投擲した格好のままの春蘭と未だ弓を構えている秋蘭の姿があった。


「−−おはようございます」


「うむ、おはよう。精が出るな」


構えを解いた秋蘭が近付いて来るのを認め、飛燕は剣を鞘へ納めると彼女へ歩み寄る。


「済まん、と言うぐらいなら止めて頂きたい」


「これは失礼した。だが、反応出来たではないか」


「…神経を尖らせていれば大抵の事には即応できます−−どうぞ」


「うむ」


互いに相手まで一歩程の場所で立ち止まり、飛燕は持っていた矢を本来の持ち主へ返した。


「−−おい、秋蘭!!」


「っと…お呼びのようだ」


「朝議ですか?」


「あぁ。お前は−−」


「自分は参加できる程の身分ではありません」


「……まぁ、その内にでもお呼びが掛かろう。では、な」


「はっ」


礼を取り、彼女達を見送った張燕は手拭いで僅かに掻いた汗を拭い、脱ぎ捨てた上着を取ると、それを羽織った。


−−御二人は何がしたかったのだ?−−


突然の襲撃に即応出来た彼だが……そう思ってしまうのも無理はないだろう。










「−−こちらが報告書です、華琳様」


「御苦労様。………城下の警備に問題はないわね?」


飛燕が執務室の主へ纏めた警備報告書を手渡すと、華琳は確認の為に問い掛けた。


「はっ。…ただ近頃は行商人の出入りも激しく、細作への対策までは出来ていない状況にあります」


「…貴方なりの改善策はあるかしら?」


「…いくつかは。…しかし、かなり極端なモノもあります……宜しいでしょうか?」


「聞きましょう」


報告書を机上へ置いた華琳は両手の指を組みつつ、眼前で直立不動の姿勢を取る飛燕を見上げる。


「まずひとつは、許昌の出入時に行う検査の徹底」


「それは既に行っているわ」


「更なる徹底です。…在り来たりではありますが」


「……他には?」


「門で検査を行う衛兵を監視する部署を創ること」


「衛兵を監視……」


「御意にございます。賄賂を掴ませ、侵入する者も居るでしょう。…我が曹魏の兵がそのような物を受け取るとは思いたくありませんが……やはり一応は監視する部署が必要になるかと」


「…兵が互いに疑心暗鬼に陥る可能性があるわね」


「はっ。ですが、その役職に就く兵士へ秘匿義務を担わせればあるいは。……というよりも秘匿せざるを得ないでしょう」


「……というと?」


断定するような口振りに華琳が疑問をぶつけた。


それを受け、飛燕は視線を僅かに下げると彼女の眼を見る。


「自分の経験上ですが……大抵の人間は誰かに疎まれ、蔑まれるのは避けたいモノです」


「……なるほど…他には?」


更に草案が欲しいのか華琳は再び問い掛ける。


「細作が潜む可能性の高い家屋−−主に空き家や廃屋を徹底的に排除すること」


「……ふむ…」


「後は……これが極端な案ですが、文通等の遣り取りを公的業務とする」


「検閲をするという事かしら?……現在の状況では無理ね。それに官吏の手が足りない上、そこまでする余裕がないわ」


「えぇ。ですから“極端”という訳です」


そう頷く飛燕も曹魏の状況は判っている。


一見、強大な国力を有する曹魏だが、その国庫には余裕がなく、膨大な人数の官吏達とて新たな業務へ携わるだけの暇がある訳ではないのだ。


「…でも…そうね。将来的には必要になるかもしれない。……判ったわ、ありがとう」


「恐縮です」


華琳は筆を取り、報告書へ確認の署名すると、それを机の隅へと追いやる。


「……生活や仕事には慣れたかしら?」


「はっ。皆様に良くして頂いております」


返答を聞いた華琳は思わず、苦笑してしまう。


それに気付いた彼は主の様子を訝しみ、僅かながら表情を歪ませる。


「……なにか?」


「フフッ…いえ、ごめんなさい。あまり、そうだとは思えないのに顔色ひとつ変えず、そんな事を言う貴方が可笑しくてね」


「はぁ…」


方々から届く報告を聞いている彼女からすれば可笑しい事この上ないのだろう。


飛燕本人は部下となった凪、沙和、真桜に対して未だ他人行儀な態度を取っており、春蘭からは何かと因縁を付けられ、桂花には会う度に辛辣かつ侮辱的な発言をされている。


「…人付き合いが苦手なのかしら?」


「……はい」


「そんな顔しているわね。…今まではそれで大丈夫だったのかもしれないけど……これからは勝手が違うわ」


「…肝に銘じます」


「宜しい。…下がって構わないわ」


「はっ。では、御前を失礼させて頂きます」


「……頑張りなさい」


礼を取った飛燕はそのまま執務室を後にした−−










「−−という訳で−−−」


夕方の許昌には暗雲が立ち込め、軽く雪が降り始めた。


そんな天候に反して、とある食事処では明るい声が響く−−


「“約束”を破った、たいちょーに制裁を加えるの〜〜♪」


「制裁って…おい、沙和」


「凪、哀れむのはあかん。なにせ……“約束”を破ったんやからなぁ。な〜、隊・長♪」


「……えぇ、確かに。皆様との“約束”を破った私に非がある。…しっかり制裁を受けさせて頂きますよ」


食事処の卓に座るのは凪、真桜、沙和、そして飛燕である。


彼女達の言う“約束”と“制裁”とは……至極簡単で、あまりにも下らない事だ。


昨夜−−正確には今日の夜中、詰所で飛燕は彼女達へ“睡眠を取る”と約束していたのだ。


それにも関わらず、彼は夜警の交代まで一睡もせず本に読み耽っていた。


その“約束”を破った為、飛燕は彼女達に“夕餉を奢る”という制裁を加えられる羽目となったのだ。


「真桜ちゃんは、なに頼む〜?」


「せやなぁ…ウチはこれとこれと…杏仁も頼もかな」


「じゃあ沙和も杏仁頼むの〜♪」


菜譜を広げ、何を頼むかを笑顔で相談する沙和と真桜とは違い、凪は既に決まっている様子だ。


「注文お願いしますなの〜」


「は−い、少々お待ち下さ−い!!」


沙和が店員を呼ぶと、若い女性が駆けてくる。


「お決まりですか?」


「えっと…沙和は、雲呑麺、御飯、燒賣、酢豚、あと食後に杏仁をお願いしますなの〜」


「ウチは御飯大盛、青椒肉絲、叉焼、同じく食後に杏仁豆腐」


「……はい、そちらの方は?」


彼女達の注文を聞きつつ、茶を呑んでいた飛燕は−−


「麻婆豆腐、回鍋肉、麻婆茄子、棒棒鶏を唐辛子ビタビタで−−」


「ビタビタ…?」


「あっ、唐辛子を大量に入れてくれっちゅー事やで」


「はっはぁ…」


−−凪の注文を聞いた瞬間、自身の耳を疑い、彼女へ驚愕の眼差しを向けた。


「あと御飯を超特盛、食後に杏仁……“取り敢えず今は”以上で」


「はっはぁ……。あの…そちらのお客様は…?」


尋ねられた飛燕は何とか自分の心を鎮める。


「あぁ…いえ、料理は結構です。白酒と肴に香物を頂きます」


「…畏まりました。少々お待ち下さい」


会釈をした後、店員は厨房へ注文を告げる為、駆けて行った。


「隊長、びっくりしたやろ?」


「は?……あぁ、そうですね−−」


飲み掛けの茶を啜りつつ飛燕は答える。


「−−皆様がこんなにも良く召し上がる方々だったとは……」


「そっちかい!!?」


「それじゃ沙和達が食いしん坊みたいなの〜!!」


「おや、違いましたか?」


微笑を浮かべつつ飛燕は湯呑を卓上へ置き、非難を浴びせてくる彼女達へ向き直る。


「まぁ冗談はさておき−−」


「しかも冗談かい!!?」


「全然、冗談に聞こえないの〜!!」


「−−まぁまぁ。…凪殿?」


「なんでしょう?」


「……辛い物がお好きなのですか?」


「はい、大好きです♪」


「そっ…そうですか…」


眼を輝かせ、弾けるような笑顔を浮かべる凪を目撃した飛燕は曖昧な言葉だけで相槌を打った−−というよりも、それしか出来なかった。


「たいちょーは、御飯食べないの〜?」


「しかも、また酒やしなぁ…。そんなに酒好きなん?」


「えぇ。…まぁ、安酒ばかり呑んでいますがね」


「ですが…控えて下さいね?」


「…善処します」


そう凪に忠告されたが、彼の内心では“貴女が言うな”とツッコミが入っている。


しばらく談笑していると、店の奥からいくつもの皿を持った数名の店員達が彼等が座る卓へ近付いて来た。


「−−お待たせしました」


「−−御注文の品は以上で宜しいでしょうか?」


「大丈夫なの〜」


「では食後に杏仁をお持ち致します。ごゆっくりどうぞ」


「あんがとな〜」


会釈を済ませた店員達が奥へ戻るのを待たず、彼女達は各々が注文した料理に手を付け始めた。


「美味しそう……」


白酒を盃へ注ぐ飛燕は不意に聞こえた呟きの発生源へ視線を向ける。


それは凪であったが……彼女が“美味しそう”と評価した物には疑問を覚えてしまう。


なにせ彼女が注文した料理は、その悉く−−“殺人的な色合い”をしているのだから。


「…………」


それを見た飛燕は……敢えて見なかった事にする為、視線をずらし、酒を注いだ盃を傾ける。


酒も独特の辛味はあるが……流石に嗅いだだけで、涙が出てきそうな程のモノはない。その臭いは酒気で誤魔化そうと彼は決断し、乾かしたばかりの盃へ新たに酒を注ぐ。


「ねぇ、たいちょー」


「…なんですか、沙和殿?」


飛燕が小皿に盛られた香物を箸で口へ放り込み、咀嚼した後、それを酒で流し込んでいると沙和が彼へ声を掛けた。


「たいちょーって、恋人とか好きな人っているの〜?」


「………は?」


「だから恋人とか好きな人っているの〜?」


「……今、それを聞きますか?」


「だって気になったんだも〜ん」


飛燕は苦笑しながら徳利を軽く振り−−僅かしか残っていない酒を盃へ注いだ。


「……故郷には居たんですがねぇ…」


「へ〜。どんな人だったの〜?」


その言葉に沙和は興味深そうに身を乗り出して続きを強請る。


「……もう忘れました」


「え〜〜」


「24−−……あぁ年が明けたので25ですね。このぐらいの歳になると、色々あるんですよ……色々ね……」


独り言のように呟いた飛燕は盃を傾け、酒を呑み下すと乾いたそれを卓上へ置き、残りの香物を口に放り込む。


「…さて…」


咀嚼した香物を飲み込んだ彼は不意に椅子から立ち上がった。


「皆様は、こちらでお食事を楽しんで下さい。私はいつもの酒家へ行きますので」


「え〜〜!!?」


「そらあかんわ。支払いは隊長持ちなんやで」


「御心配なく、既に支払っております。…あぁ、そうだ」


なにかを思い出したのか飛燕は微笑を浮かべつつ彼女達を見遣る。


「しばらくの間は、こちらで皆様が無料(ただ)で飲食できる程の代金を先払いしています。食事はここで済ませても結構ですよ」


「そんな…!?そんな事できません!!」


「どうか遠慮なさらず。……警備隊の部下達にも伝えて結構ですよ。私の個人的な奢りですから。…では失敬」


彼女達へ礼を取った彼は軽い足取りで店の外へ出た。


降雪は店に入る時よりも少しばかり激しくなっている。


「……積もりそうだな」


飲酒をし、軽く火照った身体には丁度良い寒風が彼を叩く。


「……さて…呑み直そう」


飛燕は通い慣れた酒家を行き先に決め、雪が舞う許昌の大通りを歩き始めた。





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