59
久々に長くなった…!!
『戦いの時は来た。魂に従い、鬨を挙げよ。ハリーとイングランドと聖ジョージに神の御加護を』
−シェイクスピア“ヘンリー五世”より−
「−−ところで、一刀君」
「…?前田さん、なんですか?」
「言うのが遅かったけど…あんな命令で良かったの?」
「…あんな…?」
「“敵将を出来るなら捕縛してほしい”って命令」
「…紫苑の知り合いですし、現在の俺達には優秀な人材は出来るだけ欲しいんです」
「うん、気持ちは判るよ。…でもねぇ…」
「でも…なんですか?」
「あの命令…和樹さんはきっと“捕縛が難しい場合は殺害可”って解釈したよ」
「えっ……」
「あの人、戦争と人殺しが大好きだし、女性が相手でも躊躇なく撃ち殺すよ。断言しても良い」
「そっそんな…!?すっ直ぐに伝令−−」
「無駄みたいだねぇ」
「−−報告!!我が軍と敵軍が衝突いたしました!!!」
Others side
太陽が天頂に至った時、劉備軍前軍3万と厳顔軍前軍4万が巴郡の平原で衝突した。
敵軍−−厳顔軍の総兵力は約6万。
その7割近くを前軍へ割いた敵軍総大将である厳顔の思惑は短期決戦。
兵力は劉備軍より少なく、成都から届く必要物資の輸送も滞り、彼女が預かる巴郡は暗愚と称される劉璋を見限り、劉備へと民意が移っている。
つまり、厳顔軍には後がない。その上−−−
「矢を番え!!用意−−−」
「−−え?」
「…ん…うっ…うわぁぁぁ!!?」
厳顔軍の部隊を指揮する者達が次々と脳漿と血を撒き散らして倒れ、その指揮下の兵士達に動揺が走る。
黒狼隊による寸分の狂いもない狙撃である。
断続的な銃声は戦場の怒声に紛れてしまい射点を特定するのは不可能だ。
「厳顔様!!前軍の伍長、什長を始めとした指揮官が次々と討死しております!!」
「なに!?どういう事だ!!?」
「判りません!!とっとにかく味方に動揺が広がっております!!」
「ぬぅ…!!」
両肩を剥き出しにした装束に、申し訳ない程度の防具を身に付ける彼女−−総大将の厳顔が苦虫を噛み潰す。
美酒に酔い、戦に酔う事こそ人生、と豪語する彼女だが流石にこの状況では、そんな事を大口で叩けない。
「…?…なんだこの音は?」
「張任?」
「厳顔、聞こえんか?」
戦場の怒号に紛れる異音−−彼方此方から聞こえる乾いた連発の音が副将の張任の耳を打った。
まだ40歳手前の年齢であるが、小鬢に白いモノが薄っすらと生えた壮年の彼は、その異音に顔を顰める。
「−−報告!!劉備軍の前線に現れた正体不明の一隊の攻撃を前軍が受けました!!お味方は総崩れ!!」
「−−御注進!!我が軍の両側面に正体不明の敵が出現!!多数の死傷者が続出!!!」
「なんだと…!?」
「もう少し詳しく報告せい」
詳細な報告を促す彼等だが、こうしている間にも正体不明の敵−−黒狼隊の攻撃を受け、厳顔軍の前線は崩壊の危機に瀕している。
「自分にも何があったか判りません!!敵兵が持つ武器の先が光り、音が聞こえた時には周囲の味方が殺られておりました!!」
「なんらかの飛び道具か……でなければ…」
「でなければ、なんだ?」
「…妖術の類いではないかと…」
「戯けが!!五胡の妖術士が劉備軍に味方しているとでも言うのか!!?」
「…まぁ味方しているというのは、妖術士よりも胡散臭い“天の御遣い”とやらだがな」
「張任!!お主は落ち着き過ぎじゃ!!」
「これが儂の性だよ。…厳顔、お前は少し落ち着け。無用な焦りは将兵に伝染するぞ」
「言われんでも判っておるわ!!」
想定を超える−−むしろ“想定していなかった”戦況に彼女は珍しく激昂してしまう。
それを見て、傍らの張任が彼女を諌めると厳顔はひとつ深呼吸。
「……フゥ……」
「……落ち着いたか?」
「応。…済まなんだ」
「なぁに…いつもの事さ」
感慨深く、張任は呟き、視線を厳顔から戦場へ移す。
「…勝敗は決したな」
「…うむ…。…敗戦とは…いつも認めたくないモノだ…」
「どうする厳顔?」
「…………」
張任が総大将へ下知を請うと、その彼女は口を真一文字に結びつつ、腕を組んで戦場を見詰める。
「…張任」
「応」
「撤退の指揮を任せても良いか?」
「構わんが……お前はどうするつもりだ?」
「…決まっておろう?」
壮烈な笑顔を浮かべる彼女は、抱えている得物−−豪天砲を肩に担ぎ上げて解答とした。
「…ハァ…お前という奴は。…昔から変わらんな…」
「応よ。それが、このわしじゃ」
胸を張り、堂々とした佇まいを見せ付ける厳顔に彼は頭痛がするのか額へ手を当てる。
「ここからは、わしの勝手な喧嘩よ」
「全く…領地を召し上げられても文句は言えんぞ?」
「文句を言える身体であればな」
「…………」
その言葉に張任も腕を組んで口を真一文字に結び、長年の同僚と同じ格好をする。
「…正体不明の敵とは…報告にあった部隊であろうな」
「だろう。…紫苑ほどの者が半日足らずで城を明け渡したという報告には耳を疑ったが…なるほど合点がいった」
矢継ぎ早にもたらされる報告は刻々と死傷者の数が増えている事を知らせてくる。
数百だったのが数千に。そして−−万に達した。
「−−劉備軍が突撃を開始!!総攻撃であります!!!」
もたらされた一報は、敵軍の総攻撃開始のそれ。
「…決した…か…」
「元より勝ち目のある戦では無かったがな……」
呟く彼等の視線の遥か先に翻る敵軍の旗が、友軍の旗を飲み込んで行く。
「張任、後の事は任せたぞ。…伝令は全軍へ伝えぃ!!前軍を殿とし、残りは撤退せよ!!」
「…任されよう。…馬引けぃ!!」
彼が命令すると、従兵が彼の愛馬である黒鹿毛の軍馬の手綱を引いて来る。
それの鐙へ足を乗せ、一気に鞍へ跨がった張任は、得物を担いで前線へ向かおうとする厳顔を見詰めつつ口を開く。
「…桔梗!!」
「……うん?」
「…死んではならんぞ、桔梗。儂−−…俺の下へ必ず戻って来い」
それだけを告げると張任は愛馬の腹を蹴り、周囲の部隊へ命令を下しつつ撤退を始めた。
「……死ぬな…か。…済まんな鋼陽。約束できそうにない」
彼女は万感の想いを込めて男の真名を久々に呟き、顔へ薄っすらと笑顔を浮かべる。
「−−−−」
二度目の深呼吸。
それが終わると双眸が鋭く吊り上がった。
「中央の魏延はどうだ!!?」
「現在、馬の牙門旗を掲げた部隊と交戦しております!!」
「健在か……ならば良い。…我、遅咲きの竜胆の花とならん…」
竜胆は彼女にとって特別な花だ。
その昔−−まだ若かった時分に“とある男”から贈られた事がある。
竜胆にある多くの花言葉のひとつは−−
「やっと、わしなりの“誠実”を示す事が出来る。…今生最後の大喧嘩じゃ!!者共、存分に楽しもうぞ!!!」
戦意高揚が目的の口上で、周囲の部隊から将兵の咆哮が挙がる。
「雄叫びと共に遮二無二突撃せよ!!ここを通りたくば、我等の屍を越えて行けと劉備の弱卒共へ教えてやれ!!!」
二度目の咆哮は更に大きく。
「剣を喉笛へ突き立てよ!!敵の楯を砕け!!奴等が今際に眼にするは、満身創痍の我等が勇姿なり!!」
天へ届けとばかりに突き上げられる武具の金属音と数多の将兵が発する咆哮が大地を揺らす。
「突撃せよ、ただ突撃せよ!!我が旗へ続け!!者共、逝くぞ!!!」
「この状況で後退!?」
「……いや、後退するのは中軍−−というよりは後軍のようだ。前軍が殿になってる」
「−−っておいおい!!」
「遮二無二突っ込んできやがった!!少佐、どうします!!?」
劉備軍が一斉に敵軍へ突撃するのを横目に捉えつつ、和樹達は照準に入った敵兵を射殺している。
「前線は捨て置くぞ。…ヘリ02、応答せよ」
「捨て置く!?どういう意味−−…あぁなるほど」
和樹とは思えない発言に部下達はいぶかしむが、流石は長年の付き合いだけあって彼が何を考えているのか合点がいった。
<こちら02>
「ヘリは直ぐに飛ばせるな?」
<はっ。…ですが、乱戦状態で攻撃を加えると劉備軍にも被害が−−>
「誰が敵前軍に攻撃と言った。…俺を含めて分隊を搭乗させる、撤退を始めた敵軍の追撃だ」
<了解、お待ちします>
「一個分隊、俺に付いて来い!!」
「第一分隊がお供します!!野郎共、続け!!!」
小銃のスリングベルトを肩に通した和樹が後方へ駆け出すと、8名の部下達がそれに続いた。
劉備軍の側面に設けた簡易陣地では主の姿を眼にした愛馬達が嘶き、激しく回転を始めたUH-1のメインローターがそれを掻き消すような爆音を響かせている。
開かれたサイドドアから狭いキャビンへ和樹が飛び込むと、遅れてなるものかと言わんばかりに部下達も続き−−数名が両舷のスキッドへ脚を乗せている状態でヘリは離陸した。
程好く上昇した機体がメインローターのピッチ角を調整して航行を始める。
「−−アレだ!!見えるか!?」
キャビンの天井にある手摺を掴みつつ和樹は操縦席の脇から顔を出し、撤退を開始した2万の敵軍の位置を指示する。
「−−目視した!!距離は2kmもない!!低空で敵の正面へ出ます!!」
「良い判断だ!!」
爆音に負けぬよう機長と和樹は大声で遣り取りし、それが終わった途端、機体の高度が落ちて行く。
右側の操縦席へ座る機長は握っている操縦桿の上部にある兵装操作スイッチを動かすと、トリガースイッチへ人差し指を軽く添えた。
「最後尾から撃ち込んで行きます!!攻撃許可を!!」
「許可する!!」
和樹の命令が下り、機長はトリガーを押し込んだ。
瞬間、両舷からロケット弾が発射され、それにやや遅れてミニガンの銃身が回り始めた事を示す駆動音と共に7.62mm弾が斉射された。
撤退する敵軍へ向け直線を引くように銃弾とロケット弾が次々と着弾して行く。
ロケット弾が炸裂した瞬間に敵将兵の身体が宙を舞って五体の何れかが千切れ飛び、高速で撃たれる銃弾の雨が人間や軍馬の肉体を穿つ。
最前列で撤退の指揮を執る張任の眼にはおおよそ現実離れした光景が映っていた。
なにが起きているのか−−そもそもこれは現実なのか。
−−だが、その疑問は己が身を以て解決された。
「−−グゥッ!!?」
騎乗していた彼は着弾したロケット弾の爆風で身体を持って行かれ−−久々に感じる落馬の衝撃が肉体を襲う。
「張任様−−!!?」
従兵が駆け寄ろうとした瞬間、ヘリに搭乗している黒狼隊の隊員がキャビンから地上へ放った銃弾が彼の頭に命中し、従兵の身体は力なく地面へ倒れた。
「…フッ……グゥッ!!?」
張任が身体へ力を入れ、起き上がろうとすると胸部に鈍痛が走った。
落馬で骨が折れたのだろう。
耳鳴りも治らないが−−それでも力を振り絞り、腰の剣を杖代わりにして歩き始めようとした瞬間、相方の姿が無い事に気付く。
視線を巡らし、見慣れた黒鹿毛の馬が眼に入るが−−
「…陽…?」
すっかり見慣れた愛馬は変わり果てた姿で倒れ伏していた。
前脚は千切れ飛び、大きく裂けた腹からは内臓と血が溢れ出ている。
ヨタヨタと愛馬の下へ辿り着いた彼は、もはや動かない長年の相方の頭をひと撫でする。
「…陽…世話になった」
長年の苦労を感謝すると彼は剣の刃を立て、愛馬の鬣を一房斬り取り、それを鎧の隙間から懐へ押し込む。
「張任様、御怪我は!!?」
「…大事ない…どうした?」
「あちらを!!先程の攻撃を加えた一隊が我々の退路を塞ぎました!!!」
視線を兵士が指し示す方向へ向ければ、和樹が率いる一個分隊が張任達の退路に立ち塞がり、銃口を彼等へ向けている。
荷物が無くなり軽くなったヘリも彼等に習い、低空飛行のまま機体を旋回させ、兵装を張任指揮下の軍へ向けていた。
「如何しましょう!!?」
兵士の問い掛けは恐れに満ちている。
周囲の将兵達も指揮官である張任を見詰め、命令を待っていた−−それが強行突破のそれでない事を祈りながら。
「…もはや…これまでか…」
ポツリと呟いた張任は剣を鞘へ納め、痛む身体に鞭打って歩き出す。
それに触発され、一個分隊が彼へ銃口を向けるが−−それは和樹のハンドサインで下ろされる。
小銃を部下に預け、和樹も張任へ向かい歩き出した。
しばらくすると互いの得物の届く範囲には入らず、彼等が相対する。
「応じて頂いた事に感謝する。手前は張任、字を子堅。…貴殿の御尊名を賜りたい」
「御丁寧に痛み入る。手前は韓甲、字を狼牙と申す」
「御高名は予てより聞き及んでおります」
「こちらも」
ヘリの爆音の中、良く通る互いの声。
「…我等は降伏いたす。その旨を劉備殿へお伝え願えまいか?」
「……それは軍門へ降ると解釈しても宜しいか?」
「然にあらず」
和樹の問い掛けに彼は首を振り、否定した。
「投降するは率いる将兵のみ。手前は降らぬ」
「…つまり貴殿の命ひとつで将兵の身の安全は保証して欲しいと?」
張任の頷きには躊躇が無かった。
それに和樹は顔を顰め、少し考え込むと彼を見詰める。
「…手前では判断は出来かねる。本陣まで御同行を願いたい」
「承知。…将兵へ戻るよう伝達しても宜しいだろうか?」
「…いや。武装解除および下馬し、此処に残るよう伝達を」
「あい判った。…伝令!!」
叫んだ瞬間、張任は痛みで咳き込むが、それに構わず駆け寄ってきた伝令へ命令を下す。
兵士が部隊へ戻ると、将兵達が馬から降り、携える武器を地面へ捨てていく。
「貴殿も剣をこちらへ」
「…はっ」
見届けた和樹は張任の武装解除を促し、差し出した手に剣が乗ったのを確認し、それを掴んだ。
「−−結構。そのまま前へ」
張任を先に歩かせ、和樹がその背後に続き、ヘリへ向かうよう指示しつつ進む。
「1名付いて来い。残りは此処で待機だ。…おかしな動きを見せたら撃ち殺せ」
『はっ!!』
「自分が行きます」
部下の一人が先にヘリのキャビンへ飛び乗り、張任へ手を差し出す。
「…申し訳ない」
「機長、離陸しろ!!」
「本陣で良いですか!!?」
「あぁ!!」
「了解!!」
和樹がキャビンのサイドドアを閉めた瞬間、スキッドが地面から離れた。
空を飛んでいる−−その不思議な光景に意識を奪われる張任だが、絶え間なく襲う痛みが彼を現実へと連れ戻す。
「どうかなさったか!!?」
爆音で届かないだろう声を彼の鼓膜を震わす為、和樹が大声を発する。
だが、張任は大声を出すと痛みが酷くなるため敢えて我慢し、なんでもないと首だけを振る。
それを見て、和樹は部下へ操縦席側にある簡易の座席を組み立てるよう手で指示する。
手早く座席が組み立てられると、和樹は張任の身体に負担が掛からないよう腰を降ろさせた。
「…痛み入る」
幾分かは痛みが軽くなった。
それに張任は頭を下げるモノの和樹はサイドドアの窓から眼下を俯瞰する。
−−どうやら戦闘は終わっているようだ。
投降する厳顔軍将兵が両手を挙げ、劉備軍将兵によって武装解除されて行く様を見届けていると、機長の大声が彼の耳に届いた。
「本陣到達まで10秒!!」
「了解!!降ろしたら、分隊の下へ!!」
「了解しました!!−−着陸します!!」
機体が滑らかな挙動で着陸態勢に入り−−地面へスキッドが付いた。
瞬間、部下がサイドドアを開け放ち、張任へ手を差し出す。
その手を掴んで彼がキャビンから降りると、それに和樹も続いた。
乗員が降りた事を確認した機長が機体を上昇させ、分隊が待機している地点まで戻る中、和樹達は劉備軍本陣へ近付く。
「張任殿が参られた。劉備殿へ目通りを願っていると伝えろ」
「おっお待ち下さいませ!!」
警護の兵士へ和樹が口上を述べる、兵士が慌てた様子で本陣の中へと飛び込んだ。
「…随分と嫌われたな」
「は?」
「お気になさらず。…ただの戯れ言」
苦笑する和樹に釣られてか張任の顔にも苦笑が浮かぶ。
「お待たせ致しました!!どうぞ中へ!!」
「あぁ」
「失礼する」
部下を外に残し、和樹は張任を伴い本陣へ入って行く。
中には劉備軍の諸将を始め、和樹には面識のない二人の武将がいた。厳顔と魏延である。
「張任!!?」
「張任殿!!?」
「おぉっ…厳顔に文長…。お前達も捕らえられたか」
「「……」」
その言葉に彼女達は返答できず、視線を逸らすしかなかった。
「………そうか」
無言の返答に合点がいった彼は満足気に何度も頷くと、視界の端にかつての同僚の姿を捉えた。
「黄忠…久しいな」
「…お久しゅうございます」
「璃々嬢は健やかに育っているか?」
「……はい」
「そうか……なによりだ」
笑顔を浮かべる張任は頷くと兜を脱ぎ、眼前にいる桃香に向かい跪く。
「劉備殿とお見受け致すが相違ござらんか?」
「はっはい!!劉備、字は玄徳です!!こちらは−−」
「姓が北郷、名は一刀と言います!!」
「御両人の御尊顔を拝し奉り恐悦至極。手前は張任、字を子堅」
敗軍の将とは思えない堂々とした佇まいに桃香と一刀は圧されてしまっている。
「目通りの願いを聞き届けて下さり、誠に感謝致します」
「いっいえそんな!!?」
「あっ頭を上げてください!!」
「いえ。…目通りをお許し下さった途端に大変図々しいとは承知しておりますが…いくつか手前の願いを聞き届けては下さいませぬか?」
「はっはい!!」
「恐悦至極。…ひとつは手前の指揮下となった将兵の投降をお許し下さいませ」
「はっはい大丈夫です!!」
「恐れ入ります。…もう、ひとつ」
突如、頭を上げた張任は桃香の眼を真正面から見詰め、躊躇いなく口を開いた。
「手前の頸をお刎ね下さい」
その言葉で本陣の中は驚愕とやはりという顔に分かれた。
「わっ私達は張任さんを処刑する気なんかこれっぽっちもありません!!」
「桃香の言う通りです!!俺達の仲間になって下さい!!」
「それは出来ません」
「どうしてですか!!?」
悲痛な桃香の叫びに張任は笑顔で答える。
「手前の命は既に主へ捧げています。それに加え…貴殿方は我等からすれば侵略者だ。決して降らぬ。喩え、手前を解放したとしても…儂は何度でも貴殿等の前へ立ち塞がりましょう」
堂々とした物言いに二人は圧され、同僚である三人へ視線を向けるが揃って首を横に振られてしまう。
「お館様、桃香様。この者は決して降りませぬ。…そういう男ですゆえ…」
「…そんな…」
「…では、最後の願いを言わせて頂きます」
彼等の遣り取りを耳にしつつ、張任が更に続ける。
「最後の願いは−−」
言葉を途中で区切ると、彼は視線を巡らし、本陣の隅で腕を組んでいる和樹を見た。
「−−どうか、狼牙殿の手でこの頸を刎ねて頂きたい」
穏やかな笑顔を浮かべ、それを請うが和樹は訝しんでいる。
「失礼ながら……何故、手前を指名なさる?」
「…そうですなぁ……強いて言えば、貴殿に惚れたと申しましょうか」
「…惚れた?」
「はい」
淀みなく張任は頷いた。
「おめおめとこの齢まで生きて参りましたが…貴殿ほどの将器に優れた者には会えませなんだ」
「…将器…?」
「御意。貴殿は間違いなく…100万の将兵を統べる王となる素質がある」
「…それは買い被りというモノ−−」
「いえ!!貴殿こそ御自分を過小評価して−−!?!」
我を忘れ、激昂した瞬間、張任は咳き込んだ。
それに桃香達が駆け寄ろうとするが、それを張任は手で制し、再び和樹を見遣る。
「…もし…劉璋様の家臣でなければ…儂は貴方様の家臣となったでしょう」
「…名将と謳われる貴殿にそうまで言われるのは恐縮。…だが“そうはならなかった”。それが全て」
「…仰る通り。…残念でならない…」
数瞬、二人の視線が交差した。
張任は微笑むと表情を真剣なモノへ戻して問い掛ける。
「狼牙殿、御返答は如何?」
「…手前は喜んで承ろう」
「感謝する。…御両人、御返答は?」
「「………」」
問い掛けられ、二人は考え込むが答えが出ない。
軍師である朱里へ視線を向けるモノの……彼女は首を横に振るだけ。
「−−躊躇いなさるな」
「「ッ!!?」」
張任の静かな諫言に二人の身体が跳ねる。
「王が躊躇ってはなりませぬ。でなければ配下の者達は不安を感じ、心は離れてしまう。…決して躊躇いなさるな」
その言葉に二人の拳が握り締められ、ややあって一刀が小さく口を開く。
「…張任さん」
「はっ」
「…貴方の命と引き換えに、指揮下の将兵の命を保証し、俺達の軍へと編入させます。…宜しいですか?」
「勿体無き御言葉。感謝致します」
平伏し、謝辞を述べる張任の顔には笑顔が浮かぶ。
「…韓甲さん。お願い出来ますか…?」
「…任されよう。子堅殿、こちらへ。一曹、手伝え」
「はっ。…盃と膳あるかな?」
「あっ!!はい、こちらに!!」
「…漢升殿、検死役をお願いしたい」
「…承りました」
「わしも行こう!!」
「…桔梗…」
慌ただしく準備に追われる天幕を和樹は張任を伴って後にし、それに検死役を務める紫苑と桔梗が続く。
「…良い天気だ…」
「…多少、雲はありますがな」
「ふふっ…確かに」
これから処刑される人間と処刑する人間とは思えない遣り取りをしつつ歩く二人は本陣の天幕から離れた場所で止まり、張任は成都がある方角へ一礼し、その場に正座した。
「…鋼陽殿、検死役を務めさせて頂きます」
「応、宜しく頼む」
「わしも見届けよう…」
「…紫苑…」
「…はい…」
「璃々嬢を大切にな」
「えぇ。判っておりますわ」
「うむ…。桔梗」
「応」
「焔耶をしっかりと導いてやれ。アレは少々、自分を過大評価しすぎる嫌いがある」
「お主に言われるまでもない」
「ふふっ…そうだったな…」
軽口を叩く彼の眼前に紫苑と桔梗が立ち、張任の背後へ和樹が立った。
しばらく無言の状態が続いていると本陣の天幕から盃を禅へと乗せた一曹が駆け寄り、それを張任の眼前へ置いた。
それに張任は頭を下げ、一曹も軽く頭を下げると和樹の傍らへ移ると片膝を付いて座り込む。
和樹はコートのポケットからスキットルを取り出すと、空の盃へラムを注ぐ。
「…これは…?」
「異国の酒です。どうぞ御賞味を」
簡単な説明をしつつ和樹はスキットルをコートのポケットへ戻すと、腰から愛刀を抜き放ち、その刀身を一曹に向ける。
一曹が水筒の蓋を開け、差し出された刀身へ水をゆっくり掛ける中、張任は盃を取り、縁へ口を付けて一気に呑み干した。
「ッ−−!!…クゥゥ…これは効きますなぁ…」
「お口には合いませんでしたか?」
「いえ。自分好みの味と強さでござった。…斯様な美酒を賜り、恐悦至極」
「それは結構」
刀身の清めが終わった。
「…準備は宜しいか?」
「はっ。いつでもどうぞ」
「…では…」
和樹が愛刀を八双に構え、頸へ狙いを定める。
「…申し訳ありませぬが…もう一度、御尊名を頂戴したい」
「…韓甲、字を狼牙−−」
和樹は呼吸を軽く整えてから、再び口を開く。
「…真名は和樹と申す」
「…なんと…!!?」
まさかの事に張任を始め、紫苑と桔梗までもが驚愕する。
真名を預けられた事に流石の張任も驚きは隠せなかったが、ややあって笑顔を浮かべ、首を捻って視線を和樹へ向ける。
「儂のような者に勿体無い…。改めて名乗らせて頂きます。姓は張、名は任、字を子堅。そして真名は鋼陽」
「…鋼陽殿」
「はっ」
「…確かに預かった」
その言葉を聞いて張任は前を向き、膳を横にずらすと、やや前屈みの格好となる。
「お願い致す」
「…では…参る」
−−それは一瞬で終わった。
和樹の降り下ろした愛刀が見事に皮一枚を残して張任の頸を刎ね、斬り落とされたそれを抱き抱えるように彼は前のめりに倒れた。
行き場を失った血液が切断面から流れ出る。
それらを確認した和樹は構えから直り、血振りの動作をすると作法に則って、彼に対して頭を下げた。
翌日、降った厳顔軍の将兵を吸収した劉備軍は成都へ向けて出発。
戦場跡には死体はなく、既にその総てが葬られている。
その片隅には、ひとつの石碑が建っていた。
『この地に眠るは幾万の将兵と劉璋が家臣 張子堅なり。
旅人よ、右の者の名を遥か遠方まで伝えよ。
風よ、右の者の名を遥か異国まで伝えよ。
鳥よ、右の者の名を遥か先の世まで伝えよ。
姓は張、名は任、字を子堅。
この者、当代比肩する者なき忠臣なりと−−』
石碑に刻まれた文面の最後には製作者の名前だろう“狼”だけが彫られていた。
正史とは全く違う場所での戦死ですが……まぁ『外史ですから(キリッ』




