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李 英振=イ・ヨンジン…で合ってると思います。
Others side
突然、室内から何かが倒れる乾いた音が響く−−
【和樹、このクソ野郎…!!仮に任務を受けたとして、それで奴の魂が浮かばれると思ってんのか!!?】
【大尉、抑えて下さい!!…少佐…何故ですか…!?】
次いで耳を打ったのは将司の怒号と、彼を諫める部下の大声。
「……荒れてるわね」
「当然だろう。…私とて、出来るならこのような任務を与えたくない」
「…黒狼隊の者達には済まないがな…」
「…………」
廊下で室内の様子を窺いつつ、声を潜めて話し合うのは雪蓮、冥琳、祭、そして華雄の四人。
「…ねぇ、華雄」
「……なんだ?」
「さっき話に出てた…伍長って誰のこと?」
雪蓮に問い掛けられた華雄は、その言葉を聞き、顔を僅かに俯かせてしまう。
だが、現在は自身の一応の主君からの質問。
それには答えなければならない、と思い至り、華雄は顔を上げ−−天井を見詰めつつ口を開いた。
「…話をした事はないのだが…姓名を李 英振という。…泗水関で私が霞−−張遼の制止を振り切り、関を飛び出した際、韓甲達に助けられたのだが…彼の者は劉備軍の真っ只中に取り残され…戦死を遂げたと聞いている」
「もしかして…あの時の爆発のこと?」
「恥ずかしい話、その時、私は気絶していてな。…だが、爆発は起きたと聞いた。あの爆発は…伍長が戦死した時に起きたモノらしい」
「火計でも敷いていたのか?」
「いや違う。黒狼隊の者達は皆、絶体絶命の状況に陥った際、捕虜となり、携えた武具を奪われるのを阻止するため自身と周囲を道連れに出来るだけの道具を携帯しているそうだ」
その言葉を聞き、三人が息を飲んだ。
軍人は、いついかなる時でも死を覚悟せねばならない。
それは彼女達も同様だ。
しかし彼等の場合は、敵に捕まってはならない、それによって生き長らえる事すら許されない。
「…部下の死をも利用し、敵へ打撃を与える、か…。良くも悪くも…合理的な戦術、だな」
華雄は背中を壁に預け、寄り掛かる。
「“死して尚も部隊の為に”。以前、韓甲の部下達が酒の席で話してくれた」
「…そう…」
忠誠心の高い兵士ならば、辿り着きたいと願う境地がそこにはある。
「…私からも尋ねたい。何故、黒狼隊にあのような任務を与えるのだ?」
今度の質問は華雄から。
それを聞き、彼女達は頷き合った後、冥琳が代表して口を開いた。
「…まず第一に劉備を支援するのは、戦略的意味合いが強い」
「…戦略的?」
「あぁ。公孫賛、袁紹、袁術、董卓、荊州の劉表も既に亡く、名だたる諸侯の大半が滅びた。…これも先程、命からがら帰還した細作の報告だが、西涼の馬騰も曹操軍により殺害されたそうだ。ともかく大陸に残っているのは我等と曹操、劉備、そして益州の劉璋のみ。…劉璋は暗愚と噂されているがな」
解説する冥琳に雪蓮と祭が相槌を打つように頷くものの華雄は、いまいち把握しきれていないようだ。
「あ〜…つまりどういうことだ?」
「なに簡単だ。この乱世という名の覇権争い−−まぁ和樹や将司あたりは“団栗の背比べ”と言うかも知れないが、今後は孫呉と曹魏、そして劉備による三つ巴の戦いになる、という事さ」
「…そういう事か。だが…何故、劉備と同盟を結ぶのだ?」
「国力の違いだ」
「…国力?」
冥琳は頷くと腕を胸の下で組みつつ華雄を見詰める。
「曹操が治める国の力は強大だ。経済、政治、軍事、総てにおいてな。対して我等が孫呉の国力は−−」
「大陸の北方を平定した曹操に比べて、私達は未だ揚州を平定したのみ。大国相手に喧嘩が出来る?」
冥琳の解説を引き継ぐ形で雪蓮が会話に割り込んできた。
その表情は苦々しい。
「同盟を締結する理由は曹操に対抗する為よ。それで曹魏と均衡が取れる訳じゃないけど…まぁ同盟を結ばないよりは余程マシだわ」
「だが、韓甲達−−黒狼隊を同盟締結の使者にするというのは危険ではないか?先程ので判っただろう。韓甲達は劉備を敵視している」
「御破算になる可能性はある。だが、それは低いだろう」
「何故だ?」
「劉備は治めるべき領地を失った。となれば大義名分は劉備を慕い、自主的に追従しているという民を守るという事だけ。つまり孤立無援の状態。そんな状況で、差し出された手を掴まないのは余程、自信がある者か、愚者のみ」
腕を組みつつ冥琳は説明を続けるが、一旦、呼吸を整えてから再び口を開く。
「それと黒狼隊を派遣する理由は、その機動力…即応能力とも言えるモノが、孫呉−−いや大陸で比肩する集団がいないからだ」
「あぁ、それは私も判る。…張遼の用兵も速かったが、韓甲のは異常ともいえる」
華雄の言葉に全員が頷いた。
この時代の用兵の常識からすれば、異常な機動力を始めとした能力。
敵に先んじて行動し、圧倒的な火力によって殲滅する事が彼等の強みだ。
「それだけでなく個々の兵士の戦闘能力も凄まじい。おそらくは精神的な面でもじゃが」
「えぇ。いつまで掛かるか判らない派兵は将兵にとって心の負担になる。でも和樹達なら心配は限り無く低い」
「長期に渡るだろう派兵、それを遂行するに値する能力を兼ねるだけの部隊は…孫呉にはひとつしかない」
「…それが傭兵であっても?」
「身分如きで人物が決まる訳じゃないわ」
「あぁ。…勿論、任務を受けてくれるならば、それ相応の見返りは差し出すさ」
「そうじゃな。…策殿にいたっては、和樹に身を許しても良いと仰せじゃったが」
祭の独白に華雄が口をだらしなく開け、呆然としていると。不意に講堂の扉が開いて和樹が姿を現した。
「…お待たせしました」
「ううん、気にしてないわ。…答えを聞かせてもらえる?」
「はっ。…劉備の支援任務、お受け致します」
「…将司達は…」
「…納得と理解も出来ていませんが…私がなんとか話をつけます」
いつにも増して、彼は無表情だ。
だが、その憤りは強く握り締められた拳が物語っている。
「…報酬はどうする?」
「交州侵攻を担当する部隊へは普段通り。支援部隊には−−」
「安心しろ。相応の報酬を用意する」
「…はっ」
ビジネスライクも良い所だが、それが傭兵。
自分達の心情など雇用主には関係ない。
任務を遂行し報酬を貰わなければ、お飯の食い上げ。
これは和樹の持論だが、雇用主への信頼は失ったとしても、雇用主からの信頼は失ってはならない、らしい。
例え、自分達が受諾したくない任務を与えられたとしても、拒否は出来ない。
そんなモノで腹は膨れない。
「出立はそちらに任せる。…済まんが宜しく頼む」
「了解しました」