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“例の事件”から5日経ったが、波風は特に立たず首都は平穏そのもの。
まぁ瓦版などは少々騒がしかったが、それも一過性のモノだった。
だが、一部の高官は薄々気付いているだろう。
これが粛清と警告のそれであると。
孫呉の重臣だった4人の後釜には伯符殿や公瑾殿の信用がある者達が選ばれ、職務を引き継いでいるとか。
あの夜の事は極一部の者のみが知っているが、その記録は抹消され、ほとんど忘却の彼方へ消え去っている。
かくいう俺達もそうだが…これは墓まで持っていく事だろう。
そして現在における我々の状況は……。
まぁ最初は俺の状況でも説明しておこう。
まず俺のトレードマークになりつつあるコートは着ていない。
ついでに言えば上着もだ。
…いや露出狂の気がある訳ではないぞ、俺はノーマルだからな。
まぁ格好としては、OD色の野戦帽を被り、同色のズボンを穿いて、ブーツを履いて、腰に弾帯を巻き、それに必要な装備と二本の愛刀をぶら下げ、総重量約20kgの荷物が入ったザックと使う機会が減った大太刀を背負い、手には小銃を持っている。
さて、何をやっているでしょうか?……まぁ判るとは思うがな…。
それにしても……恥ずかしい。
「1、2、1、2!!」
『そぉれ!!』
『…そぉ…れ!!』
「1、2、1…新兵共、一人でも落伍しやがったら全員、連帯責任だぞ!!!」
「おら気張れぇ!!足上げろ、声出せやぁぁ!!!」
「やる気がねぇ奴は家に帰れ!!やる気あんのかテメェら!!?」
『Sir,yes,sir!!!』
「なら走れ!!走れ走れ走れ!!!!」
部下が檄を飛ばし、顎が出かけていた新兵隊が姿勢を正して走り始める。
現在、俺と相棒、上半身裸以外は完全武装の第一歩兵小隊28名、そして鎧着用の50名の新兵隊は揃ってランニングを行っていた。
何故、裸? と問われると…まぁ説明は難しいが…涼しいからだ、と答えるだろう。
もっとも軽装すぎるのは不公平なので、しっかり負荷を掛けている。
…結果的には新兵達よりも負荷があるのだが。
三列縦隊の先頭を、狼を描いた隊旗を掲げて走っている部下に俺達が続いているが、この旗は駐屯地や戦場で掲げている三畳ほどの大きさの牙門旗とは違い、縦横1mほど。
まぁ、こういった訓練時などに使用する訳だが、これをやっていると部下達の数名が“懐かしい”と言っていた。
訓練兵や新兵の時の事を指しているのだろう。
…そんな事を考えて、この羞恥から逃れている。
俺達が走っているのはよりにもよって………
「兵隊さん頑張って〜!!」
「脱落すんなよ〜!!」
「兄ちゃん達、頑張れ〜!!」
「将軍様達に負けるな〜!!」
…市井のど真ん中…つまりは城下の道を走っている訳だ。
沿道からは一般市民が黄色い声を張り上げて新兵達を応援している。
中には彼等の親兄弟もいるかもしれないが……新兵達の様子では返事を返す余力はなさそうだ。
「…なぁ相棒…?」
「…なんだ?」
隣を走っている将司が声を掛けてきた。
もう10kmは走ったと思うが…息切れをしている様子は微塵もない。
「これ…なんて羞恥プレイ?」
「知らん。…文句なら伯符殿に言え」
第一歩兵小隊による新兵訓練を始めようとした時に彼女から直々に、それも執務中に呼び出されたのだ。
曰く『黒狼隊の御披露目と市民達との触れ合いが目的』だとか。
…情報統制を無視しないで貰いたいが…向こうとしては、少しでも軍事的示威行動による他国の牽制をしたいのだろう。
…まぁ思惑は予想通りになるか判らないが、俺としては久しぶりに体を動かせて嬉しい。
「2、2、3、4…折り返し!!」
『応ッ!!!』
『Sir,yes,sir!!!』
街の大門に近いた為、部下がUターンの号令を出した。
もう何回も城と大門を往復しているが、そろそろ時間だろう。
Uターン中に腕時計を見れば、昼近い。
「これで終わりだ、最後まで気張れ!!!」
『Sir,yes,sir!!!』
「行け行け行け!!走れ走れ走れ!!!」
部下達が新兵隊へ檄を飛ばすが…息も絶え絶え。
今夜は筋肉痛にうなされる事となるだろう。
「今回の新兵はイキが良いぜ」
「全くだ。どんだけ離しても食い付いてくる」
何名かの部下が今回の訓練の評価を行っているが…なかなか良いらしい。
「にしても…かったるい」
「あぁ。野郎ばっかりで華がねぇや」
「そういうなって。男だけの方が色々と楽で…おっ」
「どした…おぉっ!?」
何に気付いたのか部下達が息を飲んだようだ。
いったい何が、と思い進行方向へ視線を向ければ……一般人の群れに紛れ、長い黒髪と茶色の長髪を団子にした美少女が二人もいた。
見知った顔は幼平殿と子明殿。
…子明殿は執務中の筈だが……まぁ昼飯か何かだろう。
「頑張って下さ〜い!!ほら亞莎も応援するです!」
「えっ!?えっとその……がっ頑張ってくらひゃ…あぅ噛んじゃいまひた…」
遠くで良くは聞こえなかったが…唇の動きからすると応援しているらしい。
子明殿は…読唇術を使わなくても判る。上着の長い袖で口元を隠す仕草は…台詞を噛んだのだ。
まぁ応援してくれるのは有り難い。
これで“かったるい”とぼやいていた部下達もやる気になる。
その証拠に先頭を走る旗手も一段と速く……速く……。
『ダッシャアアアアアアアア!!!!』
……速くなりすぎだ。
横目に隣の部下を見れば…眼が血走っている。
かなりの興奮状態とみた。
「フオォォォォォ!!!!」
「なんだか判らねぇけど…滾るぅぅぅぅ!!!」
先頭を走る旗手に続き、大重量の荷物を背負っているのを感じさせない勢いで部下達が追い掛ける。
俺と相棒も遅れないよう着いて行くが後続の新兵隊は…………
「えぇぇぇぇぇ!!?」
「ここで全力疾走!!?」
「ゼェゼェ……もっもう無理…!!!」
……追い付けないだろうな。
「ヒャッハァァァァ!!」
「ゴールまでぶっちぎるぜぇぇ!!!」
それに比べて、ウチの野郎共は…なんというか…脳筋…じゃない…体力馬鹿…ではないか。
まぁどうでも良い。
教官隊は隊列を崩さず、勢いを保ったままゴールである城門へ向かうが、新兵隊は既に隊列が乱れに乱れている。
ラストスパートで全力疾走なのは近代軍隊の訓練では普通だが、流石に鎧着用で負荷をかけているのだから疲れるのは当然だろう。
そして教官隊が城門を潜り抜けゴールを果たすと、それに……かなり遅れて新兵隊もゴールした。
「ぜんた〜い、止まれ!」
『1、2、3、4、5!!!』
その場駆け足で足踏みすると、一斉に止まった。
教官隊は軽い準備運動のつもりだが、新兵隊にしてみれば、これだけで疲労困憊している。
「よ〜し、小休止だ。少し休んだら格闘訓練!」
『…サッSir,yes,sir!!!』
「休憩!!」
部下の合図で新兵達が地面に倒れ込むが、部下達は早速、煙草を吹かしている。
後は部下達に任せても大丈夫だろう。
ザックの中身を漁り、上着を取り出すとそれに袖を通してから外した弾帯一式を上から取り付ける。
「ありゃ?隊長、帰るんですか?」
「あぁ、後の事は任せる。俺は駐屯地に行ってるから、何かあれば連絡しろ」
『へ〜い』
煙草を銜えながら部下達は気の抜けた返事をした。
相棒は……あぁ野郎も部下達に混じって煙草を吸っている。
…さっさと帰らないと誰かに捕まってデスクワークやら書簡整理などの仕事をさせられるぞ。
そう相棒に心中で警告し、駐屯地へ行く為、黒馗を預けている厩舎へ行こうとした時だ。
「−おい大丈夫か!!?」
「いっ医者は何処だ、医者ぁぁ!!!」
何があったのやら城門が騒がしい。
怪我人でも出たのだろうか。
『此処にいるぞ〜!!!』
…なんだ、今のは?
野太い声がしたのは……部下達がたむろしている場所からだ。
振り向けば、上半身裸に衛生バッグを襷掛けにした相棒を含む三人の野郎が城門へ走り出そうとしていた。
……何故だか判らんが、さっきの台詞を言う時は腕を突き上げないとならんような気がする。
「負傷者か〜病人か〜?」
「負傷です−って呂猛将軍!?」
「コイツね〜。…んん…矢傷だな…おいおい鏃が残ったままじゃねぇか」
聞こえたのは、少し物騒な単語。
気になってしまい城門へ向かうと、そこには身体に数本の矢を生やした兵士が横たわっていた。
「…何処の奴だ?」
「韓甲将軍!!」
「良いから、さっさと答えろ」
治療を受けている奴を付近で見守っている兵士に尋ねる。
「装備を見る限り…おそらく遠征中の兵士、それも伝令です」
「伝令、か」
現在、遠征−正確には討伐を行っているのは公覆殿、興覇殿、そして伯言殿を軍師とした総兵力2万の軍勢。
討伐対象は山越。
史実においても、何度となく孫呉へ反乱を行った少数民族だ。
“反乱の兆しあり”
その一報が伝えられたのは三日前で、その翌日には急遽、編制された討伐軍が出陣。
その兵士が出陣して早々に血塗れで帰還した。
…嗚呼…悪い予感しか思い浮かばない。
「ウウッ…将軍…!!」
「喋るな。痛いだろうが我慢しろ」
顔から血の気が失せた兵士が蚊の羽音のような小さな声を上げる。
「至急…孫策様…に目通りを…!!」
「静かにしろ、傷が開く。…化膿しかけてるな。軍曹、ここを頼む」
「了解」
「お頼み申し上げる…孫策様へ…!!」
「どう診ても動かせる状態じゃねぇ。……俺達が代わりに伝えてやる」
「…申し訳…ありませぬ…」
「−以上が伝令からの報告です」
「…そうか。その者の容態は?」
「現在、我が隊の衛生兵と将司が治療にあたっております。…おそらくは大事ないでしょう」
「そう…良かった」
玉座の間−その玉座に腰掛ける伯符殿と、彼女の傍らに控える公瑾殿は安心したかのように軽い溜め息をした。
伝令からの報告は…まぁ概ね予想通り。
山間を通過中に奇襲を受け、混乱が生じた。
そして一時退却の後、平野にて軍を立て直したが、敵軍の数が予想よりも多い為、援軍を要請する、というモノだった。
ちなみにあの伝令は敵の伏兵に鉢合わせしてしまい、矢を喰らったが何とか建業まで辿り着いたとの事だ。
「如何いたします?」
「…山越の数が多いか…。ふむ…雪蓮、どう思う?」
「大将は祭よ。敵軍の人数を間違えるなんて失態は流石にないわ」
「そうだな…判った。現在、動かせるのは建業だけで約3千…その半数…諸々の邑や城に伝令を走らせよう。援軍は総勢5千、大将は…蓮華様。どうだろう?」
「え〜!?私じゃないの〜!!?きっと士気や戦意も上がると思うんだけど〜!!」
冷静な判断をする公瑾殿に反して伯符殿はブー垂れて異を唱える。
「…和樹、説明してやってくれ」
「…はぁ。…つまり、伯符殿が−国主が直々に援軍を率いて行くというのは風聞に良くないのですよ」
「なんで−−あぁそういうこと」
…説明が直ぐに終わって良かった。
理由としては…まぁ簡単だ。
確かに援軍を率いるのが王族−それも国主ならば友軍の士気と戦意は上がる。
だが、敵軍は山越−要は異民族だ。
たかが異民族、されども異民族。そんな連中の討伐の為に国主が出陣するという事態が他国へ伝われば…どのように思われるか。
大凡、あまり良い印象は持たれないだろう。
しかし国の中枢とも言うべき人物が出陣し、将兵の士気、戦意を鼓舞しないのは問題だ。
その為に、国主たる伯符殿に最も親しい人物−つまりは仲謀殿に出陣の白羽の矢が立った訳である。
「援軍の将は蓮華様を筆頭に、和樹、将司、華雄、明命は…無しにしよう。守将が居なくなるのは些か問題だ」
「黒狼隊も動員可能の限り援軍として出撃させます」
「うむ、直ちに援軍を編制する。…出陣は明日の夜明け。急な編制で綻びがあるかもしれぬが、そこは道中で何とかしてくれ」
「了解しました。その旨を部隊に告げ、編制しますので失礼させて頂きます」
「宜しく頼むぞ」
「お願いね、和樹」
「はっ!!」
…夜明けまで、あと一時間弱といった所か。
寝室を出ると二本の愛刀を腰へ差し、右手に大太刀を持って廊下を進む。
拳銃はホルスター、小銃はスリングベルトで肩に吊した完全武装。
既に戦闘服とコートも着用済みだ。
居間の障子を開けると、使用人の徐哉が正座しており、俺の姿を認めた瞬間、深々と一礼する。
それを横目に上座へ置かれた膳の前に胡座をかいて腰を下ろし、持っていた大太刀と小銃を床へ置いた。
すかさず、徐哉は鉄瓶で沸かした湯を炊いた米を盛った椀に注ぎ、湯漬けを作る。
……まるで織田信長みたいだな。
しっかりと香物まである。
…まぁ出陣式で食べるのは打ち鮑、栗、昆布なんだがな。
時間も限られている。椀と箸を取り、湯と米を喉の奥へ流し込むと、カブの香物を口に放り込み咀嚼してから飲み込んだ。
所要時間は…一分と少し程だろう。
椀と箸を膳へ戻し、小銃と大太刀を手に取って立ち上がり、居間から出て玄関への道すがら装備を整えつつ戦闘帽を被る。
玄関でブーツを履き、靴紐が解けないよう、きつく結ぶと障子を開けて外へ出た。
そのまま厩舎へ歩き出し、そこへ到着すると柵を乗り越えて黒馗に近付く。
-ブルル-
「あぁ、おはようさん。また暫く戦場生活だ。頼むぞ」
-ブルッ!!-
言葉を理解しているかのように愛馬が嘶いた。
それに苦笑しつつ柵にくくりつけている鞍等の馬具を取り付けていく。
全てを取り付け終わると、異常がないか確認する。
……良し、大丈夫だな。
柵を外し、手綱を引いて愛馬を厩舎から出すと、門を開けてきた徐哉が駆けて来た。
「旦那様、どうぞ」
「あぁ」
彼が差し出した乗馬鞭を受け取って、鐙へ片足を乗せると一気に鞍に跨がる。
黒馗の腹を軽く蹴って合図すると静かに愛馬が進み始めた。
門を抜けて敷地を出ると、道路の向こうから騎乗した一団が駆けて来るのを認めた。
孫の牙門旗を掲げる騎兵群の先頭を行くのは相棒、華雄、そして仲謀殿だ。
俺の屋敷は二人の中で一番、城から離れている。
その為、合流は最後になってしまう訳だ。
「どうどう。なんだ、もう行ってたかと思ったぜ」
手綱を引いて停止の合図を出しながら、相棒が人懐っこい微笑を浮かべる。
「一人で行くの寂しいんでな」
「はははっ。そりゃ確かに」
「では…行くか。孫権も準備は良いな?」
「あぁ勿論だ!!」
戦斧を担いだ華雄が仲謀殿に尋ねると彼女は勇ましい返事をした。
援軍−建業から出発する約1500名の軍勢は都の外に集結している。
そして黒狼隊の二個小隊、ヘリ二機、そして戦車一輛も駐屯地から集結地点に到達しているだろう。
…万が一、遅刻してしまったら連中になんと言われるか判ったモンじゃない。
「…では参りましょう。徐哉、留守を頼む」
「はい!旦那様と皆様の御武運をお祈りしています!!」
「応ッ!!」
「行ってくる!!」
「出来れば可愛い娘の見送りが良いんだけどなぁ…。気張ってくんよ」
見送りをする徐哉へ思い思いの言葉を返した俺達は、それぞれの愛馬の腹を蹴り、一路、都の外を目指して駆け出した。