32
久しぶり…と言う程でもないだろうが、とにかく駐屯地に顔を出したのが事の始まりである。
俺は総重量何十tもある鋼鉄の塊の下にクリーパー(寝板)を使って潜り込んでいる。
それが部隊の主力戦車であるT-72である事は想像に難くないだろう。
運悪く、俺は戦車隊の総点検整備の日に駐屯地を訪れてしまった訳だ。
…これなら徐哉と畑仕事をするか、黒馗か萌々と戯れていた方が良かった。
まぁ…愚痴を零すのも程々にしておこう。
装備品-戦車やヘリ等の兵器は総じて消耗品だ。
いくら丁寧に使ったとしても部品等が磨耗してしまうのは仕方ない。
その為、定期的な整備が必要となるのだ。
戦車を例に挙げれば、履帯、主砲交換等がそれだろう。
履帯と主砲を交換する為、車体はウィンチで吊り上げた後に太い枕木に載せられ、主砲も同様にそれで既に吊り上げられている。
「ゆっくり降ろせよ〜」
「へ〜い」
ワイヤーが巻き上げられる音に混じり、戦車隊の部下達が格納庫の中で作業している声が響く。
しかし…補給小隊の連中、よくもまぁ立派な格納庫を施設したモンだ。
確かに作るのに必要な材料は神経由で調達したが…出来上がった物を見て、まさかと思ってしまったモノである。
側面の壁は木板だが屋根や骨組みは鉄で作られている為、重い物を吊り下げても曲がったり折れる心配がない。
まぁ…こっちの方も定期的に交換せねばだろうが。
「…脱落なし…オイル漏れなし…錆なし…」
仰向けになり指差し点検しつつ、クリップボードに挟んだ点検用紙へチェックを入れていく。
「…装甲のひび割れ……んっ?」
気になる箇所を発見してしまった。
クリーパーを移動させて、そこを注視するものの暗くて良く見えない。
車体前部へクリーパーを滑らせると手を外に出した。
「おい、ライト寄越してくれ」
「ライト?…あっ…ちょっと待って下さいね…」
聞き慣れた部下の声を聞き届け、催促した物が手渡されるのを待つ。
しばらくすると手のひらに円筒の形をした物体の感触がした。
「おっ済まん」
「どういたしまして♪」
「…………」
聞き慣れた声が耳を打ったが……それはこの場所には不釣り合いな御仁のそれである。
クリーパーを滑らせ、車体の下から顔を出すと、目の前にあったのは予想通りの人物の尊顔。
「はぁい♪」
「…ご機嫌麗しゅう」
「あら、ありがと♪」
端正な尊顔の持ち主は、孫伯符殿。
彼女は膝を折って、にこやかな表情を浮かべ、俺を見下ろしていた。
「…演習ですか?」
「えぇ。これが、演習の概要よ」
指揮所を兼ねたテントへ彼女を通し、椅子を勧めると伯符殿は俺へ書簡を差し出した。
よくもまぁ…そんな事の為にわざわざ国主が、こんな所に出向いたと思うが…取り敢えずは目を通そう。
「…第廿一次実戦演習概要…」
<予定実施日は明後日払暁。
動員兵力は青軍、赤軍合わせ約三千とする。
青軍所属武将、韓甲、呂猛、華雄。兵力は動員可能の限りとする。
赤軍所属武将、孫策、孫権、黄蓋、甘寧、周泰。軍師として周瑜。兵力約二千七百名。
詳細は追って沙汰するものとする。
大都督 周公瑾>
「……………」
「…どしたの?」
「いえ…なんでもありません」
…これは新手の苛めか何かなのだろうか。
赤軍所属の武将を考えると……いや、どう考えても呉軍の主力が揃い踏みだ。
しかも軍師-作戦参謀に、あの公瑾殿までもが参加する。
もはや、豪勢としか言えない。
しかも…書簡をよく見れば演習に参加する武将達の署名が概要の下にくっきり、はっきりと記されている。
「…これに参加しろ、と言うのですか?」
「えぇ♪」
「…………」
「祭と冥琳なんか凄く張り切ってるわ。あっそうそう、思春と明命が“容赦いたしません”だって♪」
…勘弁してくれ。
思わず頭を抱えそうになったが、どうにか目頭を揉む程度で済んだ。
「…この演習は、ほぼ実戦に近い形式で行われると解釈して宜しいか?」
「そうだよ〜♪あっ、こっちも矢とか刃は潰したのを使うから安心して♪」
そういう問題ではないと思う…。
だが…まぁ、久しぶりに野郎共を暴れさせるのも悪くはないかもしれん。
「制限時間は?」
「えっと…払暁に開戦して…そうねぇ…昼には終わる予定よ」
「どちらの勝利で?」
尋ねると彼女は満面の笑みを浮かべて言い放つ。
「勿論、私達よ♪」
「でしょうな」
「あれ…“勝つのは我々だ”って言わないの?」
「そこまで楽観しませんよ。どう考えても我々が不利だ。それに戦場はただの平原。隠れる場所が少ない」
書簡に記された演習の舞台となる地点を机上にある地図と照らし合わせると、ただの平原となっている。
緊急時には直ちに城へ戻れるよう建業の付近に定めたのだろうから仕方ないが。
「あ〜…ゴメンね。一方的に決めちゃって」
部隊の戦闘スタイルを思い出したのか伯符殿は、バツが悪そうに謝ってきた。
俺達が得意とするのは小規模戦闘-特に遊撃戦(ゲリラ戦)である。
大規模な会戦には縁が少ないし、また縁があって欲しくないが…俺の希望なんぞ、大局からみれば些細で済んでしまう。
「…いえ、気にしていません。それに碁や象棋にも先攻と後攻がある。公平な戦はあり得ない」
「そう言って貰えると嬉しいんだけどね…」
向こうでは、スポーツマンシップに則って云々が当たり前だったが、そんなモノ、戦場に出ればクソの価値もない。
撃って撃たれて、殺して殺されてが普通の世界に“公平”という二文字は存在しない。
「ところで…戦車と…えっと…」
「ヘリですか?」
「あっそれそれ。あの絡繰りも投入するの?」
「死人を出しても良いならば」
「…ゴメン、愚問だったわね」
ヘリは兵員輸送に使えるが、戦車は……。
確かに戦場にあれが居るだけで、言葉に出来ない威圧感はあるが…主砲は使えない。
戦車砲用の演習弾なんてのも存在するが、あれも炸薬が入っている上に着弾時は砲弾の破片も散る。
火力演習ならば通常弾をバカスカ撃てるのだが……今回は投入を見送る形にしよう。
「…戦車は投入しませんが、ヘリは使いますので、そのようにお伝えを」
「んっ判ったわ」
銃器に使用する弾種は…やはりゴム製の衝撃弾が適当だろう。
もっとも、あれも発砲時の距離に留意しなければ、被弾者の生命に関わる。
どうやら弾数無限の効果は弾倉に限ったモノのようで、薬室に銃弾が残っていなければ発射はされない。
衝撃弾が詰まった弾倉を小銃へ叩き込めば、普段と同じ効果が発揮されるのは随分と前に確認済みの事だ。
あぁ…衝撃弾と通常弾の違いは目標を貫通するか否かしかない事を忘れていたな。
それを喰らった場合…身体を襲う衝撃はプロボクサーのパンチと大差ないのだ。
要するに…痛い、半端なく痛い。
だが…まぁ死なないだけ良いだろう。
「確かに伝えたわ。明後日が楽しみね♪」
「そうですか」
「うんうん♪それじゃ…そろそろ帰るかな〜。…冥琳の頭から角が生えてなければ良いけど…」
…やはり内緒で来たのか、この御仁は。
「…私もそろそろ屋敷に戻りますので、城までお送り致します」
「気が利くわね♪それじゃ…行きましょうか」
伯符殿を城門まで送り、待ち構えていた保護者兼親友殿へ身柄を引き渡した俺は黒馗の手綱を握り、一軒の屋敷の前で愛馬を止めた。
手綱を掴み、門まで歩くと握り拳を作ってそれを数度、叩いた。
「華雄、居るか!?」
少し声を張り上げて在宅の有無を確認すると、なにやら門の向こうがガタガタと煩くなってくる。
「かっかかかか韓甲か!?」
「あぁ…」
「ちょっと待ってくれ、直ぐに開けるからな!!!」
判った、判ったから…少し落ち着いて欲しい。
…閂を外すのに、けたたましい音を響かせなくても良いと思うが…まぁとにもかくにも開門した。
「すっ済まん、待たせたな…」
「あぁ……なんだ、その格好?」
「はっ…はわわわわっ!!?」
これは…意外と言えば良いか…。
…彼女が普段から着ている装束しか見た事がないから意外なのだが…まさかのチャイナドレス。
菫色の生地に金糸で蝶の刺繍をあつらった上等な物だ。
「どうしたんだ、それ?」
「…こっ黒狼隊の奴等が作ったらしいんだが…やたら勧めて…」
「…あぁ補給小隊の連中か」
確かに、工房を兼ねたテントで何かを作っているのは噂で聞いたが…。
「私には似合わないと言ったんだが…」
「結局は受け取ったと」
「うっうむ…。あんなに血走った眼で力説されたらな…」
「ちなみに、なんと?」
〜回想〜
「これを…私に?」
「えぇ。俺達が心血注いで作った、この服…どうか姉御に着てもらいたいんですよ!!」
「いや…だがなぁ…」
「何か不満でも…?」
「裾の切り込みなんだが……深すぎないか?」
「何を言ってるんですか!!姉御の白くて長い美脚を拝…ゴホン…魅力的にするにはそのぐらいが一番なんです!!!」
「そうですよ!!呉の皆さんを見なさい!!あんなに惜し気もなく胸やら脚をさらけ出して…!!!」
「いや…それとこれとは…第一、私には似合わん」
「いいえ、絶対に似合います!!」
「えぇ!!なにせ、この服は姉御にピッタリになるよう意匠したんですからね!!」
「という訳で……」
『早速、着て下さい!!!』
「こっここでか!!?」
「ご安心を。あちらに更衣室が」
「…手際が良ずきるぞ」
〜着替え中っす〜
「…どっどうだ、これで良いか?」
『………ッ!!?』
「おっおい、お前達!!どうした鼻血なんか!!?」
「だっだだだ大丈夫です……!!」
「こっここまでなんて…!!」
「ってか…スレンダーなのに…胸があるなんて…!!」
「ほっ本当に大丈夫なのか!?尋常じゃないくらい出血してるぞ!!」
〜回想終了〜
「とまぁ、そんな事があったんだが…」
「ご丁寧にどうも」
まぁ…野郎共が彼女に似合うようデザインしたのだから、似合っていて当然か。
「それはそうと…今日は少し用があって来たんだが…」
「何かあったのか?」
「あぁ…いや、ここじゃなくて俺の屋敷で話そう」
「………はっ?」
「いや…だから俺の屋敷で…おい華雄?」
女性の家に上がり込んで話すのもなんだ、と思い、俺の屋敷で打ち合わせしようと提案したのだが…。
「かっ韓甲の屋敷で…!?そんな…まだ心の準備が…。いや…しかし据え膳食わぬはとも言うし…」
「華雄?おいどうした?」
「はっ!!?」
彼女の前で指を数回、鳴らしてみるとやっと我に返ったようだ。
「その前に…はっはは話とは…!?」
「あん?……あぁ」
肝心な事を告げるのを忘れていた。
「明後日の払暁、演習が実施されるらしい。俺とお前の合同部隊と呉軍主力がな。それで打ち合わせでもしようかと思ったんだが…」
「そういう事か……判った。お前の屋敷に行けば良いのだな?」
「あぁ。ついでに将司へも声かけしといてくれ。時間は…そうだな、夕方だ」
「夕方だな。心得た」
「じゃあ夕方に俺の屋敷で」
鐙に片足を乗せ、一気に鞍へ跨がると愛馬の腹を蹴って黒馗を屋敷へ向かって進ませた。
「それで…どうするんだ?」
座敷に車座になって胡坐を組んでいる俺達を代表して相棒が口を開く。
「こっちが動員できるのは…一個小隊は駐屯地の警備に残さなきゃならねぇ。となると…」
「残すのは補給小隊にしよう。動員可能員数は俺達を含めた96名。華雄隊は?」
「こちらは…98名が限界だな」
「つ−ことは総兵力194名…向こうは何名だって?」
「約2,700名だそうだ」
「向こうは連隊規模、こっちは中隊で兵力差は…うぇ…ほぼ14倍じゃねぇか」
「私の隊にも新人が配属されるようになれば良いんだが…」
「…今更、無い物ねだりするなって…」
董卓軍時代からの古参兵が徐々に減ってきている事を示唆したのだろう。
俺達の部隊はどうでも良いが、今後は彼女が預かる部隊の兵力は増員せねばならぬだろう。
「赤軍の方の兵士は…精兵揃いか?」
「…判らん。だが、相当数の古参兵が居ると見て間違いないだろう」
「…まぁとにかく、最善を尽くそう」
「そうだな…」
傍らに置いた湯呑みを取り茶を啜って口を潤すと、それを床に戻す。
「さて…まずは戦場なんだが…」
そう二人に告げ、持ってきた地図を目の前に広げた。
「戦場はここ、ただの平原だ」
「地形の起伏形状は?」
「いや、詳細は見てからだな。明日にでも下見に行こうと思う」
「そうだな…」
「それで…向こうはどのような布陣でくると思う?」
華雄に問い掛けられ、数個の黒の碁石と白い碁石ひとつを地図上に置いた。
「白が俺達、黒が赤軍だと仮定しよう。無論、敵軍が何処に布陣するかも、まだ判らんが…おそらくは鶴翼でくる」
「先に布陣すれば利あり、とは言うが…さすがに小勢が立ち向かうには大きすぎるか…」
「あぁ」
全くもってその通りだ。
赤軍が定石通り…可能性は限りなく高いが、小勢を殲滅するならば鶴翼の陣で布陣してくる。
鶴が翼を広げたような形、それが鶴翼の陣。
敵軍をぐるりと囲み、半包囲殲滅するのに特化した陣形。
それを突破するには薄い翼を突けば良いが…いかんせん突進力を得られるか疑問だ。
演習のため戦車は投入できない。
主力は歩兵と騎兵。
その騎兵も少数……。
「…やっぱ、アレで行くか」
「“アレ”とは?」
相棒は華雄の質問に応えるかのように白い碁石を取ると、それを黒い碁石の後方に置く。
それが示すモノに気付き、俺と相棒はうっすらと笑みを零した。