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超久しぶりの投稿……。
兵法解説については後書きにて。
「子曰く、
故に用兵の法は、
十なれば則ち之れを囲み、
五なれば則ち之れを攻め、
倍すれば則ち之れを分かち、
敵すれば則ち能く之れと戦い、
少なければ則ち能く之れを逃れ、
若かざれば之れを避く。
故に小敵の堅なるは、大敵の檎なり。
孫子は謀攻篇の第五十九篇にて、このように記述している。
これこそが、戦のあるべき形であり、また基本である、と私は解釈している。
…どうやら時間のようだ。本日は以上」
「起立、礼!」
側に控えていた少尉が講習生−若い武官達に号令すると、彼等はその通り従う。
軽く敬礼をした後、持参した資料を小脇に挟み、軍帽を被ると、少尉が開けてくれた扉を抜けて廊下に出た。
「…疲れた」
「お疲れ様です。…連中をどう思いますか?」
「尻に卵の殻がついたままのヒヨコだ。あれが戦場で部隊の指揮をすると想像したらゾッとする」
「…有効的かつ合理的な戦術は無知に等しい、と言った所ですかね」
隣を歩く少尉に頷いて肯定する。
近代以前の戦争で使われた戦術とは…一口に言えば大軍対大軍のぶつかり合い。
人海戦術を駆使し、敵の強弱に関係なく迅速に相手を駆逐する事へ主眼を置いている。
だが、近代以後の戦争で使用された戦術を一口に言えば…そう…弱肉強食が正しいだろう。
敵の弱点を突く。
それは兵力の少ない所であったり、士気の低い所であったりと“弱点”は様々だが、とにかくその点を食い破り、それを延々と続けていくこと。
単純なようだが、実際は効果的である。
敵部隊をひとつでも壊滅させれば、それがどれほど弱卒の集まりだったとしても、結果的には敵兵力を削ぎ、ひいては士気も落とせるのだ。
ならば、近代以前の戦争も同じではないか、とも言われるが実際は違う。
教科書、歴史書に登場するそれは“たまたま”勝利した勢力に有能な軍師がいただけ。
近代以降−第一次世界大戦以降の戦争では大軍対大軍が真っ正面から、ぶつかり合って戦うという事例は無きに等しい。
あったのは師団、旅団、連隊などが同等、もしくは上等、または下等の部隊とぶつかり合った戦い。
戦争の時代による変遷といった所だろう。
「あっ蓮華様、いらっしゃいましたよ。和樹様〜!!」
背後から声を掛けられ、振り向くと四人組の少女達が駆け寄ってくる。
声を掛けたのは腕を振って俺を呼んでいる幼平殿だ。
その後ろには仲謀殿、興覇殿、そして子明殿が続いている。
軍帽を被ったままではマズいので、それを脱いで左脇に挟むと敬礼。
少尉も俺に倣い、軍帽を小脇に挟んで彼女達に敬礼していた。
「えっと…時間は大丈夫かしら?」
「…えぇ。今日は特に仕事もありませんで」
敬礼から直ると、仲謀殿にそう問い掛けられた為、予定を思い出してから返答した。
「皆で、お茶でもどうかと思ったのだけど…」
「…では…不相応ながら御相伴に」
「良かった…。貴方もどうかしら?」
仲謀殿は俺の傍らにいた少尉に尋ねる。
「いえ、自分は駐屯地に戻りますので。折角のお誘いではありますが、辞退させて頂きます」
「そう…。こっちもいきなり誘ってごめんなさい。また機会があれば…」
「はっ。その時は是非とも」
少尉は彼女に向かって敬礼すると、次に俺へ敬礼した為、返礼する。
「では少佐。自分は失礼させて頂きます」
「御苦労」
「はっ!!」
敬礼から直った少尉は彼女達に軽く一礼した後、軍帽を被りつつ去って行った。
「行きましょうか」
「はっ」
「蓮華様、庭の東屋にしましょうか?」
「そうね…そうしましょう。思春、頼めるかしら?」
「蓮華様の御命令ならば」
…たかが茶を飲むだけなのに興覇殿の気合いは凄まじい。
彼女だけ雰囲気が明らかに違う。
「……何か?」
「いえ、なんでも」
「…そうですか」
「あ〜居た居た!!かっずきぃ〜♪」
興覇殿と会話と呼べない会話が終わったのを見計らったかのように俺を呼ぶ声が耳を打つ。
「…姉様?」
「雪蓮様?」
「ヤッホー、か・ず・き〜♪」
名を呼びながら伯符殿が俺に駆け寄ってくる。
…何か、用でもあるのだろうか。
「やっと見付けたわ〜」
「何か御用件でも?」
「うん♪蓮華」
「なんですか?」
にこやかに自分の妹を呼んだと思うと彼女は俺の腕を掴み……
「ちょっと和樹、借りてくわねぇ〜♪」
「はっ……えぇぇえっ!!?」
「じゃあね〜……って、あれ?」
そのまま引っ張って行こうとしたのだろうが、おあいにくさま。
そう簡単に持って行かれるような鍛え方はしていない。
「ちょっ和樹ッ!!」
「何か?」
「何か?、じゃないわよ!!動いてってば!!」
「そうする必要性が見つかりませんので」
「私には、あ・る・の・よ〜!!」
片手で引っ張る事を諦めた彼女は両手を使い渾身の力で俺を何処かへ連れて行こうとする。
「ねぇ、お願いだから動いてよ〜!!」
「…………」
「だんまりしたって諦めないわよ……」
呆気に取られている仲謀殿達を尻目に伯符殿は爪先立ちになり、俺の耳元へ唇を近付けた。
「使いたくなかったけど…命令するわ」
「…職権乱用という言葉を知っておりますか?」
「さっきまで知ってたけど今は知らな〜い♪」
「…………」
反論する気が失せた。
自由人にも程がある。
「私と一緒に来なさい。でないと…」
「…でないと?」
「禄を減らして、書類仕事を山のように増やすわ」
「行きましょう」
「速ッ!!?」
自分で言っておいて何を驚いているか。
「ちょっと和樹、お茶の約束は!?」
「和樹様…」
「そんなぁ…」
「…雪蓮様、和樹殿にいったい何を吹き込んだので?」
「ふっふ〜ん♪」
苦手なデスクワークが増えて、逆に禄が減る。
それを聞いてしまえば返答は決まっている。
彼女の事だ。
絶対にやる、断言しても良い。
それに…いくら宅配してもらった砂金やらがあっても自身で稼いだ金に勝るものはない。
そして何より………
「仲謀殿、申し訳ありません。…傭兵は雇用主に逆らえないのです…」
「〜〜〜♪」
「…………」
「〜〜〜♪」
…何故、こうなったのだろう。
隣で鼻唄を歌いながら水面に釣竿の糸を垂らしている伯符殿を見て溜息をついた。
「あ〜!和樹、溜息なんか吐いてる〜」
「…失礼。ですが…何故、釣りを?」
「ん〜、言ってなかったっけ?」
「えぇ」
命令を受けて直ぐに厩舎へ連れて行かれたら、釣竿と餌を持たされ、黒馗に跨がり、そのまま森へと向かって現在の状況へ至ったのだ。
理由なんて聞いていない。
「ゆうべ、布団に入ったら、昔、冥琳や蓮華と釣りに行った事を思い出してね。それで釣った魚を皆で食べた事も思い出しちゃったのよ」
「……で?」
「夜中こっそり、釣りに行こうとしたら冥琳に見付かっちゃって釣竿を取り上げられちゃったのよ〜。で、ついさっき、やっと釣竿を取り返して和樹を誘って…こうなった訳。判った?」
「いえ、全く」
「え〜!?私の話、聞いてた!?」
「一通りは。ですが…」
「なに?」
「思い至って、即行動というのは…。大体、夜中に釣りに行くとは…御自分の身の安全を考えておりますか?」
「ブー!!大丈夫よ〜。ちゃんと、これがあるもの」
彼女は傍らに置いた愛用の剣を軽く叩いてみせた。
自分の身ぐらい自分で守れる、という意思表示なのだろうが…。
もう、この御仁の行動パターンが読めなくなってきている。
「自由奔放だ…」
「何か言った?」
「いいえ」
「うっそだ〜!!絶対、今なにか言ったでしょ!?」
「いいえ。空耳なのでは?」
「……フン!!」
当たり障りのないように返したが、伯符殿はそっぽを向いてしまう。
…やれやれ機嫌でも損ねさせてしまっただろうか。
それからは無言で水面の浮きに視線を集中させていた。
聞こえるのは川のせせらぎと鳥の囀り。
ちなみに現在の釣果は、俺が3匹に伯符殿…0匹。
なかなか釣れない事に業を煮やしてきたのか彼女が握る竿が震えてきた。
おそらくは…というよりも絶対にイライラしている、断言しても良い。
久しぶりに長閑な雰囲気に心が緩んだのか、小さな欠伸をしてしまう。
それが終わるか否かの刹那、俺に向かって竿が投げ付けられた。
右手で自分の竿を掴み、飛んできた竿を片手で受け止める。
「あ〜!!もうつまんない!!!」
自分で誘っておいて…。
というか釣りなんてモノは、暇な作業なのだが…。
「ねぇ、なんで釣れないの!!?」
「私に聞かれても困ります。どうか魚に聞いて頂きたい」
「ブー!!」
頬を膨らませ、足をバタバタと動かす彼女を横目に、受け取った竿を地面に突き刺して糸を水面へと垂らす。
「ちょっと森に行ってくる」
「…は?」
「だから森に行ってくるって言ってるの!!」
「一人では危険です。私も御一緒します」
「ダメ。和樹は釣りを続行。私の分も釣り上げなさい」
「…それも御命令で?」
「うん♪」
…もう何も言うまい。
それに、俺の護衛についている細作も彼女へつくだろう。
何かあれば連絡がくる。
だが…それでも渋い顔をしてしまうのは仕方ない。
「ダメ?」
「………」
…俺の顔を覗き込み、上目遣いをしないでもらいたい。
「…御心のままに、我が主」
「良かった♪じゃあ行ってくるわね〜♪」
さも楽しげな声音と共に伯符殿が森へと消えて行った。
…彼女と居ると調子が狂いに狂って仕方ない。
ここまで扱い辛い人間と接するのは初めてかもしれん。
アレなら、出会ったばかりの部下連中の方がまだ可愛いげがあるというモノ。
「…居るか?」
虚空へ呼び掛ければ、傍らに細作が現れた。
「何か御用でしょうか?」
「伯符殿にそれとなく護衛をつけてくれ」
「御安心を。既に手の者がついております」
どうやら杞憂であったらしい。
それならばと、地面に突き刺した彼女の竿を細作へ差し出す。
「…えっと…何か?」
「君も釣ってくれ」
「自分がですか!?」
「ここには俺と君だけのようだしな」
「………」
不承不承と細作が竿を握り、それの糸を水面へと垂らした。
「…この任について大分と経ちますが…」
「どうした?」
「…釣りを手伝え、と命じられたのは初めてです」
「安心したまえ、俺もだ」
声音を考えるに…どうやら男の細作とは話が合いそうだ。
しかし…軍服姿で釣りをするのは…些かシュールだと思ってしまう。
もっとも纏っている軍服に誇りも何も感じない身としては、上着とコートを座布団代わりに尻へ敷いているのだが。
「…静かですな」
「あぁ。…落ち着かない」
「…落ち着かない?」
「あぁ」
何気なしに呟くと、スラックスのポケットから煙草とジッポを取り出して火を点ける。
「俺からすれば悲鳴と怒声、銃声と轟音が満ちた戦場が日常。普段が非日常だからな」
「…それほど戦場を渡り歩いたので?」
「あぁ。部隊を率いて、戦場を渡り歩くのが普通だ。何処にも行けない、安住の地もない、行き着くのは戦場だけだった」
揺らめく紫煙の向こうにある浮きを眺めつつの独白。
やはり…気が緩んでいるようだ。
だが…悪い気はしない。
「…未だに寝台でお眠りにならないのも、そのせいでしょうか?」
「おそらくな。緊張と警戒している、というのは建前だ。実際は…どうも寝付けない」
「……どういう意味ですか?」
一際、深く紫煙を吸い込んで肺へ送り込むと、それを盛大に吐き出した。
「平坦すぎる」
「…平坦、ですか?」
「あぁ。寝る時は常に誰かが側に居た。相棒…呂猛であったり部下であったり。寝る場所は木の枝だったり、地べただったり、死体の横だったりした。…そんな経験があると…横になれない、いや横になっても平ら過ぎて寝られなくなる」
「…判るような気がします。自分も似たようなモノですから」
細作が垂らしている浮きに反応があり、それを上げるが、残念ながら餌を食われているだけだった。
「…遅かったか」
苦い口調で彼は餌箱からミミズを抜いて、針へとつけると糸を再び水面へ垂らした。
「自分も細作ですので、任務があれば様々な所で寝ます。そのせいか…寝台では中々…」
「だろうな、同情するよ」
俺の竿にも当たりが。
引き上げれば丸々と肥え、黒褐色の体表をした川魚を釣り上げた。
釣り針を外すと、それを竹で編まれた魚篭の中へと放り込み、餌を新しく針へつけて水面に糸を垂らす。
「…傭兵と細作は似た存在なのかも知れないな」
「というと?」
「例え、死んでも誰にも知らされない…いや、もしかすると生きていた事も記録されないかも知れん」
「…ですね…っと」
当たりがきたようで、彼が糸を上げると針には獲物がかかっていた。
それを俺と同様に魚篭へと放り込んだ。
「これで…5匹ですね。もう1匹、釣りましょう」
「いや。これで良い」
「はっ?」
そう告げると、竿を片付けて、短くなった煙草を携帯灰皿へ放り込む。
「いや…しかし5匹では…」
「俺は少なくて構わんよ」
「…そうですか」
納得がいかないようだが、彼は竿を片付けると、餌箱等の道具も片付けた。
「それでは自分はこれにて…」
「あぁ。…そうだ、ちょっと待ってくれ」
「なにか?」
今までの人生で、ずっと気になっていた事だが……
「魚の数え方って…一匹と一尾、どちらが正しいと思う?」
「……………あ〜どっちでしょう?」
「たっだいま〜♪」
ナイフを持っていなかった為、ひらべったい石を叩き割っただけの簡易なナイフを使って魚の腸を処理し、自生していた笹へ魚を刺し終わった時、伯符殿が帰ってきた。
散歩でもしてきたのかと思いきや、両腕には果実やキノコなどを抱えている。
「どう、釣れた……うわぁ凄いスゴ〜イ!!和樹って釣り上手いんだ」
「いえ…それほどでも。…ところで、それは?」
一匹は細作の彼に手伝って貰っての釣果だ。
曖昧な返事をすると、荷物を抱えている彼女に尋ねる。
「あぁ、これ?果物とか探しに行ってたのよ。魚ばっかりだと飽きるでしょ?」
…こう言ってはなんだが…案外、気が利くらしい。
まぁそうでないと、為政者としてやっていけないのだろうが。
「お手数をお掛けしたようで申し訳ない。直ぐに焼きますので、しばしお待ちを」
ジッポを取り出し、集めた薪の下へ敷いた枯れ葉に火を点けようとする。
「あ、待って待って!!」
「…なにか?」
いきなり制止させられてしまう。
「火を起こすのは私の役割って昔から決めてるの」
そう言うと彼女は近くに生えている草から綿毛を集め、釜戸代わりに並べた石の側へそれを置く。
すると、剣を抜いて、刀身を石に叩き付けた。
衝突音が響き、火花が散ったと思うと、それが綿毛に当たり、火種が完成する。
それに息を吹き掛けて火種を大きくすると、枯れ葉に移し、火を起こした。
「どう?」
「…お見事、としか言いようがありません」
得意顔をする伯符殿を称賛するが……孫家の宝だと耳にした剣を火打ち石代わりにするとは…。
「あ〜!!和樹ってば今“南海覇王を火打ち石の代わりにするなんて”って思ったでしょ?」
「いえ、まさか…」
図星だったが、言葉を濁した。
しかし…そうは問屋が降ろさないようで、視線を反らすと伯符殿に顔を挟み込まれ、無理矢理、顔を向けさせられてしまう。
「私はね、相手の顔色を伺う人間が大嫌いなの」
「…………」
「私は和樹をそんな連中と同じ人間だと思いたくない。だから…正直に言って?」
「…それも“命令”ですか?」
「いいえ。これは個人的な“お願い”よ」
「…………」
「どう?やっぱり、そう思った?」
「………はい」
肯定すると彼女は挟んでいた両手を離し、破顔一笑する。
「アハハハッ♪やっぱり、そう思う?冥琳にも同じこと言われたわ〜」
「…そうですか」
「うんうん♪“伝家の宝剣をそんな事に使うとは何事だ!?”ってね」
舌を出して、笑う彼女を見遣りつつ相槌を打ち、焚火の側へ、串に刺した魚を差して行く。
「それはそうでしょう。…文台様もお嘆きになるのでは?」
これなら塩を持って来るべきだった、と後悔しつつ伯符殿をたしなめる。
「あ〜母様?大丈夫大丈夫、きっと笑って許してくれるわよ♪」
「…そうでしょうか?」
「たぶん、だけどね。正直に言った和樹には…ハイッご褒美♪」
差し出されたのは桃に似た果実。
だが桃にしては…随分と小振りのそれ。
これは……
「李ですか?」
「あ、食べた事ある?」
「いえ。実物を見る事自体、初めてです」
「あら、良かった♪」
しかし…本当に見た目は桃そっくりだ。
だが、桃と李は似ているが実際は種が異なる。
前者がバラ科モモ属であるのに対し、後者はバラ科サクラ属。
中国原産なのは同じなのだが。
「ほら、食べて食べて♪」
「はぁ…」
急かすように彼女が催促する。
小振りな果実をかじれば、和名の元にもなっている桃よりも強い酸味が口に広がる。
「美味しい?」
「甘酸っぱくて美味いですな」
「良かった♪取ってきた私に感謝してよ?」
「多謝」
「うわっ棒読み」
「そんな事は…ッ!?」
「?どうしたの?」
柔らかい果肉を咀嚼していると急に硬い物が歯に当たり、それを噛み砕いてしまった。
「…種があるのを忘れていました」
「…………」
「…………」
「プッ…アハハハッ♪」
「…笑われますな」
「アハハッ♪ごっゴメンゴメン…プフッ♪」
腹を抱えて笑っている彼女を横目に、果肉と一緒に噛み砕いてしまった種子を吐き出して、それを地面に捨てる。
伯符殿は笑い過ぎで涙目になり、果ては息も出来なくなっている有様だ。
「プフッ♪…かっ和樹ってさぁ」
「…なにか?」
「もしかして…案外、うっかりさん?」
「まさか…」
「え〜絶対そうよ」
「そんな事はありません」
「いいえ、絶対そうだわ♪」
「……もうそれで構いません」
「やった、和樹に勝った♪」
何が、勝っただ…全く…。
手の平を額に当て、突如、襲来した頭痛に堪える。
「和樹はうっかりさ〜ん、かぁずきぃはうっかりさ〜ん♪」
おかしな歌を口ずさむ彼女を無視して、串刺しにした魚を満遍なく火へ通す。
「フフッ…。なんか不思議」
「…何がですか?」
答えるのも億劫だが、意味深に俺を見詰めている伯符殿の視線を感じれば返事をするしかない。
「出会った頃は、こんな関係になるなんて思ってもみなかった…」
「出会った頃というと……泗水関でしょうか?」
「そ−そ−。確か…夜中だったわよね?」
「えぇ」
うっすらと月明かりに照らされた彼女を見た時、戦場には本当に戦女神がいるのだと、柄にもなく思ってしまったが…。
実際は、もっと早く会っていたが…双眼鏡のレンズ越しのため勘定には入れない事としよう。
「正直、言うとね…あの時の和樹、すっごく恐かったわよ?」
「……はっ?」
「剣呑っていうかさ…なんていうか…う〜ん…よく判らないけど、とにかく恐かった」
確かに“恐い”等と暗に言われた経験はあるが、ここまではっきりと言われた事は…。
「私に殺気やら闘気やらビシビシぶつけて来たから、そんなに私のこと殺したいのかなぁ、って思ったくらいだし」
「…それは警戒していただけで、それ以外の意味はありません」
「ふ〜ん…。あっ、それ焼けてるわよ」
気付けば、焼いていた魚の殆どがキツネ色になり食べ頃を知らせていた。
一本の串を地面から抜き、それを彼女に手渡す。
「ありがと♪…ハム…ん〜美味しい♪」
焼けた魚を頬張ると子供のような笑顔が零れた。
俺も串焼きを頬張り咀嚼する。
やはり水質や餌が良いせいだろう、よく肥えており食べ応えがある。
「あ〜懐かしいわ〜。昔のまんま。…違うのは、一緒に居るのが和樹って事ね♪」
「…こうするのも久しぶりなので?」
魚の骨を肉と共に噛み砕きつつ尋ねる。
「えぇ。母様が亡くなって家督を継いでから劉表を滅ぼして、それからは袁術の客将に。色々あって、こんな事する暇なんて無かったから」
歴史と食い違う点は、劉表が既に滅びていること。
聞いた話では、孫文台の喪があけぬ内に、彼女は軍を起こして仇討ちとばかりに荊州の劉表を滅ぼした。
もっとも、占領したは良いが豪族達の力が強すぎ、それを抑えられぬまま孫家は袁術の客将となったらしい。
「色々ですか」
「そっ色々。はぁもう…本当に疲れたわ〜。これぐらい頑張ったら感謝のひとつくらいされても良いんだけどな〜」
「私が褒めましょうか?」
「ありがとうって言いたいけど…和樹が、他人を褒めるって…想像できないわよ?」
「…なにをおっしゃるか」
「だってさぁ、黒狼隊の皆を一回でも褒めた事ある?」
「何回もあります」
「本当に?」
「…………」
「ねぇどうなの?」
口ごもってしまい、質問から逃れる為、食い終わった串を燃える焚火の中へ放り込むと新しい串焼きを手に取った。
「褒めた事ある?」
「……一応は何回か」
「ちゃんと?」
「……おそらくは」
「たぶん…“御苦労”とか“宜しい”じゃない?」
「…………」
「それじゃあ、褒めてるんじゃなくて労ってるだけよ?」
「グッ……」
…確かに、そうかもしれん。
言葉に詰まってしまうと、向かいに座っている伯符殿がとてつもなく良い表情で笑っている。
「信賞必罰は上に立つ人間の基本よ、判った?」
「…えぇ、身に染みて」
物分かりの悪い子供を窘めるかのように彼女は人差し指を立てつつ俺に注意をした。
これからは少し…ほんの少しは気を付けるようにしよう。
黙り込んだまま魚を食べ続け、頭や骨も残さず二本目を腹におさめてしまった。
いつの間にやら、残りは一本。
それは彼女の分である為、焚火へ食い終わった串を放り込むと、食後のデザート代わりに煙草を咥えて立ち上がる。
「えっ…もう良いの?」
「はい。最後の一本は伯符殿がどうぞ」
そう言って勧めるが、彼女は渋い顔をする。
「どう考えても和樹には足りないでしょう…」
「充分すぎます」
ジッポを探し出し、フリントホイールを回して火花を散らした瞬間、俺の手からそれが奪われる。
「はい。たばこは後でね」
火を点ける間際、素早く立ち上がったのだろう伯符殿の手の内にはジッポが。
「お返し下さい」
「いや、ムフフ♪」
不敵に微笑んだ彼女は、あろう事かジッポを豊満な胸の谷間に収めてしまった。
…これでは手出しできん。
「ほら、諦めて…ハイッ」
身を屈めた彼女は串焼きを手にし、それを俺に渡そうとするが、首を振る。
「もしかしてお腹一杯?」
「そういう訳ではありませんが…」
「んもぉ〜!…埒があかないわね…ハム」
更なる苦言かと思いきや、彼女は手に持った魚を食べてしまう。
食べ進めるが、それの半分ほどを口に入れた所で串焼きを俺に差し出した。
「…ハイ、半分個よ」
「…是が非でも食わせたい、と?」
「…そういう訳じゃないけど…ダメ?」
だから、上目でこっちを見ないでもらいたい……断れなくなってしまうではないか。
致し方なく、差し出された串を受け取って魚肉を頬張ると、なにやら伯符殿がニヤついている。
「…ン……どうか?」
咀嚼した魚肉を飲み込んでから尋ねると、彼女は更に笑う。
「フッフ〜ン♪これで和樹は私と間接的に…接吻した事になるのね♪」
………ん〜。
「確かに…そうなりますな」
「そ〜そ〜。って…あれ?反応薄くない?」
「…そうですか?」
「……………」
…なにやら伯符殿が絶句している。
相棒や部下と飲み物の回し飲みとかはしょっちゅうの身となっては、気にする事がおかしい。
「……ハァ…予想はしてたけど…ここまでなんて…」
「何かおっしゃいましたか?」
「なんでもない!!」
「?」
まったくもって判らないが…俺は彼女の機嫌を損ねるような事をしたのだろうか?
“小敵の堅なるは、大敵の檎なり”
戦争に際しては次の原則を守らねばならない。
則ち十倍の兵力があるときは敵軍を包囲する。
五倍の兵力があるときはこちらから攻めまくる。
二倍の兵力があれば我が兵を二分して挟み撃ちにして戦い、互角の兵力なれば全力で戦う。
しからざれば(劣った兵力であれば)勝算がないときは戦わずに、之を逃れて退却する。
法則上で言うと、この原則を無視して、自分の弱小にもかかわらず強気一点ばりで戦うと、むざむざ敵の餌食になるだけである。
本当に戦争の基本です。




