26
遂に…あの三人が…!!
口癖やらが何気に難しい…。
将司side
本当に唐突ではあるが、俺は自分に宛がわれた屋敷に診療所を開いた。
この屋敷は周家…あぁ公瑾殿の家系が所有していた物である事を最初に言っておこう。
まぁ…俺のような傭兵がまさかマイホームを持つ事になるとは思いもよらなかったが。
2,500平方mの敷地の中には居住する家と厩舎、そして離れには倉庫につかっていたのだろう小屋がある。
この時代にも病気はある。
俺が知っているモノから、知らないモノまでだ。
後者の大半は風土病ではあったが。
とにかく、その未知なる病気に部隊の誰かが罹ってしまうと非常に厄介な訳だ。
その為、今の内に知識を増やし、経験を積んでいこうと考えたのだが…。
…忙しい、とにかく忙し過ぎる。
倉庫を整理して、器具を運んで診療所にしたのは良い。
そこを開いて診療に当たるのは原則として昼間、それも休暇の日だけなのだが…訪れる病人、怪我人は引っ切りなし。
今も診療室の椅子に座り、窓際に設置した机の上に広げたカルテの項目を埋めている。
「先生…どうでしょうか…?」
この患者は若い男。
今回は病気の類いではなく、ただの怪我である。
…その怪我というのが厄介だ。
傷口を放って置いたら化膿したのだと言うが、それよりも重要な事がある。
その傷は野良犬に噛まれて出来たというのだ。
負傷箇所は右足のふともも。
万が一、狂犬病に感染していたとしたら…というよりも脳からの離れ具合で発病の時期がまちまちになってしまうのだが、それに感染して発病したとしたら…まず助からない。
なにせ狂犬病に発病した場合の死亡率はほぼ100%なのだから。
…発病後に助かったのは…数人だけだと記憶している。
カルテにドイツ語で“経過観察”と書き記し患者へ向き直る。
「取り敢えず、怪我した部分を洗浄して薬を打ちましょう。後は…経過を見ます」
「大丈夫なんですか?」
「えぇ心配なさらず」
安心させるように笑い掛けると患者も釣られて笑顔になる。
…嘘をついても良い仕事に医者は入っているからな。
傷口を生食で洗浄し患部を消毒後、化膿止めを打つ間際、試しに氣を使って身体に澱みが無いか調べてみた。
結果としては…ネガティブ。
感染はしていないようだが…断言は出来ないのが悲しい。
狂犬病とHIVは潜伏期間が長いのが特徴だ。
…やはり経過観察をするしかないか。
包帯を巻き終わると、改めてカルテの“経過観察”の下へ二重のアンダーラインを引いた。
それが終わると薬品棚に近付き、そこから薬草や生薬を調合した痛み止めと消毒薬を取って、患者へ手渡す。
「痛み止めを渡しますので、痛みが酷い時に服用を。あと、これは消毒薬。傷口にかけた後、包帯を巻いて下さい。くれぐれも包帯は清潔な物を」
「何から何までありがとうございます。…それで、お代の方なんですが…」
「…あぁ…。金は如何ほどまで出せますか?」
「あまり……」
「ふむ…。ならば、他の方々と同様に野菜などで。確か…百姓をやっておられましたよね?」
「…えっ…それだけで宜しいので!?」
頷いて肯定すると、患者は何度も礼を言ってくる。
それを止めると、退出を促して出て行って貰った。
後で代金は持ってくるだろう。
呉に関わらず、医者に罹るというのは非常に金が掛かるモノらしい。
福祉制度、医療制度が整っていないのが原因なのだろう。
俺の場合は金が払えない患者に対して要求するのは、それに代わる物。
百姓であれば野菜等、猟師であれば肉等、漁師であれば魚等だ。
まぁ…物々交換が主流の時代だから、さして問題はないのだが。
気付けば、もう夕方。
今日の診療は終わりだな。
器具等を片付けると診療所となった小屋を出て、白衣のポケットから煙草を取り出して火を点けた。
自分で決めておいて何だが、診療所は禁煙。
ヘビースモーカーの人間としては辛いモノがある。
久方ぶりのニコチン摂取を堪能していると、急に門の外が騒がしくなる。
「ばっ…化け物ぉぉぉぉ!!?」
…化け物…?
「だぁれが、向こう三年三ヶ月、毎晩の夢に出てくるほど気味の悪い化け物ですってぇ〜!!?」
…いや、そこまでは言ってないだろう。
…一人はさっきの患者だろうが…気配は全部で四つ。
…いったい何事なのやら。
身体中に警鐘が鳴り響いているが此処は一応、俺の屋敷だ。
門外とはいえ、流石に騒がしいのは勘弁してもらいたい。
門に近付いて、それを軽く開けると…。
そこにいたのは、先程の患者と赤髪を短く纏めた青年、そして…残りの二人は…。
「…………」
言葉を失ってしまった。
だが…無理もないだろう。
マッチョでビキニ着用の見るからに怪しい男二人がいたのだから。
しかも……キモい。
「あっ先生、助けて下さい!!」
「…あ〜取り敢えず、逃げた方が良いかと」
「そっそうですね!!あっ、これ代金です!!」
「確かに頂きました。それと、風邪のような症状が現れたら診療所に来て下さい」
「はい判りました、では失礼します!!!」
藁縄に吊された大根三本を受け取った瞬間、患者が逃げるように…いや、もやはそのままの意味で走り去っていく。
「…少しお尋ねしたいのだが…此処は呂百鬼さんの屋敷で間違いないか?」
「えぇ。ちなみに私が呂百鬼ですが…そちらは?」
「おっと済まない。俺は五斗米道(ゴットヴェイドォォォ!!)の継承者で華佗だ」
「…華佗殿?…本当にあの華佗殿か?」
「どの、かは判らないが、取り敢えず俺は華佗だ」
「…ちなみに字は元化で宜しいか?」
「おぉっ、良く知っているな!!」
…この青年が華佗とは…。
性転換していない…というか若すぎる…って、それは全員が同じか。
華佗とは後漢末期に登場する伝説的名医。
世界で初めて麻酔を使用したり、開腹手術をしたという事で有名だ。
まぁ最期は曹操の怒りをかって拷問の末に死亡するが。
「それで…有名な華佗殿が何故ここに?」
「いや、病人が大勢いると伝え聞いて来たんだが…それよりも早く治療が終わっていたらしくてな。その治療を行った医者に会いに来たって訳さ」
病人……あぁ脚気に罹った民達の事か。
確かに俺が治療した…というよりも食事療法で治った筈だったな。
しかし…華佗が五斗米道に所属していたなんて史実にあったか?
あれは道教集団…祈祷の他にも呪術的な治療を行っていたと記憶しているが。
「それで…その五斗米道の」
「違ぁぁう!!!」
「?」
「五斗米道じゃない、五斗米道(ゴッドヴェイドォォォ!!!)だ」
…なんで、発音が巻き舌になるのやら。
「あぁ…まぁ、その五斗米道(ゴットヴェイドォォォ!!!)の」
「なッ!!?」
なにやらいきなり華佗殿が驚愕すると、彼は俺の手を握った。
「なんという…完璧な発音だ!!まさか…アンタも五斗米道(ゴットヴェイドォォォ!!!)の継承者なのか…!!?」
…瞳をキラキラとさせながら羨望の眼差しで見ないで欲しい。
「ぬぬぬっ…よもや、だぁりんが浮気をするとは…!!」
「仕方ないわよぉん。あの人、かなりの色男なんだものん」
「それを言うでない!!…ワシまで迷ってしまうでないか…」
「あらあらまぁまぁ。恋する漢女は辛いわねぇん」
…なにやら身体中に鳴り響く警鐘に拍車が掛かったぞ。
特に…尻あたりが。
「あ〜…そちらの二人は?」
見たくなくとも視界に入ってしまう生き物(この世のモノか怪しい)はなんなのかを華佗殿に尋ねると、彼は握っていた俺の手を離して居住まいを正した。
「紹介が遅れたな。こっちの二人は俺の連れなんだよ」
「謎の踊り娘 貂蝉ちゃんよぉん♪」
「ワシは貂蝉の師、卑弥呼であ〜る」
……オイオイ…ヘイヘイ…。
“これら”が、あの貂蝉と卑弥呼だと?
性転換は、まだ許せる…しかし…しかしだ…。
これはあんまりなのではなかろうか…。
「いやん♪そんな鷹みたいな鋭い視線で見詰めないでちょうだい♪」
「そうじゃ!!…心変わりしてしまうでは…いやいや!!ワシにはだぁりんが!!!」
…Oh…キモい。
ガチムキマッチョな肉体を悶えさせて、頬を紅潮させているのは…何度も言うがキモい。
「…あ〜立ち話もなんですので…どうぞ…」
道行く人間に目撃され、おかしな噂が広まるのはゴメンだ。
「白湯で申し訳ない。茶を切らしてしまって」
「いや、こっちもいきなり押しかけて悪かった」
閉めたばかりの診療所に三人を通すと、家から白湯の入った湯呑を四人分、持ってきて彼等に手渡した。
貂蝉と卑弥呼は診療時に使う寝台の上に腰掛け、華佗殿は椅子に座っている。
華佗殿と向き合う形で机の前に置かれた椅子に腰掛け、白湯を啜ると湯呑を机に置いた。
「それで、ご用件は?」
「あぁ。この建業に来たのは良かったんだが、俺が治療する前に他の医者に患者が治療されていた、というのはさっき話したよな」
「えぇ。…つまりは仕事を横から掻っ攫うな、と釘を刺しに?」
よくある話だ、と思って尋ねるが、それに彼は笑顔で首を横に振る。
「まさか。患者が助かったのなら良かったさ。それに、アンタの評判も良いみたいだしな」
評判ねぇ…。
無言で白湯を啜り、先を促す。
「俺が往診した患者は皆、アンタに感謝してたぜ」
「ほぉ…初耳だ」
「“名医”というのも聞いたよ」
「人の噂など、その程度のモノ。誰かが良い評価を下せば、釣られて全員がそう考える」
「謙遜しないでくれ。…ところで、さっきの患者に“風邪のような症状が出たら診療所へ”と言ってたが…どういう事だ?」
白湯を飲み終わり、それが入っていた湯呑みを机に置くと彼に向き直る。
「…何故、聞きたいので?」
「決まっている!!一人でも多くの患者を救う為さ!!」
「…その報酬である米を五斗もらう為、ではないのですか?」
五斗米道という組織は信者から五斗(約10リットル)の米を献上させる。
献上、というよりは巻き上げるが正しいかもだが。
「いや、俺はそんな物に興味はない。ただ一心に患者を救いたいだけだ」
…漆黒の服装を好み、患者へ法外な報酬を要求する天才的無免許医師と真逆の考え方だな。
………まぁ良い。
「あの患者は野良犬に噛まれたそうだ」
「野良犬?…それじゃ外傷を負ったのか」
「えぇ。そのうち治るだろうと放って置いたら傷口が化膿。今日は、その治療に」
「処置はどのようにやったんだ?」
「…傷口を洗って、化膿止めを打ち、包帯を巻いた。あと処方に痛み止めと消毒薬を」
「痛み止め、というと…まさかアンタも麻沸散を!!?」
麻沸散…華佗が開発したとされる麻酔薬の事だったな。
「いや、華佗殿が作られた麻沸散とは違う代物。ですが…まぁ、痛みを軽減するのは同じですね」
「凄い…!!まさか俺と同じ技術を持っている奴がいるなんて…!!」
…いちいち暑苦しいな…。
「…話を戻しましょう。外傷については…まぁ問題なし。包帯を変える度に消毒を続ければ、そのうち完治する」
「…消毒というと…酒か何かを使っているのか?」
「いや、それとは少し違いますが」
というか、この時代にも消毒という考え方があったとは…。
「なるほど。確かに外傷については問題ないな。じゃあ、なんで関係のない“風邪のような症状”と言ったんだ?」
「…狂犬病の疑いがある」
「…きょうけんびょう?」
「…犬にでも関係するのかしらん?」
…おぉ!!二人の存在を忘れていた。
「狂犬病、別名を狂水病という。これは犬だけでなく、あらゆる動物にウィルス…細菌…とにかく肉眼視できない生命体が潜んでいる。
感染する理由は噛まれたりした際に傷口などから体内に侵入する。
前駆期には風邪に似た症状のほか、咬傷部位にかゆみ、熱感などがみられ、急性期には不安感、恐水症状、恐風症、興奮性、麻痺、精神錯乱などの神経症状が現れ、また、腱反射、瞳孔反射の亢進もみられる。その二日から七日後には脳神経や全身の筋肉が麻痺を起こして、昏睡期に至り、呼吸障害によって…死亡」
一息に言い切ると、呼吸を整えた。
…まったく、自分で説明しておいてなんだが、恐ろしい病気だ。
「…なんて恐ろしい病魔なんだ…!!それで…治療法はあるのか!?それだけの知識を持ってるアンタなら知ってるだろう!!?」
知識…か。
溜息を吐き出すと華佗殿に向き直る。
「残念ながら…」
「まさか…知らないのか!!?」
「いえ違います。その治療法が確立されていないんですよ」
「じゃあ…発病したらどうなるんだ!?」
「…狂犬病に感染し、発病した患者は…ほぼ間違いなく死に致ります」
それを聞いた瞬間、彼は己の膝を拳で殴り付けた。
「クソッ…!!せっかく…新たな病魔に対抗する手段が見付かると思ったのに…!!」
…やっぱり暑苦しいな。
「ん…ちょっと待ってくれ」
「?」
「それじゃアンタはなんで、あの患者に診療所へ来いと?」
…………。
「治療法がないんだろ?それなのに…」
「嘘を突き通すため、ですよ」
「なっ!!?」
「華佗殿も医者なら判るでしょう。患者に嘘をついても安心させる。それも仕事のひとつだと」
「それはそうだが…。しかし、それとこれとは」
「違いますか?」
「クッ……!!」
「貴方は清廉な医者だと思う。だから患者に嘘をつくのを良しとせず、ありのままを告知する。…それも医者という生き物の一種でしょう」
俺を見詰めている彼を見返すと息を整えた。
「だが…私は医者である前に傭兵。戦場における鉄則は助けられる者を優先し、そうでない者は切り捨てる。…正確には戦える者から治療しますが」
「その理屈だと、命には差があると言っているようなものだ!!それは断じて違う、命は常に公平だ!!」
「それは理想論。現実とは程遠い。例えるなら、死んだ方が世の中の為、という奴らが掃いて捨てるほどいるのと同じこと」
「それこそ間違いだ!!死んだ方が良いなんて…あってはならない!!!」
「華佗ちゃん、落ち着いて」
「百鬼とやらも、その辺にしてくれ」
突然、貂蝉達に待ったを掛けられた。
それを聞いて互いに口を閉ざす。
「…済まない。…アンタの言っている事は正しいかもしれない。…だが…」
「承知してます。私の考えは世間一般の目線でみれば…異端ですので」
「…ところで、あの患者なんだが…」
「なにか?」
「感染しているのか?」
「…氣を使って調べた限りでは、感染はしていないようです。ただ、希望的観測が嫌いな為、しばらくは経過観察を」
「氣を…。やはり、アンタも使えるのか」
「お判りになるので?」
「あぁ。身体中から溢れ出てるからな」
…確かに俺の眼にも華佗殿…いや、寝台に腰掛けている二人の身体からも溢れ出る強大なパワーが見える。
「俺は氣を使って鍼治療をやってるんだ。もちろん外傷の処置は違うけどな」
鍼治療か…。
仮にも東洋人のくせに一度も経験した事のない俺にとっては未知の物だ。
…今度、書店に行って文献でも漁ってくるか。
「すっかり話し込んでしまったな。押しかけて来た上に長く邪魔して悪かった」
「いえ、お気になさらず。…久しぶりに有意義な討論が出来た」
「それはこっちも同じさ。…アンタと俺とは物事の捉え方こそ違うが…互いの技術を高めあえる仲になれればと思うよ」
彼等を見送るために門まで連れていくと俺と華佗殿は言葉を交わした。
「人同士が同じ考えを持っているのは面白くないでしょう。万人の物事の捉え方が違うからこそ世の中は面白い」
「はははっ、全くだ。…なぁ良ければ真名を教えてくれないか?俺のは五斗米道の決まりで教えられないんだが…」
「…では、改めて名乗りましょう。姓は呂、名は猛、字を百鬼、そして真名は将司」
「…将を司る者、という意味か。良い真名だな」
…俺の本名にそんな由来があるのだろうか?
まぁ両親に会った事がない身としては知るよしもないが。
「じゃあ改めて宜しく頼む、将司!!」
「いえ、こちらこそ」
「はははっ、敬語なんか使わなくて良いよ。どうみても俺より年上みたいだからな」
「…そりゃ良かった。どうも堅苦しいのは苦手でね」
言葉遣いを砕けたモノにすると華佗が破顔一笑する。
「男同士の友情って美しいモノねぇん…惚れ惚れしちゃうわん♪」
「だぁりんも百鬼も素晴らしい医者であり、互いの考え方は違えども、それを受け入れる器の大きさ!!我等、漢女でなくとも惚れてしまうわい!!」
……出来るならば、この二人…もはや“人”と数えて良いのかとも考えるが、とにかく存在を忘れておきたかった。
「それじゃあ、俺達は出発する事にしよう」
「そうねん。呂猛ちゃん待たねぇん♪」
「邪魔したな。では、の。…待ってくれ、だぁぁぁりぃぃぃん!!!」
人外の生き物の片割れが猛然と先行する二人を追い掛けて去って行った。
…なんとも台風みたいな奴らだったな。
「…さて…」
時間も時間だ。
愛馬である鋼堅に餌をやって、厩舎を掃除したら…ドラム缶風呂に入って、飯食って…あとは…寝よう。
「…貂蝉よ」
「なにかしらん?」
「あの者…どうみる?」
「…この外史に紛れ込んだイレギュラーの存在の一人だけど、ご主人様に真っ向から対立する気配は感じなかったわん」
「…ついでに言えば…この外史を壊そうという気配も無かったな」
「そうねん。しばらくは様子見って所かしらん」
「そうじゃな。…それにしても…良い男であった…」
「あらん?まさか…華佗ちゃんから鞍替えでも?」
「ばっ馬鹿を言うでない!!ワシのような純情漢女にそんな真似が−−」
「……二人ともどうしたんだ?」
「なんでもないわよん」
「そうじゃ、だぁりん!!…ところで、だぁりんよ。次は何処へ?」
「そうだな……次は−−−」