18
遅くなりました。
重さの単位ですが、後漢の単位が見付からなかったので、現代中国の一斤としました。
「なぁ頼むよ」
「申し訳ありませんが…」
「いや…そこをなんとか」
「無理です」
「…………」
取り付く島もない、とは良く言ったモノだ。
体の良い歓迎を受けた俺と相棒は応接間に通されている。
上半身裸で。
しかも、この応接間は湿っぽく薄暗い。
いわゆる、牢屋という奴だ。
木で組まれた格子の外にいる看守役の兵士に相棒が喫煙道具一式をねだったのだが…当然ながら却下されている。
「…んじゃ、話に付き合ってくれ。暇で暇で仕方ねぇんだ」
「…それならば構いませんが」
それは良いのか。
相棒が格子越しに看守と世間話を始めるのを横目に見ながら、俺は溜息を零す。
孫策は『なにもしない』と言っていたが…この扱いはなんなのだろう。
これでは囚人だ。
これまで捕虜の類いの境遇に堕ちた経験は無いが…あまり良い気持ちがするモノではない。
まぁ、かつては敵だったのだから扱いとしては当然ではある。
…華雄と部下達は大丈夫だろうか。
彼女は別の牢に入っていると思うが野郎共はどうだろう…。
万が一の時に備え、集結地点は指定してあるのだが…まさか俺達の奪還を計画しているなんて事は……それは無いか。
「こっちは30名で敵軍…というより民兵の数は、しめて約700名。そいつらを相手に砂漠のド真ん中で戦った事があるんだよ」
「なんと!?」
「30対700!?それでどうなったのですか!!」
「慌てんなって。向こうは民兵だが数が多い。なら、どうすれば良いと思う?」
気が付けば、相棒の話に周りにいた看守全員が聴き入っていた。
…世間話の枠は越えてしまっているが。
「それほどの兵力差があると…討って出る事は出来ませんな…」
「なら…篭城しか…」
「そう。…まぁ、篭城っていうより持久戦だな。砂漠ってのは昼夜の温度差が激しい場所だ。いやぁ…あの時は参ったぜ。昼は茹だるような暑さ、夜は極寒。終いには水も底を尽きかけて焦った焦った」
さも愉快そうに話す相棒だが…俺もあの時は焦ったな。
「水が尽きてしまったら…死ぬしかないのでは?」
「まぁそうだな。だが考えてもみろ。向こうも砂漠の環境は知ってるんだから多めに水は持ってきてるんだ。水が尽きかけたら、奴らを何人か殺して水筒を奪ったし、それが出来なかった時は……思い出したくねぇな」
「…なっなにをしたんですか?」
舌打ちをした相棒を疑問に思ったのか兵士が恐る恐る尋ねてくる。
…俺もそれで思い出した。
「自分の小便を飲んだ」
『!!?』
看守達が息を飲んだ。
「しっ小便を!?」
「飲んだのですか!?」
「驚く事か?人間、死にたくないなら何だってするぞ。…極論だけどよ、飢餓状態に陥ったら死体だって食ってやる」
『…………』
自分が人間の死体を食うのを想像したのか看守達が顔を真っ青にする。
俺も、あの時は小便を飲んだな。
何度も循環させるモノだから、次第に小便がドロドロになり臭いもキツくなる。
おそらく血液の循環にも異常をきたしていただろうな。
…思い出しただけで気持ち悪くなってきた。
「…他に聞きたい事はあるか?」
「いえ…もう満足です」
「というより…凄い経験ですね」
「伊達に修羅場はくぐっていないからな。なぁ相棒?」
「んっ…あぁそうかもな」
「いったい…何回、戦場に立ったのですか?」
看守の一人に問われた。
「えぇっと…和樹、何回だっけ?」
「…数えた事がないな」
本格的に傭兵活動を始めて5年程になるが、大中小さまざまな紛争に参戦した為に数が曖昧になってしまっている。
まぁ…色々とやったな…。
空挺降下、激戦地である最前線投入、銃剣突撃からの白兵戦、…あぁ狙撃されかけた事もあったな。
…爆風のお陰で助かったが。
傭兵なんて仕事に就いていてなんだが……
「「ロクな人生、歩んでねぇや」」
「なにが?」
不意に掛けられた言葉に、その発生原へ視線を向ける。
「こっこれは孫策様!!?」
「黄蓋様も、このような場所へご足労いただくとは!!」
看守達が慌てて臣下の礼を取るが、孫策はそれを片手で制する。
「悪いんだけど、二人を牢から出して貰える?」
「はっ判りました!!」
看守の一人が牢の鍵を解除し、ついで入口を開けると少し耳障りな音が響いた。
「どうぞ」
釈放か、それとも尋問かは知らないが取り敢えず出る事にしよう。
手枷や足枷を嵌められていないので、数刻ぶりに腰を上げ、少し身を屈めると牢から出た。
「着いて来て」
「…判りました」
「了解。…機会があったら、またな」
「…はっ!!」
相棒が看守達にそう言うと彼等は何とも言えない表情で返答をした。
上半身裸のまま彼女達の後を着いて行くと、しばらくして外に出た。
外といっても…何かの施設の敷地内のようだ。
おそらくは…城か。
何人かの兵士が歩哨に立っている上、孫の旗が翻っている。
「それにしても…あれだけの時間で兵共を手なずけるとはのぉ…。人心掌握の術でも心得ておるのか?」
先頭を歩いていた銀髪の女性…兵士に黄蓋と呼ばれていた人物が唐突に尋ねてくる。
これが…黄蓋か。
「なに…ただ少し世間話をしていただけですよ」
「フフッ…まぁ、そういう事にしておこうかの」
妖艶に微笑した黄蓋に苦笑が零れた。
どんな話をしていたのか聞いていたのに敢えて、それを尋ねるとは…悪い人だ。
しかし…護衛が付かないのに疑問が。
むやみに警戒心を抱かせない為か。
それとも、余裕があるのか…。
「それにしても…酷い恰好ね」
「なにぶん強行軍だったので、身なりを整える暇が無かったのですよ。…失礼にあたりますかな?」
「フフッ。その恰好もなかなか様になってるな−、と思っただけ。…ひとつ聞いても良い?」
「どうぞ」
さっきから尋ねられてばかりなので今更だ。
いきなり振り向いた孫策が俺の左腕を指差した。
「それ刺青よね?複雑だけど…見たところ…動物…犬かしら?」
「惜しいですね。正解は狼です」
「…あぁ。だから部隊も黒狼隊って」
「まぁ…そんな所かと」
「ふぅん…。何か意味でもあるの?」
そう尋ねられて返答に困った。
このトライバルタトゥーは傭兵になる為の訓練を始める際に、それまでの自分と決別する為に彫った物だ。
ただ、それだけであって深い意味は無い。
「…あると言えばあるし、無いと言えば無いですね」
「ブーブー。答えになってないじゃない」
「そういう物なので」
「…まぁ良いわ。もう少しで着くから」
何処に誘導されているのか判らないが、屋内で無い事は確かだろう。
二人に導かれるまま歩き続けた末に辿り着いたのは小さな東屋。
「座って」
孫策にそう言われるが、そう簡単に座る訳にはいかない。
周囲におかしな気配が無い事を確認し、二人が先に円卓越しの向こうの席へ腰掛けた後、俺達も宛がわれた椅子に座った。
「お茶でもどう?」
「いや結構」
「同じく」
「…そんなに警戒しないでよ…って無理よね」
「安心せい。孫呉は客人を厚く持て成すのが流儀じゃ。…さっきのは勘定に入れるでないぞ?」
黄蓋の付け足した台詞に苦笑が。
「えぇ判っています。それと…これは我々の性分なので気を悪くされぬよう」
「随分、用心深いのね?」
「そうでなければ、傭兵の世界では生きて行けませんので」
「ふぅん…面倒なのね。誰かある!」
「はっ!!」
孫策があげた声に警備にあたっていた兵士が駆け足で近寄ってくる。
「悪いんだけど、牢から二人の服と装備を持ってきて」
「御意に!!」
兵士が牢へ向かうと孫策は円卓の上にある茶器から器に茶を煎れて俺達に差し出した。
…出された茶に口をつけないのは無礼になるか。
仕方なく、器に口をつけると茶を啜り、舌の上に微量を乗せた。
…おかしな味も、舌の痺れもなし。
何も入っていない、か。
「美味しい?」
「美人に煎れて貰った茶が不味いわけがありますまい」
「あら嬉しい♪」
器を卓に置いて、そう返すと卓上で手を組んだ孫策が微笑った。
個人的にはコーヒー派なのだが…たまには茶も良いな。
「フゥ…。それで用件は?」
一息ついた相棒が器を卓上に置いて二人に問い掛ける。
「策殿」
「判ってるわ、祭」
何やら頷き合っている二人を見ていると、二人分の足音が近付いてくる。
「お待たせしました!!」
「ご苦労様。それじゃあ仕事に戻って良いわよ」
「はっ!!」
おそらくはさっきの警備兵だろう。
黄蓋が近付いて背後の為に見えないが俺達の服と装備一式を受け取ったらしく、孫策の命で兵士は仕事に戻ったようだ。
もうひとつの足音は…軽快…おそらくは女性だろう。
「済まない、遅くなってしまった」
「待ってたわ」
「周瑜よ、待ちくたびれたぞ」
「申し訳ありません。…その二人が?」
「えぇ。さっき城下で見付けてね、ここまで来て貰ったの♪」
正確には連行だろうに。
「そうか…何故、裸なんだ?」
「おぉっ!!忘れていたな。ほれ」
「あぁ…どうも」
黄蓋から服と装備を手渡された。
…武器も全て揃っているな。
「済まぬな。一応、体裁だけでも整えなければならぬのだ」
「お気になさらず。…あぁそうだ」
上着に袖を通した後、ある事を思い出しボタンを留めるのを止めて、ブーツの片方を脱ぐ。
「牢に入れる時は…っと、もっと調べを徹底した方が良いかと」
中敷きの下から柄を外したナイフを取り出して円卓に放り投げた。
「…そうね、忠告に従うわ」
「…それさえあれば、何時でも牢から逃げられた、という事か」
「雪蓮?さっき“来て貰った”と言わなかったかしら?」
「めっ冥琳?」
「牢に入れた、という事は…何かしでかしたのか?」
「そんなんじゃないの!!ただ御礼がしたかったのに二人が拒否したから、ちょっと無理矢理…」
…これが“断金”とまで称された孫策と周瑜の会話か…。
相棒もブーツの中からナイフを円卓に放り出した恰好のまま溜息を吐いている。
「策殿、冥琳も落ち着け。ほれ客人が呆気に取られておるわ」
黄蓋が二人を窘めると彼女達は居住まいを正し、周瑜が椅子に腰掛ける。
「じゃあ改めて。私は孫策、字は伯符よ」
「儂は黄蓋、字を公覆じゃ。以後、見知り置け」
「姓は周、名は瑜、字を公瑾だ」
改めて見ると…美女揃いだな。
部下達が聞いたら泣いて悔しがるだろう。
『俺達も連行されたかった』とな。
しかし…この三人が呉の三大巨頭と言った所か。
「私は韓甲、字を狼牙」
「呂猛、字は百鬼」
改めてボタンを嵌めると礼を取る。
「策殿から話は聞いていたが、若いな」
「歳の老若は戦に関係ない。必要なのは経験と策」
「ふむ…確かに。失言であったの、忘れてくれ」
「いえ、私も失礼を」
「フフッ。あの祭が負けたわね♪」
「策殿。あまり老骨を虐めないでくれぬか?」
「ごめんごめん」
「んんっ!!」
ブーツを穿いて靴紐を結ぶと周瑜が咳ばらいをした。
おそらくは緊張感に欠けている二人に対してだろう。
「伯符、話はしたの?」
「これから」
なんの話だろうか。
まぁ…予想は付くな。
「単刀直入に聞くわ。韓甲に呂猛。孫呉に仕える気は無い?」
やはり、というべきか。
「逆にお尋ねしますが、我々を何故、配下に加えようと?」
「ん〜。気まぐれ、かなぁ?」
顎に指を当てて、思案した結果の返答に脱力した。
これなら邂逅の時に気まぐれを連呼しなければ良かったと後悔してしまう。
「おちょくっておられるのか?」
「まさか。あぁ…でも本気半分冗談半分かなぁ」
…半分は本気なのか。
「…我々のような傭兵集団を臣下に加えるとは、頭を疑います」
「ブーブー。なによそれぇ」
「まぁまぁ策殿。…時に二人とも」
「なにか?」
「甘興覇を知っておるか?」
甘興覇…甘寧の事か。
あの人物を引き合いに出すと言う事は…。
「江賊も傭兵も似たような存在だと?」
「そうじゃ、良く判ったな」
三国志演義で甘寧は錦帆賊という江賊(河賊)を率いて長江一帯を荒らし回っている。
孫堅を戦死させた黄祖の配下にいたが、その後は孫権に仕えた人物だ。
「そういうこと。孫呉は強いわよ?ちょっとやそっとの毒を含んだくらいじゃ倒れないもの♪」
孫策は、さも自慢げに話すと俺達の眼を見詰めた。
「それに…孫家にとっても魅力的だしね」
…魅力的?
「どういう事ですかな?」
「話が見えないのですが…」
突然の発言に困惑してしまう。
「反董卓連合に組していた時ね、劉備に付いている天の御遣いって吹聴してた男の子が言ってたのよ。“あの部隊は天の軍隊”だってね」
それは俺も盗聴していた為に知っているが表情には出さない。
「天の御遣いとやらがなんなのかは知りませんが、何か証拠でも?」
「あるわよ。ねぇ祭?」
「応」
まるで鬼の首を取ったような自信だな。
「お主ら、甘寧を知っていると言っておったの?」
「えぇ。それが?」
「孫呉でも、思春…じゃない甘寧が江賊出身だという事を知っている人間は少ないのよ」
「加えれば…容姿を見る限り、こちらの生まれでは無いな。それなのに興覇が江賊だった事を知っていた…。そして見た事もない服装に武器の類い、そして戦術。…天の御遣いだと断言するには充分だと思うが?」
…墓穴を掘った。
服装や武器をごまかすならば比較的、簡単だったろうが、呉でも少数しか知らない事実を知っていた、となると話は変わってくる。
横目にみれば、相棒が片手で頭を押さえているのが見えた。
「どう?間違ってる?」
なんと答えれば良いだろうか。
…既に分水嶺は過ぎてしまっているな。
名軍師である周瑜の推理は間違っていない所か、120点をやっても良い。
「…まず訂正を。我々は正規軍…天の軍隊などではない」
「我々は傭兵。それをお忘れなく」
「あら、天の御遣いじゃないって否定しないの?」
「…天とやらが何を指すのかは知りませんが、この時代、そしてこの世界の人間で無い事は確か」
「あの男の子もそんな事を言ってたわね。…まぁ貴方達が天の御遣いと似たような存在だと言うなら話は簡単なのよ」
「…簡単、とは?」
「孫呉に仕え、天の御遣いの血統を孫家ないしウチの女の子達の家に入れること」
…随分とまぁ…。
「短絡的な考え、ですな?」
そう言うと孫策が苦笑した。
「まぁ…そうかもねぇ。だけど、民達から見ればそうとも言えないの」
「孫呉は天の御遣いの加護がある、という事を民に知らしめる。という事でしょうか?」
「大筋はそうね」
俺に代わって相棒が答えると孫策は頷く。
…まぁ確かに有効な手段ではあるな。
それが受け入れられるかは別にして。
「…でも、それは主目的ではないの」
「主目的ではない?」
ついさっき、天の御遣いの血を孫呉に組み入れる、と言ったばかりなのだが。
「ホントの所はね…興味があったの」
…興味?
ますます判らなくなってきた。
「袁術の客将となって早数年。…色々と辛酸は舐めて来たわ。孫呉が独立を果たすには−−」
「失礼」
無理矢理、話を中断させ、円卓に放り投げナイフを手に取ると、それを東屋の向こうの木立へ向かって投擲。
相棒もついでに投げ、俺のナイフを追う形で彼のそれも木立へ吸い込まれていった。
「いきなりなにを!?」
孫策達が驚いているが、それに構わず相棒は木立へ駆け出し、そこに入るとしばらくして何かを引きずりながら出てくる。
「どうだ?」
「さぁて。…何処の隠密なのか…」
ナイフが胸に二本刺さった人間の片足を引きずっていた相棒が足を離すと、それは四肢をだらし無く伸ばして地面に倒れる恰好となる。
「お〜、スゲェ。捕らえられても吐けないように声帯が切られてるぜ」
隠密の覆面を剥いだ相棒が感嘆するように呟いた。
かなり徹底した隠密のようである。
「…袁術の所の細作ではないのぉ」
「ならば…曹操あたりが放った者か…」
やはりと言うべきか。
それとも、流石は、と言うのが正しいだろうか。
おそらくは反董卓連合時に話した事があるのだろう。
それだけで自陣営の脅威となると判断したのか。
「相棒、ほらよ」
「んっ」
声を掛けられたと思うと俺に向かってナイフが投げられた。
それを受け止めると、戦闘服のズボンで刃にこびりついた血を拭って、再びそれを円卓に放り投げた。
相棒も同様にすると、二人揃って椅子に腰を下ろす。
「それで…何処まで話しましたっけ?」
「和樹。敬語、敬語」
相棒に言葉遣いを注意されてしまった。
それを見た眼前の三人の顔が綻ぶ。
「えっと…そうそう、袁術ちゃんからの独立の話だったわよ…ね?」
「そうだな」
「それを我々に話して大丈夫なので?その話を土産に袁術の所へ仕官するかもしれませんが」
「なら、わざわざ言う阿呆は居るまい?」
…はったりも、この人物達には意味をなさないか。
「それで…計画は?」
「あら?乗ってくれるの?」
「…仕官云々は先にして、ですが。私としても孫呉には興味がある」
「右に同じく」
「フフッ…嬉しいわ♪」
「報酬はどうする?周泰からの報告だと…貴様達は傭兵なのだろう?」
「えぇ確かに。…そちらが出せる金額は?」
…あの、子猫ちゃんがおそらくは周泰か…。
おいおい、イメージが根底から覆されたぞ。
…それは全武将がそうか。
報酬の話になり、周瑜が顎に手を遣って思案し始めた。
「…砂金一斤でどうだ?」
「一斤ですか…」
「不満か?」
一斤…中国では600gでその単位になったか。
砂金が一斤。
純度はこの際、無視しよう。
…ふむ。
「いえ、申し分ない」
「では、前金で半分を頂き、残りは作戦が終わった時点で」
「判った。…あとで書き付けを頼みたい」
用意周到というか…流石は周瑜。
「よぉし纏まったの。では…始めるとするか」