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フェン・ライこと本名 潘伯男はベトナム社会主義共和国の首都ハノイ郊外で三人兄弟の末っ子として生まれた。
父親はベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)にベトナム人民陸軍将校として参戦した現役の軍人。
当時まだ存命していた祖父は“新ベトナム人”と呼ばれ、士官学校で教官を勤めた残留日本兵(陸軍少尉)であり、鍛え上げたベトミン達と共に第一次インドシナ戦争を戦ったという。
末っ子として生まれた潘は祖父に良く可愛がられた。
祖父曰く「国に残して来た弟の幼い頃に顔が似ている」という事らしい。
兄弟の中でも特に可愛がられた事もあってか潘自身もおじいちゃんっ子となり、人並みに言葉を話せるようになって来る時分になると二言目には「おじいちゃん(オンノイ)」と呼ぶようになっていた。
元帝国陸軍少尉だったという彼の祖父は左手の人差し指と中指が無かった。
小学校に上がった頃の潘が、それはどうしたのかと聞くと彼の祖父は苦笑しながら、戦争で持っていかれた、と答えた。
ーー別に指が二本なくなったからといって特別困った事はなかったよ。敬礼する時は右手だしねーー
利き手じゃなくて良かったーー祖父が笑いながら言ったのを潘は良く覚えているという。
次いで潘は戦争の事を尋ねた。
戦争で人を殺したのか、恐くなかったのか、等の当然とも言える質問だ。
ーーおじいちゃんが元々は日本人だっていう事は知ってるだろう? おじいちゃんが陸軍士官学校を卒業した頃は戦局が悪くなっていてね。おじいちゃんの同期も色んな戦場に行って戦死したよ。フィリピン、サイパン、硫黄島……うん、色んな場所でね。確かに無謀な戦争だったかもしれない。でも、おじいちゃん達はね……若気の至りとか軍部の陰謀云々って言われればそれまでだけど…あの時は本当に大東亜共栄圏っていう壮大な目標を信じて戦ったんだーー
祖父が箪笥の奥から取り出したのは陸軍将校だった頃に被っていたのだろう帽垂布を付けた戦闘帽だった。
長年の使用で所々が破れ、くたびれてしまったそれを祖父は潘の頭に被せ、続けて言った。
ーー戦争はいけない事だよ。正しい戦争なんてあっちゃいけない。でもね……自分の命を擲ってでも守りたい存在が敵の手に渡る危機が迫っていたら戦わないとならない。それこそ命を賭けてね。…今は分からなくても良い。いつか分かるさ、お前なら必ず分かるよ。だって、おじいちゃんの血が流れてるんだからーー
それから数年後、潘の祖父は亡くなった。
遺体は荼毘に付され、生前の功績が讃えられ遺骨は国立墓地へ埋葬された。
成長した潘は祖父と同じく陸軍少尉となり、特殊部隊にあたる特工隊へ配置となるが、兄二人が軍の高官であり、その優秀さから親兄弟から色々と比較されてしまう。
それに嫌気が差し、彼は唐突に退官を上官へ申し出た。
いきなり過ぎて上官にとっては寝耳に水の事だったという。
退官は出来たモノのこれからどうするべきか、と潘が悩みながら新聞を読んでいると記事には遠くの国で勃発した内戦の様相が文字となって踊っていた。
記事には着の身着のままで逃避行する家族と思しき人達の写真も掲載されていた。
その写真を見て彼は心が痛んだ。自分ではどうしようもできないという喪失感も味わった。
その時だ。彼は直感的に「傭兵や義勇兵となれば、こういう人達を救えるのでは」と思い至ったらしい。
戦う為の技術はある、武器は現地調達。現地へ行くまでの費用はーーと彼の頭は既に戦地へ行く事が決定していた。
必要な荷物や現金にパスポートも取得し旅立つ寸前、彼は国立墓地へ立ち寄った。
迷いなく潘は祖父が眠る墓石の前へ進み出ると何を報告すべきか迷った。
自分には全く関係のない他国の争いに参加すると鬼籍に入った祖父へ報告するのは気がひけたのだ。
口ごもり、ただひたすら時間だけが過ぎて行く。
飛行機のフライトまで時間が無くなって来た頃ーー彼は一言だけ「行ってきます」と告げて踵を返した。
ーー確かに祖父が言った通り戦争は酷いモノだった。
戦争は狂気を呼ぶ。そう教えたのも祖父だった。
戦場の狂気に蝕まれるのを辛うじて拒みながら駆け出しの傭兵稼業をしていた潘の耳に噂が飛び込んで来た。
日本人の傭兵が指揮する傭兵部隊が存在する、という噂だった。
戦場を転々としているらしい、という雲を掴むような噂を頼りに彼は探し回った。
興味が湧いたのだ。
祖父と同じ日本人が指揮を執っているという傭兵部隊に、その指揮官に興味が湧いたのだ。
そして彼等と出会ったのは中東での小規模な紛争地だった。
総員が40名にも満たない傭兵部隊。
その指揮官だという男と顔を合わせた瞬間ーー彼の身体に衝撃が走った。
圧倒的なまでの存在感、自身を射抜くかのように細められた鋭い双眸。
この人は兵士を導く為に生まれたーーと想像してしまうほどの衝撃に彼は襲われたのだ。
開口一番、黒い短髪の指揮官は「名前は?」と問い掛けて来た。
傭兵は本名を名乗らず偽名で通すのが慣わしだ。
なんと名乗ろうかと彼は逡巡したが、ややあってこう答えた。
ーーフェン・ライ。ライはベトナム語で混血を意味する。お会いできて光栄だーー
ーーポタポタと血が塹壕の底へ流れ落ちる。
血が抜け落ちる度に身体の力が抜け、視界が霞んで来るのを感じつつも少尉は激戦の最中に破損して破棄した小銃の代わりにサーベルの切っ先を取り囲む敵兵に向ける。
既に残存した40名の兵士達は悉く戦場に散華した。
絶え間なく聞こえる銃声は後方の塹壕からのモノだ。
「ーーは……はは……ははは」
刀槍で斬られ、立っていられるのが不思議なほど満身創痍となった身体。
口の端から血を流しながら不気味に笑う少尉の姿に敵兵達が怯む。
50と何名かは殺した。せめてあと少しは殺して地獄への道連れにしてやろう、と笑いながら少尉は思い付き、空いている左手を動かしてホルスターに収まっている拳銃を抜こうとした。
だが意思に反して左手は動かなかった。
「ーーー?」
不思議に思い、チラリと左手を見てみればーー気付かなかったのか戦闘の最中に深く斬られ骨が剥き出しになった二の腕が彼の視界に入った。
神経と筋をやられたな、と何処か他人事のように彼は感じてしまう。
そういえば祖父も左手を戦傷していたな、と彼は思い出した。
もはやこれまで、と察し、少尉は手にしたサーベルを塹壕の底へ落とす。
カランと乾いた音を鳴らしてサーベルが転がった瞬間、四方から敵兵の槍や剣が彼の身体中に突き刺さった。
衝撃でゴフリと口の中から血が溢れ出す。
滴る血が襟元を汚す中、少尉は最後の力を振り絞って携帯無線機のチャンネルを開き、有らん限りの声を絞り出して絶叫した。
「ーー撃ってくれ!!俺ごと敵を吹き飛ばせぇぇぇ!!」
ーー火力支援を要請した瞬間、後方から三発の砲声が聞こえた。
戦車3輌の125mm滑腔砲による砲撃だ。
次々に弾着する榴弾が爆風と弾頭の破片を撒き散らして塹壕の周りに群がる五胡兵を吹き飛ばす。
更に上空からシャッシャッと短くも鋭い風切り音がしたかと思うと迫撃砲弾が弾着していく。
最後の最後に役に立てた、と少尉は満足気に微笑むと四方から串刺しにされ上手く動かなくなった首を巡らし、後方に健在の指揮所へ視線を送った。
「ーーHen gap lai(また会いましょう)…隊長…皆…」
祖国の言葉を呟き、目を閉じるーー瞬間、彼の周囲に砲弾の雨が降り注いだ。
「ーー撃ち方止めっ!!撃ち方止めっ!!!」
〈ーー撃ち方止めっ!!〉
〈ーー撃ち方止めっ!!〉
砲撃が止み、砲声と弾着の轟音の余韻が響く。
和樹と将司が第一塹壕へ視線を向けると、そこには構築した塹壕はなく弾着の衝撃で窪んだいくつものクレーターが存在していた。
その先に目と鼻の先で部隊が砲撃で吹き飛ばされた様を見た五胡の軍勢が混乱で浮き足立っている姿があった。
それを見た瞬間、和樹は怒鳴っていた。
「敵に奪われた第一塹壕を奪還する!!第一、第三中隊は残敵掃討しつつ突撃!!第四、第五中隊は援護射撃!!味方に当てるな!!戦車と砲兵は火力支援、新たな敵の侵入を阻止せよ!!」
〈第一中隊、了解!!総員着剣!突撃用意!!〉
〈第三中隊も了解!!第一中隊と呼応して突撃する!!〉
〈戦車隊、了解!ただちに砲撃開始!!〉
〈砲兵、了解しました!!〉
各隊から了解の旨が告げられてから間をおかず、戦車と砲兵小隊の迫撃砲が砲弾を阻止線付近の敵軍へ向けて撃ち出した。
次いで着剣を済ませた二個中隊が各中隊長を先頭に第二塹壕から飛び出し、第一塹壕へ向け雄叫びを上げて突撃を開始する。
「死に体となった第一塹壕と中隊を餌に敵を引き付け、敵が程よく集まった所に砲撃を加える。…ぶっちゃけ戦術の外道中の外道だな…けど…打てる手が少なかったのも事実だ」
鉄帽を深く被った将司が誰に言うでもなく呟く。
「良くやった潘……良く務めを果たした…」
残敵を掃討し、窪地だらけと化した第一塹壕を奪還した二個中隊が反撃の為、敵へ向けて射撃を始めた時、和樹はそう呟いた。