第5話
展開された赤い魔法陣から、部屋の空気を凍てつかせるほどの濃密な殺気が噴き出した。
先程まで俺の腕にしがみついていたユエルの空気が、一瞬で鋭く張り詰める。
「アルト、下がって!」
甘えた声は完全に消え失せ、剣聖としての本能が露わになった鋭い横顔。見えない刃を構えるように腰を落とすその姿は、歴戦の戦士そのものだった。
反対側の腕を絡めていたサクリアも、冷酷な光を瞳に宿して立ち上がる。
「私の食卓を荒らそうなどと。身の程を弁えぬ下等生物が」
室内の温度が急激に下がり、元魔王の絶対的な威圧感がビリビリと空気を震わせる。
二人とも、殺気立った気迫が凄まじい。
『でも、この魔法陣、なんかブーンって羽音みたいな嫌な音がしてうるさいんだよな』
ハエか何かが出そうな不快な振動音。せっかくの食後のデザートの時間が台無しだ。
俺は二人が身構えている隙間からひょいと手を伸ばし、魔法陣の中心に向かって軽く中指を弾いた。
パチンッ。
乾いた音が響いた直後。
這い出ようとしていた巨大な漆黒の腕ごとおぞましい空間の亀裂が、ガラス細工のようにあっけなく粉砕された。砕け散った赤い光の粒子が、雪のようにダイニングへ降り注ぐ。
「…………え?」
シンと静まり返った室内で、虚空を掴んだままユエルが間の抜けた声を漏らした。
張り詰めていた剣気は霧散し、彼女はへなへなとその場に座り込む。そして、ポツリと悔しそうに唇を噛んだ。
「……いつも、そう。私が剣を抜く前に、全部終わらせちゃう。たまには私に守らせてよ、馬鹿アルト」
うつむいた横顔は、いつもの元気な振る舞いからは想像もつかないほど脆く見える。その声は微かに震えていた。
サクリアも呆れたように長い息を吐き出すと、スッと目を細めて俺の頬を両手で挟み込み、少し強めにむにっと引っ張った。
「ええ。本当に腹立たしいわ。妻として、あなたに格好いいところを見せようと思ったのに。これでは私の立つ瀬がないじゃない」
いつもの余裕めいた態度は崩れ、そこにあるのはただ「夫を守れなくて拗ねている」という、年相応の可愛らしい不満だった。
「もう! アルト、指先を擦りむいてない!? バイ菌が入ったら大変よ、大天使の息吹!」
ただ一人、ミサリアだけが血相を変えて飛んできた。俺の指先を両手で包み込み、神殿の最高司祭すら一生に一度しか使えないような最上位回復魔法を、ただの無傷の指先に全力でかけ始めている。いや、デコピンしただけだから怪我なんてしていないって。
呆気にとられる俺たちをよそに、先程砕け散ったはずの通信水晶の破片が、チカチカと不吉な青い光を放ち始めた。
ノイズまじりのホログラムとして空中に投影されたのは、顔面を蒼白にしたタチアナ騎士団長の姿だった。
『た、大変だアルト! 王都の上空に、突如として上半身がへし折れた神話級の魔人が墜落してきて——』




