第2話
「じゃあ、先にお風呂をもらおうかな。スライムの体液でちょっとベタベタするし」
俺がそう答えると、サクリアは満足げに微笑んで俺の腕にすっと絡みついてきた。
「ええっ、ずるい!サクリアばっかり!」
ユエルが頬を膨らませて抗議の声を上げる。しかしサクリアは流し目一つでそれを軽くあしらった。言葉を発するまでもなく、彼女の周囲だけふっと温度が下がったような、肌を刺す静かな重圧が漂う。歴戦の剣聖であるはずのユエルが、思わず一歩後ずさった。
「あら。泥まみれの恋人を抱きしめたいのなら止めないけれど?私は妻として、夫の疲れを癒やす義務があるのよ」
「うぅ……じゃあ上がったらすぐ交代だからね!絶対だよ!」
「はいはい、ご飯が冷めないうちに上がってきてね。二人とも」
ミサリアののんびりした声に見送られながら、俺とサクリアは浴室へと向かった。
ギルドハウスの浴室は、下手な貴族の屋敷よりもずっと広い。
たっぷり張られた湯に浸かって息を吐き出すと、背後からかすかな水音が近づいてきた。
湯気越しに見るサクリアの姿は、同性のミサリアたちでさえ見惚れるほどに完成された美しさだ。濡れた黒髪が真っ白な肌に張り付き、湯の熱気とは違う妖艶な色香を放っている。
「ふふ、そんなに見つめられると照れてしまうわ。さあ、背中を向けて」
言われるがままに背を向けると、柔らかいスポンジの感触とともに、サクリアの豊かなふくらみが背中に押し当てられた。
『ちょ、ちょっと刺激が強すぎるな』
背中から伝わる柔らかな弾力と熱に、心臓が早鐘のように跳ねる。俺は必死に前を向いたまま、平静を装うのに必死だった。
サクリアの細い指先が、俺の肩甲骨のあたりを滑るように撫でる。ふと、彼女の手がピタリと止まった。
「……やはり、ただの泥汚れではないわね。アルトの肌に、微弱だけれど強烈な瘴気がこびりついているわ。神話級ドラゴンの呪い……かつての私でさえ、素手で触れれば火傷を負いかねない代物よ」
サクリアの声に、隠しきれない緊張が混じる。
「大げさだなあ。ただのしつこい泥汚れだよ?さっき裏庭で拾った薬草を入浴剤代わりに浮かべたから、それで綺麗に落ちると思うんだけど」
俺は湯船に浮かぶ、そこら辺に生えていた葉っぱを指差した。ちょっとスーッとした香りがして気持ちいいのだ。
サクリアは目を丸くして、その葉っぱと、俺が浸かっている湯を交互に見比べた。そして、信じられないものを見るように小さく息を呑む。
「アルト……あなた、これ……世界樹の若葉じゃないの。しかも、あなたの魔力が溶け込んで、ただの湯が国宝級の『神聖霊泉』に……」
言葉の途中で、サクリアは小さくため息をついた。
彼女が警戒していたドラゴンの呪いなど、この規格外の湯気の前では一瞬で浄化され、跡形もなく消え去っていたらしい。
「本当に……私の夫は、常識すら軽く超えていくのね」
呆れたような、それでいて熱を帯びた声とともに、サクリアの腕が俺の首元へと回される。
柔らかな感触がさらに密着し、耳元で甘い吐息が囁かれた。
「こんな無防備なあなたを見ていると、妻として……独り占めしたくなってしまうわ」
背中越しでもわかる熱っぽい視線。サクリアの顔が近づき、甘い香りが鼻腔をくすぐる。
『このままじゃ、いろんな意味でのぼせてしまう!』
限界を迎えた俺が何か言いかけた、その瞬間。
ばぁんっ!
分厚いオーク材のドアが、蝶番ごと弾け飛んだ。
「アルトおおお!もう我慢できない!私も一緒に入るー!」
湯気の中を突っ切ってきたのは、バスタオル一枚という無防備すぎる姿のユエルだった。目をらんらんと輝かせ、一直線に湯船へとダイブしてくる。
「ちょっとユエル!ドアを壊さないでよ!」
廊下の奥からミサリアの悲痛な叫びが聞こえた。
「あら、無作法な乱入者ね。せっかくいいところだったのに」
サクリアは困ったように微笑みながらも、俺を抱きしめる腕の力を微塵も緩めようとしない。
やれやれ。
ドラゴンの呪いよりも、この修羅場を生き抜く方がよっぽど難易度が高い気がする。
ただの村人Aの平穏なスローライフは、今日も遠い。




