第1話
ギルドハウスの重厚な扉を押し開けると、ふわりと温かいシチューの匂いが鼻をくすぐった。
同時に、弾かれたような足音が廊下の奥から猛スピードで近づいてくる。
「アルトおおおおっ!おかえりなさいっ!」
声の主が飛びついてくるのと、俺が防御姿勢をとるのはほぼ同時だった。
どんっ、という鈍い衝撃とともに、自称メインヒロインにして剣聖のユエルが胸に飛び込んでくる。首に腕を回し、嬉しそうに頬をすり寄せてくる勢いは相変わらずだ。
「ただいま。ユエル、ちょっと苦しいって」
「えへへ、だってアルトが帰ってくるのずっと待ってたんだもん!今日の依頼はどうだった?」
きらきらと目を輝かせるユエルを引き剥がしつつ、俺は小さく息を吐いた。
「Eランクのスライム討伐だよ。でも最近のスライムは異常だな。やたらデカいし、硬い鱗まで生えてたし」
『あんなの初級魔法のデコピンで弾き飛ばさなきゃ、村の畑が荒らされてたところだ』
ただの村人Aである俺にとって、農作物の危機は死活問題である。
「う、鱗が生えたスライム……?」
ユエルが首を傾げたその時、ぱたぱたとスリッパの音を立ててエプロン姿のミサリアが顔を出した。
「アルト、おかえりなさい。怪我はない?手料理のエリクサーシチューがちょうど出来上がったところよ」
「姉さん、ありがとう。でもエリクサーって薬草の名前じゃないの?まあ、すごくいい匂いだけど」
相変わらず世話焼きで少しドジな姉は、お玉を持ったままふわりと微笑む。彼女……いや、ミサリアの手料理を食べると、どんな疲労も一瞬で吹き飛ぶから不思議だ。ただの家庭料理のはずなのに、たまに光り輝いている気がするのは俺の気のせいだろうか。
「あら、ずいぶんと騒がしいと思ったら。私の愛しい夫が帰っていたのね」
廊下の奥から、場を支配するような静かで優雅な足音が響いた。
現れたのは、圧倒的な美貌と威圧感を隠しきれない正妻、サクリアだ。元魔王という物騒な肩書きを持っているが、今は俺の良き妻としてこのギルドハウスを取り仕切っている。
サクリアは俺の前に立つと、スッと細い指を伸ばし、俺の頬に付いていたらしい汚れを拭い取った。
「アルト。あなた、また規格外なことをしてきたわね」
「規格外って、ただスライムをデコピンで追い払っただけだよ」
「ふふっ。その『スライム』の返り血から、神話の時代に封印されたはずの災厄級ドラゴンの魔力を感じるのだけれど」
「え?ドラゴン?いやいや、あんな丸っこくてちょっと羽が生えてただけのスライムが?」
俺が苦笑して手を振ると、サクリアは黒い笑みを深め、ユエルとミサリアも顔を見合わせて引きつった笑いを浮かべた。
「みんな仲良くていいわね。でもアルト、夕食の前にちゃんとお風呂で『ドラゴンの呪い』を洗い流してきなさい。背中、私が流してあげるから」
「わっ!サクリアずるい!私もアルトの背中流す!」
「ちょっと二人とも、先にご飯にしましょうってば。シチューが焦げちゃう!」
◇
やれやれ、ただの村人Aとして平穏なスローライフを送りたいだけなのに、我が家は今日も修羅場らしい。




