ピントの合わない距離
パパラッチと俳優が自己紹介する話です。
「あ、あのー?」
――困ったな。
あんなことを口にしてしまったせいで、目の前の男がピタリと動きを止めてしまった。
夏の名残はまだあるが、風にはもう秋の匂いが混じっている今日この頃。
体を動かさずにじっとベンチに座っているだけでは、たとえそよ風であっても首筋が冷える。
頭上でぽつりぽつりと灯り始める街灯と、遠くから静かに耳に届いてくる噴水の水音に意識を向けながら考える。
「――ともだち、じゃないです。俺たち」
さっきの言葉は、ただ思い出したように湧いた疑問とモヤモヤを率直にぶつけただけだった。
だが、この人にとっては衝撃的だったのかもしれない。
黙りこくってしまった彼の手元にある空箱に、俺はマグカップをちゃっかり戻す。
返事はないが、彼は箱が傾かないよう手に力を込めて支えてくれている。
それでも、ぼんやりと箱を見つめたまま動かない――かなり堪えているらしい。
仕方がないので、俺はただ彼の回復を待ち、走り去っていく車や街路樹を眺めていた。
前回も今回も、たしかにカメラは持っていなかった。だが、普段の俺は違う。
何かあればすぐシャッターを切る男だ。
まだまだひよっこのパパラッチだが、これでも3年、いや4年近く、レンズ越しに彼らの隙を狙ってきた。
今さら友達なんて薄っぺらい関係で、食いっぱぐれるわけにはいかない――そう、改めて思う。
「少なくとも、また職を見つけるまでは、友達なんかになれねぇよ…」
乾いた空気のせいか、唇がひりひりする。
時間がたつにつれ、退屈が欠伸になってこぼれそうになる。
――しかし、いつまで放心しているつもりだ、この変わり者は。
そろそろ我慢の限界がきて、眉間に皺を寄せながら声をかける。
「あの、いい加減……」
「友達じゃないって……」
驚いた。まだマグカップの箱を見つめているのかと思いきや、いつの間にか顔を上げていたらしい。
不意に目が合ってしまう。
相変わらず迷子の子犬みたいな、どこか頼りない表情だ。
それにしても、人の言葉に被せてくるのがお好きなようだな。――その癖、いい加減やめてほしい。
「……なんで?」
俺の苛立ちをよそに、彼は首をかしげて小さな声でぼそぼそと問いかけてくる。
(あ?なんでと聞かれましても…)
「えーと、俺の仕事覚えてます?」
「カメラマン…」
「そうです。でももっと詳しく言えば?」
「パパラッチ?」
正解。これはもういい機会だ。改めてちゃんと伝えておこう。
今度こそ、情に流されないように。
――なんかもう、振り回されてばっかで疲れてきたしな。
「パパラッチの仕事は、あなた達のプライベートをしつこく追いかけて、不利益になりそうな姿を撮って稼ぐこと。知ってますよね?」
「……うん」
「じゃあ、なんで友達になろうとしたんです?俺の戦意を削ぐため?今、俺はあなたの掌の上で踊らされてる?」
「……」
その沈黙は、肯定と受け取っていいものか。
「まあ、別に構いません。どちらにせよ、俺はもうあなたを追うのをやめます。
正直、手に負えないって分かりましたし。……おめでとうございます、計画通――」
「友達になりたいのは嘘じゃない!」
……へえ?って、だから遮るのやめろって。
話ブレるから今は言わねえけどさ、いつか絶対言ってやるからな。
「そうですか。嘘でも構いませんけど。それで?
俺みたいな“弱みを探す職業”の人間を、本当に“友達”って言えるんですか」
「二回も遊んで無害なら、友達でいいんじゃない?」
「本当に無害と言えます?“お互い”の本名すら知らないのに」
「……え、あれ?僕名乗ってなかったっけ?それに連絡先交換したから分かるはずじゃ…」
「俺は仕事柄、ダミーの番号と名前くらい持ってます」
「…………じゃあ、本当の名前教えてよ」
「馬鹿正直に教えるわけないでしょう」
「……」
ぐうっ。
おい、本当にやめてくれよ。
素人には、あんたの演技も素も見分けがつかないんだ。
そのしょげ方、弟にそっくりで……俺よりおじさんなくせに。ほんと、勘弁してくれ。
……はあああああ。もう。
――少しだけ、少しだけ負けてみてもいいかな。
「はぁ……その顔に弱いんですよ。俺は……エリオットっていいます」
「エリオット……?」
ん、久しぶりに見るなその顔。
綺麗な青い目だよな。目も鼻も整った形でさ、自然光だけで造形の美しさが際立たってる。
パパラッチなんかには勿体ない被写体だとつくづく思う。
「はい、そうです」
「エリオット。うん、覚えた!じゃあ、僕はローワン!」
そんな屈託のない笑みで名乗られると胸が締め付けられる。
さっきは本名を知らないなんて言ったけど、あれは嘘だ。
あんたは本名のまま活動してるんだもんな。……ああ、知らないわけがない。
ちなみに、家も、これから向かう撮影場所も、俺は知っている。
そして――ごめんな。
未だに偽名を使うような、姑息な野郎で。
これでもほんの一瞬だけ、本名を教えようか迷った。
でも、やっぱりだめだった。俺は友達になんかなれない。
そもそも、この人に嘘がない確証も足りない。
それに、きっとあんただって……仕事中の俺を見れば今のように笑えなくなるさ。
だから、恨んでくれて構わない。そう思いながら言葉を返す。
「はい、ローワン。これでやっと――他人ですね」
「うん!他に……ん?いや、なんで距離できたの!?」
「んふふ。さあ?それより、撮影は、これからあったんじゃないんですか?」
残る罪悪感を笑いで誤魔化して、話題を逸らした。
「あ!?今何時?嘘!マネージャーから電話来てない!?……はっ!ひぃぃぃぃ、マナーモードだ!!!!」
さっきまでの静けさが嘘みたいに、彼は慌ててスマホを取り出す。
戻ってきた“いつもの彼”に、少し安心した。
しかし――うるさいな。
ムンクの叫びみたいな顔してないで、さっさと電話しろよ。
長い話をしているうちに、空はすっかり夕焼けに染まっていた。
隣でマネージャーに半泣きで謝っているローワンを横目に、
俺は、笑いながら夕焼けを眺めていた。




