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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

彼女の愛した世界

作者: 入多麗夜

随分前に書いた作品です

 彼女の愛した世界。そこは喜びも悲しみも、すべてが彼女にとってかけがえのないものだった。


 ルルーは、この街を治め導く魔女だった。彼女は長い銀髪を肩に垂らし、青みがかった瞳が青空のように澄んでいた。


 人々に愛され、その力で数多の困難を乗り越えてきた。彼女は魔女でありながらも決して人々を恐れさせることはなく、その笑顔は希望の象徴とされていた。


 お茶会には他の魔女たちも集まり、皆が新しい情報や知識を交換し合いながら、楽しいひとときを過ごしていた。


 「ねぇ、ルルー。聞いてよ!私の隣街の魔女が新しい薬草を見つけたんだけど、それがとても珍しいものらしくて、どんな効果があるのか試してみたいんだって!」


 お茶会の席で、陽気な魔女のマリーナが興奮気味に話した。マリーナは赤毛をふわりと揺らし、笑顔を浮かべながらカップを傾けていた。


 ルルーはその話に微笑みを返す。


 「私も薬草は良く取りに行っているわ。健康に良い物だったら是非教えて貰いたいわね 」


 ルルーは、統治者であれど政治には関わる事もなく、己の城を持つこともなかった。彼女の家は街の高台にあり、窓からは街全体を見渡すことができた。街の賑わい、笑い声、子供たちの走り回る姿——すべてが彼女にとってかけがえのない光景だった。人としてこの街に根差し、人々と共に生きることを喜びとしていた。


 「ルルー、あなたの笑顔を見ると、どんな困難も乗り越えられる気がするわ」


 もう一人の魔女、クラリスがそう言った。クラリスは艶やかな黒髪を後ろで結い上げ、知的な眼差しが特徴的だった。普段は冷静で理性的だが、仲間への愛情は深く、頼れる存在として他の魔女たちにも一目置かれている。


 その言葉に、ルルーははにかむ。


 「そんなことを言ってくれるなんて、嬉しいわ。でも、みんながいるからこそ、私は頑張れるのよ」


 楽しいお茶会の中で、クラリスがふと目を輝かせてルルーに問いかけた。


 「そういえば、ルルー、結婚後の生活はどう? アレクシスさんとは相変わらず仲が良いのかしら?」


 ルルーの頬がほんのり赤く染まり、照れくさそうに笑った。


 「もちろんよ。彼は今も変わらず優しくて頼りになるわ。毎朝、私が起きる前に花を摘んできてくれるの。彼は本当にロマンチストね。」


 その言葉に、周りの魔女たちは!「素敵!」「そんな人がいるなんて羨ましいわ!」と口々に言う。


 「ねぇ、ルルー、そのお花はどうしてそんなに早く摘んでくれるの?朝露がついていて、きれいだから?」


 と、マリーナが興味津々に尋ねた。


 「ええ、それもあるけれど、アレクシスは『朝一番の花は、その日の幸運を運んでくる』って信じているの。だから、毎日私に一輪ずつ届けてくれるのよ。」


 ルルーは、彼が毎朝大切に花を摘んできてくれる姿を思い出しながら、自然と優しい笑みを浮かべた。彼の髪は短く整えられた栗色で、日差しに当たると金色のように輝くことがあった。アレクシスは旅人としてやって来たが、街での生活を始めてからは誰に対しても親しみ深く、優しい性格がすぐに周囲の人々を魅了した。


 クラリスもルルーに尋ねた。


 「ルルー、私もずっと聞きたかったんだけど、アレクシスさんとはどうやって出会ったの?あんな素敵な人と出会えるなんて、きっと特別な話があるんでしょう?」


 ルルーは微笑みながら、一瞬遠くを見るように目を細めた。


 「そうね、特別と言えば特別かもしれないわ。彼と出会ったのは、私がこの街の外れにある森へ薬草を探しに行ったときだったの。」


 「薬草を?どうしてそんなところに?」


 マリーナが興味を引かれて身を乗り出した。


 「満月にしか採れない薬草があると知り合いから聞いてね。それで森の中で熱心に探していたの。不意に足を滑らせて小さな崖から落ちかけたの。まさかと思ったけれど、その瞬間、誰かが私を抱き止めてくれたのよ。」


 ルルーは思い出して顔を少し赤らめた。


 「それがアレクシスだったの。彼は街に来たばかりの旅人で、その日は森の中を散策していたみたいだったのよ。『こんなところで何をしているんだ?』って驚いた顔で尋ねられて、私も急に笑ってしまって…そこから交流が始まったの。」


 クラリスは目を輝かせて話す。


 「まるで運命の出会いね!まさか危険な状況で助けてくれるなんて、まさに王子様みたいじゃない!」


 ルルーは微笑みながら頷いた。


 「本当にね。彼、私が魔女だってことを知らなかったみたい。でもその事を告げても『どんな君でも僕にとって大切だ』って言ってくれたの。」






* * *






 それは何回目かのデートの時だった。森での出会いから数週間が経ち、二人は街の中でしばしば顔を合わせ、自然と一緒に過ごす時間が増えていった。


 ある夕暮れ、ルルーはアレクシスと並んで街外れの丘を歩いていた。夕日が二人の背後から長い影を伸ばし、空は赤く染まっていた。ルルーはずっと心に秘めていたことを伝えるべきか迷っていたが、ついに意を決して言葉を口にした。


 「アレクシス、私…実は魔女なの。」


 ルルーの声はかすかに震えていた。彼女は彼がどんな反応をするのか想像もつかず、不安があった。


 嫌われるかもしれない。

 拒絶されてしまうかもしれない。


 そんな考えが頭をよぎっていた。


 でも、大好きな人の前では、嘘をつきたくなかった。本当の自分を知ってほしいという気持ちがあったのだ。


 アレクシスは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに表情を和らげ微笑んだ。


 「それがどうしたんだ?」


 彼は優しく言い、ルルーの手を握りしめた。


 「君が魔女でも君への気持ちは変わらない。どんな君でも僕にとって大切なんだ。」


 その言葉に、ルルーの胸の中にあった不安が少しずつ溶けていった。彼の優しい眼差しに心が満たされ、思わず涙が頬を伝った。


 「ありがとう……アレクシス……!」


 声が震えながらも、彼女はその言葉を心から絞り出した。


 アレクシスはルルーの手を優しく握り返し、


 「僕の人生に君がいてくれて嬉しい。魔女だろうと何だろうと、君は君だ。それだけで僕にとっては十分なんだ。」


 その瞬間、夕日がさらに沈み、空が深い赤から紫へと変わっていった。


 「君と初めて出会った森でのことを、覚えているかい?あの日から僕は君に惹かれていたんだ。」


 アレクシスは歩きながら、何かを思い出したかのように話す。


 ルルーはその言葉に頬を染め、静かに頷いた。


 「覚えているわ。あの日がなかったら、私たちはこうして歩いていなかったかもしれないのね。」


 夜空に星が輝き始める中、二人は仲良く家へと続く小道へと帰っていった。





* * *





ルルーがアレクシスとの思い出を話し終えると、お茶会の席は一瞬、しんと静まり返った。魔女たちは皆、自分の中に抱える不安や孤独を思い浮かべていた。特別な力を持つ者として、誰かに心から受け入れられることの難しさを知っていたからこそ、ルルーの語る愛の物語は彼女たちの胸に深く響いたのだ。


 お茶会の部屋は、午後の日差しがやわらかく差し込み、静かな感動の中に包まれていた。その沈黙を破ったのはクラリスだった。


 「ルルー…本当に素敵なお話ね。そんな風に誰かに愛されるなんて、夢のようだわ。」


 彼女の瞳は潤んでいて、感動を抑えるように胸に手を当てていた。


 「本当にそうね。そんな深い愛情、私たちもいつか経験できるかしら。」


 マリーナも涙ぐんで、そっと目元を拭った。やがて、他の魔女たちも微笑みを浮かべながら、ルルーの語る温かい話にホッとしていた。


 「みんな、ありがとう。アレクシスとの時間は私にとって宝物なの」


 そう言ったルルーの声に、お茶会の場は和やかな笑い声と賑やかな会話で再び満たされた。魔女たちはお互いの夢や希望について語り合い、この幸せがいつまでも続くようにと密かに願っていた。


 世界がこのまま変わらず続くと誰もが信じて疑わなかった。しかし、運命は時として静かに、そして突然訪れる。


 ルルーは一瞬、遠くで小さな不協和音のようなざわめきを感じた。何かが胸の奥で鈍く響き、彼女の表情がかすかに曇る。魔女たちの笑い声や、カップを置く音が微かに遠のいたように感じられたが、それも一瞬のことだった。ルルーはすぐに微笑みを取り戻し、場の雰囲気を壊さぬよう努めた。


 「大丈夫?」


 クラリスが心配そうにルルーに視線を向けると、ルルーは軽く頷いて答えた。


 「ええ、大丈夫よ。ただ少し考え事をしていただけ。」


 一同はルルーの様子を心配した後、再び会話に戻っていった。しかし、ルルーの胸には漠然とした不安が残っていた。それが何かを告げる前触れだとは、そのときの誰も気づいていなかった。


 お茶会はその後も賑やかに続き、日が傾き始めた頃には、魔女たちは笑顔のままそれぞれの家路についた。部屋に一人残ったルルーは窓辺に立ち、街を見下ろしながら小さなため息をついた。街の光景は相変わらず平和そのもので、子供たちの笑い声が遠くからかすかに聞こえてきた。


 「ずっと、このまま続けばいいのに……」


 ルルーはそう呟き、胸の中に押し寄せる不安を振り払うように、空を見上げた。夕闇が少しずつ空を包み始め、やがて一番星がきらりと瞬く。


 その星は、彼女に何かを告げようとしているかのように、静かに輝いていた。





* * *





 その日は晴れ渡る空の下、街の市場がいつにも増して賑わいを見せていた。新鮮な野菜や果物、手作りの装飾品が並ぶ露店の前には、人々の活気あふれる声が飛び交い、笑い声が絶えなかった。市場の中心では、若い演奏家たちが陽気な音楽を奏で、周囲の人々がリズムに合わせて軽く体を揺らしていた。


 ルルーは、機嫌良くアレクシスと市場を歩き回り、さまざまな商品を見て楽しんでいた。


 機嫌が良い理由は、ルルーはアレクシスと同棲を始めたばかりだからだった。彼との日々が新鮮で愛おしかった。

 

 朝、目を覚ますと隣には彼の温かな寝顔があり、窓から差し込む柔らかな陽光がその瞬間を穏やかに包み込んでいた。日々の些細な会話や、笑い合うひととき、共に食卓を囲む時間――そのすべてがルルーにとってはかけがえのない宝物だった。


 「今日はよく来たね、ルルーさん!いつもの薬草かい?」


 露店の主人が声をかけると、ルルーは微笑みながら頷いた。


 「ええ、でも今日はそれに加えて、今日の晩御飯の食材も探しているの」


 そんな会話が交わされる中、ふと視界が揺れ、体の重さを感じた。周囲の騒がしさが一瞬遠のき、耳鳴りがしたかと思うと、目の前がぼやけてきた。足元がふらつき、かごが手から滑り落ちそうになるのを慌てて抑えたが、近くの露店の柱に手をついてようやく体を支えた。


 「ルルー!大丈夫か!?」


 アレクシスはそんな彼女の様子に気づいて声を掛ける。


 「少し疲れているだけよ。いつものことだから、心配しないで」


 「ダメだ。君に無理は出来ないよ。今日は僕が家まで送る」


 アレクシスはルルーをおんぶしたまま、残りの買い物を済ませることにした。市場の露店を回りながら、片手で果物を選んだり、野菜をかごに入れたりしていた。その姿に、周囲の人々は温かい笑みを浮かべたり、励ましの言葉をかけたりした。


 「あれがルルーさんとアレクシスさんか。あの二人、本当に仲が良いわね」


 「見て、アレクシスさんが彼女を背負っている。優しい人だね」


 ルルーは顔を赤らめ、恥ずかしさに小さく声を漏らした。


 「アレクシス、だめよ……恥ずかしいわ」


 彼は振り返らずに前を向きながら話す。


 「僕がこうしていたいんだ。君が安心していられるなら、それでいい」


 市場を後にし、夕日が街を茜色に染める中、アレクシスはルルーを背負ったままゆっくりと家路についた。道すがら、柔らかな風が頬を撫で、遠くで小鳥がさえずる音が心地よく響いていた。ルルーは背中の上で静かに息を整えながら、アレクシスに話しかけた。


 「アレクシス、本当にありがとう。こうしてあなたに背負ってもらうなんて……ちょっと恥ずかしいけれど、嬉しいわ」


 アレクシスは優しく笑いながら答える


 「僕にとっては君を支えることが何より嬉しいんだ。いつも頑張りすぎる君だから、こうして少しでも力になれるなら、それだけで十分だよ」


 ルルーはその言葉に心が温かくなり、少し顔をうつむかせながら続けた。


 「あなたがいてくれるだけで、私、本当に心強いの。でも、あなたが無理をしていないかも心配なの。いつも私のことを優先してくれるけど……」


 アレクシスは少し歩を緩めて、夕日を見上げた。柔らかな光が二人を包み込んでいた。


 「僕にとって君は大切な人だから。君が笑っていられるなら、僕はどんなことでも乗り越えられる。無理をしているつもりはないんだ。ただ、君が僕のそばにいてくれることが一番の幸せなんだよ」


 その言葉にルルーは胸がじんと熱くなり、涙がこぼれそうになったが、すんでのところでこらえた。


 「ありがとう、アレクシス。あなたとこうして一緒にいられることが、私にとって何よりも幸せ」


 「それなら良かった」とアレクシスは少し笑みを深めて答えた。


 「これからも、どんなときでも一緒に乗り越えていこう。君と過ごす毎日が僕にとって何より大切だから」


 アレクシスの言葉に、ルルーは背中越しに微笑んだ。彼の背中から伝わる温もりに包まれ、彼女は心から幸せを感じていた。


 「愛してるわ、アレクシス」


 ルルーは小さな声で囁く。その言葉に、アレクシスは歩みを一瞬止め、振り返りもせずに微笑みながら、「僕もだよ、ルルー。ずっと」と静かに応えた。


 夕暮れの街は茜色に染まり、二人の影が長く伸びていった。風が優しく二人を包み込み、心がつながったまま、二人は静かに家へと帰っていった。






* * *






 ある日、ルルーは家の中で草木の整理をしていた。彼女は市場での買い物の日を思い出し、アレクシスが自分を背負ってくれたことを振り返ると、自然と顔が赤くなった。その温もりや優しさを思い出すたびに、心がじんわりと温かくなった。


 ルルーはふと手を止め、少し真剣な表示になった。将来のことも考えなければならない。結婚や子供のこと、アレクシスとのこれからの生活のこと。


 しかし残酷にも、その平穏は突然破られる。激しい痛みが胸を突き上げ、ルルーは耐えきれず膝から崩れ落ちた。


 「うっ………!」


 彼女の口から苦しげな声が漏れ、視界がぐらりと揺れた。手にしていた草木が床に散らばり、部屋に乾いた音を響かせた。呼吸が乱れ、浅くなるたびに痛みはさらに深まっていった。ルルーは胸を押さえ込みながら、必死に意識を保とうとした。


 「こんな……急に……まさか……」


 声にならない囁きが口をついて出た。耳に届くはずの音は次第に遠のき、意識が暗闇に引きずり込まれていくようだった。ルルーはぼんやりとした視界の中で、自分の体が次第に重く、硬直していく感覚に気づいた。


 「これが……終わりなの……?」


 遠のいていく意識の中、誰かの言葉が脳裏に浮かぶ。


 別れは急に訪れるのだと。


 その言葉を聞いたとき、ルルーはそれが自分に起こることはまだまだ先の話だと思っていた。そんな別れが訪れるとは、夢にも思わなかった。


 しかし、現実は冷たく、避けがたく迫ってきた。身体の内側から、彼女の体は結晶と化していった。透明で美しい結晶が、彼女の知らない間に肌の下でじわじわと広がっていた。最初は鈍い痛みが胸の奥に響くだけだったが、次第にその感覚は身体全体へと広がり、自由を奪っていった。


 「まさか……こんな形で……」


 ルルーは視界が滲む中、最後の力を振り絞って自分の手を見つめた。指先は既に硬く、美しい輝きを帯びた結晶へと変わりつつあった。冷たい絶望が彼女の心を覆ったが、ほんの一瞬、愛しい人々の顔が脳裏を過ぎった。アレクシスの優しい瞳、仲間の魔女たちの笑顔、そして共に過ごした何気ない日々。


 「こんな風に終わるなんて……」


 胸の中で、心残りが大きく膨れ上がる。愛する友人たちのこと、この街での思い出、そして――アレクシスのこと。






* * *






 これは少し前のお茶会の出来事だった。日差しが窓から優しく差し込み、テーブルには色とりどりの焼き菓子や温かな紅茶の香りが漂っていた。いつもは陽気な話題で賑わうこの場で、ふとクラリスが静かに問いかけた。


 「ねぇ、皆はあの世ってどう思っている?」


 その言葉に、一瞬場がしんと静まり返った。マリーナは、手にしたカップを揺らしながら少し考え込んだように眉を寄せた。


 「そういえば、結晶化の話を聞いたことがあるわ。魔女が命を全うしたとき、突然その身体が輝き始めて、結晶に変わるんですって。」


 魔女の世界では、ある言い伝えが古くから語り継がれていた。「長い時を生きる魔女は、その生命の終わりに『結晶化』する」と。結晶化とは、魔女の生命力が尽きるときに訪れる現象であり、その身体が美しい結晶に変わる事だ。


 しかし、その現象がいつ訪れるかは誰にもわからない。結晶化は避けられない運命であり、それがいつ来るのかを知ることは難しいとされていた。


 「でも、それはとても尊いことでもあると思うわ。結晶化した魔女の姿は、その街の守護の象徴として長く祀られることがあるって聞いたわ。でも、突然に訪れるなんて……」


 魔女の寿命は人間より長く、多くの時代を見つめ、数えきれないほどの出来事を経験してきた。けれど、魔女として生きている以上、突然と訪れる死には抗えない。


 ルルーは静かにお茶を飲みながら、心の中で小さく願っていた。もしも自分に終わりが訪れるならば、せめてその時はアレクシスと共に過ごしたい、と。


 「死なんて考えていたらキリがないわよ。でも魔女の役目を果たしているのだから、あの世で良い事があったらいいわね。」


 とルルーは笑う。



 「そうよ!私たちは不死ではないけど、不老なんだから!美しいままに死ぬことができるのは、ある意味誇りでもあるわ!」


 マリーナが冗談めかして言うと、周囲の魔女たちは、笑い声をあげる。


 心の奥底では誰もが死後の運命に思いを巡らせていたが、この瞬間だけはその不安を忘れ、共に過ごすひとときを大切にしていた。






* * *






 お茶会での笑い声や仲間たちの優しい顔が頭の中で霞んでいき、目の前には広がるのはただの薄暗い部屋。


 ルルーが痛みに耐え、かすかな意識の中で地面に伏していると、遠くから急いでくる足音が聞こえた。アレクシスだ。


 「ルルー!しっかりしてくれ!」


 アレクシスが駆け寄り、ルルーの結晶化しつつある体を抱きしめた。その瞳は恐怖と悲しみで震え、涙が溢れていた。彼の温もりを感じながら、ルルーは何とか微笑もうとしたが、すでに口元は硬化し始めていた。


 「アレクシス……来てくれたのね……」


 彼女の声はか細く、呼吸もままならなかった。アレクシスは震える声で問いかけた。


 「どうして言わなかったんだ、ルルー! どうして一人で抱え込んでいたんだ……」


 彼の瞳には涙があふれていた。彼女がこの痛みに一人で立ち向かっていたことに気づけなかった自分を責める気持ちが、胸を締めつける。


 ルルーはその言葉を聞いて、一瞬だけ優しく微笑んだ。


 「あなたを……心配させたくなかったの。私は……あなたとの時間が……大切だったから……最後まで……笑顔でいたかったの」


 「もっと早く気づいていれば……」


 アレクシスは後悔の念に襲われ、彼女の冷たくなっていく手をしっかりと握りしめた。


 「……出会いがあれば別れもあるのよ、アレクシス。ただ、その時が今来ただけ。」


 「そんなことは言わないでくれ、ルルー!まだ……まだ、僕たちには時間が……」


 彼の声は涙にかすれ、言葉が途切れた。ルルーは彼の顔を見つめ、冷たくなりつつある頬を彼の温かい手で触れられていることにわずかに微笑んだ。



 「死は……魔女だろうと……関係なく平等に訪れるのよ……でも……せめて……死ぬなら貴方と一緒に迎えたかった……。


 その声は途切れ途切れで、アレクシスの耳に届くか届かないかの弱々しい響きだった。結晶化は胸元から全身へと広がり、ルルーの声も次第に小さくなっていった。


  「お願いだ、ルルー……逝かないでくれ…」


 アレクシスは涙を流しながら、彼女を強く抱きしめ、彼女の名前を何度も呼んだ。ルルーはかすかに頷き、最後の力を振り絞って言葉を口にした。


 「あなたと過ごせた時間……本当に……幸せだった……」


 その言葉を最後に、ルルーの全身は美しい結晶に包まれ、淡い光を放ち始めた。彼女は静かに硬化し、優しい微笑みをたたえたまま永遠の眠りについた。


 アレクシスは跪いたまま、結晶となったルルーに顔を寄せる。


 「ルルー……ルルー!!」


 アレクシスはその場に跪き、結晶となったルルーを抱きしめながら涙を流し続けた。彼女のぬくもりはもう感じることはできなかったが、心の中には彼女の笑顔と優しい声が鮮明に蘇り続けた。何度も彼女の名前を呼びかけても、返事はない。淡い光に包まれた美しい結晶の中で、ルルーは彼の愛したままの姿で、静かに佇んでいた。





* * *




 こうして彼女は死んだ。魔女としての責務を全うし、人々を導き、守り抜いた末に、その長い旅路を終えた。彼女の結晶化した姿は、夜空に輝く星々のように美しく、街の人々の心に永遠に刻まれた。アレクシスをはじめとする皆の涙と祈りが、彼女の記憶に刻み込まれた。


 アレクシスは彼女の存在を永遠に讃えるべく、街で最も壮大な葬儀を執り行った。街の住人たちだけでなく、彼女と親交の深かった魔女たちも一人また一人と集まり、涙を浮かべながら彼女の最期を見守った。


 クラリスやマリーナをはじめとする魔女たちは、それぞれの胸にルルーとの思い出を抱え、静かに祈りを捧げた。かつて笑い声と共に賑わっていたお茶会も、ルルーがいない今、二度と開かれることはなかった。


 それでも、誰もがその喪失感を抱えつつも、心のどこかで彼女が愛し続けたこの街を見守ってくれていると信じていた。


 静かな夜が訪れるたびに、アレクシスは窓辺に立ち、星空を見上げていた。彼はそっと目を閉じ、彼女の声や笑顔を心に描き、胸の痛みと共に過ごしていた。






* * *






 ルルーの魂は暗闇の中で静かに漂っていた。時の概念もなく、無の中で自らの生涯を振り返っていた。愛した街、共に笑い合った友人たち、そしてアレクシスとの暖かな日々が、まるで幻のように心の中に広がっていく。


「……」


  天国も地獄もない、ただ無音と静寂が耳を包み込み、視界を閉ざしていた。これが『魔女の行く末』なのだろうか。使命を果たし、愛した人々を守り抜き、その役目を終えた者がたどり着く場所は、この果てしない無なのか。


 無限の時間が過ぎ去ったように感じたその時、不意に遠くから微かな光が生まれた。それは暗闇の中でかすかに瞬き、次第に強く輝きを増していった。ルルーはその光を見つめながら、心の中にほんのわずかな希望が芽生えるのを感じた。光はゆっくりと広がり、彼女の元へと近づいてくる。温かく、穏やかなその光は、まるで母が幼子を抱きしめるように優しい手で彼女を包み込んだ。


 その温かさに、ルルーは心を開かずにはいられなかった。長い間忘れていた安堵と愛の感覚が体全体を満たし、胸の中で優しく響き渡った。彼女の魂はその光の中で、再び力を取り戻し始めたように感じられた。遠くから懐かしい声や笑い声が聞こえた気がした。


 ルルーは目を閉じ、その言葉を胸の奥深くに刻み込んだ。


 やがて、再び時が動き出すような感覚が彼女を包み込んだ。暖かな光が彼女の全身を満たし、穏やかな風が頬を撫でる。


 ゆっくりと目を開けると、そこにはまるで生前いた時と変わらない景色が広がっていた。優しい光に照らされた緑豊かな大地と、鮮やかな空が広がっている。空気は新鮮で、胸に吸い込むたびに生命の鼓動を強く感じた。


 『魔女の行く末』それは果たしたものにしか訪れない世界、魔女としての力はもうなかったが、その代わりに感じるのは普通の人間としての生き生きとした実感だった。


 外見も髪型も死んだあの頃と変わらないままだった。


 静かな時間が流れる中で、彼女は目の前の新しい世界に馴染むようにゆっくりと歩み始めた。かつて彼女がいた街と同じような市場の喧騒や、どこか懐かしい匂いが風に乗って届いた。これが彼女に与えられた新たな生であることを理解し、ルルーは穏やかな笑みを浮かべた。


「もう一度会いに行こう。」


 彼女は深呼吸をし、懐かしい道をたどるようにゆっくりと歩き始めた。過ぎ去った時間を胸に刻みつけ、愛する人々とまた出会う日を信じて。

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