真相・前編
ルフィーナとエヴグラフの結婚式が半月後まで迫ったある日。
アシルス帝国宮殿のとある一室にて。
(ようやく手に入るんだ……!)
エヴグラフはニヤリとほくそ笑む。
「エヴグラフ殿下、またここにいたんですか?」
呆れたような声でエヴグラフに声をかける者がいた。
「別に俺がどこにいようと構わないだろう……キリル」
エヴグラフはフッと笑う。
エヴグラフに声をかけたのは、クラーキン公爵家の新人使用人キリルだった。
「俺はもうすぐ臣籍降下してルーファと結婚する。だから殿下呼びはやめろ。お前もクラーキン公爵家の使用人を続けるのだからな」
「はいはい、承知いたしましたよ、エヴグラフ様」
キリルはやや不敬な態度だが、エヴグラフはそれを許していた。
「まあ、エヴグラフ様には感謝していますよ。スラム街で倒れてた孤児の俺を拾ってくれたんですから。まあ、ここまで人使いが荒いのは予想外でしたけど。いきなりクラーキン公爵家の使用人になれって言われた時は驚きましたよ」
キリルは呆れ気味にため息をついた。
「それに、エヴグラフ様がまさかこんな狂気を持っているなんて、思いもしませんでした。こんな狂気部屋を作るなんて」
相変わらず呆れたような表情のキリル。
「狂気部屋? 神聖な部屋の間違いだろう?」
エヴグラフのラピスラズリの目からは光が消え、恍惚とした表情である。
この部屋には、淡い紫色のドレスや濃い青のドレス、そして多くのアクセサリーなど――全てルフィーナが着用していたものが揃えられていた。
「ルフィーナ様が使用しなくなったドレスやアクセサリーを全て集めるだなんて、狂気そのものですよ」
やれやれ、と肩をすくめるキリル。
「愛する女性を常に感じていたいと思うことの何が悪い?」
フッと笑うエヴグラフ。ラピスラズリの目は愛おしげだが虚ろだった。
かつてクラーキン公爵家でルフィーナが使用しなくなったドレスやアクセサリーが全て紛失する事件が起こった。
その犯人は何とエヴグラフだったのだ。
(今年の社交界シーズン開始前……宮殿の図書館でルーファを見かけたあの日から、君が俺の妻になることは決まっていたんだ)
エヴグラフはルフィーナとの出会いを思い出し、ほくそ笑んだ。
ラピスラズリの目は、一途な狂気に染まっていた。
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エヴグラフにとって、全ての始まりは今年の社交界シーズン開始直前。
宮殿の図書館でルフィーナを見かけたことだった。
エヴグラフの心に衝撃が走る。
(あの令嬢は……!?)
エヴグラフはルフィーナから目が離せなくなった。
本棚の裏から、そっと気付かれないようにルフィーナを見つめるエヴグラフ。
真っ直ぐ伸びた艶やかなダークブロンドの髪。真剣に本に向けられるペリドットの目。その目には長い睫毛が影を落とす。
可憐な見た目のルフィーナは、一瞬にしてエヴグラフの心を奪っていたのだ。
ロマノフ家の第三皇子として生まれたエヴグラフ。彼が望めば何でも手に入る立場だった。それ故にエヴグラフは物事への興味を失っていた。
その立場と見た目故、見目麗しい女性から言い寄られた経験も多数あるエヴグラフ。しかしどの女性にも興味を持てなかった。
そんなエヴグラフだが、ルフィーナを一目見ただけで心を奪われたのだ。
エヴグラフは本来の目的を忘れ、本棚の影からずっとルフィーナを見ていた。
しばらくすると、ルフィーナは本を読み終わり、席を立ち上がる。
「お父様、読み終わりましたわ。必要な情報も知ることが出来ました」
ルフィーナは父親であるヴァルラムに、おっとりと肩の力を抜いている様子だ。
「それなら良かった。そろそろ丁度いい時間だし、帰るぞ」
「はい」
ルフィーナはヴァルラムと共に宮殿の図書館を後にした。
(甘やかな声……柔らかで真っ直ぐな視線……そしてその心……彼女の全てが欲しい……。どんな手を使ってでも彼女を手に入れてみせる……!)
エヴグラフのラピスラズリの目は、どこまでも真っ直ぐで、それでいて狂気に染まっていた。
人や物事への興味を失っていたエヴグラフだが、ルフィーナに対してだけは並々ではない狂気にも感じられる想いを抱いたのだ。
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(あの令嬢はルフィーナ・ヴァルラモヴナ・クラーキナというのか。甘美な響きの名前だな)
エヴグラフはルフィーナに関するありとあらゆる情報を調べ上げ、ニヤリと口角を上げた。
(クラーキン公爵家の一粒種の令嬢。十三歳から十五歳までナルフェック王国のラ・レーヌ学園に留学していた。領地の名産品であるクランベリーをネンガルド王国にも輸出する為、野菜や果物の保存方法をドロルコフ公爵家長男と共同研究している。読書が趣味で、アシルス帝国の文学だけでなくナルフェック王国や他国の文学も好んで読む。好物はローズティー、苺と薔薇のジャム、蜂蜜ケーキ、苺のカスタードパイ……か)
何とエヴグラフはルフィーナの好物まで細かく調べ上げていたのだ。
その後、エヴグラフはキリルにクラーキン公爵家に使用人として潜入し、ルフィーナことを逐一報告するよう命じた。
その際、ルフィーナとの会話は必要最小限にしろと注文まで付けたのだ。
しかし、それだけでは足りなくなった。
(もっと……もっとルフィーナ嬢のことが知りたい。ルフィーナ嬢が何を見て、どんな表情をしているのか……)
ルフィーナが行く場所を調べ上げ、エヴグラフもその場所へ行き、影からルフィーナを見るようになっていた。
完全にストーカーだ。しかしエヴグラフはルフィーナに対して自分の気配を感じさせて恐怖を与えないよう気を付けていた。
エヴグラフなりの配慮である。
そして、自身と同じようにルフィーナに対してストーカー行為をしているマカールの存在にもすぐに気付いた。
(あいつは……マカール・クラーヴィエヴィチ・ドロルコフ……。ドロルコフ公爵家次男か……。やはりルフィーナ嬢を狙う男は大勢いるのだな。だが、あのやり方だとルフィーナ嬢が気付いて恐怖を感じるだろうに……)
自身とは違い、いずれルフィーナに気付かれてしまうであろう迂闊さがあるマカールに対し、エヴグラフは沸々と形容しがたい怒りを覚えた。
今すぐマカールを排除したい衝動に駆られたが、グッと抑えるエヴグラフ。
(いや、奴を利用して俺が優位になる流れを作ってしまえば良い)
エヴグラフはニヤリとほくそ笑んだ。
(ルフィーナ嬢と結ばれるのはこの俺だ)
光が灯っていないラピスラズリの目。それは一途で真っ直ぐで虚ろなものだった。